冒険者が肉を食いに行く話

海雀撃鳥

にくニク肉ミート

「肉食べたくない?」


 あまりにも唐突に放たれた女の言葉に、俺は首を傾げた。


 目の前の女と俺は冒険者であり、もう5年も一緒にパーティーを組んでいた。特別腕がいいわけではないが、実績はそれなりに積んでいる。一週間前には十日がかりの大遠征の末、農村を悩ますレッドドラゴンを討ち取った。


 この申し出はその打ち上げということだろうか。

 しかしそれにしても急すぎやしないか。そもそも「肉」と十把一絡げに言われても困る。格調高いレストランでナプキンをつけてステーキを切り分けるのと、家でお手製のポットローストを二人でつつき回すのでは要求される心構えが違う。

 こういうのは事前にはっきりさせておかないとトラブルを招くのだ。俺は冷静に女に発言の意味を問いただそうとした。


「肉って――」

「肉食べようよ」

「食べる」


 俺は頷いた。まあ何にせよ肉が食べられるならどこでもいいや。




 結局のところ、女の言う肉とは焼肉のことだった。


 この期に及んで「焼肉って何だよ肉を焼く料理なんざゴマンとあるだろ」なんて揚げ足取りは無用だ。

 単なる「肉」であればステーキやハンバーグも含意する単語だが、そこに「焼」がつけばそれは「切り分けた肉を自分で網焼きにして食う料理」という単一の意味しか持たない。ゴウランガ、何たる玄妙な言葉遊びであろうか。


 連れてこられた店は庶民街と貴族街のちょうど境目近くにあった。店構えはまぁまぁ裕福な庶民がたまの贅沢に通う店、といったところ。焼ける肉と脂が混じった煙の匂いが店の前まで漂っている。


「この店だけなんか雰囲気違うよな」

「店主が異世界から転生してきたんだって」

「らっしゃーせー! 二名様っすかー!」


 引き戸を開けるとすぐさま若い店員が威勢のいい挨拶とともに駆け寄ってくる。店内を軽く見回してみると、冒険者から一般市民までが無心で肉を焼いていた。天井は脂の混じった煙に燻されてすっかり黒くなっている。あまり綺麗とはいえない光景だが、不思議と食欲が湧いてきた。


 案内されたのは4人用のテーブル席だった。木製のテーブルの中央には大きな穴が空いており、そこに厚手の陶器壺が半分埋まるような形で設置されていた。

 店員が壺の中に炭をガラガラと入れて火魔法で着火、手早く焼き網を乗せて準備を整える。開戦の合図だ。魔物と戦う時より血が騒ぐ。


「冷の麦酒ビールと中ライス、一つずつ」

「ジンジャーエールを。あとサービス盛り。……モツあるのか。センマイとホルモン、ハツモトもください。サラダと3種キムチも」

「あーい! かしこまりまっしゃー!」


 すぐさま運ばれてきたジョッキ同士を打ち合わせ、二人でそわそわしながら肉を待つ。ほどなくして生肉――タン、ロース、カルビといった当たり障りのない肉類が盛られた皿と、塩と胡麻油で味付けされた海藻と生野菜のボウルが運ばれてきた。


 示し合わせるでもなく俺が小皿にサラダを取り分け、女がついてきたトングで肉を網に乗せていく。

 最初に乗せられたのは薄くスライスされた牛の舌肉、つまりタンだ。既に塩と胡椒が振られている。

 

 聞いた話では、一般的に焼肉ではアッサリとした物から濃い物へ、つまりタンからカルビやロース、ホルモンなどへと遷移していくのがセオリーとされているらしい。

 俺も女も焼肉奉行というわけではない。何をどの順番で食うかはその時の気分でまちまちだ。だが――最初は何を食いたいかと問われれば、やはりサラダとタンである。

 

 シチューに使うような厚切りならばいざ知らず、薄切りのタンはごくごく短時間で火が通る。俺達は素早く肉を返し、そのまま10秒待ってから皿に取った。まだピンク色の箇所が残っている舌肉を手早くレモン汁に浸し、競うように口に入れる。


 タンは部位によって味も肉質も違う。固く煮込みに向いたタン先やタン下、脂ノリノリのタン元、ほどよい脂と歯応えのタン中。

 今日出てきたのはタン中とタン下の複合だろうか。踊るような歯応えと共に口の中で肉が砕け、肉汁が塩とレモンの酸味と一体となって味蕾に染み渡る。

 普段ならこれ一つだけでも立派なおかずだが、今日のタン塩はほんの前菜、合戦の前の鏑矢に過ぎない。腹の底から食欲が湧いてきた。


 そのまま返す刀でサラダを頬張る。

 俺は特に野菜が好きというわけではないが、焼肉屋のサラダは大好きだ。エンドルフィンを分泌させる塩と胡麻油の組み合わせ、ぬるぬるしゃきしゃきとしたワカメとキャベツ、そして針唐辛子の刺激。ボウル一杯食べても飽きない味だ。


 再びタン塩。そしてまたサラダ。これを繰り返して網の上が空いてきたところで、女が再びトングを取った。次はロースとカルビのターンだ。


「ッアーイ! お待たせしやっしゃー!」


 更にちょうどいいタイミングで店員がやってきて、俺が頼んだモツ類と一緒に小鉢を二人分置いていった。

 粘土質の泥を成形して焼き上げた黒塗りの磁器皿であり、スペースを3分割するように仕切りが作られている。

 載っているのはキムチという唐辛子と複数の発酵調味料に野菜を漬け込んだ癖の強い漬物だ。異世界出身の店主からしても外国の料理だったらしく、再現には大変な苦労を要したという旨の文章が壁に貼ってあった。


 一つは白菜。葉の一片まで絡んだ辛味のある調味料がぴりぴりと舌を楽しませる。

 一つは筒切りのキュウリ。しゃくしゃくとした軽い歯触りが楽しい。

 一つは角切りの大根。カクテキというそうだ。消化にも良く、仄かな苦みが肉の脂を洗い流してくれる。俺はこれが一番好きだ。


 女がじゅうじゅうと香ばしい音を立てるロース肉をひっくり返した。少し待ち、まだ赤い部分が少し残っているくらいの頃合いで網から下ろす。俺はタレに卓上の小壺からおろしニンニクと辛味噌を加え、そこに肉を浸して頬張った。

 薄切りタンとはまた違う、俺こそが「肉」だと言わんばかりの力強い食感と旨味。タレに加えたニンニクと辛味噌がその主張を更に引き立てる。


 箸休めにカクテキを一口。ざくざくとした歯応えとともに、染み出した水分が口内を洗い流して熱を冷ましてくれる。まるで火山の魔物に氷魔法をぶつけたようだ。それ自体が油分をまとうサラダではこうはいくまい。


 体勢を整え、また肉だ。


 今度はカルビ、それも骨付きである。

 そも、骨の周りについた肉は美味い。骨を煮ればスープが取れることから解る通り、骨とは旨味の塊なのだ。加熱に伴い骨の中の髄液が外に染み出すことで、肉の旨味は更に高まる。加えて骨と繋がった肉は熱で縮みにくく、焼いても柔らかさを維持しやすい。

 そのただでさえ高いポテンシャルを、この店は工夫によって更に最大限引き出していた。パイナップル果汁を混ぜた合わせ調味料に肉を浸すことで、酵素の働きで肉を極限まで柔らかく仕上げているのだ。


 片端に骨がついた帯状の肉を手際よくハサミで切り分け、またもタレに漬けて頬張る。何と馥郁たる香り、何と複合的な旨味であろうか。唇で噛み切れるのではないかと思うほど柔らかい肉からは、仄かにトロピカルな甘い香りがした。


「うっめぇ」


 カルビ。ロース。キムチ。ジンジャーエール。ロース。カルビ。カルビ。サラダ……。

 いくらでも入っていく。美味い肉とその脇を固める副菜たちによる完璧な布陣のおかげだ。きちんと陣形を組んで適切な装備を整えていれば、民兵ですら騎士団の突撃を跳ね返す。いわんやこの場にいるのは無双の精鋭たちだ。


 俺の前で女は猛然とカルビを貪り、ライスをお代わりしていた。




 さて、開幕で頼んだサービス盛りの肉と野菜は食い切った。今は互いに食いたいものを単品で頼み、腹いっぱいになってくるまで好きなように焼いて好きなように食うフェーズだ。


 焼肉に限らず、誰かと食事をする上で一番基本的なマナーの一つは、他人のやることにいちいち文句を付けないことだと俺は思う。

 例えば俺は焼肉屋ではライスは食わない。肉を食いに来た以上は胃袋のスペースには極力肉を詰め込みたいからだ。酒が飲めないのでビールもやらない。逆に女はどちらも欠かせないという。だがお互いに相手の食い方に文句つけたりはしない。開幕でデザートから食いだす人間がいても、脂が抜けきるまでホルモンを焼く人間がいてもいい。自由とはそういうことだ。


「やっぱいいな、肉」「でしょ」


 簡単に言葉を躱し、網の上で焼ける肉に箸を伸ばす。

 黒と白のコントラスト――センマイ。確か、牛の三番目の胃袋だ。

 如何にも内臓然とした白っぽい小片から黒い帯(これは胃のヒダらしい)がいくつもビラビラ伸びている様は、慣れていない者にはいかにも気色悪く映る。


 だが――美味い。少なくとも俺は好きだ。

 黒い部分の端が少しカリカリになるまで焼けたセンマイをどっぷりとタレに浸し、少し熱を散らしてから口に入れる。

 こりこりじゃきじゃきとした食感。白い部分がコリコリ、黒い部分がジャキジャキだ。センマイ自体の旨味は然程強くないが、無数の黒い帯がたっぷりとタレを吸ってそれを補ってくれる。一風変わった見た目通りのトリッキーな美味さ。

 

「ふふ」


 顔がほころぶ。極端な話カルビやロースは家で食えないこともないが、こういうセンマイなんかの内臓肉は焼肉屋ならではだ。


 だが――センマイばかりでは顎が疲れる。口の中の脂も抜けてくる。

 ここらで補充といこう。俺は再び焼き網の上に箸を伸ばし、こちらもよく焼けたタレ付けのテッチャン、牛の大腸を摘まんだ。てらてらと輝く脂身は炭火に滴り落ちた脂によって燻され、焦げたタレの香りと共に渾然一体とした芳香を放っている。ダンジョンの最深部で眠る古代文明の産物にも劣らぬ至宝だ。


 口に入れて咀嚼。ぷりぷりとした食感、そして迸るスモーキーな脂。 

 良質な脂肪はエネルギーの備蓄として体内に蓄えられ、体調と集中力を維持するのに役立ってくれる。何より美味い。にくづきに旨いと書いて脂、名は体を表すとはこのことだ。

 目の前の女を見ると、奴もホルモンをおかずに白飯を掻き込み、盛んにジョッキのビールを呷っていた。実に美味そうだ。次来たときはライスを頼んでみてもいいかもしれない。いや、今からでも頼んでみるか……?


 思考しながら手元の皿にトングを伸ばし、俺は新たな部位を焼き網の上に乗せた。


「ね、何それ」


 俺が今載せたものを箸で指し、女が尋ねた。行儀が悪い。

 白っぽい肉色の、全体的にのっぺりとした質感の部位で、格子状に細かい切れ目が入っている。厚く均一な組織は網の上でもはっきりとその形を保っており、如何にも噛み応えがありそうな雰囲気であった。


「血管だよ。心臓ハツの根元だからハツモトってんだ」

「へぇ。タレ?」

「塩とレモンだな。普通は」


 ハツモトにうっすらと焦げ目がつき、切れ目が開いて花のように広がってくる。さっそく各々で取り皿にとり、塩コショウを振ってレモン汁をまぶした。


 焼けたハツモトの見た目は花切りにしたイカの切り身に似ている。が、その食感と食味はむしろ軟骨などの類に近い。

 センマイ同様それ自体の味は淡泊だが、こちらはそこそこ脂があるためタレに浸すよりシンプルに塩で食べる方が美味しい。こりこりとした歯触りに舌鼓を打った。



 

 さて、網上のハツモトが残らず胃に収まった頃には、そろそろ腹も満たされてきていた。まだ満タンというわけではないが、デザートの前に食べる〆をどうするか考え始めるべき頃合いである。女と二人でメニューをめくる。


 それなりに腹に溜まるものがいいが、がっつりと炭水化物を食べる気にもなれない、この微妙な腹具合をどうするべきか――そんな折、滑らせていた視線がある一ヶ所で留まった。顔を上げて向かい側を見ると、どうやら女も同じところに至ったらしい。


「すみません、テールスープを一つ」

「二つで」

「かしこまりゃっしゃー! テールスープ二つ!」


 運ばれてきた二つの椀は、薄っすらと油の浮いた澄んだスープで満たされていた。具は大根、薄切りのニンニクとネギ――そして、牛テール。ぶつ切りにされた牛の尾の肉が、椀の中央に鎮座していた。

 

 箸をスープの中のテール肉に差し込むと、ほとんど抵抗なく肉の塊が骨から剥がれた。何の臭みもない。肉の下処理を丁寧にやっている証拠だ。

 

 テール肉は筋張っていて肉も固い。塊のまま焼いて齧ろうとしても到底食えたものではない。だが、煮込み料理であれば話は別だ。

 骨付き肉が美味い理由は前述した通りだが、牛テールの場合はそこにスジから融け出したコラーゲンの旨味までが加わる。固かった筋線維は長時間煮込まれて柔らかくほどけ、ねっとりとゼラチン化した筋と一緒に舌に纏わりつく――まさしく肉、骨、ゼラチンの旨味が織り成す三位一体。世が世なら聖職者たちはこのテールスープを聖なる存在として崇めたであろう。ハレルヤ。


 ふと向かい側を見ると――女はライスの残りをテールスープに突っ込み、そのままお茶漬けの要領で掻っ込んでいた。何と行儀の悪い食べ方、神をも畏れぬ悪徳か! 羨ましい!


「すいません小ライス一つ!」


 俺はそれまでのポリシーを曲げ、店員を呼んで米を頼んだ。女がドヤ顔でこちらを見ていた。何が可笑しい後で覚えてろ。

 早速運ばれてきた白飯をテールスープに突っ込む。数年前まではこの国の主食はパンだったが、店主が稲作を広めてからは凄まじい勢いで米食が普及した。城壁の外でいくらか水田が開かれたことにより、この国の食糧事情は著しく改善された。


「小ライス一つお待たせしました!」

「あ、どうも」


 ともあれこの場においては国の食糧事情などどうでもいいことだ。俺は運ばれてきた白飯をスープに突っ込み、目の前の女と同じように啜った。

 散々肉と脂を送り込んだ胃袋を最後に労わるのは、やはり汁物に限る。ゼラチンの融け出した牛骨出汁が絡んだ米粒は食べやすく、それでいて温かい満足感を感じさせてくれる。最初から飯を入れた状態のものをメニューに載せても売れるんじゃなかろうか。

 椀を飲み干して一息つく頃には、もう満腹であった。




「この辺にしとくか?」

「ん」


 俺は店員を呼び、最後のデザートにシャーベットを頼んだ。

 運ばれてきたのは透明なガラス容器に盛られた薄黄色の氷菓。レモン汁に蜂蜜と砂糖を加えて氷魔法で凍らせた菓子だ。甜菜から砂糖を精製するやり方、蜂蜜を効率よく採取する遠心分離機もここの店主が広めたものだ。

 

 女と二人、匙を入れてちびちびとシャーベットを食べる。舐める、と言った方が適切かもしれない。冒険を終えた帰りの馬車でその日の出来事を振り返るように、俺達は今日の食事を振り返っていた。




「お会計14200ゴールドです」

「カードで」


 出口で冒険者ギルドから支給されたランクカードを差し出すと、店員が会計用の魔道具を翳して支払いを済ませた。こうすることでギルドに作った口座から月末に代金が引き落とされる。ギルドがある国ならどこでも使えるし、現金を持ち運ばずに済むので楽ちんだ。


「美味しかった」

「おう」


 店を出ると、少し酔った様子の女は香草風味の樹脂菓子(会計の時にサービスで貰った)を噛みながら、ふらふらと通りへ歩き出した。誰かに衝突されてはたまらないので慌てて追い付き、肩に手を置いて止める。


 それなりに値の張る食事だったが、しかし相応の価値がある時間であった。


 次の冒険でもたんまり稼ごう。そしてまた肉を食いに来よう。

 

 胃袋が満たされているのとは別種の、どこか心が温かくなるような満足感を感じながら、俺達は家への帰路についた。




(おわり)

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