アリとキリギリス

ある暑い夏の日のことである。

気ままに歌を奏でるキリギリスと、労働に勤しむアリの行列があった。


キリギリスはアリに向けて奏でた。

「もしもしアリよアリさんよ、世界で一番お前ほど働き者はありゃしない。どうしてそんなに勤しむの」


アリは答えない。

ただひたすらに餌を巣箱に運ぶのみである。


キリギリスがその場を後にしようとすると、ただ一匹のアリが答えた。


「時巡り

  来たる真冬の厳しさに

   憂いなきこそ

     羨ましきかな」


キリギリスは答えない。

アリもまたそれ以上は語らなかった。

二匹にとってそれ以上は必要なかった。


・・・


時は巡った。

日差しが照りつける夏が終わり、紅葉が降り積もる秋もまた過ぎ去った。

豊かな大地は店じまいとばかりにその代謝を終え、冷たい不毛の地が広がった。


一匹のアリが硬い大地を駆け回る。

巣穴の餌は十分に備蓄されてはいたが、雪の降る前に最後の散策へと赴いていた。


アリはキリギリスと出会った。

あの時交わした言葉を二匹は共に覚えていた。


キリギリスは弱々しい声で尋ねた。

「どうしたアリさん。もう冬支度は済ませたんじゃぁないのかい?」


「如何にも。今年も概ね計画に違わず物資は備えられている。一切の憂いなしという訳にはいかぬが、冬越えは難しくないだろう。我もこの探索を終えれば冬籠りに入る。

してキリギリスよ。貴は随分と困憊して見える。来たる厳冬を如何に過ごすのか」


キリギリスは答えた。


「過ごすも何もないさ。冬が来れば餌がとれなくなり飢えて死ぬ。ただそれだけさ。ただ夏の間は音楽を奏で、時に恋をし楽しく暮らしていただけだ。俺にはそれ以上はない。俺はバカだし難しいことは分からないから、冬を越えるなんてのは初めから考えていないのさ。アリさんとはここでお別れだな」


アリは夏の日を思い起こしていた。

照りつける日差しの中、黙々と食糧を巣穴に運ぶ日々。

その中で、風に乗って聞こえてくる楽器の音色と美しい歌声。


「左様か。なれば貴の演奏も春からは聴けぬというわけか。寂しくなる。何かできることがあれば良かったのだが」


冬越えには念入りな準備が必要だ。

今となっては何もかもが遅すぎた。


しかしキリギリスは笑って答えた。


「気遣いは無用だ、アリさん。俺は冬を越えられない。だがこの運命を悲観した事は一度もないさ。冬が来れば死ぬ。その時までにどれだけ音楽を残せるのか。俺は俺にできる精一杯の音楽表現をしてきたつもりだ。理想の音楽には到達できたかと言われればまだまだだが、ただ音楽活動に捧げた生涯に何一つ悔いはないぜ。俺は満足して逝ける」


「これは無粋であった。非礼を詫びよう。そして日頃の演奏に同胞を代表して感謝申し上げる。貴の音楽は我々の日々を豊かなものにした」


「じゃぁな」


アリとキリギリスは別れ、もう会うことはなかった。


・・・


更に時は巡り、雪が大地を覆った。

長く厳しい日々が続き、やがて春が来た。

暖かな日差しが降り注ぎ、雪に覆われた大地が再び白日にさらされる。


一匹のアリが大地を駆け回る。

運搬部隊が発見した餌を運ぶ一方で、新たな餌を探す独立別働隊だ。

ほぼ底をついた食糧庫を埋めるべく、巣穴が総出で探索と収集を行っている。


アリはかつてキリギリスと語らった場所へと出た。

そして、そこでとんでもない物を見つけた。


「なんと奇天烈な。貴はこんな物を遺していたのか」


メカキリギリス


科学の粋が凝縮された、完全自立型自動演奏装置である。

チタン合金のその美しいフォルムは長い冬を経ても決して錆びることはなく、美しい流線型のフォルムを保っていた。

背中のソーラーパネルは春の日差しを受けて黒く輝いている。


アリは恐る恐るメカキリギリスの電源を入れた。

鋼色の手足は機械とは思えない滑らかさで動きだし、楽器を奏で始める。


楽器は春の大気を振るわせ、演奏があたりに響き渡る。

辺りを駆け回るアリたちはその懐かしい調べに酔いしれる。


メカキリギリスにはキリギリスベストアルバムが収録されていた。

キリギリスが生涯をかけて作った楽曲の最高傑作。

最後のアルバム。


「ははは。まったく、おかしな事を言う物だ。冬越えをしているではないか」


アリはそういうと音楽を奏で続けるメカキリギリスを残して、仕事に戻った。


キリギリスの音楽は、来年も、その翌年も、末長く多くのアリたちに愛された。

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アレクサ @ksilverwall

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