012 失意

 施術室前の廊下。待合用の長椅子には、互いを支え合うように座るファルスマイアー夫妻の姿がある。


 そんな恩師たちの姿を、千明は黙って見ていることしか出来なかった。


 襲撃の後、ヒューゴに通信を入れて事態を説明。血相を変えて現れた彼に同行していた医療班がキリアを運び、緊急手術となったのだ。


 果てしない待ち時間が夫婦にとって如何ほどのものか、千明には推し量れない。


 やがて施術室のドアが開き、担当医が退出してくる。眼鏡をかけた金髪の医師は、恐らくはヒューゴたちと同年代だろう。


「っ!! テオドール! キリアは、キリアはどうなったの⁉」


 施術衣を着たまま焦燥した表情を見せる医師に、ルチルが縋り付いた。普段の姿からは想像できないほどの狼狽ぶりだ。


「……ルチル、手は尽くしたんだけど」

「……何か、問題があったのかい?」


 砕けた口調で問いかけるヒューゴの表情は、己が妻同様に暗い。


 恐らくは夫妻の知己であろう医師――テオドール医師は言葉を選ぶようにして。


「……これは今回の被害者全員に言えることなんだけど、マガツキの攻撃に含まれるものとは別の因子が傷口周辺の体組織を侵食していて、再生治療を阻害しているんだ」


 ヒューゴから微かに視線を逸らして。


「不幸中の幸いと言っていいのか、〈リジェネレクトゥス〉内では症状の悪化は見られない。でも、現状では意識を取り戻す可能性も……低いだろう」

「……そん、な」


 ルチルの表情が、殊更沈痛なものに変わった。


 マガツキの攻撃には、負傷者の回復を阻害する〈マガツキ因子〉が存在する。治療法が確立されているそれはしかし、黒い異形の因子には効果がなかったのだ。


「つまり、機動兵器の攻撃と、黒いマガツキの攻撃は同質のもの、と言う訳だね」

「ああ、そうだ。せめて細胞侵食さえ食い止められれば……いや、すまない。私は他の怪我人も診なくてはいけないから」

「……ありがとう。助かったよ」


 ヒューゴが感謝を述べ、テオドール医師は場を去ってゆく。


 彼の言葉通り、今回の被害者はキリアだけではない。大勢の人間が、機動兵器に、黒い異形に傷つけられている。


 医師の背中がやるせ無さに満ちていたのは、恐らく千明の見間違いではない筈だ。


 しばらく後、施術室から青いリジェネレクトゥスに収容されたキリアが運ばれて来る。


 ポッド状のそれは、治療が必要な怪我人や病人の回復を促す医療機器だ。回復術の存在しないこの世界において、最も有効な治療手段である。程々の裂傷程度なら、翌日には完治してしまう代物らしい。


 だが今回の件では、キリアの現状を維持するのが精々とのことだった。


「ああ、キリア……」


 娘に付き添い、ルチルが病室へと去ってゆく。


 母娘の姿に、千明は心が締め付けられる思いだった。この世界に放りだされた千明を励ましてくれた大切な友人、キリア。だが少女は凶弾に倒れ、今その光は鳴りを潜めている。


 自身の油断が招いた、結果だ。


 キリアは一命こそ取り留めたものの、それは運が良かったからに他ならない。己の不甲斐なさが、どこまでも千明の心を苛んでゆく。


 いまだ沈黙したままのヒューゴに向き直って。


「博士、オレ……」

「……君が気に病む必要はない。さっきも言ったけど、千明にも、もちろんアルティにも責任はないよ。むしろよくやってくれた」


 事件のあらましを聞いた後も、夫妻は千明を責めなかった。


 確かに、機動兵器を撃退できたのは千明たちの活躍だったかもしれない。だが今は、そんな些事を誇る事ができない。唇をキツく噛むヒューゴの前では――そんな感情は湧き上がらなかった。


 居た堪れない気持ちになった千明は、病室の場所を確認する。踵を返し、逃げるようにその場を後にするのだった。



  §



 気が付くと、ふわふわとした不思議な空間に浮いていた。


 見上げる上界は白く、見下ろす下界はどこまでも黒く染まっている。果てしなく続く、白と黒に分かれたモノクロームの世界。


 手足の感覚こそあるものの、生身の体はない。蜃気楼のような、一糸まとわない透けた体がポツンと存在しているのみだ。


 ふと、自身の正面に白い光球が浮かび上がり、


『―に――な―て――ん――い』


 唐突に、世界に響く女性の声があった。どこか懐かしいような、だが知らない声だ。


『貴女は、誰……?』

『私――イリ――貴―――に――添う―よ』


 こちらの問いかけに、相手が答えた。しかし、辺りを見回しても声の主は見えない。存在するのは自身と、正面の光球のみ。


『何を言っているのか、良く聞こえないわ』


 もしかしてと思い立ち、問いかけと共に光体を注視して。


『―――――ちの―――――間――――めん――い』


 声に合わせて明滅していることから、声の主は眼前の光球であると推測する。しかし言葉は途切れ途切れで、相手の意図を理解できない。


『何を伝えたいの? もっとはっきり話して頂戴!』

『―方―利――よう―狙―――るも―がい――。気―付――』


 叫ぶように返しても、相手の調子は変わらない。次第に光が遠のき、声がどんどんフェードアウトして――



  §



 アルティ・セイクリスは、唐突に自身が覚醒したことを理解した。


「――っ⁉ ……今のは、夢?」


 身を起こして周囲を見回すと、清潔な一室のベッドに寝かされていたのだと気が付く。


 鈍い頭痛に顔をしかめ、手を添える。夢を見ていた気がするが、酷く曖昧で、内容をよく思い出せない。何か大切なことを言われたような――


「――そうだ、キリアっ⁉」


 そこまで考えて、アルティは倒れる直前の光景を思い出した。


 自身を庇って倒れ臥すキリア。己の手を染める幼馴染の――赤い血。アルティに怪我がなくて良かったと微笑む、儚い笑顔が浮かぶ。


 慌てて周囲を見渡すも、室内にキリアの姿はない。


 居ても立ってもいられなくなったアルティは、部屋を飛び出していた。


 とはいえ、捜すあてなどない。募る焦りから小走りに移動するうちに、人気のない廊下へと辿り着いて。


「――クソっ!」


 力任せに壁を殴りつける音に、ビクリと身を強張らせる。


 そろりと通路の先へと顔を出すと、通路の中程に、項垂れる鎧の姿を見とめた。ヒューゴが帯同していた、千明と呼ばれていた自律式霊奏鎧セレムレスだ。


 悪漢から救助されたことや、キリアと並んで戦闘する姿。そしてやけに人間臭い仕草をする姿は、アルティの印象に強く残っている。流石はヒューゴ謹製の霊奏鎧だと感心していたのだ。


 しばし声をかける事を躊躇ったアルティだったが、意を決して前に進み出て。


「ちょっと、いいかしら」

「……アルティさん」


 こちらに気付いたのか、向けられる視線。


「キリアは、キリアは……どうなったの?」


 青い眼光からどことなくトゲを感じるアルティだったが、怯まずに問いかけて。


「……意識不明の重体だそうです。目覚めるかも分からないとの話でした」


 頭を殴られたような衝撃を受けた。


「そんな、キリア……。わたしの、せいで……」


 瞳が涙に滲み、口元を押さえる。


 そんなアルティの姿を見たセレムレスは軽く首を振って。


「……案内しましょうか?」


 申し出に、アルティは自身の肩が大きく跳ねるのを自覚した。


 病室には、キリアの両親、ファルスマイアー夫妻も居るだろう。顔を合わせれば、彼女が負傷した原因である自身がなじられるのは必至。親代わりである恩師たちから冷たい言葉をかけられることは、想像に難くない。


 けどそれでも、今のアルティには、逃げるという選択肢が存在しなかった。


「……ええ、お願いするわ。せめてルチルさんたちに、謝罪だけでも」

「分かりました。こちらです」


 首肯した千明は背を向け、アルティを病室へと先導する。


 辿り着いた部屋の前で大きく深呼吸。


 少し気持ちを落ち着けた少女は意を決して扉をノックし、


「――失礼します」


 スライド式の扉が抵抗なく開く。


 白い個室の中には、ベッド代わりのリジェネレクトゥスに横たわるキリア。そして、娘を見つめているヒューゴたちの消え入りそうな姿があった。


 恩師たちの視線を意識し、親友へと意識を向ける。


 学園で毎日のように笑いかけてくれた明るい笑みは、そこにはない。痛ましい幼馴染の姿に込み上がる感情を必死に堪える。今の自身は、涙を流す資格を持ち合わせていないのだから。


 代わりと拳を難く握りしめ、アルティは夫妻へと正面から向き直った。深々と頭を下げ、掠れる声でつっかえながらに、


「ヒューゴ博士、ルチルさん。……わたしの不注意で、キリアをこんな目に合わせてしまい……申し訳、ありません」


 しんと、緊張が室内に張り詰める。


 夫妻は何も言葉を発しない。


 実際はそれほど長くない沈黙。しかし裁かれる少女アルティにとっては、悠久に等しく感じられる時間だ。


 やがてルチルが、つかつかとこちらに歩み寄って手を伸ばして。


「――ッ⁉」


 目を閉じて身を強張らせるが、予測した衝撃は来ない。代わりに、ふわりと自身を包み込む温かな体温を感じ、


「アルティが優しい子なのは知っているわ。……今回のことも、貴女が悪い訳じゃない。だからお願い。自分を責めないで」

「ルチル、さん……」


 恩師の声も、アルティ同様に掠れていた。


 それでも自身を案じてくれていることを理解したときには――我慢の限界だった。


「……あ、ああ、ああああぁああぁぁああぁああぁっ!」


 堰を切ったように流れる涙が、溢れて止まらない。


 アルティはルチルに腕を回して縋り付くと、幼子のように泣き暮れるのだった。

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