パパのお金

ロム猫

第1話



 例えば、こんなことがあった。


 ある日、長女と二人、縁日を歩いていた。何を買うわけでもなく、屋台が並ぶ路を眺めながらブラブラしていると、長女が何か欲しいものはないか、と尋ねてきた。もとより、何が欲しくて縁日に出かけたわけでもないので、別に何もいらない、と答える。ただ、それでは余りに愛想が足りないだろうと思い直し、「強いて言うならビールかな」と付け加えた。


 「ならわたし、ビール買ってあげるね」


 長女はそう言うと私の腕を引き、屋台に連れていく。いや、ビールを買うくらいの金はあるし、子供の小遣いからするとけっこうな出費だろう、そう思い申し出を断る。


「わたしが買ってあげたいんだから駄目。パパ、ビール買ってあげるね」


 しかし長女の方もなかなか譲らない。結局、子供にビールを奢ってもらうことになってしまった。ありがたいといえばありがたいが、情けないといえば情けない。なんとも言えぬ複雑な心持ちになった覚えがある。


 また、こんなことがあった。


 次女と休みの日、何かして遊ぼうと、百円均一の店に出かけた。公園で派手にシャボン玉でも飛ばそうかと意見が一致し、シャボン玉関連のグッズを五百円分購入することを決めレジに向かうと、「わたしが払うから」との言葉。いや、五百円程度で休日の遊びを買えるならむしろ安い方で、パパが買ってやるぞと恩着せがましく言うと、わたしが払うと固辞をする。そういえば先日、長女とも似たようなやりとりがあった。なんだおまえら。やはり、小遣いを貰い、金を持ち始めると使いたくなるものなのだろうか。そう考えると子供の想いを蔑ろにして、大人の金銭力を見せつけるのも無粋である。結果、次女に支払いを任せてしまった。


 そして、また、別の日。


 家族揃ってイオンモールに出かけた。三女の誕生日プレゼントを買うためである。先日、三女の誕生日パーティーを開いたもののプレゼントを買い忘れててあげられなかった。その時三女には、また買ってやるから、とお茶を濁しなんとかやり過ごすことに成功したのだが、忙しさから一週間が過ぎ二週間が過ぎと、なかなかプレゼントを買う機会を得ない。まあ、三女もそろそろ忘れているだろうと高を括っていたらある日突然、「あたし、プレゼントまだ貰ってないんですけど!」とキレてきた。覚えていたか。

 ということでサプライズも何もないグダグダな誕生日プレゼントをイオンで買ってやろうという運びになったのである。

 好きなもの買っていいぞ、とは言ったものの小遣いからの出費なので多少祈る様な気持ちでいたことは否めない。一葉さん一人で済めばありがたい。欲を言えば樋口さん一人の人質交換で、野口さんが数人戻って来てくれればなおありがたい。結局、三女は白いアルパカのぬいぐるみを抱きしめて「これがいい」と私に渡す。値札をチラリと見ると「1800円」の数字が。パパもこれがいい。

 レジに持っていき会計を済ませると期待していた「ありがとう」の代わりに意外な言葉が三女から返ってきた。


「ごめんね、パパ、お金ないのに……」


 うすうすは感じていたが、どうも娘たちの間で「パパはお金がない」とのコンセンサスがあったようだ。妻にこっそり聞いてみると度々そのようなことを質問されるらしい。パパはお金がないのではないのか、と。

 考えてみれば、私は日々の稼ぎの全てを妻に渡しているので、何かしらの支払いはいつも妻が行っている。「今週のお小遣いね」といって妻から金を貰う姿も子供たちに見られている。つまり、全て目に見えるお金の動きは常に妻を起点としているのだ。子供にとってママこそが我が家の財を取り仕切る真のお金持ちなのだろう。


「そうは言ってもおめぇよ、子供に聞かれたならパパの貧乏ぐらいは否定してくれよ」


 妻に抗議をする。


「何言ってんの、あんた。お金が無いと思われておいたほうが楽だよ? あの子たち私と一緒にいる時、欲望の解放の仕方が半端ないんだからね」


 そう聞くと、それはちょっと恐ろしいように思った。


 結局、私は自身に張り付けられた「パパはお金がない」というレッテルを剥がさないでおくことにした。言われてみれば当たらずとも遠からず、我が家の方針はどんなに働いて稼いでも小遣いの金額は変わらない社会主義。そして一旦給料が妻の手に渡ってしまえば小遣い以外の金は一銭たりとも動かせないのだ。金のやり繰り一切を妻に任せているので貯金がいくらあるのかも分からない。通帳の在り処すら知らぬ。そんな塩梅であれば「金がない」といわれても反論はできない。 

 金は使う権利があってこそ初めて自分のものだと主張が出来る。金庫にいくら札束が積まれていようが、その事実を以って銀行員が金持ちであるというわけでもなかろう。権利を妻に握られている以上は小遣いこそが私の収入であり、その収入は酒飲み煙草呑みの我が身には、決して充分過ぎるという金額ではない。故にその懐具合如何によっては吝嗇になることもあり得るのだ。そこを子供たちに見抜かれたのだろう。

 なんだか、本当に自身が貧しく思えてきた。


 そんな心持ちで過ごすこと幾日か、妻から、やべえ、という言葉が漏れ聞こえてきた。


「やべえ、子供たち、ばあさんに抗議したらしい」


 子供たちが「ばあちゃん」と呼ぶので最近妻も、自分の母親のことを「ばあさん」と呼ぶ。忙しい時には近所に住む義母にご飯を食べさせて貰っているので、子供たちも接する機会が多い。そのばあさんに子供たちが何か言ったようだ。


「子供たちさ、ばあさんに『爺ちゃんやばあちゃんやママはお金持ちなのになんでパパだけお金がないの? 本当の家族じゃないから?』って抗議したらしい。『あんた子供に何教えてんの!』って怒られちゃった。まずいね、何とかしなきゃ」


 「本当の家族じゃない」というのは恐らく「血のつながりがない」ということを言いたかったのだろう。疎外感半端ないパワーワードだ。ばあさんからしてみれば可愛い孫からこんなことを言われたら堪らないだろう。


「あの子たち他所でも同じようなこと言ってないかしら。ちょっとパパからもお話してやってくれない?」


「話って、『実はパパはお金持ちです』とかいうのか? それも変な話だろ。実際小遣いも少ないんだし貧乏っていえば貧乏じゃん?」


 これをチャンスとばかり、小遣いアップの揺さぶりをかけてみる。


「酒とタバコをやめてみろ。そうすりゃお金持ちになれるから。っていうかいつになったらタバコやめるの? 約束したよね。子供産まれたらタバコやめるって。もう何年経つと思ってんの? 身体に悪いし百害あって一利なしじゃん。タバコ吸ってていいことあったならここで言ってみなさいよ。わざわざお金を払って不健康を買ってんだよ? 分かってる? だいたい、そのタバコ代をずっと貯めてたら今頃いくらになって……」


「よし、今夜子供たちを集めて会見を開こう」


 つついた藪から出てきた蛇が、毒蛇に変わるまえに話を逸らした。


 食事を終え、ちょっとおまえたちにお話があります、と子供たちを集める。大した話じゃないのだが、改まった方が効果的だと考えた。妻も隣りに座る。


「ちょっとお話があります。えー、実はパパはお金持ちなんです」


 大して金を持っているわけじゃないが大袈裟な方がいい。


「パパはお金持ちなんだから他所で『パパはお金がない』とか言っては駄目だよ? いいね?」


 返事がない。返事がないどころか全員ニヤニヤしている。またこのおっさん何やらヨタ話を始めたぞ、とでも思っている顔だ。三女に至っては「プスッ」と笑いを漏らしている。このやろう。


「い、いや、だからね、パパはお金持ちなんだよ? 証拠もあるぞ? 財布見て見るか? 今日だったら一万円入ってるぞ? あ、いや、九千円だったかな……でも小銭を合わせれば多分……」


「もう! そういう事じゃないでしょ!」


 見かねた妻が割って入ってきた。


「もういい! わたしが話すから!」


 わたしが話すなら最初からわたしが話すが良かろう、と思ったが、口にするとまた質の良いパンチを喰らうので黙って置いた。


「はい、みんな聞いて。みんなが毎日食べているご飯あるでしょ? あれ全部パパのお金で買っています」


 子供たちの頭の後ろら辺に「ざわざわ」という文字が見えた気がした。明らかに動揺しているのが見てとれる。


「ディズニーやUSJに行ったでしょ? あれもパパのお金です」


 子供たちが真剣に聞いている。妻はこの手の話を子供たちにするのが上手い。


「新しい車買ったでしょ? それもパパのお金です」


「ひょっとしてこのお家に住んでるのも?」


 次女が口を挟んだ。


「そう。ぜーんぶパパのお金です。パパ一生懸命働いてみんなの為に使ってくれてるの。当たり前の生活を当たり前に過ごすためにはけっこうお金が必要なの。でもそれって当たり前だから考えたこともないでしょ? 本当は目に見えないところでパパのお金が使われているの。みんなが幸せに暮らせるように頑張ってくれてんだよ? パパはお金がないんじゃない。見えないところでみんなの当たり前を買ってくれてるの。だからみんなは『パパはお金がない』とか言っちゃダメだよ? わかった?」


 はーい、との返事のあと三女が、マジか、とこぼした。次女が、すげー、と呟く。長女も、ほんとかよ、と一緒になって驚いている。いや、おまえはもう中学生だろう、大丈夫か。


 妻の名演説のおかげで子供たちは「パパはお金がない」と言わなくなった。同時にお金のことで気を使われるということもなくなった。それはそれで少し寂しい気がするが仕方がない。確かに「パパだけ貧乏」と思われるのは教育上よろしくないように思う。

 しかし、子供というのは見てないようで見ているものだな、と改めて知った。親の僅かな心の機微も見逃さない。気をつけなければ思わぬほうへ物事がイレギュラーをする。今回のことはその教訓として覚えておかなければならない。

 そう、肝に銘じた。


          *


「はい、パパ。今週のお小遣い」


「ああ、ありがと。って、ん? いつもよりも多いんじゃ……」


「『子供に心配されるようじゃ、あんたが外で恥かくよ!』ってばあさんに叱られちゃった。無駄使いしないでね」


 ばあさん、ナイス。心の中で手を合わせた。


「子供たちにも感謝だねっ。本当に心配してたみたいだから」


 おお、かわいい我が娘たちよ。


「だからといって好きなだけ酒を飲んだりタバコを吸っていいってわけじゃないからね! もう若くないんだから! むしろ、これから頑張って少しずつ減らして……ちょ、ちょっと、なにして……」


 私は妻を抱きしめた。


 蛇が出てこないように。

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