因習

第14話 着信

 颯斗はやとは慌てて腰を浮かすと、スマホを取り出した。焦りと汗で滑る手をどうにか制御して画面を見ると、表示されているのは前園まえぞの家の固定電話の番号だった。比彌ひみ島訪問の打ち合わせと挨拶のために、母から聞いて登録してあったものだ。

 スマホを構えながら、須藤すどうに目線で謝る。話を中断して、電話に出ることに。慌ただしい不格好な仕草ではあったけれど、着信があったことは伝えられただろう。


「もしもし? 前園さんですか?」


 わざわざ尋ねたのは、須藤に着信元を伝えるためだった。きっと気になるだろうから。 後ろめたさと、先ほどまで感じていた息苦しさのために、颯斗の舌は情けなくもつれた。不審に思われないと良いが、と不安が胸を過ぎった時──高い女性の声が、スマホから聞こえた。


『えっと──志帆しほです。颯斗さん、聞こえる?』

「志帆ちゃん? 聞こえるよ、どうしたの?」


 再び、須藤に通話相手の情報を伝えながら、颯斗は声量を上げた。思えば、比彌島に来てからスマホを通話で使うのは初めてだった。集落を離れた須藤の住まいは特に電波が悪いのか、志帆の声はどこか遠く、掠れて途切れ途切れに聞こえた。


「坂元君、そこ──」


 須藤がごく抑えた声で囁き、颯斗に窓を示した。その辺りなら電波状況がマシだ、という意味だろうと察して、颯斗は頭を下げつつその場所へ移動した。足元でがさがさと紙の音が聞こえるのは、積んであった本や資料に足を引っかけてしまったのか。須藤には後で謝るとして、通話先の志帆に聞かれたりはしていないだろうか。


「もしもし? 志帆ちゃん?」

『颯斗さん、今どこ?』


 果たして、窓に身体を寄せるような体勢になると、スマホから聞こえる志帆の声はかなりクリアになった。窓の外を見れば、夏の午後の日差しが濃い緑を輝かせている。隠された歴史だの死んだ島民だの、島の秘密だのの話をしていたのが信じられないような爽やかさだった。


「えっと、山の方に……海には、行ってないけど……」


 言いつけを破ってはいない、とアピールしながら、颯斗の胸は後ろめたさの棘に刺されている。はっきりと止められてはいなくても、彼が須藤を訪ねることを、志帆が喜ぶはずはないのだ。彼女の父親や、年配の島民に見つかったら面倒だ、というようなことを言っていたっけ。颯斗の居場所がバレたら、志帆が叱られることになってしまうのかもしれない。

 いや、颯斗の行動が彼女のせいにされるなんて、おかしなことだ。勝手の分からない余所者で学生とはいえ、彼も既に成人している。彼自身が咎められることを咄嗟に想像できなかったのは──前園のむっつりとした顔つきや、彼とは違う言葉遣いを恐れるからではないだろう。彼には何も重要なことは教えられない、全て隠されて遠ざけられる。そんな風に、颯斗は既に思ってしまっているのだ。


『なら良かったけど……お父さんが帰って来たから、そろそろ戻ってきて。迎えに行く?』

「いや、大丈夫……道、分かるから」


 颯斗の声に、内心の迷いや疑問は滲んでいなかったのだろうか。それとも、顔が見える訳でもない電波越しのやり取りでは、感情の揺れは伝わりにくいのか。志帆はあっさりと答えてくれた。颯斗はとりあえず安堵して──それでも後ろめたさと好奇心が、余計な言葉を紡がせた。


「その、拓海たくみ君、だっけ? いなくなった人、見つかったの?」


 電話に出た当初のぎこちなさを補おうと無意識に考えたのもあるだろうし、こちらからも動いて、情報を引き出してやろうというつもりでもあった。須藤は真剣な顔で会話の成り行きを注視しているようだし、何か隠されていると、確信を持ってしまってもいるから。でも──


『……見つかったよ』


 スマホから響いた志帆の声の暗さに、颯斗は怯み、後悔した。見つかったと言っても、生きた姿で、とは限らない。そして、島の異変を知らないことになっている以上は、拓海の生死を問い質すこともできないのだ。


「そう……良かった……ね?」

『そう、かな……』


 回線の向こうで、志帆は少し笑ったようだった。颯斗に凶報を告げることができず、平静を装うとした引き攣った笑みが見えるようで、胸が痛む。何も知らない振りをしたことで、颯斗は彼女の心を引き裂いたかもしれないのだ。


『法事の日程も、改めて相談したいって、お父さんが……どれくらいかかりそう?』

「三十分も歩いてないと思う。えっと、走って帰るから……!」

『いいよ、そこまでしなくて。お父さんたちには言っておくから。……じゃあ、気を付けて』


 猛獣がいる訳でもない島で何に気を付けるのだろう、と頭の片隅で思いながら、颯斗は通話を終えた。スマホの表面をシャツの裾で拭い──須藤の方を見る。すると、彼は沈痛な面持ちで眉を寄せていた。須藤にとっては、拓海と言う若者の訃報を聞いたのと同じことなのだろう。


「その、拓海って人、昨日から姿が見えないらしくて──」

「見つかったのは海で、なんだろうね。それなら……」


 須藤は死、という言葉を直接口にするのは、さすがに避けたようだった。それでも十分に意味が伝わってしまうのが嫌だったけれど。颯斗が無言でスマホをしまう間に、須藤は続ける。


「さっき言った、『三人目』が亡くなったのは、彼らが帰省してからだ。つい、先週のことだったのに」


 颯斗はまた、港の鯨幕を脳裏に浮かべた。あれは、もしかしたら日高という老人が亡くなった後、片付けられることなくずっと海辺に翻っていたのではないだろうか。

 それに、雄大──もう一人の若者の声も、蘇る。


『俺だって危ないって分かってたよ!』


 彼も拓海も、恐らくは顔見知りの島民の不審な死に既に接していたのだ。須藤が言うように彼らは『違う』と分かっていたなら、次のフェリーで島を離れる予定だったのかも。十分に警戒して──『何に』かは分からないけど──いたはずだろうに、それでもなお拓海は海に惹かれてしまった。連れて行かれた、とも雄大は言っていた。死の恐怖を越える海からの招き。それは、颯斗の夢と根を同じくするものなのだろうか。


 潮の味を舌先に感じながら、颯斗は須藤に対して目礼した。頭を下げる程度の動作でさえも億劫おっくうだった。怖くて寒くて息苦しくて──それどころでは、ない。


「……帰って来いって言われたので、失礼します。あの……またメールしても良いですか?」

「もちろんだ。何かあったら連絡して。ここに来ても良いし。……君も、気を付けて」


 本人は知らないだろうけど、須藤が志帆と同じことを言ったので颯斗は頬を引き攣らせるようにして笑った。何に気を付ければ良いか分からないのに、なんて空しい忠告だろう。でも、一応は彼を思っての言葉に間違いはないのだろう。須藤も──志帆も。彼に危害を加える気はないと、心から信じることができれば良いのだけれど。


「はい。……ありがとう、ございます」


 須藤の家の玄関を出ると、夏の暑さが颯斗を出迎えた。汗が噴き出す感覚に、自分がちゃんと生きていることを実感できる。けれど、前園の家へ向かうということは、否応なく海辺に近づくということだ。それは、死と危険に近づくことなのか、それとも、彼を駆り立てる何かしらの衝動を満たす第一歩なのか──颯斗には、まだ分からない。

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