第5話 芹沢鴨という男

 こうして無事に井戸に辿り着いてほっとしていると

「火事になるぞ!」

 表の方からそう怒鳴る声が聞こえた。もう、そんな事態になっているのか。

「皆さん、桶や盥を持って外へ」

「は、はい」

「大変だ!」

 俺が促すと、なんて丁度いいとばかりに井戸に集まっていた女性たちが手に桶や盥を持ってかけ出す。と、そこに土方が飛び込んできて

「屋根に掛けるんだ! 延焼を防げ!!」

 とそんな女性たちに声を掛ける。

「ひ、土方さん」

「総司。真っ先にここに来るとは偉いじゃないか」

「ははっ」

 褒められると複雑だが、ともかく、何とか芹沢を説得して篝火かがりびを止めさせる。それと同時に周囲への延焼を防ぐだ。

 そう、近藤のミスで宿がないとなった芹沢は、通りで大きな焚き火を起こし、それを篝火として野宿すると主張したのだ。俺が桶を持って表通りに出てみると、空まで届く炎がごおごおと燃え盛っていた。

「マジかよ」

 小説では必ず描かれる場面だからある程度は想像できていた俺だが、予想以上の火の勢いに飲まれそうになる。

「道に撒け!」

 そんな俺に、同じく桶を持って飛び出してきた土方が命じた。そうだ、今は火がこれ以上燃えないようにしないと。俺はせっせと水を撒き始める。

「芹沢さん、宿が焼けてしまっては何にもなりません。どうぞ、怒りを収めてください」

 その間も近藤が謝り続けている。が、芹沢はそんな近藤と焦る周囲の人が面白いとばかりに笑っていた。明らかに楽しんでいる。

 他に謝ったり止めたりする奴はいないのかよ。俺は水汲みに往復しながら歯噛みしてしまった。だが、芹沢の性格は小説や漫画で読んで散々知ってる。自分のような奴が出て行っても火に油を注ぐだけだ。

 芹沢は水戸藩みとはんの出身で、勤王派の天狗党てんぐとうの幹部を務める男だ。正式な武士であり、不祥事がなければ浪士組に参加するなんてあり得なかった。それだけにプライドが高い。近藤のような農民出身の人間を下に見ている。

 と同時に不祥事でこの浪士組に加わったということから解るように、何かと問題のある人物でもある。特に気に食わないことが起こると手がつけられない事態に発展する。嫌いな奴を斬って捨てるなんて平然とする奴だ。

 途中、宿場役人が何をしているんですかと飛んできたが、煩いと持っていた鉄扇で張り倒してしまった。まさに、気に食わないからやった。それだけだ。駄々っ子と変わらない。

「あいつ」

「総司、大丈夫だ。今、山南さんが動いてくれている」

 悔しそうな顔をする俺に向けて、藤堂が肩を叩いて教えてくれた。藤堂は総司と年齢が近いから悔しさも同じくらいなのだろう。しかし、山南が動いてくれているとの報告にほっとした。

「じゃあ、大丈夫ですね」

「ああ」

 山南は試衛館組の中では井上源三郎いのうえげんざぶろうに次ぐ年長者だ。それに北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうという流派で学び免許皆伝めんきょかいでんの腕を持つ。この北辰一刀流という流派は学ぶ人が多く、全国的に普及している。そのことから知り合いも自然と多くなる。そこの免許皆伝となれば人脈も確かだ。

 こうして山南や他にも状況を見て動いた人々が、隠れて見ていた役人たちを説得して回り、何とかみんなでよいしょする形で篝火を消させることに成功した。

「やれやれだな」

 現実にこの騒動を経験するとこんなにも大変なのか。水浸しになった自分と道を見て、俺は溜め息を吐いてしまう。

「仕方ねえよ。近藤さんが芹沢の言い分を信じて自分のところに引き込んじゃったからな。俺たちがこうやって裏から支えるしかないさ」

 土方もさすがに疲れたという顔をしている。実際、この時は鬼の副長ではなく単なる浪士組の一人でしかないわけで、悔しさと色んな思いが混ざる言葉となっていた。

 しかし、これだけでトラブルは終わらず芹沢は、近藤と同じ六番組が嫌だと駄々をこねる。これに対し、役人たちも騒動の後とあって面倒だったのか、その言い分を聞き入れた。

 こうして芹沢は一番組に移動し、さらに取締役というポジションまで得てしまった。強かというか強欲というべきか。

 それと同時に繰り上がりで近藤が六番組の小頭となり、その後は多少のトラブルがあったものの、順調に京都へと向ったのだった。

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