005 蒼髪の少女

 一通りの買い物を終えたふたりは、学園前広場のベンチに陣取っていた。リストとの照合を少女に任せ、千明は周囲の光景を見渡す。


 街の中心というだけあり、遅い時間でもかなりの人でごった返している。


 一画で喝采を浴びているのは、多彩な芸を披露する道化姿のパフォーマー。子供におやつを買い与える父親の後ろを、カップルがいちゃつきながら通り過ぎてゆく。

 寸胴気味なデッサンドール――荷物を抱えた一般普及のセレムレスが主人に付き添い、スマホのような通信端末越しに通話している女性とすれ違う。


 例えるならば、商店街で行われる祭りに近い光景だろう。文化の違いはあれど、人々の生活は地球と変わらない。客引きの声や周囲の喧騒は千明にとって懐かしいもので、同時に新鮮なものだった。


「結構人がいるな。いつもこんなに賑わっているのか?」

「明日は休みなんだよ。その前日はいつもこんな感じかな」


 なんとなしの問いかけに、隣のキリアが返答。そういえば『休み』という感覚もしばらく無かったなぁ、と千明は内心でごちる。


 何せリハビリ後初の、約三ヶ月ぶりの外出なのだ。現在地が異世界ということも相まって、好奇の視線は止まらない。


「うん、必要なものは一通り揃っているみたいだね」


 感慨に浸っていたセレムレスへと、確認を終えたキリアが声をかけてきた。


「了解。それにしても多過ぎだろ……。何をこんなに買ったんだ?」


 改まって自身が運んできた荷物を見やり、千明は嘆息する。アニメやドラマで女性の買い物に付き合う男性の姿を見るが、これはその比ではない。


 二桁を下らない買い物袋に、ジャンクパーツがぎっしり詰まった箱が五段。明らかに人が持ち運びできる量の荷物ではない。


 現に、移動中の千明は荷物の山が歩いているといった体だったのだ。周囲の視線が突き刺さったのは、言うまでもない。


「えっとね、食材とか生活用品、各種書籍、霊奏機関のパーツ。あと私の服だね」


 キリアが手持ちのリストから内訳を読み上げて、


「今回は千明が付いてきてくれたから特に多いだけ。普段はもっと少ないよ。それに重量物運搬時の稼働試験を兼ねている、って父さんが言ってた」

「博士ぇ……」

「まぁまぁ元気だしなよ。お陰で私は楽できたし」

「キリアたちにとっては都合いいんだろうなっ!」


 どうやら観光気分だったのは千明だけで、実際は方々に体よく使われていたらしい。事情を知っているキリアもちゃっかり私物を混ぜていることこそ、何よりの証拠だろう。


 げんなりするセレムレスの横で広場の時計を見ていたキリアが振り返る。


「さてっと、用事も済んだしそろそろ帰ろう。今日の晩ご飯は何かなー」

「おい待てって、キリア!」


 元気よく歩み出した少女を追うべく、千明が荷物を装着・・して歩み出し――



「――あら、キリア?」



 涼やかな声に振り向いた千明は――時間が止まったかのように静止した。


 視界の先には、キリアと同じ学園指定ローブを身につけた少女。そよ風に舞う深蒼の髪は背中でリボンにまとめられている。宵月ニュクス・セレーネの空を切り取ったかのような色合いの髪だ。


 白く整った顔立ちの中で煌く瞳はワインレッド。愛らしい唇は薄桃につやめき、その魅力を際立てている。


 千明がこれまでの人生で出会ったことがないほどに、見目麗しい少女だった。


 腕に買い物袋を抱えていることから、どうやら目的はこちらと一緒らしい。


「あれ、アルティ? わ~! 学園の外で会うのは久しぶりだね〜!! 買い物帰り?」


 手ぶらのキリアは一目散に彼女のところへと駆け寄り、にこにこと話しかける。キリアと同じ学園指定のローブを着ている、アルティという名前らしき少女。


 その視線が、荷物の山を抱える千明へと向けられ、


「ええ、そうよ。そっちも――買い物、でいいのかしら?」

「うん。それと父さんの作った新型セレムレスの稼働試験を兼ねたもの、かな」

「稼働試験、ねぇ……」


 キリアの言葉に、蒼髪の少女が引き攣った表情を浮かべるのも無理はない。人間以上の身体スペックを誇ったセレムレス同伴とはいえ、明らかに買い込み過ぎだ。引っ越し作業の途中です、と言った方が説得力がある。


 だがキリアは一切気にしない。


「うんうん、寝たきりだったから運動には丁度いいって」

「寝たきり? 運動?」

「あ、こっちの話」


 どうやらキリアは蒼髪の少女に千明の存在を伝えていないらしい。現時点では迂闊なことは言わない方がいいだろう。緑髪の少女が気にしないでと首を振って。


「そうだ! 明日休みだし、うちに遊びにきなよ。父さんたちも喜ぶよ!」


 名案とばかりに手を打って表情を明るくする。だが提案されたアルティは視線を彷徨わせた。


「……申し出はありがたいけど、今日明日は部屋で勉強をする予定だったの。だから遠慮させてもらうわ」

「えー、そんなぁ……。母さんたちもアルティに会いたいって言ってたよ」


 断る少女の表情が一瞬だけ揺らいだのを、千明は見逃さなかった。なお言い募るキリアに、やがてアルティは観念したように肩を竦める。


「……わかったわ。今回は無理だけど、次の休日に遊びに行くから。ルチルさんたちにもそう伝えておいて」

「むー。……しょうがないなぁ、絶対だよ!」

「ええ。じゃあ、また学園で」

「うん。またねー!!」


 キリアに手を振り、アルティは立ち去ってゆく。残念そうな表情を浮かべる少女の隣に荷物の山が並び立って。


「……今の子は?」

「あの子はアルティ。私の幼馴染、というより家族みたいな子だよ」


 家族、という言葉に首を傾げる千明。ファルスマイアー家の子供はキリアひとりのはずで、他には聞いたことがなかった。


 疑問符を浮かべるセレムレスへと、少女は切なげな表情で目を伏せる。


「アルティの両親は父さんたちの友人だったんだけど、私が生まれた日に起きた事故で亡くなってるの。だから父さんたちが後見人になって、小さい頃は一緒に暮らしてたんだ」

「……そう、だったのか」


 千明はキリアの説明に得心する。そういう事情を抱えているのであれば、部外者の千明気軽に話せるものではない。今まで聞かなかったのも当然だろう。


「最近は学園以外で顔を合わせなかったけど、約束したから大丈夫! 帰ったら父さんたちに報告しないと」


 ふんすと息巻くキリアの隣で、千明はアルティの後ろ姿を視線で追っていた。少女の歩みに合わせて、見事な蒼髪が左右に揺れている。


 やがてアルティが人ごみに紛れて見えなくなってからキリアへと向き直って。


「じーっ……」


 向けられる胡乱げな視線。


「……えっと、何でしょうかキリアさん」

「……アルティに手を出したら承知しないからね」

「何だよ急にっ!?」


 わずかに仰け反る千明へと、キリアは指を突き付ける。


「私の目は誤魔化せないよっ! アルティのこと目で追ってたでしょ。可愛いって思ってたでしょ⁉」

「うぐっ、それは……」


 図星だった。一目見たあの瞬間から、千明はアルティという少女に心奪われていたのだ。


 連れの狼狽を目ざとく見て取ったキリアはそのまま距離を取る。


「あーやっぱり! さっき聞いた千明のタイプに合致しているもん! そりゃアルティが可愛いのは私が保証するし、こうならないように今まで話さなかったのも事実だけど」

「どんだけ信用ないんだよオレ……」

「実際そうなったでしょっ!! アルティに――お姉ちゃんに寄る虫は、私が撃退するっ!!」


 必死に制止する千明へと向けられる、制御陣。


「おいやめろ馬鹿っ。ここ街中だぞ!! 洒落にならな――ってか皆慣れてるっ⁉」


 大音声での会話が一部聞こえていたのだろう。周りの人々はさっと距離を取って、混雑の中に部分的な空きスペースが解放された。


「見て。またファルスマイアーさんとこの娘さんがなにかやってるよ」

「今度はなにが原因なのかしら」

「またルチルさんに折檻されるのにねぇ」

「本当、あの子も毎度毎度懲りないなぁ」

「あのセレムレスも気の毒に……」

「なんか街の名物みたいになってるんだがっ。ってかオレ哀れまれてるのっ⁉」


 漏れ聞こえる会話に併せて、どこか達観したような視線が向けられる。制止は入らない。むしろヒューヒューと口笛が鳴り、囃し立てる者すらいる始末だ。


「これで思う存分攻撃できるねっ!!」


 そんな衆人環視の状況さえもお構いなしと術式を解放するキリア。荷物を置く暇さえなかった千明へと、手加減抜きの霊奏術が殺到する。


「んな訳あるかぁ⁉ ――おい、本気で、やめろっ!!」


 器用にも周囲の人々や石畳に当たる直前で減衰する術が、セレムレスを容赦なく包囲する。


 その気配りをもっと他の部分に回せと思う間も、千明は波状攻撃にさらされる。昨日とは異なり、今の千明は無手どころか荷物デッドウェイトを抱えたままだ。


 しかし、器用に足捌きのみでそれを回避し続け、あまつさえ荷物すら落とさない。昨日から今日の午前中一杯行っていた訓練による、曲芸じみた機動だ。


 おおー、と周囲から沸き起こる拍手喝采に、挙句投げ銭まで出る始末。ぐぬぬと悔し気な表情を浮かべるキリアが、攻撃をなお苛烈にする。


 そうして千明は内心で謝罪した。


 道化姿のパフォーマーさん、客を取ってごめんなさい……と。



  §



「……そう、あの子に会ったのね」


 研究所へと遅い帰宅を果たした千明は、事の仔細をキリアの両親へと報告。旗色悪しと判断し、そろりと逃げ出そうとしていた少女は、笑顔の父親に捕縛される。


 街の反応とヒューゴの反応。双方を見るに、このお調子者キリアは常習犯なのだろう。


「また街の皆に迷惑をかけて……。今日の晩御飯は抜きかな」


 不吉な言葉に涙目でいやいやをしていたキリア。だが、一方的に攻撃されたお返しとばかりに千明は一切擁護しない。学習しない少女にとっては、いいお仕置きになるだろう。


 そんな些事はさておき、話を聞いたルチルは困ったような表情でため息を吐く。


「いい機会だから、貴方にも話しておきましょうか」


 と、千明へ件の少女のことを語りだした。


 ルチルたちの友人夫婦の忘れ形見だという少女――アルティ・セイクリス。キリアの言葉通り、アルティは幼少期をファルスマイアー家で過ごしていたそうだ。だが、学園に入る際にこの家を出て、現在は下宿で独り暮らしをしているのだという。


 そんな彼女は今から数年前、誘拐未遂事件に巻き込まれたこともあったらしい。それからしばらくは再び共に過ごしたものの、落ち着いた頃合いに下宿へと帰宅。


 以来最近は交流もめっきり減っていたとのことだった。


「……私たち、嫌われているのかしらね」


 寂しそうに独白するルチルへと、千明は咄嗟の返答に窮した。


 状況だけを聞けば、そう解釈できるかもしれない。だが、己の見たアルティの悲し気な表情を思い浮かべる。何かをこらえる様な、自身の感情を押し殺した、悄然しょうぜんとした表情。


 千明の脳裏に、少女のそんな顔が浮かんで離れない。


 この件に関して完全な部外者なのは承知している。けど、それでも。


「……そんなことはないと思います。多分、アルティさんは何か事情を抱えているんじゃないでしょうか」


 思わず言葉にした千明は、静かに向けられるルチルの視線を見返したまま、


「確証はないですけど、なんとなくそう思うんです」

「……ありがとう千明。今度あの子が遊びに来たときに、貴方のことも紹介するからそのつもりでね。できれば仲良くしてくれると嬉しいのだけど」

「はい、もちろんです」


 間髪入れず首肯する千明へと、ルチルは揶揄いを含んだ笑みを向ける。


「あら? やっぱりキリアの予測はあたってるのかしら?」

「ルチルさんまで……」

「貴方も健全な男の子ですものね」


 クスクスと隠しきれない笑いを零すルチルに、千明は微かに肩を落とすのだった。

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