第19話

 親信が家に帰ると、子供たちと幸之進が出迎えてくれた。

 幸之進が待っていたのは、親信よりも柏餅に思えて仕方がないのだが。


「柏餅、柏餅――」


 顔を輝かせて手を差し出す幸之進の手をぺしりと叩いた。


「まずは沙綾に供えてからだ」


 親信は沙綾の位牌の前に柏餅を置き、手を合わせた。一緒に食べることはできないけれど、食べたような気分になりたい。加乃も親太郎も一緒になって手を合わせるから、幸之進も真似て手を合わせる。


「昼餉を食って、おやつつの時にだな」

「あいっ」


 親太郎が元気よく声を上げる。大きくなったものだと、親信は不意に胸がいっぱいになった。



 それから昼餉を済ませると、加乃が反故ほご紙を繋ぎ合わせて親太郎に兜を作ってくれた。器用なもので、親太郎も大喜びである。


「あーがと、ねぇね」

「どういたしまして」


 フフ、と笑っている加乃は、やはり大人びて見えて、あっという間に嫁に行ってしまいそうな気分になる。


「加乃殿は優しいな。惚れ惚れする」


 加乃が優しい娘なのは事実としても、幸之進に言われるとゾッとするのだが。


 掃除をしたり、繕い物をしたり、こまごまとしたことをしていると、時はすぐに過ぎていく。親信の手が遅いとも言う。

 その間、幸之進は子供たちと遊んでいて、その間は柏餅のことも忘れていたらしい。時の鐘が鳴るまで、多分忘れていた。


「八つ時か――」

「ああ、そうだ、柏餅だ、柏餅っ」


 親太郎も、かしあもち、かしあもち、と楽しそうに騒ぎ立てる。今日くらいはちゃんと茶を淹れようという話になり、いつもよりも茶葉を多く入れた。

 柏餅を包んである竹皮を広げると、そこには四つの柏餅がきちんとそろっている。


「いい匂いだ。この匂いを嗅がないと、節句という気がせぬな」


 買いそびれて冷や冷やしたものの、こうして落ち着いてみると、この小さな贅沢が嬉しいものだ。


「親太郎、ゆっくりと食べるのだぞ」

「あい」


 皆に柏餅を手渡し、親信も柏の葉を捲った。白い餅がコロリと可愛らしく、奥ゆかしく中に隠れている。それを齧ると、中には餡が包まれていて、甘さの中にも塩気がある。甘いものがそこまで好きではない親信でも美味しいと思えた。餡が上品な味である。


 正直に言うと、美味いというのは和吉の贔屓目ひいきめだろうと思っていた。値段も手ごろだったのだから、ごく普通の味ならばそれでよいと、過度の期待はしていなかった。


 それが、思った以上に美味かったのだ。茶屋で出すだけとは勿体ないとさえ思う。

 幸之進も柏餅をすっかり平らげると、親信の方に膝をずい、と前に出した。


「親信殿、この柏餅はどの店のものだ? いつもの店とは餡が違う。甘いものに興味がないと言っておきながら、いつの間にこんな店を見つけたのだ」


 餅ひとつでこんなに詰め寄られるのも妙な具合であるが、甘いものに目がない幸之進は端整な顔を近づけて問うてくる。


「これは――同じ長屋の和吉が勧めてくれた店で買ったのだ」

「ほうほう、他の菓子も置いておるのか?」

「茶屋だ。そこの親子が菓子も作って出しているそうで、それほど数は作ってなさそうだったが」


 それを聞くなり、幸之進はカッと目を見開いた。


「それほど数を作っておらぬとは、勿体ない限りだ。この味ならば飛ぶように売れるはずっ」


 そうかもしれないが、親子二人ではそこまで手が回らぬことだろう。そこまで必死に稼ごうという気概はないように見えた。ゆったりと、生活に困らぬほどの稼ぎがあればそれでよいというところか。


「ふぅむ。是非一度行ってみなければ。親信殿、明日にでも連れていってくれ」


 幸之進はそんなことを言い出した。今、柏餅を食べたばかりだというのに。


「また甘いものばかり食うつもりか。柏餅は今日食べるから意味があるのだ」


 しかし、幸之進は引かなかった。その熱意は一体何なのかよくわからない。


「美味かったのだ。こんなにも美味いものが埋もれているのは勿体ないではないか。もっとたくさんの人に知ってもらって、繁盛してほしいと思うてな」

「まあ、確かに美味かったが――」


 甘いものが苦手な親信でさえ美味いと思ったのだ。幸之進が感動したのも無理からぬことではある。


「とにかく、明日だ。頼む」


 ずい、とまた前に出る。親信は後ろに下がり、溜息をついた。しつこい男だ。

 そんなやり取りを呆然と見ていた子供たちだったが、加乃がぽつりと言った。


「明日、お出かけになるのですか?」


 明日までが節句の休みだ。その休みの日に親信と幸之進が出かけたら、それはいつもと変わりない。

 加乃が親太郎の守りを嫌だと言ったことは一度もないけれど、それは子供ながらに気を遣っているだけだ。本当は自分一人でなくて、誰かがいてくれるだけで救われている。そういう意味では、幸之進が住み着いたことで加乃の負担は軽くなっているのか。


 親太郎ほど無邪気には甘えないけれど、加乃も幸之進を頼りにはしているようだ。

 そうなると、子供たちに二人で留守番だというのは酷かもしれない。


「なぁに、すぐそこの茶屋までだ。加乃と親太郎も連れていってやろう」


 たったそれだけのことで、加乃は嬉しそうに顔を綻ばせた。加乃のそんな笑顔を見られただけで、親信もまた嬉しかった。

 ただ、そんな笑顔を引き出したのが幸之進であることだけは気に入らないのだが。

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