ある時私は、ふと自分が今書いているものが、自分のものでないように感じられた。誰かが私を使って書いているもののように感じた。執筆活動を行う者というのははじめから全て頭で考えてから書き始めるタイプと直感を頼りに筆の赴くままに書くタイプがいるというが、私の場合は後者だった。今書いているのは、別世界のファンタジーであり、主人公は不思議な夢を書き留めるというところから話が始まる。私自身、物語がどこに向かおうとしているのか分からない。まるで作中の人間が勝手に物語を進め、それをレポートのように書き写すかのような感覚が私にはあった。それだけではない、私自身が誰かに見られているかのような、そんな視線を最近になって感じ始めていた。

 ばかばかしい。そんな言葉を自分に吐き捨てて、私は考えていたアイデアを小説へと組み込んでいった。これは紛れもなく自分の書いたものである。そういった意識がアイデアを生み出し文章の海へと放り込んでいく。例のごとく、私はキリのいいところまで書き終えると仕事場へと向かった。

 後輩は相も変わらず黙々と仕事をしてはいたが、時々遠くを見たかと思ったらうつむいたまま表情を変えないで座り込んだり、拾ったキーホルダーを興味なさげにぼーっと眺めたかと思いきやそれをゴミ袋に放り込んだりを続けていた。いつもこんな感じだろうと言われればこんな感じなのだが、今日は一段と話しかけづらさを増していた。今朝のニュースのせいかもしれないと私は思った。

 今日のニュースは国内各地で起きた銃の乱射事件についてだった。私はそれとなく彼にその話を聞いてみた。

「最近物騒なことが多くてまいっちゃうよな。昨日も銃の乱射事件あったらしいしな」

「いきなりどうしたんですか」

 私の気遣いにも関わらず、彼の反応は冷ややかだった。私は、それを気に留めることもせず話を続けた。

「いや、まぁ、物騒じゃないか」

「はぁ、そうですけど、なんで急に?」

「なんとなく」

 私は彼の疑問には答えないでいた。

「……まぁでも仕方ないんじゃないですか。あんなもん売ってるのが悪いでしょ」

 随分と身も蓋もないことを言うものだと思った。私は若干呆れながらも、彼の言うことに一度頷いてから答えた。

「そりゃ誰だって銃は無くなって欲しいと思っているよ。でも、現実に銃はなくならない。だからどうすべきかが重要なんだろ」

 私がそう言うと彼は、少し黙った。そして少しひっかかる部分があったのかまた疑問を口にした。

「ちなみにどうすべきだと思うんですか」

「いや、分からないけど、善人も銃をもって対抗すればいいんじゃないかな」

 私は相槌のような定型文を口にした。しかしこれはそれ以外に対策のないことだった。

「ふぅん」

「善人が銃をもっとうまく扱えればいい。悪人が銃を撃つより早く悪人を撃てばいいんだ。俺たちだっていざという時は銃を撃たなきゃなんないし」

 と言って、私は自分のホルスターに顔を向けて目線で示した。

「はぁ、でも向こうはちゃんと殺す準備して撃ってくるわけでしょ。それに対してこっちは事前準備なしで即座に撃ち返せなきゃいけないんで、不利でしょ」

「でも、銃の扱いがうまい人はいるよ。俺の知り合いだってそうだし」

 私は反応に困って、とりあえずそう言った。

「みんな息苦しいって感じてるんだから合意書なりなんなり作って規制した方がいいんじゃないですか」

「そりゃできないよお前、だってそれって政府に銃を規制させるってことだろう。だいたい、悪い奴はそれでも隠し持つに決まってる。結局善人から銃を取り上げるだけに終わるよ」

「うーん、そうですね」

 彼は、ははっと軽く笑って流した後に

「売り始めたのがそもそも間違いかもしれませんね」

 と言った。

「それじゃあお前、銃の販売業者が潰れちゃうよ。人の食い扶持を奪うのは良くない。それに物は結局使いようさ。包丁だって人を殺せるが、包丁は規制されてないだろう」

 私は至極まともに反論した。これに対して彼は、はぁとかまぁとか言ってから消え入るような声で「包丁は家具なんで」と付け足した。

「ところで小説の方はどうなんですか?」

 しばらくしたのちに、また彼は小説の話を聞いてきた。彼はささくれ立った爪の先端が気になるのか、もう一方の親指でそれをカリカリとこすっている。世間話のつもりなのかもしれない。私は特に隠す理由もなかったので、今書いてる小説の内容をしゃべり始めた。

「幸福だとなんか困るんですか?」

 彼は私の小説のあらすじを一通り聞いてそう言ってきた。特に深い考えがあるわけではなさそうだった。私はそれが個人の自由の結果としてならいいが、誰かに管理されるという方法をとるのはおかしいと反論した。

「だって嫌だろう。なんであれ他人に管理されるのは」

 私がそう言うと彼はふうんという声というかため息のような音を出した。私は何度か横を見やったが、彼からは特に反論も同意もなさそうだったので、演説のように続けた。

「苦しみを減らすためだろうがなんだろうが、だめなことはだめだよ」

 私がそう言うと彼も「そういうもんですか」と言うものだから「そういうもんだよ」と私も返した。

 その日の仕事を終えると私はいつも通り、帰ってから小説の続きを書き始めた。しかし、そのころから私は書くということが良く分からないものになっていく感覚があった。何度読み直しても、それはまるで私ではなく、他人の言葉であるように感じた。いやしかし、それは過去の私の書いた文字であり、今の私でもなければ、過去の私そのものですらないのだった。人が思い通りに、過不足なく人に情報を伝えるのが不可能なように、書かれた文字に私そのものが現れるわけではない。


 私は自分で書いた小説の内容に不満を持ち始めていた。それはまるで、何か私に侵入してくる異物のような世界を描き始めた。私自身の中で反論の声がこだまするように、反響していく。それでも私が、書くことをやめなかったのは、そうした声の反響を楽しみ始めていたのかもしれない。いや、楽しかったわけではないのだ。それは楽しんでいるように見えても、いや、見えるわけでもないが、それは困難なことだった。しかし、それは何かに駆り立てられるように私を焦らせた。それは必要なことだった。そういう風に感じられた。そこに何か答えがあるから? いや、そうじゃない。答えがないとしてもそれは必要だったのだ。ではなぜ。

 私は彼を待っていた。外では小鳥たちがさえずっている。私は風の騒めきと、時折風が窓枠を揺らす音を聞きながら彼を待った。彼がやってくるのはいつも決まってこの時間なのだった。それは決められたカリキュラムだった。

 トントンというノック。彼がやってきたのだと思い私は体をそのままに、顔だけを入り口に向けた。正面で待ち構えているというのは向こうにとっても緊張を強いるものだ。だからこうしていつも、身体は半身にして彼を待っている。

 彼は挨拶して入ってくる。私は彼を座らせていつも通り、雑談を始めた。

「小説どんな感じすか」

「ぽつぽつ書いてるよ」

 私は自分のこれまで書いたあらすじを彼に説明した。彼はそのあらすじに、というか、その世界に幾分か興味を惹かれたようだった。そして一言「自由がある世界ですね」と言った。「でも、何も保証されない世界だ」と言って笑ったが、彼はそれに対しては何も言わなかった。

「まだ答えは見つかりませんか」

 私がそう聞くと、彼は「そんなのみつかるわけありません」と何かを諦めたように言った。私は禿げますつもりで「私たちはあなたにふさわしい答えを用意できると思いますが」と言ってみたが、それにも彼は黙っていた。

 その後はしばらく別の話題を試そうと、最近は何をしているのかといった話をしていたら、彼が急に「一つ聞いてもいいですか」と言ってきた。私は「どうぞ」と言ったが、彼はなかなか質問を言ってこなかった。

「どうしたんです? 聞きたいことがあるんでしょう」

「ちゃんと答えてくれますか」

 彼はどこか不安そうにこちらに目を向けた。

「答えられることなら」

 私は頷いた。

「じゃあ、まずここがどこなのか教えてください」

 彼はそう言ったが、私はすでにそれを彼に説明していた。もちろん、職務上の守秘義務があったが、この施設については私さえ詳しく知らされていなかった。ここは大きな鉄製の囲いで覆われたゲート内施設だった。彼はおそらくもっと詳しいことを聞きたかったのかもしれない。私は職務規定で定められた通り、「リラクゼーション施設のようなものです」とだけ答えた。彼はそれをはぐらかされていると感じたのか

「こっちは、なんで連れてこられたかも分からないのに」

 といら立ちをあらわにした。

「それは、貴方の人生に最適化が必要だと判断されたからです」

「いや、こっちにも選択させてくださいよ」

「自由に選べるなら貴方は来たんですか?」

 私がそう聞くと彼は何も言わず黙りこくった。

 ここは、国立の医療施設だった。人生を効率的に生きていないと判断された人間を連れてきて、最適化プログラムを受けさせるというものだ。手厚い医療保障付きの再教育機関といったところだろうか。連れてこられた人々は仮の住居に住むことになる。施設内には広大な公園やあらゆる娯楽施設が存在している。小さな温室や庭園のようなものもあるし、繁華街を再現した区画さえある。しかし、それ以上のことは知らない。知る必要がないからだった。私はそれを知ろうとは思わなかった。それは私にとって日常であり、当たり前のことだった。

 シミュレーション施設でのさまざまなシミュレーションを通して、最適な人生プランを作成する。より効率的に、よい人生を、より多くの人へ配布するために最も重要な施設だった。重苦しい入院病棟でもなければ、監獄でもない。ここは快適な生活のためにある。

「人間を適正化するための施設です。事実あなたの欲望は最適化されていない。どんなに異常な欲望を持つことは可能です。それをより効率的に、合法的に発露させるのが我々の役割なのです。ですが、あなたにはそのような欲望の兆候は見られません」

 私は、施設の存在意義について彼へ説明を試みた。だが、彼は依然として不服そうに声を荒げた。

「人の欲望は機械じゃ測れませんよ」

「測れますよ」

 私は笑って少し間をあけてから「時代は変わりました」と付け加えた。もはや、依存症の治療さえ可能な時代だ。コントロールの効かない欲望なんて存在しない。それが結局ニューロンのやり取りでしかない以上、それは数値に置き換えられ、合理的に作成したり削除したりできる。

「そうやって人間を実験動物みたいに扱って」

「かつての実験動物はより良い人間社会のために存在していたんですから、我々とは違いますよ」

「結局、幸福なだけだろ。実験動物だよ、形容詞はなんでもいい」

 私は驚いていた。なぜ、彼の話を聞かずに反論なんてガラにもないことをしているのだろう。私は彼の話を黙って聞くべきだったのだ。でもそれが出来なかった。なぜそれができないのか。まるで私が彼の話に応答する意味を認めているようではないか。

「違いますよ」

「小説書いてんだろ?」

「そうですね」

「じゃあいちいち楽しいとか考えるわけ?」

「きっとそうだね」

「じゃあ主人公はなんで書くんですか」

「それは、分からないけど、たぶんその世界に対する無意識の違和感とかそうしたものを書きとめようとした時にそれが物語になるんだと思うよ」

 私はここまで言って沈黙した。彼もそんな私を見てまた黙りこくった。

「私は自分の仕事に誇りを持っている。それにこの世界は私が書いている物語の世界よりも幸福だ」

 気が付けば私は、彼に何も言われていないにもかからわずそう答えていた。一体何にそう答えたのか分からないまま、とにかく何かに答えなければならない気がしてそう答えた。

「いいかい? 物語というのは人に安心を与えるためのものだ。そして物語世界が過酷でファンタジーであれば、我々は我々の住んでいる世界の平和と安全を確信することができる。あんな世界にならなくてよかったとね」

 私は興奮気味で喋った。私は何をムキになって答えているのだろうか。自分でもバカバカしいことだと感じた。だが、反論せずにはいられなかった。それは自分でも所在不明な感情に突き動かされるようにして書いていることだということを薄々感じていたからかもしれなかった。私は私自身だんだん自分が書いているものが分からなくなった。この物語は本当に私の中から生まれたのだろうか。ふとそう感じた。この欲望は本当に私の欲望なのだろうか。私はふと自分が書くものが怖くなった。私が不安に駆られているからか、小説の主人公も同様の不安な姿を現してくる。

 何を考えているのだ。これは紛れもなく私が書いたものだ。私が書いているのだ。しかしそう思いながら書いている自分の文章を読むとその文章が頭の思考に侵入してくるような感覚を起こし始めた。

 もちろんこんな主人公にはふさわしい結末があるべきだ。それを書くのは私なのだ。誰でもない。私が彼の結末を決定するのだ。


 今日の仕事は、眠らない繁華街での回収業だった。

 同意書はある。この同意書がなければ、法的に合法な処理にならない。それがどのような状況で書かれたものなのかは想像がつかない。そんなことは問題にならない。もう誰も問題にしなくなった。いや、もとより、そんな想像力を働かせても無駄なのだから仕方ない。我々は仕事をこなすだけだった。全ての哀れみも同情も無駄だ。そんな共感はいらない。繁華街中の回収を行っていく。私も後輩も、今日は何も語らなかった。まったく面倒だった。中には売れなそうなくらいに破損がひどいものまであった。外だけならまだしも、中までぼろぼろなのだろう。それはもはやかつての様子さえ想像できない。だが、完全に動かなくても需要はある。そんなものだった。外見がぼろぼろになったそれを回収していく。こういうのは正直わりにわりに合わない仕事だ。回収作業の間後輩はじっとそれを眺めながら、作業を続けた。

 後輩は、沈黙を続けていた。

「うちの会社は寄付金も多く頂いてるんだ」

 私は後輩に向かってふとそんなことを口にした。彼はキョトンとした表情で一回こっちを見た。訝しむ様子もなく、僅かな気力も惜しむように彼はまた作業に戻った。

「寄付金貰ってるから偉いってわけじゃないと言う人もいるかもしれないが、それでも私たちは必要とされてる」

 私がそこまで言うと、彼は一瞬びくっと反応して再び手を動かして運び始めた。手順に従って台車に乗せていく。そして、手を動かしながらぼそっと「誰もやりたがらないからですよ」とだけ口にした。

 私は想像しないようにしていた。それはこの世界に適応した結果だった。だから今まで変だと考えるのは辞めていた。自分もそうなるかもしれないという想像は確かに背筋を寒くしたが、だからと言って私一人が何かをやったところで無意味だった。それに、どうせゴミになるだけなら、有効に活用した方がいいに決まっている。

「みんな早く片付けたがるんですよ。視界から消えてほしいから」

 そんな言葉が聞こえた気がした。一瞬後輩が言ったのかとそちらの方を見たが、彼は相変わらずだらだらと運搬作業を続けるだけだった。もしかしたら彼が言ったのかもしれなかったが、私は彼に声をかけてそれを確かめようと思えなかった。それほどまでに私は疲労を感じていた。仕事が重労働だからではなかった。それは私がこの世界に対して疑問を抱き始めたからだろうか。何をバカな。私は何にも失望もしていない。何も説得などされていない。私はただ書いて読んだだけなのだ。それだけのはずだ。

「いや、自分でももう物語がどちらの方向にいくのかわからなくなってきたんだ。登場人物が勝手にしゃべり始める感じというかさ」

 仕事が一通り片付くと、私は思わず後輩にそう言っていた。彼は「そうですか」とそっけなく答えるだけで踏み込んで聞いてくれはしなかった。当然だ。でも私は「まぁ、聞いてくれよ」と自嘲気味に笑って彼に話を続けた。

「登場人物が自分勝手にしゃべる感じがしてさ」

「才能あるんじゃないですか」

「適当だな」

 間髪入れずそう言われてしまったので、私は笑って胡麻化した。

「案外自分たちの幸福を信じて疑わない人間を書こうとしたらそうなるのかもしれないな」

 私がぼやくように言うと、彼は一瞬疑問符が飛び出してきそうな表情に固まって

「それは自分たちもそうじゃないですか」

 と言った。私ははっとさせられた。いや、それもおかしな話だ。そうした発想はもとよりなかったし、思ったこともなかった。それがなぜ今になって急に思い出されたかのように、まるで思い当たる節があるように感じるのだろうか。

「幸福よりも自由の方が重要だよ」

 私は戸惑いのあまり笑顔を引きつらせながらそう答えるしかなかった。

「それ何の為の自由なんですか」

「君、仕事のしすぎじゃないのか」

 私はそれ以上の会話を望まなかった。それは私の中に、自由とは何かという一つの、抱くべき疑問をそのまま掘り出してしまいそうになった。

 帰宅すると私は現行用紙を取り出して、そこに文字を書き込んでいった。しかし、文字を書く手はすぐに止まってしまった。ふと、自由について、普段私たちが当たり前に享受しているそれについて思考が向かっていた。

 私たちが求める自由とはなんだろうか。そして、私たちは自由なのだろうか。

 そう思った時から、私は書こうと思っていた小説の結末に対して不安を抱くようになった。私は果たして、それを本当に決定できるのだろうか。いや、それは私が決定することだ。他に誰がいる? 他の誰でもない私が書くのだ。私は自分にそう言い聞かせて再び筆を執った。


 ある日突然、私はメールで彼との面談が途中で終了となったことを知った。そこには今までの勤務に対する感謝の言葉と、彼が別の施設へと移動となったことを知った。私は詳しくは知らないが、この国には人生の最適化に応じなかった人間だけが向かう特別な施設があると聞いたことがある。もしかすると彼はそこに行ったのかもしれないと私は思った。私はそれを確かめるために施設の職員に彼の行き先を聞いてみたが、どの職員も「さぁ」とか「外科的な施術が必要と判断されたのかもしれません」とか、そんなことを言うばかりで何も分からなかった。

 この国の人間は幸福だ。全ての人間の人生は最適化される。最適化された人生は快適そのものである。個人の欲望も全体のバランスから調整されデザインされる。事前に聴取された本人の希望に沿うように、依存症にならない程度の適度で安全な欲望にデザインされる。そして、脳のインプラントによってデザインする。

 では、最適化を受け入れられない人間はどこに行くのだろうか。私は今までそれを不思議に感じたことはなかった。なぜなら、私はそのような欲望が自分に必要だと思えなかったからだ。では、私はなぜ今こんなにも彼の行く先が気になっているのだろうか。私が彼に共感していたからか? 私は常に患者に共感しすぎることがないように注意してきた。彼の言っていることも未だに理解していない。では、どうして私は今こんなにも動揺しているのだろうか。

 私はふと自分が書いている小説がそうなのではないかと考えた。そこに登場した人物は私が書いてものでありながら、私とは異なった考えを持った人間たちだった。

「物語とは、変化だ」

 だから、私が描く主人公が私の知らない人物であっても問題はない。変化は外側からしか分からない。自分自身の変化に自分で気が付く時、今の自分は過去の自分にとって外側にいるのだ。だから寧ろ小説の「私」は私であってはならない。だから、私の考えと違うことを述べていようが私にとって不愉快な存在であろうが問題はない。

 私はこの男に同意しない。第一人間を自由にしたら何をしでかすか分かったものではない。それこそ、社会が、人間尊厳そのものが脅かされてしまう。人身売買も、人殺しさえ自由の名のもとに正当化されてしまうかもしれない。それを誰が止めることができるだろうか。銃の乱射事件に対する反論はバカげていやしないか。悪人の殺人を止めるためにには善人にも同じ暴力を与えればいいというような発想では結局犠牲は増える一方だ。そんなことは事態の根本的な解決にはならない。そんな不安な世界を生きたいと本気で思えるのか。安全のために人を殺す自由を犠牲にすることの何が悪いというのだ。何もかもが制御された世界で、自由など感じられないと言うかもしれないが、誰も幸福にならない自由に意味などあるのだろうか、あるいは、自由こそ幸福の源泉だという主張かもしれない。だが、仮に幸福の手段がほかにあると知ったら、君は自由を放棄すると言うだろうか。自由こそが人間尊厳の源泉だといいたげな人間も、その事由によってまさに人間の尊厳が打ち砕かれる場面に遭遇したとすれば同じことを言えるだろうか。人間の欲望はどこに向かうか分からない。それが自由を犠牲にしていると言われるかもしれない。だが、尊厳を犠牲にして行われる自由など意味がないとは思わないのか。

 私はそこまで考えて、果たしてこの小説を読んだ人間は同じことを思うだろうかと考えた。もしかしたら私が思ったようには読まれないかもしれない。それは当然のことであったが、妙な居心地の悪さを感じた。私はその居心地の悪さを忘れるために、自分の書いた小説に対して、あるいは誰かそれを読む人間に対して、あるいはそのどちらでもないかもしれないが、独り言を言った。

「お前はバカな主人公だよ。お前はやがて気が付く。私がふさわしい結末を描く」

 私は自分で書いた小説の主人公に、この不愉快な男にふさわしい、それでいて自然な物語の結末を考えていた。

 それから数日ののちに私は引っ越した。勤務地が変わるため、もう少しでここを出なければならないからだった。引っ越し先はすでに指定されていた。引っ越し作業は一日では終わりそうになかった。荷物をほどき適当に並べると外はすでに暗くなっていた。暗くなった部屋を改めて眺めると、その部屋は特に特徴もない部屋だった。ただ、特徴がなににも関わらず妙な居心地の悪さだけは感じていた。

 深夜になっても片付けが終わらなかった。どの荷物をどこに収納するべきか私には分からなかったからだ。行き詰った私は、なんとなく見せる相手のいなくなった自分の物語を自分で読み始めていた。物語はすでに途中まで私自身によって、読まれていた。休憩をはさみ、物語を読むことを再開する。それはすでに残すところあとわずかであった。私はついに、自分がひょっとするとすでに夢の中にいるのではないかと思い始めた。書いた物語を自分で読む夢。私は不思議な浮遊感に身をゆだね始めていた。夢か現実か、その境界をさ迷いながら私は眠い目をこすりながら、再び物語の世界へ没入することにした。


 つい先日、後輩が仕事を辞めた。

 何か不満があったのかと聞いても、彼は「いい経験でした」としか言わなかった。ただ彼は最後に「人間らしさってなんでしょうね」と言い残して去っていった。私にはそれがどういう意味なのかよく分からなかった。ただ、いつもなら気にしないはずのその言葉が、その日一日私の耳元に張り付いたように取れなかった。

 私は清潔な院内を案内されながらぼーっと何かを考えていた。

「ここにありますので、あとはそのまま運んじゃってください」

「そのままのやつは」

「それは隣の部屋に安置されてます。それも運んでしまって結構です」

「分かりました」

 業務上に必要な会話だけを済ませて、私は淡々と作業をこなした。彼ならこれを見てどう思うだろうか。私は業務をこなしながら、ふと人間について考えていた。この国には幅広い自由が認められている。最大限の自由が認められているのだ。あらゆる規制も法も最小限にとどめられた世界。誰に決められたわけでもない。人々が自分たちの意思で人生を営む。人々の営みが社会と相互関係を作り出す。純粋な自由と意思決定によって人が幸福になる世界だ。

 だが、もしその自由によってまさに誰かの豊かさが損なわれているとしたらどうだろう。それは問題にはならない。直接的な暴力でない限り、それが人の自由意志の総計によるものである限り問題にはならないはずだ。だが、自由とはなんだろう。もしある人の前に常に望まぬ選択肢しか現れなかったとしたらその人間は真の意味で自由だと言えるのだろうか。病気によって、貧しさによって、あるいは差別によって、ほかの人間が当然のように選べている選択肢がその人間の前に現れないとしたらその人間は本当に自由だと言えるのだろうか。いや、そんなことは問題にはならないはずだ。

 私はそう自分に、あるいは誰かに言い聞かせるようにして、仕事を続けた。

 私はついに私が運んでいるものについて、長らく考えないようにしていたそのものについて見つめた。我々が廃品、あるいはリサイクル品と呼んでいるもの、それはかつて人間だったものだ。例えば、臓器は臓器市場に売られて誰かの命のために再利用されるのだ。人は様々な理由で臓器を売る。お金のために、あるいは誰かに、家族にそう指示されて自らの体を差し出す。身寄りのない子供たちを集めて、臓器を売らせたり、あるいは誰かに奴隷として買われるよう指示したりする団体も存在する。だがそれらはすべて各自の自由意思によって生まれた結果だ。全てが同意のもと行われる。われわれが自宅を訪問した時、私たちはちゃんと契約に基づいて子供たちを買い取りそれを団体に売る。路上で死んだホームレスを人の目につかないように排除するのも我々の仕事だった。病院で生まれた死体にも買い取り手がいる以上、我々はそれを回収し、それを売る。世の中には不思議な趣味もあるもので、死体愛好家のような人々が少数ながら存在しており、そんな人間には保存処理のされた死体が高く売れたりするのである。それは人間とはなにかということについて我々に問いを投げているのだろうか。

 私は仕事を終えて家に帰ると、もう後輩にネタを話すこともないであろう小説をぼーっと眺めた。私は私の書く主人公と考えを異にする。それは当たり前だった。私は小説の中の「私」ではないのだから、小説の中の「私」は私とは別の自由意志によって動いている。そして私は、自由な一個人として小説の「私」を書いているのだ。だから、私が小説の中の「私」に対して批判的でかつ反感を抱いていても不思議でないのだろう。

 私には幸福のための自由という概念が嫌いだった。与えられただけの自由が自由なわけないだろう。自由は誰かに与えられ保証されるものではなく、個々人が解放されることで体現されるものの総称ではないか。それは人間賛美の原初的姿だ。自由の体現までに生まれる犠牲もあるだろう、生まれる悪もあるだろう。だが、それがなんだというのだ。あなたは嫌悪するかもしれない。それはあなたの自由において、あなたには自由から生れ出たあらゆる結果を嫌悪する権利がある。だが、同時にそれを嫌悪しない自由だってありえるのだ。何人たりとも強制されてはならない。第一、私にどうしろと言うのだ。私に一体何が出来ただろうか。こんなのは言い訳に過ぎないと思うだろうか。でも、人が自由を歩んだ結果こうなったのだから、個々人はそれに適応して生きるしかないではないか。これが変な考えだと思うか。自由であること、自由であることを保証されることは人間の生活、幸福の根源だ。あぁ、たしかにそれは人間に悪を許してしまうだろう。自由によって悪を望む人間もいることだろう。自由は我々に安心を与えてはくれないだろう。だが、同時に私たちは自由によってその悪を阻止することができうる。幸福のない自由に意味はないのだろうか。では、誰からか決められた善行を、ただ言われた通りにこなすことに一体どれほどの価値があるだろうか。誰に言われるわけでもなく、誰に決められたわけでもない、自分自身が、我々が自由によって選んだ行為によって行われる善行の方が何倍も価値がある。それは幸福も同様だ。誰からか決められただけの与えられただけの幸福を享受するだけの人間は、たとえその尊厳を守られていても、すでにその内実は瓦解し始めているのだ。

 私はそこまで考えてふとある不安に憑りつかれた。私が自由に物語を書くように、また物語も自由に読まれてしまうのだ。私はこれが、いや、それはあり得ないが、もしかすると私の描く世界を反面教師としてではなく、本当の意味で臨む人間がいるのかもしれないと考えた。私には、あの後輩のそっけない態度を思い出していた。彼はひょっとすると、いや、どうだろうか。そもそも、彼の言うことにどうして私は動揺せねばならないのだ。私はそこまでの思考を自分から追い出すように、いやそれは追い出せないが、首を振った。

 私は原稿用紙を取り出して、それを読むことにした。そして、最後の結末に何を書くべきかを考え始めた。ふさわしい結末があると言った。では、そのふさわしい結末とやらはどこに向かうべきなのだろうか。我々はどこに向かうべきだろうか。そんなことを考えていると日々は刻刻と過ぎ去っていった。

 私は今まで社宅で寝泊まりをしていたのだが、ある時その社宅を出て、自分で部屋を借りなければならなくなった。私は、手続きを済ませて、最低限の荷物とともに長年寝泊まりした社宅を去った。私が選んだのは何の変哲もないマンションの一室だった。引っ越しのその日に、その部屋に入れる家具を手配して配置した。そうこうしているうちに、いつしか深夜になっていた。私は体調不良を理由にしばらく休暇を取っていたため、もう一度自分の書いたものを読み直し始めた。夜も更けてきて、いつしかそれを読み終えたかも分からないあたりで、私は再び泥のように深い眠りにいざなわれた。


 ◇◆◇◆描かれたディストピア◇◆◇◆


 再び目を覚ますと、私は見覚えのない部屋にいた。見覚えのない部屋だというのに、私は慌てていなかった。慌てる思考ごと頭が麻痺しているかのようだった。随分と長く眠っていたせいだろうか、私は「慌てなくては」と思ってから実際に体を動かすまで、ゆっくりと伸びをしたり、再びベッドに体を預けていた。時々目を瞑っては、窓からの日差しに瞼の奥を刺激され、目を開ける。身体が思うように動かない。私は今まで不思議な夢を見ていたような気がした。長い夢の中にいたような感覚が私に憑りついていた。その夢では私は自分の小説の主人公だった。私は何度もその夢を見ていた気がする。そして、夢への没入と覚醒を何度か繰り返しているうちに私は今自分が小説の世界と現実の世界のどちらにいるのか判然としなくなっていった。

 そういえば、私は住む場所を変えたのだった。見慣れないと感じていた理由は、私がまだこの部屋に慣れていないからだ。いや、果たしてそうだろうか。それだけだろうか。確かに私は新たな住居のことをそれほど気に留めていなかった。それでも見覚えがないということはあるのだろうか。しかし、私は自分が新たに選んだ住居がどのような場所だったか覚えていなかった。もしかしたらこんな感じだったかもしれないとも思った。いや、ひょっとすると、私は今もまだ夢の中にいるのかもしれない。ふとそういう考えがよぎった。

 私は自分が書いた小説を読み始めた。そこになにか手掛かりがあるように気がしたからだ。それはすでに完成されていたが、この物語にはもっとふさわしい結末があるように思えた。であるなら、我々はどこに向かうべきだろうか。

 私は小説を読みながら、まるで自分のいる世界がひどく歪で現実感のないものに思えてきた。私はそれから、自分が書いてきた小説に自分の身の回りで起きたできごとを書き始めた。私は私自身の体験を書きながら、読みながら、時々作り替えながら今まで書いた小説の世界と交互に配置した。

 そして私は最後に自分が書き足した物語の結末を読み始めた。

 私はかつてふさわしい結末を用意すると言ったがこれがその結末なのだろうか。しかし、これが結末だというのなら、それは私が書いた結末だろう。しかし、そんな結末を書いてみたところで、果たしてどちらが本物かなんてことは分からなかった。どちらが真実なのだろうか。どちらも作り物だとあなたは言うかもしれない。読まれる物語がある以上、そこには作者の意図があり、虚偽の世界でしかないと。でもそういうことではない。所詮は物語など虚偽でしかないのだから、そこには現実などないということもできるだろう。だが人は読むのだし、あるいは、書くのだろう。虚偽の中に真実などないと、物語に意味などないと言う人もいるかもしれない。しかし、そんなことは百も承知で、我々は物語り、それを読む。そして、たとえ書き手であっても、自分が書いたものを読むことは避けることができないでいる。今、私はこれを書いて、読んでいる。書き手は、常に書きながら読まなければならない。私は書きながら、書かれながら、これを読んでいる。

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描かれたディストピア 早稲田暴力会 @wasebou

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