第21話 信仰の対象

 食事を終え、入浴も済ませた颯斗はやとが二階の部屋に戻る時は、さすがに志帆しほがついてくるようなことはなかった。考えさせて欲しいと言った彼に、前園まめぞのも無理に娘を押し付けるようなことはできないのだろう。酒でも呑んで話さないか、との誘いは丁重に断った。話題は分かり切っている──島のために志帆と結婚し、ここに残って欲しいということだろう──し、そもそも颯斗はそれほど酒が好きではない。何より──部屋で、やることがあるのだ。


 布団を敷き、寝転がった体勢に落ち着くと、颯斗はスマホを取り出した。すると、画面上には早くも志帆からのメッセージが届いているのが通知されている。


 ──今日はお疲れ様。色々あったね。さっきは変なことしてごめんなさい。


 絵文字もスタンプも使わない、素っ気ないほどの簡潔な文章は、女の子らしくはないかもしれない。でも、きっと照れ隠しのような意味もあるのだろう。彼女が言うところの、先ほどの「変なこと」を踏まえた上で、あれは彼女の本心ではなく血迷ったようなことなのだと、暗に念を押されているように思われる。あるいは、期せずして「作戦」を共にすることになったから、業務連絡のつもりなのかも。それなら、淡々とした文章になるのも当然だ。


 ──気にしないで。こっちも忘れとくから。


 志帆の涙や、縋りつく指先の細さ、身体の熱や柔らかさを思い出しながら、けれど颯斗はそれらの感触を胸の奥に押し込めた。彼女との関係は、これ以上進むことはない。彼と志帆の間には恋愛感情などないのだから。その程度の関係で、覚えていて良い感触ではないはずだ。

 送ったメッセージに対する志帆の返信は早く、かつ、話題を変えてくれたから、颯斗が後ろめたい記憶に悩む暇はほとんどなかった。


 ──明日、一緒に行動しよう。お父さんも喜ぶと思う。ゆう君には、私から連絡するから、どっかでこっそり会えるはず。


 前園は、志帆と颯斗が一緒に過ごすとなれば、二人の仲が深まると思って咎めることはないだろう。島の案内という名目があれば、島民からの不審の目も避けられる。昔、一緒に遊んだ縁もあるかもしれないし、改めて雄大ゆうだいに紹介してもらうのも不自然ではないはずだ。

 ただ、須藤すどうについてはどうだろう。先ほどは勢いで名前を出してしまったけれど、志帆としては余所からの移住者は信用できなかったりするのだろうか。とはいえ、颯斗にしてみれば頼れそうな大人でもあるから、念のために尋ねてみることにする。


 ──須藤さんには? どうして島のこと教えてあげなかったの?

 ──私はそんなでもないけど、お父さんたちが嫌がるから。お墓を暴かれてるみたい、っていうのもそうだけど、事件とかオカルトとかで騒がれたくないからだと思う。


 古くからの風習というだけでなく、現代にも実際に被害がでる怪奇現象──と言って良いのか──が発生しているとなれば、確かに須藤は目の色を変えるかもしれない。自分たちが生活している場を好奇の目で書き立てられることへの不快は、颯斗にも理解できた。


 ──マスコミが来たりとか? それは確かに嫌そう。


 雑談のような相槌のようなメッセージは、無意味なものだったかもしれない。志帆に判断を委ねる、狡いものだったかもしれない。余計なことを送った、と。少々の後悔を噛みしめること数十秒、志帆は譲歩したような返信を送って来た。


 ──でも、協力してもらうのは良いかもしれない。どうにかしてフェリーのチケットを買わなきゃいけないと思うんだけど、あの人なら警戒されてないかもだから。ゆう君も、もともと帰る予定だったけど、お父さんとかと揉めてるの、色んな人が見てるから。


 志帆は、どうしても彼を島から帰らせたいのだな、と。颯斗は改めて思う。セとの結婚は嫌だと言っていた彼女なら当然だろうし、颯斗のためを思ってくれてもいるのだろうけど。白波の霊をどうにかしようという方向に考えが行っていないようなのは──それだけ、島の人にとっては恐ろしい相手なのだろうか。絶対に、何をしても敵わないと思うような。男性が何人か死ぬだけでは済まなさそうな前園の口ぶりも、気になってはいるけれど。


 ──じゃあ、まずは雄大君に会ってから、かな。明日、直接会ってから色々話そう。

 ──うん。また明日、よろしくお願いします。おやすみなさい。


 颯斗は、ひとまず志帆とのやり取りを打ち切ることにした。疲れてもいるし、文字だけでのやり取りでは、違和感を上手く伝えられる自信がなかった。忘れるとは言ったけど、志帆の泣き顔はまだ目に焼き付いている。不用意な発言で彼女を傷つけたり、あるいは怒らせる危険を思うと、やはりお互いに顔を合わせて話すのが良いだろう。


「後は、と──」


 結婚するかもだとか、島に永住するかも、だなんて口が裂けても言えないけれど、今日もつつがなく済んだと母に連絡しておくべきだろう。事実とは多少異なるとしても、死人が出ただの女の子を泣かせただのと、正直に伝える必要はないから。

 母宛のメッセージを送信しようとして──でも、颯斗は別のメッセージを受信していることに気付いた。昨日からやり取りをしている、友人の瑛太からだった。


 ──海への信仰、って感じやね

 ──興味深い


 一体何の話だったか──咄嗟に思い出すことができなくて、颯斗は画面をスクロールして、やり取りの履歴を辿る。颯斗の方から最後に送ったメッセージは、今日の昼間だ。墓参りから帰った後、須藤の家を訪ねる前。比彌島では水葬の風習があるのだと、伝えたことへのコメントだった。やり取りとしては繋がるけれど、今現在島にいる颯斗の実感とはズレがある。

 海は、島民にとって信仰の対象なのだろうか。海に入るなと言われ、海から来る怨霊に怯えているというのに?

 畏怖という思いも、信仰の中に入るだろうとは思う。でも、志帆から聞いた話から考える限りでは、島民が水葬を選ぶのはあり得ない……気が、する。だって、愛する家族や友人を奪った存在が、その海に潜んでいるのだから。では──海にいるのは、颯斗を呼ぶのは、白波ではない、ということにはならないか。


 ──海で信仰の対象って、どんなのがある? 有名なのとか


 震える指で、颯斗は質問を綴った。違和感の正体の、尻尾を掴んだ気がしたのだ。これも、志帆や前園を問い質すには、情報が少な過ぎる。オカルト好きの瑛太からもう少しヒントを得られれば、それを武器に島民と渡り合うこともできるかもしれない。

 今夜は、瑛太はバイトのシフトが入っていただろうか。覚えていない。そうでなくても、遊んでいるかもしれないし勉強中か、他の用事でスマホを見ていないかもしれない。

 祈るような思いで颯斗はスマホの画面を見つめ──そして、報われた。画面がするするとスクロールして、瑛太からのメッセージを立て続けに表示したのだ。


 ──沖縄らへんだと、ニライカナイは有名じゃね

 ──海の底の天国みたいな思想?

 ──流木とか、変わった形の漂着物が神様扱いになったりとか

 ──リュウグウノツカイとか見るからに神秘的だし、だからこそのネーミングだろうし


 直に顔を合わせた時の饒舌さが目に浮かぶような、怒涛の勢いだった。話題こそオカルト方面だけど、日常に戻った気もして、颯斗の頬がほんの少しだけ緩む。もちろん、そんな場合ではないのにすぐ気づいてしまうのだけど。


 ──生贄を求める系の神様っている? 人を襲うとか

 ──人を襲うのはいっぱいいるけどそれは妖怪だよね


 念のために尋ねてみると、当然の答えが返ってきた。信仰の対象となり、かつ人を襲うとか生贄を要求するような存在があるなら、比彌島で起きている現象も彼の衝動も、同時に説明できると思ったのに。彼はやはり、人違いで白波の怨霊に呼ばれているに過ぎないのか。


 ──ていうか島の人に聞けば良いじゃんw


 瑛太が続けて送って来たのは、これもまた当然のことだった。結局のところ志帆か前園に菊しかない──でも、彼らの言動には既に多くの疑問と違和感を抱いてしまっている。いや──


「そうだ……」


 彼はそもそも、親に連絡をしようとしていたのだ。今の状況を詳しく伝えるのは憚られるけれど。島を出て久しい父は、多くを知らないかもしれないけれど。でも、だからこそ前園たちのように秘密を漏らすことに忌避感を持たないかもしれない。

 普段の帰省の時も今回も、連絡を取るのはいつも母親の報だった。でも、比彌島のこととなると父に聞いた方が話が早い。海外出張中とのことだから、いつ返信があるか、有益な情報が得られるかは分からないけれど。

 島についてからの報告をもどかしく慌ただしく綴った後、颯斗はさもついでのように付け加えた。ちょっとだけ気になったんだけど、程度のトーンに見えるように。さりげなく──と、彼自身は思っているのだけど。


 ──海に入っちゃいけないって言われたんだけど、お父さん、理由知ってる? 言い伝えがあるみたいだけどよく聞き取れなくて。


 メッセージの送信成功を見届けた後は、もうやることもない。眠れる予感などしなかったけれど、颯斗は布団に潜ることにした。

 暗闇の中で目を閉じると、窓を閉めていてもなお、波の音が彼の耳を騒がせた。窓を開けたら何が起きるのだろう、という好奇心を抑えるには苦労したし、たとえ禁忌を犯さずとも、あの夢は変わらず訪れた。

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