016 出立

 全ての準備が完了した後、一行はキリアの病室へと顔を出す。


 迎え入れたルチルはしかし、千明とアルティの微妙な雰囲気を目聡く察知。だがそこには触れず、各々に言葉をかけてゆく。


 アルティの手を取って真剣な表情を向けて。


「絶対に無理をしないって約束して。もし貴女に何かあったら、私もキリアも悲しむわ」


 少女は、不安そうな表情のルチルを安心させるように微笑み、


「……はい、必ず無事に帰りますので、キリアと待っていてください」


 頷いたルチルは、次いで千明へと視線を転じ、


「千明、2人をお願いね。もちろん、貴方自身も無事に戻って来なさい」

「はい、わかりました」


 最後に、外套を羽織った夫へと向き直る。


 ヒューゴは黒い丈夫なコートに、フィールドワークに適したブーツといった出で立ちだ。


「ヒューゴ……」

「わかっているよ。僕も無茶はしないって約束する」


 ルチルは、ヒューゴの目元の隈を優しくなぞる。


「嘘。貴方は私たちのことになると、必ず無茶をするんだから」

「……どうしたら信じてもらえるんだい?」


 ルチルは何も言わずに両手を広げる。ヒューゴは察したように妻を抱き締め、また抱き締められた。


「……僕の居場所は、君の隣以外にあり得ない。絶対に帰ってくるよ」

「ん、よろしい」


 と、軽く口付けを交わす。


 そんな夫妻のやりとりの横で、アルティはキリアへと視線を向けていた。リジェネレクトゥスへと歩み寄り、カプセルの表面に手を添える。


 昨日のように取り乱すことはない。逆に湧き上がるのは幼馴染を助けるという、強い決意だ。


 ふと、同じくキリアのことを大切に思っているらしき千明が横に並び立った。意識してそちらに視線を向けず、でも堪えきれなくなって横目でチラリと様子を伺う。


 固有の人格を持つとは言え、霊奏機関の表情は変わらない。千明はカプセルの横に立ち、硬い雰囲気でキリアを見つめていたのだった。



  §



 治療院を辞した一行は、今回の足となるヒューゴ私有のホバーシップへと乗り込む。


 移動可能な拠点というコンセプトで設計開発されたそれの正式名称は、機動装甲浮揚船。生活設備はもちろん、簡易工房やリジェネレクトゥスまでもが搭載されている。


 非武装なれど、マガツキの攻撃にも耐えうる術式強化装甲を備えた船。それはまさに、小さな機動要塞といっても過言ではない代物だった。


 物珍しそうに内部を見て回るアルティ。そんな少女を他所に、操縦席へ着座した千明へとヒューゴは、


「さて、悪いけど僕は休ませてもらうよ。ルチルに釘を刺されたばかりだからね」


 昨日の事件を受けて休めなかったのは、千明だけではない。


 ヒューゴも昨日からほとんど不休で情報収集と計画作成に勤しんでいたのだろう。現に研究所へと戻るときの足取りは、かなりフラフラとしたものだった。


「わかりました。操縦は任せてください」

「ま、基本的に自動操縦でなんとかなるんだけどね。それより、できればなんだけど――」


 セレムレスに何事かを耳打ちしたヒューゴが眠りにつき、船が発進する。


 操縦室にはアルティと千明が残された。


 一通り施設を観察し終え、手持ち無沙汰になった少女が席へと着き――訪れる静寂。互いに会話の糸口が掴めず、沈黙が続く。


 今朝の一件以降まともに口を聞いていないが、千明が悪人でない事は理解している。同時に、自身の言動に問題があったことも重々承知していた。


 寝起きという状況や昨日の反動が重なったという事情はある。しかし、ストリップショーさながらの着替え劇に、挙げ句の果ては胸を突き出したのだ。


 痴女同然の完全に危ない人である。ましてや相手は、正体を知らなかったとはいえ、実は男の子でした、ときたものだ。


 あのやり取りを思い出すだけでカッと顔に血が上り、真面目に相対できない。


 要するにアルティは、ほとんど初手で完全にやらかして、千明との距離間を掴みかね――


「……あの、アルティさん」


 考えごとをしていた処に唐突に声をかけられ、大袈裟に肩がビクリと跳ねた。


 咄嗟に何か返事を返そうと口を開くが、頭が真っ白になって言葉が出てこない。

 その結果、


「……何ですか?」


 知らずに、冷たい声で返事をしていた。


「……いえ、なんでもないです」


 その声色を、話しかけるなと解釈したのだろう。千明は会話を打ち切り、再び重苦しい沈黙が流れる。


 アルティは内心で小さく後悔するも、既に取り繕うことはできない。


 結局、その微妙な空気は、ヒューゴが起きてくるまで続くのだった。

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