extinction
まゆし
エクスティンクション
描きかけのカンバスを抱えて、インターホンを押す。僕は今日からシェアハウスで生活することになった。
このシェアハウスには、女の人が二人住んでいた。一人は短めの黒髪をさらさらさせた気さくな感じの女の人。もう一人は肩下まである明るい金に近い茶色の髪をふわふわさせて、髪と同じくらいふわふわした話し方で、僕を出迎えてくれた。
正直、女性二人のシェアハウスに、男の僕が一緒に住んで良いのか迷った。今までも女性二人だけで住んでいたようだし、僕以外に女性も男性も今の所、住居希望者はいないと聞いた。僕は案内されたリビングで縮こまる。
「細かいことは気にしないで平気だよ〜部屋に鍵もあるし。色々、壁に掛けてあるホワイトボードとか活用してキッチンとか洗面所とかお風呂のタイミングとかは、声掛け合っていけば大丈夫だよ〜」
茶色の髪をふわふわさせて、これまたふわふわと楽観的に僕に話しかけた。だけど、にこりと笑った時、黒に青色が混じった瞳が無理に細められ作りモノの笑顔のように感じた。
「まぁ。テキトーにやってよ。多分、アタシとは生活スタイルが合わないと思うからサァ!迷ったらアイツに聞けば良いから、気楽にいこうぜ〜♪んじゃ、これからよろしく!」
黒髪の女の人は、僕の方を見てニッと満面の笑顔を見せた。何の違和感もない。今しがた発言した「アイツ」とはふわふわした話し方の女性だとジェスチャーで伝える。そして僕の肩をポンと叩いてアクビをしながら自室に戻っていった。するとすぐに、上着を着てカバンを持ってリビングにやってきて、そのまま「行ってくるわ〜!」と外に出て行った。時間は午後二時。
「あ、彼女はねぇ。夜勤が多いの。だから私達とは少し生活スタイルが違うかなぁ……でも、私は早朝に起きて早く寝るし。昼間も起きてる時間は少なめかもしれない〜」そう言った彼女は、無職なんだろうか?
「あの……お仕事はしてないんですか?」
反射的に聞いてしまった。
「え……」
彼女は僕をじっと見つめて、口を開いた。何も聞こえない。
一時停止。
なんだか、僕はずっと「そうなんですね」「はい、わかりました」とロボットのような返事しかできなかったけれど、シェアハウスを出て行こうとは思わなかった。第一印象で、この二人の不思議な雰囲気が気に入ったんだ。
一人暮らしとしようとしていたものの、大学の近くに僕が求めた条件の物件がなくて、このシェアハウスを見つけた。荷物の整理を軽く済ませるともうすっかり日が暮れている。自室から出てリビングに向かうと、隣接したキッチンで茶色い髪をポニーテールにして料理をしている彼女に緊張しながら尋ねた。
「あの……お二人をなんと呼べば良いんでしょうか?」
名前を聞いていなかったことを思い出したからだ。
「え……」
彼女は手を止めた。僕をじっと見つめて、口を開いたけれど何も聞こえない。
一時停止。
「あ、口に合わなかったかな?足りないかなぁ?一応お米も炊いてあるけど……」と問いかけられる。目の前にあるビーフシチューにバケット。キャロットラペとアボカドのサラダ。テーブル越しに、二人の女性。
「あ、いえ!美味しいです」
「足りなそうなら、後でおにぎり作っておくから食べてね〜」
「ネェ。ビーフシチューまだあるぅ?てか、バケット足りなくね?」
おとなしく食べていたかと思ったが、突然、黒髪の女性がそう言うので。
「わかった〜バケットもう少し切ってくる~。それとビーフシチューおかわりね」
君も足りなかったら声かけてね、と僕に言いながら立ち上がり、茶色の髪をふわふわさせて、彼女はキッチンに行った。
基本的に食事は各自で用意するのだが、黒髪の女性が今日は休みだったから、三人で食事をするようにしてくれたらしい。僕にたくさんの質問を投げかけて「ぶぁははは!」と楽しそうに笑った。神童なんて呼ばれた過去も話したりしたけれど「それで?それで?」などと前のめりになりながらどんどん質問をしてくるので、答えに困ると急かされる。「はーやーくー!」ニヤニヤしながら質問攻めをしてくる女性と、苦笑いする僕の様子を見て、もう一人の女性は「ふふっ」と笑うと口元に手を当てて少し下を向いた。ちょっとした歓迎会はこんな風に過ぎて、自室に戻る前。僕は質問をした。
「あの……お二人はおいくつなんですか?」
この二人の女性の年齢が、見た目から全く予想できなかったからだ。
「え……」
彼女たちは僕をじっと見つめて、どちらかが、口を開いたけれど何も聞こえない。
一時停止。
それからどれぐらいこのシェアハウスで過ごしただろう。新しく入居者も来なかったし、何の不便もなく女性二人と暮らしていた。生活スタイルが微妙にズレていて、共有スペースに居ても一人だったり、ごくたまに三人で食事をして、それぞれが自由に暮らせていた。と、思う。
ある日、僕はリビングのソファーに浅く腰掛け両肘を両膝に置き、顎の下で手を組み目を閉じた。コンクールに出した作品が入賞しますように。入賞さえすれば、僕の人生は絶対に良い方向に向かう道が用意されているハズだから。いや、最優秀賞を取って大きく好転するハズなんだ。このシェアハウスで描きあげた、『断絶の鎌の音』は観た人の心を鷲掴みする渾身の自信作だ。
「あら?お祈りポーズなんかして、どうしたの~?」
買い物袋をぶら下げた彼女は、聞きなれたふわふわした話し方で僕に問いかけた。
「応募した作品が入賞しますようにって……『神頼み』ってのを、してました」
僕は笑いながら答え、声の主を見る。
貼り付けた笑顔で僕を見る瞳が、ギラリと光った。
ヒュウっと強い風を切るような音。
「えっ?」
真っ白い床に、真っ白い天井。広さがわからない程にぐるりと見渡しても壁が見えない。ここはどこだろう。本能的に、僕の生者としての道は、すぐその先に崖がある気がした。
脳裏に真っ先に出てきた彼女たちは笑っている。口元に手をあてて「ふふっ」と笑う、大口を開けて上を向き「ぶぁははは!」と笑う、彼女たちが好きだった。三人で過ごした時間は楽しかった。だけど、やりたいことはたくさんあったし、やり残したこともある。なにより、僕は画家として称賛を浴びて、ゆくゆくは各地で個展も開けるハズと信じていた。特集番組を組まれたり、美術大学の教授になったり、教え子が有名になったり、経歴が物語になったりして。
僕は絶対に自他共に認める才能のある、成功する人間なんだ!もっと幸せを感じる機会があるのは当然だ!僕にはその資格があるハズなのに!僕にはその権利があるハズなのに!僕には才能があるのに!こんなの理不尽じゃないか!
悔し涙が自然と流れる。同時に、涙以上に身体から何かが抜け出ていく感覚。
朦朧とする意識の中、先ほど僕の前を死神が通り過ぎたんだと思った。いや、違う、アレが『断絶の鎌の音』だ。そのまま僕の意識はするりするりと何かに巻き取られたように、緩やかにどこかに絡め取られていった。どうしてこうなった、もう声は出ない。
「ネェ。本当に良かったの?」
「へ?いーのいーの!」
「でも……」
「だって、Yは悪魔だからにゃー!」
有名なカフェのコーヒーを片手に、二人は忽然と消えたシェアハウスの近くの河川敷にいた。Yが立ち上がると同時に艶のある真っ黒い髪をさっとかきあげてから、そのまま頭の後ろで手を組んでニカッと笑う。Mは申し訳なさそうな笑顔を浮かべた。そして、それ以上は何も言うまいと、ゆっくりと立ち上がった。Mは、Yの興味のあるコトが好きだ。Yの発言や行動が何よりも面白いと感じる。YはMの感情や思考を鋭く見抜く。人類の一人に執着はしない。
ふと、Mは振り向いて景色を眺めた。
自然を壊して都会という言い回しで自慢げに人工的な自然に囲まれて生活をして、自然を残した地域で暮らそうとすれば不便だとか田舎となんだかマイナスイメージの言い回しをして。チグハグで無理やり布切れを集めて繋ぎ合わせたみたいな人類の世界。少し子供っぽく口をとがらせて「へんなの」と声に出した。
救いを求めて祈る人類はたくさんいる。だけど大半は、いつもないがしろにするクセに切羽詰まって『神頼み』とやらをする。都合よく使われた感じしかしない。今となっては関係のないことなのに、それでも目の当たりにすると無意識に激しい憤りを感じる。何でも知りたがる人類は、不躾で欲深く傲慢だ。
Yと一緒に過ごしていなければ、こんなトコ興味ないかな……まぁ今は他にするコトもないな。そんなことを考えるとチクチクと背中が痛んだ。茶色い髪が風に吹かれ傾く日の光を浴びて故障した液晶画面に浮かぶノイズのように、橙の景色を金の線でかき乱した。
最後に今まで誰にも見せたことのない表情で舌打ちをした。嫌な気配がする。おそらくYは気が付いていない。どうしようか……
「はーやーくー!置いてくよー」
「待って待って!今行くから~」
「ネェ!次はサ、どんなコトしよっか!?」
「……ふふっ。まかせるよ」
どこからともなく現れた霞を纏ったつむじ風がよぎると二人の姿は忽然と消え、道路に落ちたコーヒーの紙コップが風にあおられてカラカラ……と音を立てた。
「また好き勝手やって……困るんですよね。厄介なモノまで持ち出しされて無駄な仕事が増えましたよ」
ため息混じりに落ちた紙コップを拾い上げて、姿の見えない二人を黒い影が見送る。パタパタとカードをめくり枚数を数えて、今度は大きくため息をついた。間もなくその黒い影も、するりと景色に溶け込み、その姿は誰の目にも映らない。
extinction まゆし @mayu75
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