第7話

 結局、夕餉は丹美からの裾分けである浅利の時雨煮、大根の味噌汁、沢庵漬け。質素なものであるが、贅沢ができるような身ではない。


 大根の味噌汁は加乃が作った。六つにしては上手いと親信は思っている。

 幸之進は菜の少なさに文句は言わなかった。その代わり、二杯目の飯を要求してきた。


「申し訳ありません、ご飯はもう――」


 口を動かしながら茶碗を突き出す幸之進に、加乃はすまなそうに空のひつを見せた。幸之進はがっかりするかと思えば、茶碗を無言で引いた。そうして、口の中のものを呑み込むと、妙に明るく笑った。


「そうか。ではまた明日だな。明日は魚が食いたい」


 図々しいにもほどがある。親信は飯を噛み締めながら危うく箸まで食いちぎってしまうところだった。苛立ちから、噛み締める力が無駄に力強くなる。

 それでも幸之進は、無言の親信に臆することなく言った。


「俺はまったくもって料理ができん」


 まあ、そうだろう。できそうには見えない。そんなことは期待してもいない。

 親信も妻を亡くすまで料理などしてこなかったのだから、それに関しては何も言えない。

 しかし、幸之進はにこにこと加乃に笑顔を振りまく。


「加乃殿はその年で料理をするのだから恐れ入った。きっとよい嫁になるな」


 幸之進は腹立たしいが、娘を褒められると少し嬉しい。加乃自身も照れていた。


「いえ、おみおつけくらいしかできません」

「それでも立派だと思うがな。大きくなったら俺の嫁になるか?」

「ええっ」


 ブッ、と危うく味噌汁を噴き出すところであった。ゴホゴホとむせる親信の背を、親太郎が心配そうにさすってくる。


「ちーうえ」

「す、すまん」


 そんな親信を、幸之進は楽しげに眺めていた。そして、余計なことを言った。


「親信殿、父上と呼んでもよいだろうか?」

「よいわけがあるかっ」


 子供たちがいるので抑えるつもりが、つい怒鳴ってしまった。加乃も親太郎も目を丸くしている。気まずくなり、親信は軽く咳払いをした。


「ふむ。冗談が通じないとよく言われているのではないか?」


 気楽なお前に言われたくない、と親信が睨んでも、幸之進は意に介さない。つい最近、刀を向けられて斬られたばかりだというのに、どうしてこうもへらへらとしていられるのだろうか。

 ますますこの男がよくわからなかった。




 夕餉を食い終わると、後片づけをする前に幸之進が懐から紙入れを取り出して親信の前に置いた。


「これは宿代だ」


 と、両手を広げてみせる。

 ただで食わせるつもりもなかったが、一体いくら払うつもりなのだろうか。


「――とは、どういう意味だ?」

「うん? ここに入っている金のすべてが宿代だ。だから、明日は皆で魚を食おう」


 あっさりとそんなことを言う。


「前にも言ったが、おぬしの金ではなく、家の金だろう。仮にそれがおぬしのものだとしても、今後家に戻らぬつもりでいるのなら、当座の金に困るはずだ。すべて手放すとはどういう了見だ?」


 まさか、ずっと居つくつもりで紙入れごと渡すのだろうか。それなら、鐚一文受け取りたくはない。

 すると、幸之進はいかにも無頓着な様子であった。


「家に戻るつもりはないが、金はなくなったらなくなった時に考える。どのみちこの金で一生食つなぐことなどできぬのだ。執着するだけ無駄だろうに」


 行き当たりばったり。

 しかし、何故だろうか。幸之進ならば本当にどうにか根無し草のようにふらふらしながらも生きていけそうな気になってしまう。風に飛ばされたら飛ばされた先でのん気にしているのだろう。


 むしろ、生きにくいのは親信のような堅物なのだ。一度決めたことを曲げるのに何年もかけてしまう。自分とあまりに違う考えには馴染めないし、好ましくも思えない。

 小物でしかないのだ、己は。


 目の前の紙入れを眺め、親信は嘆息した。そんな親信に、幸之進は言う。


「皆で美味いものを食えたら、それはよいひと時だ。金を惜しむこともない、正しい使い方ではないのか?」


 目先の小さな仕合せを大事にすればいいと、幸之進はそう考える。

 加乃や親太郎も喜ぶのなら、親信がこだわることではないのか。


「――明日の魚くらいは買うとしても、この金子は大事にしておかねばな」


 幸之進の紙入れは、じゃらじゃらと小銭のうるさい音はしない。いくら入っているのか確かめるのも嫌だったが、幸之進が持っているとろくなことにならない気もする。


「うむ。明日を楽しみにしておる」


 へら、と笑った幸之進は、一体何を思ったのだろうか。



     ❖



 翌日、夕刻に長屋へやってきた棒手振からあじを買った。いつも、七輪は長屋の誰かに借りる。丁度使っていない時ならば貸してもらえるのだ。皆がそうして使いまわしている。


 ちなみに、昨日の悪戯をした貞市をどう叱るべきかと思ったが、あまりにもにやにやと笑っていて、こちらが怒るのを待っているように見えた。だから、あえて何も言わずにおいた。そうしたら、つまらなさそうだった。

 そのうちに飽きてくれるといいのだが。


 魚売りに鯵を捌いてもらってから家に戻ると、意外なことに多摩がいた。多摩は親信が帰ったことでハッとして上がり框から腰を上げた。


「お、おかえりなさいませ」


 いつものごとく、顔を真っ赤にしている。


「お多摩殿、来ておったのか」


 これは珍しいことである。親信が帰ってきてから菜を持ってきてくれることはあっても、家の中にいたことはない。加乃たちと遊んでくれることもあるが、そうした時はほとんど外にいる。

 多摩は気まずく思ったのか、目まで赤くなった。


「あ、あの、わたしっ」


 すると、親太郎を膝に乗せ、加乃の肩を抱いた幸之進が嫌な笑いを浮かべていた。


「裾分けを持ってきてくれたのだ。な、加乃殿」

「はい。お多摩さんにはいつもお世話になっております」


 加乃がそう言うと、幸之進は加乃の頭を撫でた。


「六つとは思えぬ、しっかりした受け答えだ。加乃殿はなんと賢いのだろう」

「い、いえ」


 加乃が照れている。幸之進が日に日に馴れ馴れしくなっている気がする。

 親太郎まで妙に懐き出した。今も幸之進の膝に乗って、べったりともたれかかっている。

 それを見る親信の目つきがややいつもと違うように感じられたのかもしれない。多摩は慌てていた。


「すみません、わたし、向井様の御留守の間に図々しく長居をしてしまって――」


 目尻に涙まで浮かべた多摩を見下ろし、親信はそんなにも怖い顔をしていただろうかと少し気にした。


「いや、いつも助かっておる。子供たちの相手をしてくれたようでありがたい」


 と言いつつ、親信はうつむいた多摩の頭越しに幸之進を見る。

 おかしな男ではあるが、見目だけはよい。若い娘ならば憧れるかもしれない。もしかすると、幸之進に近づいてみたくなったのだろうか。恥ずかしがりな多摩だが、幸之進は人当たりがよいので話しやすかったと見える。

 ただし、これでも武士だ。町人の多摩があまりのめり込むと厄介かもしれない。


 多摩は顔を上げた。親信と目が合うと、また顔を真っ赤にする。そんな多摩に、幸之進は笑いながら言った。


「親信殿、夕餉の魚は焼き物か? 焼くのならお多摩殿に手伝ってもらおう。親信殿、一緒に焼いてきたらどうだ?」


 えっ、と多摩は慌てた。

 自分たちの夕餉の支度もあるだろうに、何故多摩に手伝わせようとするのだ。それはあまりに図々しい。


「厚かましいことを申すな。おぬしが焼け」


 そうだ。居候なのだから、それくらいすればいいのだ。

 親信がきっぱりと言うと、多摩は気が抜けたのか、妙にしょんぼりとして見えた。


「いえ、わたしは構いませんが」


 魚も満足に焼けない娘だと思っているわけではないのだが、そう誤解させてしまったのだろうか。そんなつもりはなかったのだ。今度は親信の方が慌てた。


「お多摩殿の手を煩わせてはいかんという話で、その、他意はないのだ」

「はぁ」


 わかってくれたのか、どうなのか。がっかりして見えたのは気のせいだろうか。

 焼いてもらうべきかのか。しかし、四人分しかないので裾分けもできない。そもそも、幸之進の金で買った魚だ。親信が人様に分け与えるのは違う。見返りもないのに、そこまで甘えるのはどうなのだろう。

 いや、その――としどろもどろになる親信に、幸之進は呆れたような声を上げた。


「親信殿はとよく言われるのではないかな?」


 鈍いなどとは言われたこともない。

 むしろ、剣捌きは素早いと言われている。体は大きくとも、動きが鈍いとは限らない。心外である。


 ちなみに、みちに七輪を借り受け、加乃と共に焼いた鯵は、親太郎の応援も虚しく焼きすぎて硬くなった。焼き加減というのは見極めづらいものである。生焼けで腹を壊してはいけないと思い、じっくりと焼いたのがいけなかったのか。


 渋団扇を片手に、幸之進は鯵を前に苦悩する親信を楽しげに眺めていたのだった。だから素直に多摩に手伝ってもらえばよかったのだとでも言いたいのか。


 それでも、魚を食したのはいつ振りだろうか。ぴんと鰭の反り上がった鯵は、夕餉の膳を豊かにした。箸が入りにくいほど硬くなってしまったのもご愛敬だ。


「うん、明日は何を食おうか? 甘いものが食いたいな」


 それはおやつつだろうに、と親信は鯵を食べながら思った。

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