絡みつく想い

第20話 去るか残るか

 前園まえぞのの妻は、タッパーに詰めた煮物などの総菜を、大皿に移してはレンジで温め、食卓に並べている。


「こげんもんで悪かねえ。でも、こげん時じゃっで作っ時間がなってねえ」

「いいえ……大変でしょうから。いただきます」


 拓海たくみという亡くなった大学生の家で作った料理なのだろうな、ということが何となく分かるから、恐縮した風の彼女に対し、颯斗颯斗は神妙な表情で首を振った。島中から親戚や知人が集まって、死者を悼む席があるのだろう。若者の訃報に、集まった者たちの悲しみは尽きないだろうし、だからこそ前園の妻も手伝いに行ってきたということなのだろう。

 志帆しほが語ったことを踏まえるなら、早過ぎる死を嘆くだけでなく、颯斗を責める声も囁かれていたのかもしれないが。どうしてもっと早く来なかったのか、もっと早く怨霊の夫であるセの立場を受け入れなかったのか、と。颯斗にしてみれば全く知らなかったことではあるけれど、雄大ゆうだいの憤りを目の当たりにもしている。常識を超えた力による死に間近に接し、その解決策をも承知していた比彌ひみ島の住人の中には、颯斗を恨む者もいておかしくないのかもしれない。


 前園夫妻は、どうだろうか。颯斗と志帆が話している間、家から閉め出される形になっていた前園は、妻と娘と、そして颯斗を交互に窺って視線を泳がせている。いや、どこか落ち着かないのは前園の妻も同じだ。朗らかな笑顔で皿を並べる一方で、時折、夫や娘を見て口元を微妙に引き攣らせている。夫妻はまだ目で何かしらの感情を交わしているように見えるけれど、娘の志帆は、両親のもの問いたげな表情を無視して──あるいは気付かない振りをしている。

 彼らが気になっているのは、志帆と颯斗が二人きりで何をしていたか、なのだろう。島を救うために、これ以上の犠牲を食い止めるために、志帆が颯斗の誘惑に成功したのかどうか。そうと分かっていても、颯斗の口から何か言えるはずもないから、食卓にはひたすら食器が触れ合う音だけが響いている。


 気まずい沈黙をついに破ったのは、前園だった。取り皿に取った煮豚を無駄につついていた箸を置き、志帆の方に軽く身体を乗り出して、問う。


「志帆、お前──」

「颯斗さんに話したよ。……話した、だけ」

「そう、か……」


 志帆は暗に、颯斗と肉体関係を結んだ訳ではないと告げていた。それを聞いた前園の溜息に込められたのは、落胆なのか安堵なのか。後者の想いもあって欲しいと、颯斗は切に思う。人命がかかっているとはいえ、娘をほとんど初対面の男に差し出して平然としている人間がいるとは思いたくなかった。

 前園は数秒、目を落として考え込む素振りを見せた。そして──颯斗に向き直ると、深々と頭を下げた。


ないも言わんで来てもろうて、すまんかった」

「いえ……」

「電話口で信じてもれるような話じゃなかし……信じたところで、怖がられたや元も子もなかし」


 颯斗は前園がはっきりと謝ることなど想像もしていなかった。こんな風に俯いて、言い訳めいたことを口にすることも。そういえば、颯斗は騙されて比彌島に連れてこられたという形になるのだろうか。夢で見た海を再訪できると、渡りに船の思いで旅立ったから、今ひとつピンと来ないけれど。


「セに選ばるったぁ、昔は名誉なことやった。じゃっどん、今ん東京ん若者はこげん島なんか嫌じゃろうし。……志帆も、良か娘じゃとは思うちょっけど」


 完全に箸を止めてしまっている颯斗と前園を他所に、志帆は淡々と総菜を口に運んでいる。父の言葉など聞く必要がないとでも言いたげだった。前園家の中で、志帆が負わされた役割について、これまでどんな会話がなされたのだろう。彼女にとっては、前園の言い分はもはや聞き飽きたものなのかもしれない。颯斗にとってはどこか怖く得体が知れない前園だったけど、当たり前に娘を案じる心もあるのだろうか。でも、それでも島のためなら仕方ないのだと、前園は覚悟を決めているように見える。

 結局のところ、前園は島のために志帆を犠牲にしようとしているのだ。神妙な表情や口調にほだされまいと、颯斗は慎重に言葉を選ぶ。


「その……僕がなんで呼ばれたかは、聞きました。志帆ちゃんと……ってことも」

「東京ん大学も、友だちもおっじゃろうに勝手なことじゃて思う」


 志帆を宥めた後に、颯斗は彼女と慌ただしく打ち合わせていた。志帆も颯斗も、自分自身を生贄に差し出す気はない。命という意味でも、人生という意味でも。でも、島での行動の自由を確保するには、前園に真っ向から反発するのはまずい。だから、困惑と、多少の苛立ちや不快を見せる程度の態度にしておいて、須藤や雄大と接触する機会を狙おうということになっていた。セ、に関して予定されていた儀式めいたものは幾つかあるらしいが、油断を誘うためなら形ばかり付き合っても良い。そもそも拓海の訃報があった以上は、明日にも執り行うということはないだろうと志帆は見立てていた。


「じゃっどん、人ん命がかかっちょっ……! 小せ島じゃっどん百人以上んしが住んじょっで……志帆は尽くすし、不便がなかごつ何でもないでんすっで、これ、こん通り……!」

「いや、止めてくださいよ……!」


 颯斗が前園にかける言葉は、考えておいた台詞のはずだった。でも、突如、席を立った前園が床に土下座するのを見て、彼の声は演技の必要もなく震えた。フィクションではなく、他人が真剣に懇願の手段として土下座するのを、颯斗は見たことがない。そして、決して経験したくない立場でもあった。二回り以上年上の相手に頭を下げさせておいて、でも、要求を呑む訳にはいかないのだから。ただ、居心地の悪い思いを味わわさせるだけになってしまう。


「何かが起きてるのは、分かりました。僕にできることがあるらしいっていうのも、そうなんでしょう。でも、親が何て言うか……就職だってあるし。結婚なんて、考えてもなかったし……」


 就職、と言いながら、颯斗には将来のビジョンは何も見えていない。何か夢でもあるのか、と問われていたら彼の方が窮地に立たされるところだったかもしれない。恋愛も結婚も、考えていないだけで心に決めた相手がいる訳でもない。友達もバイトも学業も、絶対になければいけないようなものではない。友人知人の多くは、疎遠になったらそれはそれで、という程度の仲でしかないし、何ならSNSもメールも、距離を問わない連絡手段が幾らでもあるのだ。

 彼が東京に戻るべき──あるいは、島に留まるべきではない理由は、実はないのかもしれない。何となく学生生活を送るだけ、表面的な付き合いを続けるだけの薄っぺらな空しい人生。その中で唯一、確かにあると思っていた海への強い想いも、白波という女の怨霊の人違いに過ぎないのだという。だとしたら──颯斗は、一体何なんだろう。


「……人が亡くなるっていうのは気の毒だし、できることがあるなら、とは思いますよ。でも、そこまでは……」

「無理もなか。じゃっどん、そこをどうにかいけんか──島ん、皆んためなんじゃ」


 がっしりとした前園が身体を縮めている。それを見下ろす構図に戸惑う颯斗の耳に、皆のため、という言葉が少し引っかかった。白波が狙うのは、恋人の身代わりの男だけではないのだろうか。働き手や、夫や息子が死んでしまうのは、当然島の誰にとっても不幸なのだろうけど。


「……ちょっと、考えさせてください」


 後で志帆に聞いてみなければならないだろう。そう思いながら、颯斗は床に膝をつき、頭を下げようとする前園を立たせた。

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