第12話 後継者?

「港に鯨幕が貼ってあったでしょ」

「はい。誰かが亡くなったんだろうな、とは……」


 コップに入れられた氷が溶けて、からり、と音を立てる。ガラスの表面を、結露の雫が伝う。颯斗はやとと同じく、須藤すどうも麦茶やゼリーに触れていない。まさか、颯斗に何かを盛ろうとしているという訳ではないだろう。むしろ、須藤の方でも颯斗と話すのを待ち望んでいて、だから食べ物や飲み物に意識を向ける余裕がないのではないか、という気がした。


「亡くなったのは日高ひだかさんってお年寄り。百歳近かったんじゃないかな……まあ、大往生だよね」

「日高さん……?」


 知らない名前をそっと口の中で転がすと、須藤はどこか遠くを見るような眼差しになった。亡くなった老人との思い出に浸ってでもいるのだろうか。日高という人の死が、須藤が言うところの切っ掛け、なのだろうか。その人は、なぜ、どのようにして亡くなったのか──無数の疑問が飛び交う颯斗の頭の中が見えるとでもいうかのように、須藤は訳知り顔で頷いた。


「死因は老衰か、少なくとも、不審なことはないはずだ。畳の上で、家族に看取られて亡くなったんだから。大往生だよ。歳だけに皆、覚悟していただろうし、見れば分かると思うけど過疎化も高齢化も進んでる島だからね、正直よくあることだった。──そう、思っていたんだけどね……」


 須藤は溜息を吐くと、コップの麦茶を半分ほど飲み干した。釣られて颯斗もコップに手を伸ばす。麦茶の香ばしさを口の中に感じて、初めて汗で水分を失っていたことを自覚する。そして、例の夢の渇きを今も感じていたことも。喉から胃に落ちていく冷たい麦茶は身体に染み通るようだけど、颯斗の渇きは砂漠の砂のようだった。あっという間に水分を吸い取って、それでもなおさらさらと乾き切っている。


「その人については……何が、違ったんですか?」


 口内に貼りつく舌を無理に動かして、颯斗は先を促した。彼が食いついている手ごたえがあるのか、須藤の口元が少し緩んだのが憎らしかった。


「亡くなった時も、葬儀の時も、いつものことだと思っていたよ。その時は、手伝わせてもらえたからね。本土に遺体を運んで火葬にして、遺骨は海に撒く──まあ、厳密には死体遺棄になりかねないんだけど、それがこの島の風習だしね。そんなに件数も多くないから環境汚染にもならないということにするしかないし」

「死体遺棄……」


 瑛太に送っていたメッセージのことを思い出して、颯斗は呟いた。水葬というか散骨は良くないのでは、と何となく考えたことは当たっていたらしい。でも、須藤はその点を責めるつもりもないようだ。奇妙な風習も、須藤が語ろうとしている異常ではないのだ。


「──結局、何なんですか……!」


 考えようとして──颯斗は、そんな必要がないことに気付いた。話があると言って呼び出したのは須藤なのだから、勿体ぶるのは理不尽だ。不意に高まった苛立ちを吐き出すように叫ぶと、須藤は彼の激発を待っていたかのようにするりと告げた。


「日高さんの後、続けて三人亡くなっている」

「え──」


 そして、颯斗が絶句した隙に、情報量で圧倒しようとでもいうかのように早口に叩きつける。


「お年寄りじゃない──四十代から、三十になったばかりの人もいた。皆健康で、家族や人間関係も良好。漁業関係の仕事をしていたから泳げないはずもないし、この辺の海にも慣れている。それが、次々と海での事故死だ。──普通では、ないだろう」

「…………」


 颯斗の脳裏に、港で見た鯨幕がはためいていた。あれがあるということは誰かが死んだのだろうとは思っていた。でも──それが複数だったとは思いもしなかった。聞いただけでも不審な死は、たったひとつでも十分だろうに、それが三人も。しかも、須藤の口ぶりでは立て続けに起きたことのように聞こえてしまう。


「……その、日高さんて人が亡くなったのは、いつなんですか……!?」

「ちょうど梅雨時の──六月の頭だ。本来なら四十九日も明けたばかり、なんだが」


 颯斗はお盆休みを待たずに島を訪れたから、今は八月の上旬。二か月かそこらの間に立て続けに起きる出来事としては、普通ではない、はあまりにも控えめな表現だ。しかも、死人は三人ではすまないのかもしれない。


「大学生の人たちが、帰省してるって聞きましたけど……そんなことになってるのに?」

雄大ゆうだい君と拓海たくみ君だよね」


 蒼白な顔をしていた雄大と、いまだ顔も知らない──思い出せないだけかもしれない──拓海と。あっさりと名前を挙げる須藤は、やはり昨夜のことを知らないのだ。前園まえぞのや他の島民たちは、家にもろくに帰らないほど走り回っているようなのに。またひとつ、比彌ひみ島の歪な姿が見えたようで。颯斗の中で嫌な感覚が膨れ上がっていく。


「この島、中学校までしかないんだよね。高校からは下宿で本土の学校に通うから、彼らのことは実はあまり知らないんだけど」


 居心地悪くソファに座り直す颯斗に構わず、須藤が話を続けてくれるのがありがたかった。

 では、志帆しほも進学のために一度島を出たのだ。若者たちが標準語を喋るのは、そのためか。そして、男子と違って志帆は島に帰った。彼女の意思によることかどうかは分からないけど。


「高校の間はともかく、大学に進学してからは帰省の回数は減っていたよね。大学生ならバイトも始めるだろうし、勉強に加えて遊ぶのも忙しいだろうし当然だ。だから──あえてこのタイミングで帰ってくるのは、呼ばれたんじゃないかな、と思った」

「呼ばれた……誰に……?」


 心臓の鼓動がうるさくなるのを感じながら、颯斗はそっと尋ねた。彼も、まるで呼ばれているようだと思っていたから。比彌島に、その海に。でも、須藤は怪訝そうに首を傾げるだけだった。変なところを気にするんだな、とその表情が語っていた。


「親御さんとか年配の親戚とか? でも、おかしいだろう? 若い男手が必要かもしれない葬儀や片づけはもう終わっているのに。彼らは島を出ていて、亡くなった人とさほど親交が深い訳でもなかったのに」


 雄大や拓海は、「あの夢」を見ていないのだろうか。それとも、須藤や周辺の大人が知らないだけか──落胆を味わいながら、それでも颯斗には思い当たることがあった。飛行機のチケットまで用意していた前園の強引さについて。あんな勢いで、大学生の親たちが帰省を迫ったのだとしたら。うるさいと思ったとしても、学費や生活費の援助もあるのだろうし従うだろう。颯斗が親を気遣って比彌島行きを申し出たように。


「僕も……前園さんに呼ばれました。祖父の墓を放っておくのは良くないからって……本当は父のはずだったんですけど、仕事があるから……」

「ああ、やっぱり!」


 目を輝かせた須藤をよそに、颯斗の動悸は激しくなる一方だった。一般的なお盆休みでもない日程に社会人を招いても、普通は応じられないということに不意に気付いたのだ。前園は、最初から父親の代わりに息子を、という方向に持っていくつもりだったのではないだろうか。


「僕の仮説はね、こうだ」


 息苦しさを感じて俯く颯斗に、須藤はぐいと身を乗り出してきた。その目に宿る異様な輝きが、颯斗を怯ませる。


「日高さんは、この島で何らかの役割を負う人だった。その人が亡くなったから、島には変事が続いている。雄大君や拓海君や──君は、その後継者候補なんじゃ……!?」

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