第15話 疾走

 前園まえぞの家への道を早足で辿っていた颯斗はやとは、道のりの半ばほどのところで志帆しほに鉢合わせた。


「颯斗さん……!」

「志帆ちゃん……よく、こっちだって分かったね……」


 小さく集落もまばらな島のことだから、もちろん道が分岐している箇所というのは限られているのだけど。それでも、ちょうど良く顔を合わせることができたのは少し不思議だった。電話を切ってそう時間も経っていないことだし、真っ直ぐ帰らないのではないかと疑われているのだとしたら心外でもある。


浜田はまだのおばあちゃんが会ったって言ってたから……この辺かなって思って」

「ああ……」


 行きで軽く言葉を交わした老婆を思い出して、颯斗はとりあえず納得の息を吐いた。志帆がここにいる理由は分かったけれど、行動をいちいち告げ口されているのかと思うと決して愉快な気分ではなかった。さらに、老婆の馴れ馴れしい──というか、志帆との関係を邪推するような発言を思い出してしまって、鼓動が苛立ちによって乱れる。


「えっと……電話したばっかなのに、ごめんね……」


 颯斗が軽く眉を寄せたのに気づいたのか、志帆が困ったように微笑んだ。間を繋ぐためにか、彼女は髪をかき上げて耳にかけた。額に汗が滲んでいる。志帆も急いできたのだろうか。

 ふたりを取り囲む空の青と山の緑、慣れない自然の広がりはどこか現実感がなく、かつ大きすぎて呑み込まれそうな気分になってしまう。だから颯斗は志帆に焦点を合わせようとして──そして、彼女の表情が強張っていることにも気付いてしまうのだ。サンダル履きの志帆の爪先が、舗装されてない土に意味のない筋を描いている。彼女は何を恐れているのか──彼自身も恐れながら、颯斗はぎこちなく言葉をいだ。


「ううん……わざわざ、ごめん……ありがとう」

「迷うなんて思ってなかったんだよ? 大人なんだし……待ってるつもりだったんだけど」


 志帆は、ちらりと彼女が来た方を振り返った。つまりは、集落の方、彼女の家がある方だ。これから帰途に就こうというところなのに、不安げな表情をしている理由は、やはり拓海という青年の「見つかり方」にあるのだろうか。

 次の言葉を待つ颯斗に背を向けて、志帆は来た道を戻り始めた。といっても女の子の足取りだから、追いつくのに苦労はない。ほんの数歩で彼女に並びながら、颯斗は志帆に問い掛けた。


「電話の後、何かあったの? その……見つかった人は?」

「たっくんね……あのね、電話口じゃ、言えなかったんだけど──」


 海に浮かんでいるのを見つかった、と。

 志帆の答えは半ば以上予想していたから、颯斗は驚いた振りをすべきかどうか悩んだ。人の死について白々しい真似をするのはどうにも我慢できなかったから、結局、なるべく淡々と応じることに決めたけれど。でも、悩む必要などなかったかもしれない。颯斗にとって人の死が身近だったことなどなく、知人を亡くしたばかりの人にかける言葉も知らなかったから。どうにか絞り出した言葉はぎこちなく、何とも不格好でしどろもどろなものだった。


「そう……その、ショックだったよね。お気の毒に……。ええと、幼馴染、なんだよね……?」

「うん。会ったのは久し振りだったけどね……」


 俯きがちに呟いた志帆がショックを受けているのかどうか、颯斗には分からなかった。若い人が事故死したばかりにしては落ち着いているかもしれない。でも、須藤すどうの話を聞いた後だと、既に慣れてしまっているか覚悟していたのかも、とも思う。それか、あまりにもショックで逆に反応することができないでいる、とか。結局、颯斗にはまだ何も分からないままだった。


「私よりも、ゆう君──えっと、昨日も来てた雄大ゆうだい君が動揺しちゃってて。裏からこっそり入ってもらった方が良いと、思ったんだ……」


 志帆は上目遣いで颯斗に訴えてくる。可愛い女の子と二人きりでこんな表情を見せられるのは、他の状況で他の話題だったらきっと心が弾むことだっただろうに。現実には、彼は志帆の表情に目を凝らし、疑われないように気を配りながら懸命に情報を探ろうとしている。


「前園さんに、その、雄大君がいるってこと? 前園さんが……見つけた、から? 見つかった人も、前園さん家に、いたりして……?」

「……見つけたのは、皆で、だと思う。今日は漁をしないで船を出してたから……。たっくんも、ご自宅に『いる』よ。次のフェリーまで、寝かせておかないと……」


 須藤は、人が亡くなったら本土で火葬にするのだと言っていた。そして、島に戻って遺骨は海に撒かれるのだと。海で亡くなった人もそうだとしたら、遺族の心は穏やかでいられるものだろうか。志帆が本土のような埋葬が良いと漏らしていたのは、海に複数の知人を「連れていかれた」からだろうか。颯斗にはやはり分からないことだらけで──それでも、志帆が恐らくは意図的に答え漏らしたことには気付いてしまう。


「雄大君って人は、前園さん家に行ってるんだよね? なんで?」

「それは──」


 言い淀み、目を泳がせる志帆は、弱々しく見えた。これまでの颯斗だったら、可哀想に思うか遠慮するかで、深く追求していなかったかもしれない。だが、今は違う。疑問と不信が積み重なった今なら。そして、脳の奥で何かが閃くのを感じ取ってしまったら。その閃きを必死に掴んで、颯斗は鋭く志帆を問い詰めた。


「俺のせい? 雄大君は、俺に用があるの? だから、見つからない方が良い、ってこと?」

「颯斗君……なんで……!?」


 志帆は、違うともそうだとも言わなかった。でも、それで十分だった。颯斗の詰問が、真実にせめてかすってもいなかったら、そんな言い方になるはずがない。


「じゃあ……俺が会わなきゃ、でしょ!?」


 吐き捨てるなり、颯斗は志帆を置いて走り出した。話している間に、集落はかなり近づいている。そして、彼が履いているのはスニーカーだ。リーチと体力の違いも合わせれば、志帆に追いつかれる前に前園家に辿り着くことは十分可能だろう。


「颯斗君、待って!」


 ほら、志帆の悲鳴のような声はもうかなり後ろから聞こえてくる。颯斗を追いかける足音も、彼のそれに掻き消されながら遠ざかる。彼の突然の行動に、志帆はついて来られていないのだ。


「はあ……っ」


 夕方の気配が忍び寄っているとはいえ、気温はまだ高い。颯斗の息はすぐに上がり、肺は痛み、背中に汗が伝う。本気でこれだけの距離を走ったのはいつ以来のことだろう。準備運動もなしに走り出したことで、なまった身体が悲鳴を上げているようだった。


「──ははっ」


 でも、爽快だった。不安を抱えて疑い悩むだけではなくて、行動を起こしたということが。颯斗は、志帆を出し抜くことができたはずだ。彼が一人で先に戻ることは、前園も予想していないはず。彼らの隙を突いて雄大に会うことができれば──また、一歩進めるかもしれない。何かを、知ることができるかもしれない。

 集落の家並みが、目前に迫っている。ちらりと港の方に目を向ければ、例の鯨波が変わらずはためいているのも視界に入る。海の、潮の香りが鼻をくすぐる。前園家はもうすぐだ。この家を越して、あの角を曲がれば──


 ラストスパートとばかりに颯斗が地面を蹴った時だった。苛立ちも露わな怒声が耳を打った。


「──あいつなんだろう!? さっさとはっきりさせろよ!」


 前園の家の前に、数人の男がたむろしていた。声の主は、渋面の前園に詰め寄っている──あの、雄大という青年だった。

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