004 藍月都市モントサフィール

 白い街並みを、空から藍色の結界が照らし出す。この世界の太陽にあたる天体――〈明陽ヘリオス・へメーラ〉はこの時期じき空にない。代わりに、結界の向こうには無数の星々が、そして惑星ケイオスが静かに輝いていた。


 キリアの通う学園を中心に、放射線状に展開する街並み。ファルスマイアー家の研究所が存在するニュクス・セレーネの都市。

 それがこの――


「――〈藍月都市あいげつとしモントサフィール〉か……」

「こらー、千明! よそ見してないで早く来なさいよー!」


 物珍しそうに周囲の光景を見回す千明へと少女から催促が入り、


「……ちょっとくらい街を見せてくれてもいいだろうが」


 やれやれと肩をすくめた千明は後を追う。


 翌日、模擬戦を休みにした千明は学園帰りのキリアと連れ立ち、街に繰り出していた。昨日の惨敗を引き合いに出され、少女の荷物持ち係に任命されたのだ。


 経緯はともかく、千明がここ最近碌に動けなかったのも事実。この世界の街を見てみたいと思っていたので、キリアに付いてきた次第だった。


「それにしても、ホントに不思議な光景だよな」


 キリアと肩を並べた千明は、それでも周囲を観察する視線を止めない。はたから見れば、完全なお上りさんである。


 周囲に並び立つ街路樹は、淡く光る葉を持った月光樹。光量が不足しやすい宵月ニュクス・セレーネにおいて重宝されている樹木だ。


 それを見上げるセレムレスの隣で、少女はコテンと首を傾げる。


「やっぱり、千明の住んでいたところとは全然違う感じなの?」

「オレの住んでいた国の外国、っぽい感じだな。……あんな浮く乗り物は無かったけど」


 街の景観だけでいえば、ヨーロッパのギリシャが近いだろうか。敷き詰められた石畳の上を行き交う車らしき乗り物が――浮いていることを除いては。


「ホバービークルだね。一般家庭用のものから都市循環用の大型のものまであるし、それに家にはもっとすごいのもあるじゃない」

「あぁ、あれか。また乗ってみたいな」


 自慢げに語るキリアの指すそれは、ファルスマイアー宅にある大きな浮揚船だ。


 なんでもヒューゴが開発の一部に関わっているらしく、そのときの謝礼なのだという。助けられて初めて乗り込んだ折、思わず歓声を上げたことを覚えている。


 他にも、と銀鎧は空を見上げ、


「空にはあんな結界はなかったし」

「あの結界はマガツキが街に入らないように昔から敷かれているんだって。実際今まで侵入されたことはないよ」

「……今日はいつも以上に饒舌だな」

「今までは私が千明に質問ばっかりしていたからね。これくらいのお返しは当然だよ」


 ふふん、と鼻を鳴らして得意げに語るキリア。動けなかった頃に地球のことを散々教えたことへのお返しだろうか。当時気疲れはしたものの、そんな少女の明るさに千明が救われたのもまた、事実。お陰で異常事態に晒された状況にも、それほど悲壮感を抱かなかった。千明にとってキリアは、紛れもなく恩人の1人だ。


「それに千明は元の世界に帰るんだよね。だったらなおさらこの世界のいいところを覚えないといけないよ。この世界の思い出が死にかけたってだけじゃ悲しいでしょ?」

「キリア……」


 こういう細やかな思い遣りをできる処がキリアの長所であり、


「あ、私今いいこと言った。うんうん。このままいくと千明が私にメロメロになるのも時間の問題だね」


 調子に乗りやすい処が短所でもある。


 そんなこちらの内心を知ってか知らずか、少女は冗談めかした笑みを深め、


「ああ、それはないな」

「なんでよっ!?」


 即答で一蹴され憤慨する。


 キリアは性格こそ少し子供っぽいが、愛らしい少女なのは間違いない。母親であるルチル譲りの見事な緑髪緑瞳に白磁の肌。コロコロと移り変わる表情はまるで万華鏡のようで、見ていて飽きない。


 その天性の爛漫さに惹かれる男は一定数はいるだろうと、千明は内心で予測している。実際に、以前本人から聞いた話ではクラスでも人気があるということだった。


 しかし千明はことも無げに、


「いや、キリアってなんかうちの妹と性格が似てて、付き合うとかは考えられないといいますか。……うん、ごめん。正直言ってずっと相手するとすごく疲れる」

「むむむー……そこまで真面目に答えなくてもいいじゃないかー!!」


 三白眼で暴れるキリアを放置し、千明は元の世界に残してきた家族を思う。


 異世界――宵月ニュクス・セレーネに飛ばされてから約三ヶ月。


 元の世界と時間の経過が同じという保証もなく、互いの状況は一切不明という有様だ。両親や妹に心配をかけているという申し訳なさが、チクリと心に刺さっている。


 やがてキリアが、微動だにしない千明の胸甲をポカポカ叩いていた手を止めて。


「……手が痛い」

「自業自得だろ」


 患部を霊奏術で冷やし始めるキリアへと、千明は呆れた視線を送る。


 やがて水を消し、手をぱっぱと払ったキリアが顎に指をあてて「うーん」と唸り、


「私も千明はいい友人だと思うけど、それ以上はないかな。何せ身体が霊奏機関だしねー」

「……こっちが気にしていることを」

「でも、それとこれとは話が別っ! 私は傷つきましたっ! 罰として千明のタイプを教えろー!」


 がるる、と獣が威嚇するかのように、目を吊り上げてわしっと手を構えるキリア。こうなった少女が梃子てこでも動かないことは、この数ヶ月でよく理解している。


 しばし考え込んだ千明は、別に減るものではないかと判断し、


「うーん。しいて言うなら、キリアよりも大人しい子がいいな。こう、落ち着いた、綺麗な、守ってあげたくなるような女の子」

「うわー。理想たかーい……」

「いいだろそれくらい夢見たって!?」


 キリアの引いた表情を見て、ストレートに言い過ぎたかなと遅まきながらに後悔した。


 しかし少女はすぐさま表情を取り繕って思案して。


(……でも、あの子なら……)

「? 何か言ったか?」

「ううん何でもない。さて、早く買い物を済ませちゃおう。……昨日みたいのはもうこりごりだよ」


 怒髪天の形相をした母親を思い返してか、その表情はどこか引き攣っている。しかし、昨日の件は課題を後回しにしたキリアが悪い。


 千明は視線をわずかに逸らし「ご愁傷さまです」と呟くのみだった。

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