第9話 名刺の裏
「そちらは?
「はい。
須藤と志帆の視線を受けて、颯斗は軽く頭を下げた。志帆からは多くを語りたくなさそうな気配をひしひしと感じるけれど、この流れで何も言わない訳にはいかない。
「坂元、颯斗です。前園さんにお世話になってて──」
「夏休みかな? 離島でのバカンス、良いよね。──はじめまして。僕は、こういう者です」
須藤は、卒のない滑らかな動きでポケットからカードケースを取り出すと、小さな紙片を颯斗に手渡した。名刺をもらうなんて、颯斗にとっては初めての経験だった
どうも、ともごもごと呟きながら、颯斗は両手で須藤の名刺を受け取った。須藤正輝。Masaki SUDO。シンプルなデザインで、メールアドレスと電話番号が記載されている。それに何より目を惹くのが、彼の肩書だ。
「ライター……?」
「そう。パソコンひとつあればできるからね、三年くらい前に比彌島に移住したんだ」
「そうなんですか」
これで、須藤が標準語を話す理由は分かった。志帆が少々構えた態度に見える理由の方は──どうだろうか。若い移住者は歓迎されるものではないのか、とも思うし、一方で閉鎖的な村社会、なんてステレオタイプな単語も浮かんでしまう。昨夜の島民たちにはそんな気配はなかったし、まして年齢も近い志帆には、そんなことはあって欲しくないけれど。
「どんな記事を書かれるんですか? 釣り関係とか?」
「そういうのも、依頼があれば。後は、こういうところに移住したもので、老後とか脱サラのセカンドライフの勧め、とか、かな」
「なるほど……」
「まあ、元々の専門というか僕の興味は、民俗学方向なんだけど。オカルト系も入るかな?」
「……へえ」
瑛太──アルバイト先の友人の顔を思い出して、颯斗は瞬いた。ついでに、瑛太が楽しそうに語っていたことも蘇る。孤島の変わった風習、まるでネット怪談みたいな。何かありそう。出発前は冗談半分だったけど、瑛太が聞いたら喜びそうな事態が昨日から続いている、かもしれない。釣り人たちも存在を知らない島、手厚すぎる歓迎、消えた青年。連れていかれた?
漠然とした不安や違和感もあるものの、颯斗は努めて気にしないようにしていたつもりだった。からりとした態度の志帆の存在も、大きかっただろう。でも、民俗学の興味、だなんて。わざわざ離島への移住を決意させるほどの「何か」が、比彌島にはあるのだろうか。
「友人がそういうの好きで……。もしかしたら記事を読んだことがあるかもです」
「興味があるならレクチャーするよ。この島にも色々面白い伝承があってね。現地で聞くのは貴重な経験になるかも」
「いえ、そんな……」
戸惑うほどの親切さという点では、須藤も島民たちと同じだった。観光ガイドのようなことをしてくれる、というのだろうか。初対面の相手に対して、対価を要求することもなくするにしては過分の申し出だと思う。
「大したことじゃないんだよ。僕の興味だけじゃ、中々拾ってもらえなくてね……若い子がどの辺を面白がるかとか、聞かせてもらえると嬉しいかも」
「はあ」
もっともらしいような、やはり怪しいような。単に気さくなようにも見えるし、しつこく食いついてくる、と言えなくもない。須藤にどう答えるべきか分からなくて、颯斗は意味もなくハンカチで額を拭った。
「──お墓参りだったんですよ、颯斗さん。昨日も長旅してもらったとこだし、疲れてると思うんですけど」
「ああ──ごめんね、こっちの都合ばかりで」
助けを求めて志帆の方を見れば、彼女は颯斗を庇うように一歩前に進み出てくれた。彼よりもはるかに小柄な女の子に盾になってもらうとは、情けない限りだけど。志帆は颯斗に背を向ける格好になっていたけれど、眉を顰め唇を尖らせた表情がありありと目に浮かぶようだった。
須藤の笑顔が困ったようなものに転じたことからも、志帆の態度に棘を感じるのは間違っていないだろう。
「前園さんは、今日は漁じゃないよね? 船を出してたようだけど……? 僕に何かお手伝いできることがあれば──」
「大丈夫です。島のことなので。海は危ないから、近づかないでいただけると」
「ああ、それはもう。見ての通りインドア派だから」
日に灼けていない肌を誇示するかのように、須藤は両腕を広げて笑顔を作る。志帆を懐柔する役には、さほど立たなかったようだけど。
「お願いします。──行こ、颯斗さん。お昼、私が作るから」
「あ……う、うん」
志帆はあくまでも硬い声で答えると、颯斗の手を引いて来た道を戻り始めた。
山道を今度は下りながら、颯斗は志帆の手の熱さにどぎまぎしていた。多分、志帆はとにかく須藤の前から去りたかっただけだろう、状況を説明する暇さえ惜しかったのだろうとは分かる。それでも、女の子の細い手の感触が掌にあるのは、ひどく落ち着かなかった。
「えっと、さっきの人──」
「悪い人じゃないんだけど、ちょっと親とかが色々と、ね。颯斗さんがいないときなら良かったんだけど、もしも見られたりしたら面倒そうだから」
恐る恐る声を掛けると、志帆はやっと手を握ったままだったことに気付いたらしい。慌てたように颯斗の手を振り払った。真っ赤に染まった耳が、無意識にしていたことだと教えてくれる。彼女の温もりが去っていくのは、惜しいような安堵するような不思議な気分だった。
照れ隠しのように、志帆は足を早めるながら小さく肩を竦めてみせた。
「民俗学とか、言ってたでしょ? お墓のとこに来てたのも、
「ああ……、まあ、なるほどねえ」
言われてみれば、当然の心情だった。昨日の酒宴めいた歓迎会に、須藤がいなかった──呼ばれていなかった? ──のも、元々の島民との間に隔意があったからなのかもしれない。颯斗自身も瑛太とオカルトめいた話をしていたことを思うと、少々胸が痛んでしまう。島民にとっては、故郷や現在の住まいを興味本位で取りざたされるのは確かに不快なのだろう。
「颯斗さん、『ああいうの』興味あるの? 須藤さんとお話したい……?」
「いや、前園さんが嫌がるなら別に、って感じかな」
後ろめたさが、颯斗に首を振らせた。正直なところ、瑛太に土産話ができそうだったのに、と思わないでもなかったけれど。せめて、須藤の名刺を渡せば友人は喜ぶだろうか。勝手に第三者に見せるのは、ビジネスマナー的にはどうなのだろう。
そんなことを考えながら、これも颯斗は握ったままになっていた名刺を改めてひっくり返してみた。須藤の名前や連絡先が記載されたカードの裏面には、彼の経歴らしい雑誌やサイト名と思しきものが列記されている。──それに、その余白に、ボールペンの走り書きがあった。
──島のことが知りたかったらメールして。きっと気になることが多いだろうから。
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