第1章 藍月都市編①

002 リハビリ

 金属製の壁に、戦闘音が反響する。無機質な室内を照らす、埋め込み式の照明。


 その下に、対峙するふたりの姿があった。幾度かの攻防を経た双方は、体勢を立て直すべく互いに距離を取る。


 ひと刹那の静寂。


 青と深緑、二対の視線が交錯し、同時に行動を開始した。


 片方は十代後半ほどの色白の少女だ。身にまとう黒いローブと、ふわりと癖のある深緑色の髪が溌剌と舞い踊る。あどけない表情の中で、髪と同じ深緑の瞳が楽し気に輝く。


「どうしたの? そんなんじゃまだまだ私には届かないよっ」


 手元に制御陣を顕現させて移動用の術式を発動。その補助を受けて滑るように後退し、新たな制御陣を構築してゆく。


 他方、少女と対峙するのは長身の銀鎧だ。


「言ってろ! 今に吠え面をかかせてやる!」


 フルフェイスヘルムの下にある青の眼光が鋭さを増す。獲物である二振りの長剣を翼のように展開し、低い姿勢で少女へと肉薄。


 そんな鎧目がけ、少女の手元にある制御陣が燐光を放った。


 回転する黒刃、爆ぜる焔の槍、氷の礫が次々と顕現。それらひとつひとつが意志を持つかのように飛翔し、銀鎧を包囲する。


 瞬く間に接近した双方が鎧の間合いを割り――


「はあっ!」


 頭頂部にある飾り房と共に、銀の鎧が稲妻の軌跡でステップを刻む。致命的な攻撃を回避し、被害の少ない術式を被弾しながら突撃。


 追加で飛来する術式を迎撃すべく、双剣が多重の銀弧を描いた。二桁を超える光が弾け、砕かれた術式が粒子となって散り消える。


 剣閃を受けた焔槍が膨張し、鎧の至近距離で炸裂。発生した爆炎が互いの姿を覆い隠す。


 敵対者をひととき見失った少女が素早く視線を巡らせて―― 


「――貰った!」


 上方から飛来する銀影。


 天井すれすれまで跳躍した鎧が、緑髪の少女を間合いに捉える。落下の勢いを上乗せした二条の斬撃が――硬質な音を立てて静止。少女が展開した防御障壁と衝突したのだ。


 銀鎧が力任せに少女を弾き飛ばそうと剣圧を高め、


「ざんね〜ん! ――ゲイルブロウ!」


 優雅に翻る少女の指。


「うおっ⁉︎」


 突如発生した直下からの突風を受け、宙空の鎧が逆に弾き飛ばされた。


 不安定な体勢から身を捻り、バク宙じみた動きで後退した鎧は――見てしまう。勝気な少女の瞳が笑みを湛えているさまを。


「はいそこも残念――エクリクスマイン!!」


 着地地点に先回りで展開された、設置式の炎爆機雷。


「ちょっ⁉」


 飛び込んだ先で巻き起こる爆風が、鎧の全身を容赦なく打ち据えて。


「そしてこれが、ダメ押しだぁっ!!」


 陽気さを存分に内包した少女の声が、慈悲なく告げる。


 完全な無防備を晒した鎧へと追加で殺到する波状攻撃。立て続けの衝撃に晒された少年の悲鳴が広い室内に木霊するのだった。



  §



 室内に備え付けられていた拡声器が僅かなノイズを発した。


『――そこまで。勝者キリア』


 続いて聞こえる落ち着いた男性の声に、張り詰めていた緊張が弛緩して。


「うんうん、またまた私の大勝利! 吠え面をかいたのはそっちだったね!」

「くっそ、また負けた……」


 腰に手を当てて勝ち誇る少女と、床に膝を突き悔しがる銀の鎧。典型的な、勝者と敗者の構図だった。


「キリアは手加減を知らないのか! こっちはまだ病み上がりなんだぞ!」


 わーいわーいと陽気に飛び跳ねる少女へ放たれる、鎧からの非難の言葉。


 しかし少女――キリア・ファルスマイアーは意に介さない。どころか鎧へと呆れたような視線を送り返した。


「あのねぇ、そもそもこれは千明ちあきのリハビリが目的の模擬戦なんだよ。中途半端じゃ意味ないじゃない」

「うっ、それは……」


 もっともかつ容赦のない指摘に、鎧――千明は言い淀むしかなかった。


 キリアよりも幾分か長身なそれは、白銀の輝きを放つ細身の全身鎧だ。簡素なれども洗練された意匠は、一種の機能美を感じさせるものだ。ヘルムのソリッドから覗くは、眼光のような一対の青。


 しかしそれは、頭頂部の飾り房同様に頼りなく揺れている。


 ふたりが言い合いをしている最中、部屋の障壁が音を立てて横にスライドし、眼鏡をかけた色白の男性が入ってくる。


「あ、ヒューゴ博士。お疲れさまです」

「ふたりともお疲れさま。千明は惜しかったけど、だいぶ動きに慣れてきたみたいだね。どこか違和感はないかい?」


 ダークブラウンの髪が肩ほどで揃えられ、同色の瞳が年甲斐もなく爛々と輝く。ベージュのスラックスに黒いベルトを巻き、仕立てのいい革靴を履いている。黒いYシャツの上から羽織る白衣は着古されているものの、不潔さは感じない。


 ヒューゴ・ファルスマイアー。キリアの父親にして、この研究所の所長でもある人物だ。


 とはいっても、ここはヒューゴの自宅兼個人研究施設なのだが。


「やったよ父さん。これで一〇〇勝目だよ!」

「うん、良かったねキリア。でもさっきは五回負けてたよね」


 会話に割り込んだ少女だが、父からの容赦ない指摘に「うぐっ」と仰け反り、


「い、いいの! まだ私が圧倒的に勝ち越しているんだからね!」


 と頬を僅かに染め、手をブンブン振り回して抗議する。


 そんな父娘の会話の横で、立ち上がった千明は全身を確かめるように動かした。


「特に問題はないですね。……できれば感覚――痛覚だけは切って欲しいですけど」

「前にも言ったはずだけど、今それを切ってしまうと元に戻ったときに間違いなく混乱する。だから絶対にやめたほうがいいよ」

「……ですか」


 報告と控えめな要求を伝えた千明だが、いい笑顔で却下されガクリと肩を落とす。隣で聞いていた少女はそんな鎧へとビシッと指を突きつけて。


「もう、千明は男なんだからそれくらい我慢しなさい!」

「そんなこと言ったって、痛いもんは痛いんだぞ!」

「だいたいそれは千明の避け方が下手だから――」


 再びやいのやいのと言い争いを始める千明とキリア。ここ数か月で見慣れたやり取りに微笑まし気な表情を浮かべたヒューゴは、


「さてキリア。君にお客さんだ」

「――って、……ほへ?」


 父の言葉に、胸を張って講釈垂れていたキリアが間抜けな声を出した。


 ヒューゴの言葉と同時に部屋の隔壁が再度開き、ひとりの女性が入ってくる。


 キリアを成長させたような、深緑の長髪を首の後ろでまとめている女性だ。セーター、くるぶし丈のパンツ、エプロンを身に着けている。十七の娘がいるとは思えない、いまだに二十代で通る知的な美人。


 キリアの母親にしてヒューゴの妻、ルチル・ファルスマイアーだ。


「あ、ルチルさん。お疲れさまです」

「ええ、千明もお疲れさま」

「母さん、聞いて聞いて。また千明に模擬戦で勝ったよ!」

「あら、それは良かったわね」


 先ほどのやり取りを焼き増ししたような会話。そのままルチルは娘に笑顔を向ける。


「ところでキリア。帰ってきてからほとんどここにいたみたいだけど……学園の課題はやったのかしら?」


 キリアの表情が一瞬で凍った。それまでの笑顔はサッと青褪あおざめ、額からは滝のような汗。


 泳がせた視線を隔壁へ巡らせ、瞬時に移動術式を――


「逃がさないわよ」


 ――紡ぐよりも先に伸びてきた母親の手に襟首を拘束されてしまう。


 ルチルは術式で片腕を強化し、猫を捕まえるかのようにキリアを吊るす。「ぐひゃ」っと潰れた悲鳴を上げる娘へと顔を近づけて、


「課題は、やったの?」


 千明はその笑顔の裏に、般若の如きオーラを見てしまった。恐らくは似たような光景を幻視したであろうキリアは一層表情を強張らせる。


「――ひっ! あ、あとでやろうと思っていたのっ」

「ふぅん。あとで、ねぇ」


 必死に言い訳をする娘を拘束したまま、ルチルは部屋の時計を見やる。釣られて一同の視線が集束。短針は模擬戦開始から三分の一ほど時を刻み――そろそろ就寝時間だった。


「えっやだうそ! もうこんな時間っ!?」

「ああ。確かにあれだけ模擬戦を続けていたらこうなりますよね」


 無情な現実を突きつけられたキリアが硬直し、千明が得心したと首肯する。


「それで、あとっていつのことかしらね、キリア」

「そ、それは……」


 ルチル《母》に詰め寄られ、俯いたキリアは口籠ってしまう。


「この時期は時間の感覚が曖昧になり易いからって、子供の頃から言い聞かせているはずよ。それでも一切聞かないのは、どこの誰かしら」


 もはや鼻先にある母親の笑顔。


 そのも言われぬ気迫に、顔面蒼白なキリアはアワアワと慌てるばかり。


 吊るされた獲物は素早く救援の視線を向けるも――誰も助けない。微かに涙目の少女は懲りずに父親をキッと睨みつけて。


「と、父さんもわかっていたなら教えてよっ!」

「我が家の家訓は『時間管理は自分で』だからね」


 娘からの要請を受け流したヒューゴはルチルへと視線を向けた。


「ルチル。僕は千明の調整をしてから休むよ。君は先に休んでいてくれ」

「そうさせてもらうわ。夜食は用意してあるから食べておいてね。千明もおやすみなさい」

「はい、おやすみなさいルチルさん」

「うん、いつもありがとう」


 器用にも娘を鎖の術式で拘束しつつ、ヒューゴとルチルが軽くキスを交わす。


 このふたりは近所でも評判のおしどり夫婦。キリアが両親の熱々ぶりに嘆いていることを、千明は思い出していた。


「さて、キリア。分かっているわね」

「うぅ、はい……」


 ひしひしと伝わる圧倒的重圧に、キリアはとうとう屈した。もはや助かる術はないと悟り、罪人のように連行されてゆく。


 隔壁が閉まった直後に漏れ聞こえるのは――怒声と、悲鳴。


「あ、あははー」

「全くあの子は。いつまでたっても成長しないんだから……」


 あとには、呆れを浮かべる鎧と頭を抱えて嘆く父親が残された。声が遠ざかって部屋の中が静まった頃、ヒューゴは大きなため息をひとつ吐いて、


「……はぁ、それじゃ僕たちは各種チェックをするよ」

「了解です、博士」


 千明と共に部屋を出たのだった。

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