015 問:娘の負傷中に起きた事件を知ったヒューゴの気持ちを答えよ

 しばらく後、アルティはヒューゴに呼び出されて研究室の空部屋へと赴いていた。


 簡素なブラウスの上に羽織るのは、仕立てのいい黒のハーフローブ。首元で揺れている細いリボンタイは、瞳と同じワインレッドの色だ。膝丈のスカートに黒いストッキング、ソールの厚い旅装ブーツを履いている。


 室内には、目の下に隈を作りバツの悪そうな表情を浮かべるヒューゴ。そして、なぜか床に頭を擦り付ける千明の姿。


 困惑する少女へ、ヒューゴは実に言いにくそうにある事実を伝えた。


「――ええと、博士。もう一度、説明をお願いします」


 アルティは初め、何を言われたのか理解できなかった。いや、頭が理解を拒んだというのが正確なところか。


「……信じられないのも無理はないと思うけど、実は、そこに伏せっている千明はただのセレムレスじゃないんだ」


 しかしヒューゴは息を一つ吐き、『千明というセレムレスの正体』を伝える。その正体が、異世界人の精神体を擬似霊奏核で繋ぎ止めた存在であるということを。


 再度の説明で事情を飲み込んだアルティは、段々と顔を俯かせてゆく。震える肩と、髪の間から覗く真っ赤に染まった耳が、その内心を如実に語っていた。


「……つまりわたしは男性の前で堂々と着替えをしていた、と。そういうことですか」

「……昨日のうちにしっかり紹介しなかったこちらの落ち度だ。本当に、申し訳なかった」

「……いえ、色々ありましたから。博士は悪くありません」


 言葉が震えるのは昨日とは別の理由だが、誰もそれを指摘しない。ややあって、小さくなる鎧へと向きを変えて。


「千明さん、と仰いましたか」


 自分でもわかるくらいに、酷く冷めた声色だった。


 途端、ガシャリとした金属擦過音とともに、飾り房がピンと立ち、


「本当に申し訳ありませんでした!」


 平伏したままの千明が、誠意を込めて謝罪してきた。


 その態度から、声色から――『千明という存在』の『誠意』は伝わってくる。伝わってはくるのだが――


「……その点に関しては確認しなかったわたしも迂闊でした。でも、視線を背けるとか、直ぐに部屋を退出するとか、幾らでもできたはずですよね」


 アルティの指摘はもっともだ。


 何のアクションも起こさずに自身の着替えを凝視していた、異性。この場合は――千明が完全に悪い。


「……返す言葉もありません」


 アルティは部屋の一角を指差して。


「そこに立ってください」

「……はい」


 ノロノロと指示に従う千明は、裁かれる罪人のように項垂れたまま位置についた。


 顔を伏せる少女の周囲に幾つも浮かび上がる――制御陣。下手をすれば暴発すら懸念されるその数を見て、ヒューゴが逃げるように部屋を出る。


 扉が閉まると同時に、アルティは涙を滲ませた表情をキッと上げ、


「この変態っ――不埒者っ!」


 幾重もの衝撃音が立て続けに起こり、千明の悲鳴が室内に響き渡るのだった。



  §



 時間はさらに後。

 若干二名が落ち着くのを待ってから、部屋を移して打ち合わせが始まった。その間、アルティが部屋で真っ赤になって悶絶していたのは、致し方ない。


「――さて、このメンバーで動くんだけど……」


 しかし、その場に集う面々の空気はえも言われぬ緊張に包まれていた。


 身を小さくして壁際に立つ千明と、そちらへと視線を向けないアルティ。禍根が残ったのだと察したようなヒューゴは、深いため息を吐いた。


「……取り敢えず話だけでも聞いて欲しい。先ずは調べた情報を共有するよ」


 端末を操作して部屋の照明を落とし、卓上の投影機を起動させる。やがて球状の立体映像が浮かび上がり、一部が平面に拡大された。


「千明は多分初めて見ると思うけど、これはニュクス・セレーネの地図だ」


 平面図には七つの点が大きく表示され、それぞれが太い線で結ばれる。続いて周辺の山岳地帯や森林地帯、河川、湖畔と言った地形情報が明記されてゆく。藍色の点に大きなマーカーが乗っており、そこが現在地、モントサフィールだ。


「昨日伝えたように、僕たちの目的は謎の機動兵器、及びドラゴンの追跡だ。目撃情報だと、ドラゴンはモントサフィールから見て南西方面に飛び去っていったらしい」


 ヒューゴの操作に従い、マップ上に矢印が表示されドラゴンのマーカーが移動した。

 その先には――


「アルフィマ湖海こかい、ですか」

「うん。そして〈青月都市そうげつとしブランゴイズ〉がある」


 宵月ニュクス・セレーネの海陸比は七対三で、陸の方が広い。故に、ここでの海は巨大な水溜りという認識で、湖海こかいと呼ばれている。


 アルフィマ湖海はその中でも最大規模の湖海だ。隣接するブランゴイズは、他都市にも多くの水産資源を輸出している都市だった。


「ブランゴイズにいる友人にコンタクトを取ってみたんだけど、まだそのドラゴンを見ていないと言っていた」


 ヒューゴは忌々しそうに地図上の予測進路を睨み、


「途中で進路を変えたか、休息していると僕は思っている」

「……確かに、どれだけ巨大なドラゴンでも、長時間重量兵器を持って飛行なんて考え辛いですからね」


 横から口を挟む千明に、アルティは微かに眉を寄せるが、何も言わない。

 ヒューゴもそれを黙認して。


「本当なら都市間移動用の安全なバイパス道が存在するんだけど、相手の予測進路からかなりずれているから使えないんだよね」

「そうなりますと……途中のギアド岩山地帯、ぺオラスパ浮石地帯、イグネルタ河川周辺を通るルートですね」


 アルティたちは手早くルートを決めて行き、異邦人千明に口を挟む余地を与えない。


「とりあえずそのルート上を見て回るんだけど、他にも問題があるんだよね」

「問題、ですか……?」


 疑問符を浮かべるアルティへと頷き、端末上に指を走らせるヒューゴ。操作に従い、映像上に赤黒い領域がいくつも浮かび上がる。


「昨日の事件以降、ニュクス・セレーネ全域でマガツキの異常発生と、黒いマガツキの出現が報告され始めているんだ。そして、その領域の幾つかを突っ切ることになると思う」

「……危険な道行になりますね」

「千明、周囲のマガツキの状況はどうだった? 昨日、夜中に出かけていたんだろう?」


 時見千明――異世界から来たという、男の子の精神体。アルティは、千明がどんな経緯でここにいるのかを知らない――知りたくもなかった。


 件のセレムレスは、悪戯が見つかった子供のように視線を逸らした。


「……はい、頼まれていた船の整備後も落ち着かなくて、夜明けまで周囲のマガツキを幾らか減らして来ました。……大事の前に勝手な行動を取ってすいません」

「……いや、良くやってくれた。ありがとう」


 アルティは内心で僅かに驚愕する。


 今の話が本当ならば、千明は昨日の事件から不休で活動していたことになる。肉体的疲労は無いのかもしれないが、精神疲労まではそうはいかない。現にアルティも、睡眠を取ることで幾分か精神的に軽くなったのは事実だ。


 そんな状態で活動を続けていたら、いつか――


 このときアルティは、千明異世界の存在と自身が少し似ているという考えを抱いた。


 しかし、深く考える前に件のセレムレスが、


「黒い個体には遭遇しませんでしたが、通常種に関しては聞いていた話の数倍に増えていたと思います」

「……そんなにか。やっぱりあれにも兵装を付けておくべきだったかな」

「いえ、道中の障害はオレが排除しますので、大丈夫です。さいわい装備の大まかな確認は済んでいます……。必要なら、ドラゴンでも何でも――斃します」


 その言葉の無機質さに、アルティは確信した。千明の事情はわからないが、キリアの件を悔いているのは確かだろう。


「……うん、期待しているよ」


 ヒューゴも同じことを感じたようだが深く追求せず、話題を変えるように、


「さて、他に共有するべきことは……っと、そうだった。昨日の事件以降、虹月院こうげついんのトップが行方不明になっているという情報もあったね」

「虹月院、ですか?」


 聞き慣れない言葉だったのだろう。飾り房でハテナを作り、千明が問い返す。


「うん、虹月院は、ニュクス・セレーネの行政機関だよ。各都市毎に議員を選抜して、彼らの合議で機能しているんだ」


 ヒューゴの話によると、その首脳メンバーが行方を眩ませたとのことだった。その影響で、襲撃に関する対策や各地のマガツキ被害対応が後手に回ったらしい。


 結果、モントサフィールは詳しい被害状況すらまだ把握できていないのだという。千明やキリア、テオドールたち有志がいなければ、いまだ混乱のさなかにあっただろう。


「……前から何も変わっていないんですね」

「アルティ……」


 役所の見下げ果てた対応に、思わずアルティの本心が漏れ出る。過去に起きた誘拐未遂事件の折、杜撰な対応をされたことがあった。以来アルティは、虹月院にいい印象を持っていないのだ。


「……すいません。他には何かありますか?」

「……いや、今はこんな処だね。あとは情報待ちだ。じゃあそろそろ出発の準備をしようか。――あの子の顔も見て行かないと、ね」


 アルティと千明はヒューゴの言葉に頷き、各々で行動を開始するのだった。

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