第13話 隠された島

 颯斗はやとが相槌を打つ間もなく、須藤すどうは熱の篭った声で語り続ける。こちらの反応に構わないその様子は、友人の瑛太を思い出させる。つまり、自分の好きな世界に入り込んだ時のオタクということだ。須藤の専門は民俗学だと、先ほど、墓地で聞いたばかりだ。


「僕が比彌ひみ島に移住したのもね、そもそもこの島が普通じゃなかったからなんだ」

「その……今回のことが起きる前から、ってことですか……?」


 辛うじて会話の体裁を保っているうちに、颯斗は懸命に口を挟む隙を探した。彼は情報が欲しくて、こそこそとこの家にやって来たのだ。もやもやとした状況を把握する手掛かりを得たいのに、黙っていては一方的な「講義」を拝聴するだけで終わってしまいそうだった。


「そう。それも、昨日今日のことじゃない。歴史的に、ってことだ」

「水葬の風習は、大分前からあるみたいでしたね……」


 苔むした墓石に刻まれた、いつのものとも分からない年号を思い浮かべながら呟くと、須藤は少しだけ微笑んだ。的外れなコメントをした学生に先生が向ける類の笑みだった。哀れみと嘲りを微量に含んだ表情にむっとする暇もなく、須藤は立ち上がると部屋の隅の紙束から何かを取り出してテーブルに広げた。


前園まえぞのさん、屋久島まで迎えに行ったんだってね。ねえ、坂元さかもと君──種子島たねがしまの場所、知ってた?」


 ソファに戻った須藤が示したのは、鹿児島沖の地図だった。比較的大きいのは屋久島と、そのすぐ東側にある種子島。やや本土に近いところに、三島みしま村という名前で括られる島嶼とうしょ群が散る。釣り人グループも知っていたトカラ列島は、ずっと南方、九州よりも奄美大島に近いところに位置する。比彌島は、地図上ではほんの小さな点だった。


「えっと……今回、初めて知りました」


 比彌島のアクセスを調べるにあたって、颯斗も最近何度も見た地図だ。だから、須藤の言わんとしていることは何となく分かる。さほど優秀でも勉強熱心でもない颯斗は、鉄砲伝来で有名な種子島が鹿児島にあるということを知らなかった。でも、日本列島の南端に近いこの場所でも歴史的な事件というのは起きていたし、人が行き交い生活していたのだ。


「ポルトガル人が鉄砲を伝えた、ってよく言われるけど、実は倭寇わこうの船だったっていうのは──知らないか。まあとにかく、この辺りは古くから色んな国や勢力の船が行き来してたってことだよね。琉球王朝だってみんや日本と貿易していたし、トカラ列島だってその恩恵にあずかって勢力を築いていた……」


 颯斗がぼんやりした顔をしているのに気づいたのだろう、須藤はまた苦笑するとメモ帳を取り出して幾つかの単語を書き出した。倭寇、琉球、明。ご丁寧に振り仮名も添えて。悔しいことに、辛うじて文章として聞き取ることはできても、颯斗にはなるほどと頷けるだけの歴史的素養はない。だから須藤の話の着地点も分からなくなってしまっていたのだが──


「でも、比彌島についての記録は意外なほど少ない。補給には絶好の立地に見えるのにね」


 須藤は、ここぞというところで端的な言葉を放り込む癖があるようだった。ちょうど颯斗が焦れる辺りで、餌のように気になる情報を投げる技は、さすがはライターということなのか。


「……トカラ列島と屋久島、鹿児島本土の間、ですからね……嵐の時とか、避難しても良さそうなのに……?」


 比彌島の名前を聞いて、怪訝そうな顔をしていた釣り人たちを思い出しながら、颯斗は呟いた。エンジンのある船で数時間で駆け抜けられる現代でも、何もない海上の景色は心細く思ったものだ。昔のことならなおさら、海の真ん中にある陸地は心強く思えそうなものなのに。

 颯斗の相槌は、今度は意に適うものだったらしい。ペンを握った須藤は満足そうに頷いた。


「トカラ列島でさえ、鎌倉時代には薩摩さつまの国に組み込まれている。なのに、比彌島から税や年貢が収められたという記録はない。争いに巻き込まれたこともなく、先の戦争でさえ徴兵された人はいない。これは僕自身が年配の人に聞いたことだけど」


 戦争の話も、颯斗には遠い昔の出来事だ。それでも、鉄砲伝来だのに比べれば、歴史的にははるかに最近のことになるのは分かる。何百年も前から一貫して、比彌島は──何というか、隠された存在だった、ということになるのだろうか。


「まるで治外法権の島、というところだね」


 須藤の言葉を信じるなら、確かに、この島は颯斗が思っていた以上に「普通ではない」。颯斗の顔に不安が広がりだしたのを見て取ったのか、須藤はふ、と笑うと総括した。余裕のある態度が、つい反発心を起こさせるが──


「でも、今はフェリーも就航してるし……外からの移住だってできるんでしょう? 何かあれば、警察だって──」


 颯斗が言い募っても須藤の笑みは変わらず、彼の舌を凍らせた。屋久島からの船旅を思い出すと、黙らざるを得なかった。ここから一一〇番なりをして、本土に連絡できるのかどうか分からない。両親の携帯を経由すれば外部との連絡自体は不可能ではないが、前園が言っていた通り、定期フェリーは週に何便もない。この島は、外とは隔絶されているのだ。


「……そんな話をして、どうしろっていうんですか?」

「君が島に呼ばれた理由は、多分ただの墓参りじゃない。それを知らされていないようだから、まずは警告、かな。だから志帆ちゃんの行きそうなところに当たりをつけて、行ってみたんだけど」

「…………」


 だから須藤は、あらかじめ名刺にメモ書きしていたのだ。そうと知っても、颯斗には大げさな探偵ごっこみたいだ、と笑うことはできなかった。ただの墓参りだと、強弁することもできない。須藤の話を鵜呑みにしてはいけないと思う一方で、母の電話を受けて以来積み重なってきた疑問や違和感を無視することもできないから。

 颯斗の答えなど期待していなかったのだろう、須藤はすぐに息を継いで続ける。出してもらったゼリーは乾いていくだけだな、と。現実逃避のように颯斗は考えた。


「そして、こちらの方が大きいんだけど──」


 二人きりの部屋の中だというのに、須藤は意味もなく声を潜めた。内緒話のように顔を近づけられて、見たくもないのに男の唇が動くのを凝視することになってしまう。


「亡くなった人たちも、拓海君も雄大君も、『違った』んだろう」


 須藤はきっと、後ろめたさがあったのだろう。島で起きていることの全容は見えなくても、『違う』と括ることは、その人たちを否定するようにも聞こえてしまうから。それに、その中には亡くなった人もいるのだ。大声で語る気にならない気持ちは分かる気がする。

 『違う』と、どうなるのか──考えようとした瞬間に、颯斗の背を冷気が走った。既に三人亡くなっているという、彼らの死の原因は同じなのか。須藤は、前園が船を出したと言っていた。島民たちは、拓海の失踪を当然海と結び付けているのではないのだろうか。海は、人間の世界ではないのだ。肺に海水が忍び込み、水底に引きずられるような感覚を思い出し、颯斗は無意識に酸素を求めて口を開いた。あの感覚を、拓海は昨夜味わったのかもしれない。かつて遊んだかもしれない、現在の顔も知らない若者は、もう死んでしまったのだろうか。


「君が『そう』なのだとしたら──まあ、何なのか、全く分からないんだけど──何が起きているのか、この島に何があるのか教えて欲しい」


 須藤が言い終えた時には、颯斗は汗だくになっていた。暑さではなく、冷や汗によって。それでも、須藤の申し出は心強いものであるのは分かった。これから何を見聞きするとしても、他の者の意見は貴重だろうから。だから、どうにか頷こうと息を吸った──その、瞬間だった。


 颯斗のポケットで、スマホが震えた。

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