003 時見千明

 通称〈計測室〉と呼ばれるその部屋は、ヒューゴの研究室の一室だ。各種測定機に作業台。設備を除けば見れば病院の診察室とも思える内観の部屋である。


 千明は台に体を横たえ、ヒューゴが手早く計測機器のケーブルを接続してゆく。やや時間を置き、モニタに表示されたデータに目を通して、


「うん、問題なし。あれだけキリアの術を受けても損傷は皆無だ」

「……出来れば受けたくないんですけどね」

「はは、それは今後の君次第かな」


 力なくしなだれる千明を元気づけ、ヒューゴは計測機器のケーブルを取り外す。


 自由になった千明は身を起こし、診察台に腰掛けて自身の腕を持ち上げた。


 

 ――血の通わない、今の機械の腕を。



 いや、腕だけではない。今の千明は、〈霊奏機関れいそうきかん〉と呼ばれる機械仕掛けの全身鎧が体だった。


 胸部中央に格納されている、拳大の球状結晶体〈擬似霊奏核ぎじれいそうかく〉。動力を兼ねるそれをかなめに、千明の本体――精神体は、消滅を免れているのだ。


 そうなったのは千明自身のせいでも、ヒューゴのせいでもないのだが。



  §



 時見千明ときみちあきは、元々ここの出身ではない。


 遡ること約三ヶ月前。千明は、地球で普通の――コンプレックスを抱く高校生としての――生活を送っていた。


 そんなとき、突如発生した黒球に取り込まれて昏倒。気が付いたときには、夜闇の中で見知らぬ土地に倒れていたのだ。


 見渡す限り、白灰色の荒野。


 混乱から直前の状況を思い出せない千明は、直後さらなる驚愕に見舞われる。


 自身の体が透けており、謎の白い発光現象を発していたのだ。


 眼前で手足の末端が粒子と解れ、伴うのは喪失感と――激痛。まるで四肢の指先から、グラインダーでじわりじわりと削られるような灼熱感だ。


 理解できない事態に、恐怖に、痛みに。千明は思わず絶叫を上げていた。


 そんな千明を救ってくれたのが、ヒューゴ・ファルスマイアーだった。偶然近くへと研究資材を取りに来ていたヒューゴは、異変を感知。現場へと駆けつけ、悶え苦しむ千明を発見したのだ。


 語りかけても碌に言葉の通じない千明を、しかしヒューゴは助けた。保有していた貴重鉱石、霊素貯蓄鉱石ルナニウムを千明へと使用したのだ。効果は覿面で、崩壊は治まり、形を復元してゆく。


 その過程で、千明は生まれてこの方聞いたことのない未知の言語を習得。ヒューゴと意思疎通が取れるようになっていた。


『この世界を構成する〈霊素エレム〉を取り込んだことで部分的に世界の〈ことわり〉に触れ、それが言語の習得に繋がったのではないか』


 後に聞いたヒューゴの見解だが、詳細はいまだ定かではない。


 ともあれ混乱から回復した千明はしかし、その場でさらなる驚愕の事実を知る。



 この場所が、自身の住んでいた地球と『異なる理で成り立つ世界』であるということを。


 

 当時のヒューゴとの会話を、受けた衝撃を――千明は今でも鮮明に覚えている。


『〈宵月ニュクス・セレーネ〉……。オレの住んでいた地球とは別の世界――異世界の、月』

『うん。ここは頭上に見える惑星――〈ケイオス〉の衛星に当たる星なんだ』


 空を見上げて語るヒューゴに釣られ、視線を上げた千明は――息を呑む。


 無間の闇に煌めく数多の光点と、色とりどりのガス群。千明の住んでいた都会では見ることの叶わない、満天の星だ。


 そして、その中でもひと際大きな光を放つ恒星と――『蒼い星』。写真や映像でしか見たことのない、生命の神秘ともいえる惑星。それと酷似した、そして絶対的に違う輝きが、そこには存在していたのだ。


 かつて宇宙に旅立ち、地球を――蒼い星を見た偉人たち。歴史に名を残す彼らも、同じ心境だったのだろうか。千明の受けた衝撃は、置かれた状況すらをも置き去りにした。しばらく放心させるほどには大きなものだったのだ。


 やがて我を取り戻した千明は、その状況に興味を持ったヒューゴに保護される。


 その際たるものが、千明のまとっている全長1.8メルナ《メートル》ほどの白銀の鎧である。通称〈セレムレス〉と呼ばれる、この地に存在する人型インターフェース。それをベースに改造された、霊素エレムを通しにくい〈月銀ミスリル〉製の全身鎧だ。


 千明の引き起こしていた精神体崩壊現象――〈霊素解離症エレムかいりしょう〉対策を施された、千明のための動く義体であった。


 無論、この身体を動かすには、生身の身体操作は当てにならない。概念の全く違う身体操作方法を、一から習得する必要があった。その訓練に期間を有したため、三日ほど前まで千明は指一本満足に動かせなかったのだ。



  §



「――千明、どうかしたのかい? どこか調子が悪いとか」


 回想に浸り沈黙していた千明を、ヒューゴの心配そうな声が呼び戻す。


「……いえ、博士と出会ったときのことを思い出していました」

「あぁ、そういえば、もう三ヶ月も経つのか」

「そうとは思えないくらい密度の濃い時間でした」

「確かに。僕としてもなかなかに楽しい時間だったね」


 千明の言葉に納得したようなヒューゴも、くつくつと笑い声をあげた。


 ヒューゴは席を離れ、室内にある霊奏機関の前に立つ。こぽこぽと音を立てるそれは、地球でいうところのコーヒーメーカーのようなもの。それからルナティーと呼ばれる飲料をカップに注ぎながら、


「あのときは僕もビックリしたよ。霊素解離症なんて文献の中でしか見たことがなかったし、ましてや現れた君は異世界から来たって言うんだからね」

「……その、博士はどうしてそんな話を信じてくれたんですか?」


 少し思い切って、千明はこれまで聞けなかった質問を投げかけた。異世界から来たなど、一笑に付されても可笑しくない話だ。


 しかしヒューゴは、そんな千明に真剣に向き合ってくれている。さらに、元の世界への帰還方法も探ってくれているのだ。疑問に思うなという方が無理だろう。


 セレムレスからの問いかけに、ヒューゴは「うーん」と思案して。


「理由はいくつかあるけど、一番大きいのは『なんとなく』かな」

「……なんとなく、ですか?」


 首をかしげ、飾り房でハテナを作る千明。頷いたヒューゴはカップを手に席へと戻る。


「今にも死にそうな目に遭っていた君が、助けた僕に対して適当な理由を言わないんじゃないかと思ったっていうのも、もちろんあるよ」


 でも、と言葉を一端区切り、


「それ以上に、君自身が悪い人間じゃないって僕は直感的に判断したんだ。だからなんとなく様子を見ようかなって」


 千明と向き合い、手に持ったカップの中身をひと口啜った。


「それが、君の話を聞いているうちにだんだん確信へと変わっていったかな。その場の嘘で咄嗟に出た言い訳なら、とっくにボロが出ているからね」


 確かに千明は、元の世界での生活様式やこの世界との差異をいくつも説明した。それらの証言が千明の言葉に信憑性を持たせたということなのだろう。


「それに、ありえないからっていう理由で物事を否定したら、研究なんてできないさ。だから僕は千明の言葉を信じるし、君が元の世界に戻るために協力をする」


 カップをデスクに置いたヒューゴは「それに」と笑みを浮かべ、


「君は、自分の身体だって諦めていないんだよね?」

「当たり前です」


 千明の目的は、元の世界への帰還手段を見つけることと、己を体を探すことである。


 霊素解離症は、『肉体』と精神体――『魂』が切り離されたときに起きる症例だ。そのうち精神体の方が先に消滅し、やがて肉体も死に至る。


 しかし千明の精神体は、疑似霊奏核を要とすることで消滅を免れている。つまり、肉体を発見することができれば、元の体に戻れる可能性があるのだ。


 もっとも、その所在に関しては手がかりが一切ないため、どうすることもできない。黒球に呑まれたとき、体のみが元の世界に残ったのか、別の場所に転移されたのか。あるいはすでに――喪われているのか。今の千明たちには、わからない。


 それでもヒューゴは、千明の身体が残っている前提で調査を続けてくれているのだ。


「だったら希望を持とう。もちろん、君にも色々手伝ってもらうけどね」

「……はい!」


 この恩にどう報いればいいのだろうかと考えながら、千明は力強く頷いた。ヒューゴはうんうんと満足そうな表情を浮かべて。


「話は変わるけど、君に頼まれていた装備がそろそろ準備できそうなんだ。三日後くらいに試して欲しいんだけど大丈夫かな?」

「ほ、本当ですか!? 是非、お願いします!」


 ズイ、と迫る千明を両手を控えめに突き出してどうどうと諫めたヒューゴは、


「うん、千明の戦力アップは僕としても負担が減って楽だからね」

「〈マガツキ〉ですね」


 ニュクス・セレーネには、異形が存在している。獣や虫、無機物、不定形といった様々な容姿をとり、人に襲いかかる危険な存在だ。


 白い体躯と赤く光る瞳に、倒されると塵として崩れ去るという特徴を持つ正体不明の敵。ニュクス・セレーネの人々はそれを、月の災禍――マガツキと呼称しているのだ。


「基本的には術で対処できるけど、備えるに越したことはないからね」

「……いいですね、博士たちは。〈霊奏術れいそうじゅつ〉が使えるんですから」


 途端、千明の反応が拗ねたものになった。生身の顔があったならば唇を尖らせていただろう光景に、ヒューゴは苦笑いを浮かべる。


「話を聞いた感じだと、君たちの世界の人間は体内に〈霊奏核れいそうかく〉を宿すどころか、そんな概念すらないみたいだしね。こればっかりは仕方ないよ」


 この世界の遍く存在は、霊素エレムと呼ばれる物質で構成されている。大地や自然、空気に始まり、挙げ句は人に至るまで、万物を構成する根源物質。


 その霊素に干渉する技術として体系化されたのが、霊奏術である。大気に漂う霊素から水を作り出し、炎を生み出し、風を巻き起こす。まさに創作世界の〈魔術〉そのものだ。


 だが、術式発現のためには、体内に霊奏核という特殊な結晶器官を有す必要がある。『魔術が使えるっ!!』と期待して実践したものの、擬似霊奏核では行使できなかった。


 千明の落胆が凄まじいものだったのは、致し方ない。


 他にも、霊奏術の術式を刻み込んだ駆動機関――〈霊奏機関〉が存在する。術同様に霊素を取り込んで稼働するそれは、地球でいうところの機械に近しいものだ。ニュクス・セレーネ全域で一般浸透している技術で、千明の義体もそれに分類される。


「まぁ、他人から霊奏核を移植する手段とかもなくはないよ。でも危険な方法だし、何より提供してくれる相手がいない。気軽に試せる方法じゃない、とだけは言っておくよ」

「……わかりました」


 渋々といった様子で応答する千明の肩をヒューゴが叩いて。


「特に最近は、以前に比べてマガツキの活動が活発になっているみたいだからね。新装備での活躍を期待しているよ。キリアにもその内連勝できるようになってね」

「……頑張ります」


 茶化したような激励に、曖昧な反応しか返せない。


 本来であれば、キリアより圧倒的な身体能力を持つ千明の方が有利なのだ。惨敗しているのは、身体操作に慣れきっていないからに他ならない。今後のために、もっと動きに慣れないと、と決意を固める。


 その隣で、ヒューゴはモニタに表示された時計を見やった。


「さて、そろそろ僕も休ませてもらおうかな」

「了解です。オレはさっきの部屋で訓練しています」


 今の千明は、睡眠や休息、食事を必要としない。寝たきりの生活が続いていたことも相まり、空き時間は身体操作訓練に勤しんでいるのだ。


「無理はしないようにね」

「大丈夫です、また寝たきりの生活に戻りたくないですから」


 苦笑混じりに言った千明はヒューゴに断って立ち上がり、部屋を辞したのだった。

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