第27話 疎外感

「私たちにとっては、面白いことじゃないんですけどね……」

「ああ、ごめん。つい、口が滑っちゃった。君らは当事者だもんね」


 じっとりとした目つきの志帆しほが低く囁いても、須藤すどうは悪びれない笑顔のままだった。顔の前で手を振る仕草の軽さからして、よほど浮かれているらしい。


「この手のことは、取材しようとしてもなかなかできるものじゃないからね。部外者がカメラなんか持って待ち構えてると『出て』くれなかったり……地元の人が肝心の場所や時間に入れてくれなかったりね。だからどうしてもうさん臭い記事ばっかりで──」

「白波とセの結婚の儀式は、見せてあげられないと思います。お父さんたちが嫌がるだろうし、私もそれまでに颯斗はやとさんを逃がしてあげたい。儀式の内容は私も良く知らないけど、何が起きるか分からないから……!」


 放っておいたら取り留めなく喋り続けそうな須藤を遮って、というか切りつけるように挑戦的に、志帆はテーブルの向かいに座った相手を睨みつけている。彼のためだというその必死さに、けれど颯斗は感謝することができないままだ。三人掛けのソファに志帆を挟む形で座っている雄大ゆうだいも、会話の主導権を彼女に任せたままだ。当事者というなら、この三人の全員がそうだ。自分の命、自分の将来、友人の死。どれも、白波に立ち向かう理由として十分なはずなのに、どうして志帆が矢面に立っているのだろう。白波についての情報を最も把握しているのは彼女だろうということは、確かに間違いがないのだろうけど。


「でも、白波の姿とか、海に何か起きるところは見られるかも。そのために、協力してくれます? 面白いっていうくらいだから、怖いってことはないんですよね……!?」


 覚悟を試すようにさらに切り込まれて、須藤ははっきりと頷いた。神であれ悪霊であれ、人を取り殺した存在に対峙することを想像したのか、さすがに表情は真剣なものに改まっている。


「ああ。颯斗君が、その、セだということに間違いはなさそうだからね。比彌ひみ島が姫の──白波の島だというなら確かにそのテリトリーから脱出するのは良い手だと思う」

「で、でも……儀式をしないで大丈夫ですか? ホラーだとよくあるじゃないですか、お供えとかを怠ったら祟りが、って……」


 志帆が横目で睨んで来るのを感じながら、颯斗は必死に口を挟んだ。このままだと、儀式を「しない」前提で話が進んでしまう。洞窟では、そこも含めて須藤に相談するものだと思っていたのに、彼女はあくまでも自分のペースで話を進めようとしているかのようだ。。


「でも、『何か』起きないと須藤さんはできないですよね、『取材』……!」

 事実、志帆は声を低めて須藤に迫る。だから颯斗の脱出に協力しろ、と。島に「何か」が起きても構わないと言っているようなものだ。大胆にさえ思える切り込み方に、須藤は苦笑めいた表情を浮かべる。


「好奇心のために身を滅ぼす研究者とか小説家とか……それも、ホラーの定番だねえ」


 先にフィクションを挙げた颯斗をちらりと見てから──でも、須藤は志帆に対して答えた。


「でも、僕には彼らの気持ちが分かっちゃうな。職業魂というか──山があるなら登らないと、って感じかな?」

「そんな……」

「ありがとうございます。心強いです」


 そこに山があるから、くらいの力強さで断言されて、颯斗は絶句してしまう。その隙に、志帆は安心したように笑っている。これでこの話は決まり、とでも言うかのように。


「それで、颯斗さんがどう逃げるか、なんですけど。船で出ようとしたらきっと襲われるから……何か、お札とか魔除けみたいなものって、ありますか?」


 そして、須藤の方も。もう颯斗ではなく志帆を相手に話し始めていた。


「見よう見まね程度のもので良ければ。でも、早い船でスピード勝負を考えた方が早いかもしれない」

「船、乗れるんすか? 港に漁船以外の船なんてありましたっけ?」


 船の話になると雄大も口を開き、再び脱出作戦の会議が始まってしまう。颯斗が口を挟んだ甲斐もなく、まるで彼が黙って運ばれるだけの荷物ででもあるかのように。


「屋久島や種子島、トカラ列島の界隈に、海上タクシーというか、船を貸すサービスの心当たりは幾つかある。普段は釣り人向けで、そういう記事を書くこともあるからね……」

「そっか、そういう船なら漁船よりも身軽ですね。集落を避けたところに来てもらうこともできる、かな?」

「さっきまでいたんですけど、崖の下に小さな浜があるとこがあって……地図でも書けば分かりますかね?」


 志帆や雄大とは違って、颯斗は島のことも船のことも知らないから、話を振られたところで何も言うことはできないだろう。だから、須藤が二人の方ばかりを見て話すのは当然だ。でも、そうと分かってなお、颯斗は一人だけ透明な壁の向こう側に隔離されているような気分になってしまう。そんな場合ではないのだろうが、仲間外れのような、いじけてしまっているような。


「ああ、多分。じゃあ、僕経由で打診してみて良い? 結果は、志帆ちゃんに?」

「はい。番号教えます。時間は、夜の方が良いかもなんですけど大丈夫なんですか?」

「釣りだと未明に出発することもあるはずだから、多分。白波の活動時間が夜だけとは限らないけど、まあ、振り切ってるうちに明るくなるくらいが安心というか安全なんじゃないか?」


 このままだと、訳が分からないうちに船に乗せられる計画が進んでしまう。蚊帳の外の状況に耐えかねて、そして言葉の切れ目を見つけて、颯斗はやっと声を出す。


「……俺は、何をしていれば良いですか?」


 何を言っているんだ。あるいは、そんなことを言われても。きょとんとした面持ちで颯斗を凝視する三人の顔は、そんなことを言っている気がした。三人揃って探り合いのような押し付け合うような視線を交わし合った後、代表して口を開いたのは志帆だった。


「こっそり荷物をまとめてもらわなきゃ、かな。とりあえず。部屋の掃除は私がするように言えばバレないと思うから」

「そう……」


 それはそれで、大切なことには違いない。島に残るか否かの決断はしかねているとはいえ、颯斗だって軟禁状態に置かれたくはない。


「俺と一緒にフェリーの発着場見に行ったりしとく? アリバイ工作っていうか、フェリーに乗ろうと思わせておいた方が良いんじゃない?」

「うん、それもそうだね……」


 雄大が付け加えたことも、颯斗の疎外感をいや増すだけだった。彼の意思とは関係なく、島から追い出されてしまう。儀式をしないことへの不安はもちろん、訳の分からない衝動の正体も、分からないままだ。胸を灼くようなこの感覚が、怨霊に取り憑かれたからだけなんて──認めたくないだけかもしれないけれど、信じたくないというのに。




 夕食の席で、その日の行動を報告すると、前園まえぞの夫妻は安心したようだった。須藤と会ったことは伏せて、志帆と一日過ごしたことに加えて、雄大とも知り合ったとだけ、と伝えたから。

「若者同士で仲良うなったなら良かった」

「明後日のフェリーで帰っちゃうってことだから、当分会えないんでしょうけどね。連絡先は交換したんですけど」


 フェリーに言及すると、前園夫妻がちらりと視線を見交わした気がした。これも、須藤の家で話しておいたアリバイ工作のひとつだ。雄大と連絡手段があり、かつフェリーの予定も知っていると伝えることで、こっそり島を離れようとしていると、疑わせることができれば良い。


「出航は真夜中じゃっで見送りにも行けんじゃろう。寂しかもしれんが……」

「らしいですね。船で一泊して、着くのが明け方とか、大変そうです」


 探りめいた前園のコメントに、颯斗は素知らぬ顔で頷いた。フェリーに密航する案はもう却下されているから、演技する必要もない。須藤は、もう知り合いの船主何人かに連絡をつけてくれているはずだ。彼の本業も比彌島の特別さも承知している人たちだ。だから断る者もいるだろうが、逆に興味を持つ者もいるだろう、というのが須藤の見立てだった。


 なるべく、明日の夜、明後日の未明に船を出してもらえると良い。そうすれば、拓海の遺体というけがれ──と、須藤は言っていた──はまだ島内にとどまっている。晴れの儀式である颯斗と白波の婚礼が進められることはないだろう、ということだった。


「明日も暇かもしれんが……ないもなか島ですまんね」

「とんでもない。あの、何かお手伝いできるなら──」

「良か良か、客にそげんこっさせられん」


 手伝いを申し出るのも、前園が固辞するのも、志帆の筋書き通りだった。これで、颯斗は明日もまた自由に行動できる。その間に、荷造りを進めておけということだった。




 寝る前に二階の部屋に戻ると、暗い部屋に微かに波の音が響いていた。これまた須藤のオカルト知識によると、窓や扉を開けるのは怪異を招き入れることになるのだとか。人間の、あるいは内側からの同意や招待がなければ、強力な存在も「境界」を越えることができないのだ。


『まあ、怪異の方であの手この手で開けさせようとするのも昔からよくあるパターンなんだけどね』


 拓海だって警戒はしていただろうに、戸締りを怠った隙を突かれたのか──あるいは、美しかったという白波の誘惑に屈したのか。それは、今となっては分からないけれど。


「そっちからは、来ないのかよ……」


 苛立たしさに、低い呟きが颯斗の唇から漏れる。何もかもが気に入らなくて、鬱憤が彼の裡に溜まっていた。


 焦がれるような衝動が、身代わりとして魅入られただけだったということも。人違いの身代わりで、命を狙われているということも。そして、それはそれとしても、志帆や須藤は彼の意思を無視して話を進めている。須藤はともかく、志帆は彼女自身のための切実な理由があるのは、分かっていると思うのだけど。

 細かな違和感を感じる度に、それを取り繕う説明を誰かがしてくれるのも、落ち着かなかった。颯斗の気にし過ぎか、彼に──何を、かは分からないけど──気付かせまいとしているのか。いずれにしても、もっと考える時間が欲しいのに──彼は、この島から追い出されようとしている。


 こうなったら、「直接」聞くしかないのではないだろうか。


 ごくりと唾を呑むと、颯斗は窓辺へと歩み寄った。彼の滞在のために掃除したのだろう、埃ひとつついていないクレセント錠に指をかける。

 白波の霊と、意思疎通できるかどうかは分からない。もしかすると数百年前の人間で、それだけの長い年月を悪霊としてさまよっている存在だ。颯斗の言葉が届くような相手ではないかもしれない。でも──会えば何か分かる、かもしれない。白波が本当に彼が焦がれる相手なのかどうか。あちらからは、どんな思いを向けられるのか。少なくとも、彼は「彼女」に狙われている。隙を見せれば、食いついてくるに違いない。


 思い切って窓を開け放つと、生温く生臭い風が颯斗の顔に吹きつけた。

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