第6話 酒宴

 比彌ひみ島の港には、小さな集落が隣接していた。島の住民の多くがここに住んでいるのだとか。マンションがないことを除けば、民家が立ち並ぶ様子は、颯斗が日頃目にする都会の町とあまり変わらない。ただ、どの家も外に大きめの洗い場が備えられているのがいかにも漁村という感じだった。多分、魚を洗ったり漁に使う道具の手入れをしたりする場所なのだろう。


 前園まえぞのの家は、集落の中心に位置していた。祖父の家はどの辺りだったか、颯斗はやとの記憶は曖昧だ。彼がこの島について覚えているのは、やはりあの海のことだけらしい。祖父の法事の日程もまだ知らないけれど、この島にいるうちにあの崖の場所を突き止める時間はあるだろうか。


ただいまたでま

「あらあ、よう来たねえ。二階ん部屋を片付けなおしたで、ゆっくりすっと良か」

「夕ご飯、用意してるんで。疲れてるだろうけど、荷物置いたら降りてきてくださいね」

「はい、ありがとうございます。お邪魔します……お世話になります」


 前園家のドアを開けると、ふくよかな女性に出迎えられた。前園の妻だろう。夫に比べればにこやかで取っ付きやすい気もするけれど、例によって言葉を聞き取るには難儀しそうだ。娘の志帆しほが口を挟んでくれるのが、ほとんど通訳のようなありがたさだった。


 木材が軋む音を聞きながら、志帆の案内に従って二階に上がる。漁村の民宿の二階の部屋、で、瑛太に聞かされたネット階段を思い出してしまう。瑛太が言っていたネット怪談は「リゾートバイト」とか言ったか──とりあえず、前園家に「開かずの部屋」はないようだった。当たり前のことに安心しながら、颯斗は同年代らしい志帆とのコミュニケーションを試みる。


「他のお客さんはいないんですか? 夏休みの時期にお世話になっちゃって、すみません」


 南国の離島となれば、夏は稼ぎ時だろう。屋久島で会った釣り人グループの、比彌島なんて知らない、という発言は頭を掠めたけれど──彼らはたまたま知らなかっただけだろう。だって、前園家が民宿をやっているというなら、需要があるということなのだろうから。

 颯斗の声に、志帆は軽く振り向きながら笑った。


「敬語、良いですよ。私の方が年下だし。私、未成年なんで」

「夏休みですか──っと、夏休みで? そっちも、敬語止めて、良いよ」


 狭い屋内で同年代の異性という状況は慣れなくて、颯斗は少なからず動揺してしまう。恐らくは志帆も同じようで、二人揃ってぎこちなく訂正を交えながらのやり取りになる。


「いえ……ううん、高卒で、ふらふらしてる。布団、慌てて干したからお日様の匂いするよ」


 そうして案内された和室には、布団が一組と扇風機が用意されていた。エアコンはなさそうだが、海の風が涼しいのか、地面がコンクリート詰めでないのが良いのか、東京ほどの暑さは感じない。扇風機だけでも十分快眠できそうだった。例の夢さえなければ、だが。


「トイレはあっち。台所に冷蔵庫に麦茶があるから、その辺のコップで飲んで大丈夫。お風呂は下。お客さんは一番風呂なんだろうけど、皆来るから入らせてもらえないかも……まあ、その場の流れで。寝る時は波の音うるさいから、窓閉めた方が良いよ」


 あちこちを指しては説明してくれる志帆に頷きかけて──颯斗は、ある言葉を首を傾げた。


「──皆?」


 夕食は海鮮と酒を出してもらえる、と聞いてはいたけど。皆、というと、まるで食卓にいるのは前田家の面々と颯斗だけではないように聞こえてしまう。港で取り囲まれた島民たちを思い浮かべながら恐る恐る聞き返すと、志帆は少し眉を顰めた。気付いちゃったか、とでも言うように。悪戯を見つけられた時のような表情は、可愛らしかった。


「……うん。田舎のノリ、嫌だろうけど。若いお客さんは珍しいから、おじさんとか来ると思う。宴会みたいになっちゃうけど。でも、できるだけ長引かないようにするから……!」

「いや、大丈夫だよ……郷に入れば、ってやつだし。親戚回りのつもりで、来たから……」

 若い客がい

ない、という志帆の言葉にも、また少し引っかかりはした。でも、申し訳なさそうに手を合わせてみせる彼女に、颯斗は宥めるような言葉を返した。

 若く、かつ、島に所縁ゆかりがある者、という意味だろう。こういうところでは、きっと島の外に進学や就職する若者も多いのだろうから。だから、大げさなくらいに歓迎されているだけであって。他所から来る者が本当に稀だなんて、そんなことはないだろう。




 荷物を部屋に置いた颯斗は、前園に電話を借りて母に電話した。無事に着いたこと、島を挙げて歓迎してもらえるようだということを伝えると、母も安心したようだった。飲み過ぎないようにね、というもっともな忠告に、颯斗も従うつもりだったのだが──


「ささ、もっと飲みやんせ」

「遠慮せんで」

「は、はい……」


 コップになみなみと注がれた透明な液体を前に、颯斗は引き攣った笑みを浮かべた。もちろんそれは水などではなく、芋焼酎の癖のある香りが鼻を刺す。

 志帆の予言通り、前園家には村の者が集まってきていた。挨拶をするだけして帰った者もいるようだが、とどまって酒宴に加わる者もいる。玄関の扉も庭に続く居間の掃き出し窓も開け放たれて、出入り自由になっている。蚊取り線香の煙がくすぶる庭の方でも、キャンプの時のような椅子とテーブルを出して盛り上がっているようだが、颯斗はどういう訳か主賓らしい。前園家に来た客は、まず颯斗に挨拶に来るのだ。しかも、新しく現れた者は、必ず颯斗に一杯飲ませようとするから怖い。


「焼酎は苦手なんか。情けなか」

「そっちんジュース持って来い


 強いアルコール分と焼酎の香りは、オレンジジュースで相殺できるようなものではないと思う。だから、できればジュースそのままか麦茶をもらいたい。というか、山と並べられた海の幸を堪能させて欲しい。新鮮で脂の乗った刺身に、甘辛い香りを漂わせる煮魚に、アラがたっぷりと入った味噌汁に。酔って味覚が鈍る前に、ゆっくり味わわせて欲しいのだけど。


「もう、今時アルハラは止めてよね! 颯斗さん引いてるでしょー!」


 聞き取りやすい標準語で、年配の男性たちに苦言を呈してくれる志帆の存在が、救いだった。いつの間にか下の名前で呼んでくれているのも、何となくくすぐったい。

 照れ隠しのために颯斗は焼酎を呷り、少しせてから隣にいた前園に尋ねた。


「あの──祖父の法事ってやつは、いつになるんでしょう? お墓はこの島なんですよね? お坊さんも、いらっしゃるんですか……?」

「陸の墓は飾りじゃで。またおいが船を出すど」

「はい……?」


 こともなげに言われて、颯斗は愛想笑いの表情のまま固まった。墓を飾り、だなんて随分と罰当たりなことを言われた気がする。それに、船で法事だなんて聞いたこともない。


「えっと、この島の習慣なんですよね? すみません、父からあんまり聞いてなくて……具体的にはどういう……?」


 多少は飲んだ焼酎のお陰で、そして、微妙に割り切れないことを聞かされ続けた鬱憤も手伝って、颯斗は少し踏み込んだ質問をしてみることにした。


ない、別に大したことじゃなか」


 酒の席のことだからか、前園は気分を害した様子もなく笑っている。豪快に焼酎を飲み干してから、口を拭う。そうして、前園が口を開こうとした、その時だった。


「前園さん」

ないや、雄大ゆうだいか」


 掃き出し窓のすぐ外に、颯斗と同じくらいの歳頃の青年が立っていた。日に灼けた肌の色は、それでも漁師たちほどの黒さではない。ひと言だけ聞いた言葉も、志帆のように標準語に聞こえた。同年代の同性の登場に、けれど颯斗は安心することはできない。雄大と呼ばれた青年の顔色は、明らかに青褪めて引き攣っていた。


「坂元さんのお孫さん、来てるんですよね。俺、挨拶に行こうって拓海たくみと言ってたんだけど、あいつ、家にいなくて……」


 いつの間にか、辺りは静かになっていた。呑んで騒いでいた島民たちが、口を噤んで成り行きを見守っている。彼らの顔もまた、何かを恐れているように見えてならなかった。


 静寂の中、雄大という青年の震えた声だけが、響く。


「拓海のやつ、んじゃ……!」

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