第10話 招待

 前園まえぞの家に帰り着くと、志帆しほは昼食の準備に取り掛かった。前園夫妻は出かけているらしく、颯斗はやとにとっては出会ったばかりの女の子と二人きり、が続くことになる。前園は拓海たくみという青年をまだ探しているのだろうか。志帆にお父さんお母さんは、と聞いてみたら、母親は港で作業があるのだと答えた。父親については深く尋ねる隙を与えてくれないらしい。


 客人は、例によって作業の邪魔にならないように台所から追い出された。二階に与えられた部屋で、颯斗は時間潰しにスマホを取り出す。メッセージアプリには、友人の瑛太から頑張れ、とでも言うかのような親指を立てるスタンプだけが返ってきていた。この素っ気なさは友人の気遣いだと解釈して、颯斗はまた一方的なメッセージを送ることにした。


 ──この島、水葬なんだって。法律的には良かったっけ?

 ──カモフラージュに陸地にもお墓作るけど、空っぽなんだってさ


 ネットの接続の問題か電波の問題か知らないが、送信完了までにいつもよりも時間が掛かった。その間に颯斗の胸を苛むのは、墓地からの帰り道でも感じた後ろめたさだ。実際にこの比彌ひみ島で生活している人がいて、その背景には連綿と続いた歴史がある。なのに、他所から来た者が面白おかしくネタにしても良いのかどうか、という。

 メッセージ送信完了の通知を確認してからも、颯斗は画面の上で指をさまよわせ続けた。後ろめたく思うなら、須藤すどうのメモは見なかったことにするべきだ。島民である志帆が眉を顰めていたのを尊重した方が良いのだろう。


 でも、動機が興味ではなくもっと切実なものだったら?


 港で颯斗を迎えた鯨幕、消えた青年。前園が船を出しているなら、彼は海で溺れたと思われているのか。島の出身で、若く体力もあるはずなのに? どうしてわざわざ夜の海に出掛けたのか。前園も志帆も、執拗なほどに海の危険を強調していた。海に囲まれた、この離島で。


 疑問への答えを須藤が持っているなら、あの自称ライターと連絡を取るのは、颯斗自身の身を守ることになるかもしれない。メールでのやり取りなら前園一家に知られることはないし、一方的に連絡を打ち切ることも難しくない。比彌島は狭いとはいえ、そうそう特定の相手とすれ違うようなことはないはずだ。


 とにかく、まずはメールを送ってみるだけだ。挨拶程度に。少し考えてから、颯斗はメールの件名を入力する。──「さっきはお世話になりました。坂元です」


 ──この島のこと、あんまり知らないままで来ちゃったのでレクチャーお願いしたいです。珍しい風習があるそうなんですけど、どういうのなんですか?


 砕けた文面なのは、この際構わないだろう。大げさなことではなくてちょっと教えて欲しいんですけど、くらいのテンションを保ちたかった。


「颯斗さんー? ご飯、できたよー!」


 ちょうど良く、階下からは志帆が呼ぶ声が聞こえた。颯斗は意味もなく慌ててスマホをポケットにしまい、声を張り上げて答える。


「──ありがと! すぐ行く!」




 昼食のメニューは、トマトソースの魚介パスタだった。昨日と今朝と、和食寄りのメニューが続いたから一瞬だけ意外に思ってしまったけれど、現代日本である以上は一般的な家庭料理の範疇なら出てきて当然なのだろう。離島への偏見をまたひとつ自覚しながら、颯斗は改めて志帆に礼を言ってフォークを手に取った。


「イカと貝、島で取れたやつだから」

「ほんと? 豪華じゃん」

「名産ってほどじゃないけど、新鮮だからね」

「うん、美味しい。ありがとう」


 他愛ない会話を交わしながら、また探り合いのうような緊張感が確かにあった。まだ正午を過ぎたばかりで、けれど大人たちが帰宅する気配はない。たっぷりと空いた午後の時間をどう過ごすべきか、颯斗には何のプランもないままだ。──須藤からの返信を、待つ他は。


「午後なんだけど──」


 切り出したのは、志帆の方が先だった。フォークを皿の余白に置くと、困ったように首を傾げて颯斗を見上げて来る。


「私も、家事とかあって……どうやって時間潰しててもらおうか」

「掃除とか? 手伝うけど……お父さんの代わりの力仕事とか」

「お父さんは家事なんかしないよ。それに、休んでて良いって。お客さんなんだから」


 念のための申し出は、断られてしまった。家の中を他人に触れられないというのは当然のことだから、半ば以上予想していたが。それなら、颯斗の方でも用意していた言葉がある。


「なら、スマホあるから大丈夫だよ。本もマンガも見れるし。邪魔にならないようにしてる」


 少し早口になってしまったかもしれないが、怪しまれなかっただろうか。須藤とのやり取りのためにスマホをいじっていても怪しまれないための言い訳を、食事しながら考えたのだが。


「それか、どこか散歩でもしてようかな? 海に近づかなければ良い?」


 昔遊んだ場所に行ってみたいという欲求を思い出して、颯斗は付け足してみた。この歳で、水着もないのに海に飛び込んだりはしない。ただ、あの場所が記憶にあるままなのか確かめたいというだけだ。ちょっと覗き込むくらいなら、危ないこともないだろう。

 颯斗を一人でうろつかせるのを思い浮かべたのか、志帆は軽く眉を顰めた。ぎゅっと結ばれた唇は、何かしら颯斗が知らないことを比較・検討しているのではないかと感じさせる。


「うん……売店があるのと、牛とかヤギがいるくらい……? 見ても面白いかは分からないけど。あと、あんまり奥には行かない方が良いかな……電波通じないと、連絡できないし」

「ああ、心配させちゃうよね。じゃあ、電波入るか気にしながらふらふらしてるかも」


 前園が戻るか、颯斗が必要とされる場面になったら電話で呼び戻してくれるということだろう、と推定して颯斗は笑って頷いた。昨日から、知らない人に囲まれての時間が続いていて気疲れもしている。一人で青空や海や緑を堪能するひと時が確保できるなら、良い。


「そう……じゃあ、何もなくて悪いけどその辺見てて。島の人に声かければ、道とか教えてもらえるはずだし。坂元さんのお孫さんて、皆、知ってるから……」

「分かった。ありがとう」


 そうだ、祖父母は何年か前までこの島で生活していたのだ。その記憶がある島民だったら、昨夜の歓待も不思議ではない。そう思うと、不安の一端が晴れた気がして颯斗の頬は緩んだ。




 自室に戻った颯斗は、スマホにメールの通知が来ていることに気付いて心臓を跳ねさせた。

 開くと、やはり須藤からの返信だ。メールへの返礼と、住所が記されている。地図アプリから取得したらしい画像も添付されている。


 ──直接話がしたい。前園さんはまだ帰ってないよね? うちまで来てくれるかな?


 心臓の鼓動が早まるのを感じながら、颯斗は震える指で承諾の返信を送った。ちょうど志帆が家事をしているところだから、出かけられる、と。

 数秒を待たずに須藤からは改めて返信があった。良かった、待っている。くれぐれも人目につかないように。

 志帆からは、島民は道を教えてくれると聞いていたのに。須藤がよほど煙たがられているのか。


 ──それとも、よほど颯斗に知られたくないことがあるのだろうか。

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