思い出の五日間
空を撮るのが好きだった。
代わり映えのない日常の中で唯一、移り変わっていたのが空の景色だったからだ。
と言っても、一眼レフなんて持っていなかったから、ただのスマホかデジカメでしか撮ったことは無い。
けれど、最近はもう撮ることを辞めてしまった。
空模様にそこまで変化が現れなくなったとか、最近の異常気象で四季の変化がはっきりとは分からなくなってきたとか、色んな理由が挙げられるが、本音は空の景色にも日常にも飽きてしまったからだ。
何事にもやる気がおきない。
目標なんて定まらないどころか、思い浮かびもしない。
人生に意味なんて無いんじゃないだろうか?
最近はずっとそんなことばかりを考えている。
日々することと言えば、部活とゲーム、多少の勉強くらいだ。毎日同じようなことをするだけ。
ルーティーンのような型に嵌った生活がつまらなかった。
俺は、何か、何か、この日々を吹き飛ばすようなモノを求めていたのだろう。
そんな時だった、俺が彼女と出会ったのは。
◇
眼窩(がんか)に広がる街並み。
はるか下の道路を走る自動車はとても小さく見える。
「こっから落ちたら確実に命を落とすな」
暑さがまだ残る9月の昼下がり、興味本位で近くの丘にある崖の上、その端から景色を見下ろしている時だった。
「何しているんですか?」
不意に後ろから声がして、反射的に振り返ろうとした。
しかし、それがいけなかったのだ。
「あっ」
急に体勢を変えたことでバランスを崩し、身体が崖下へ傾く。
(ヤバい、死ぬ。いや、死んだって別に……)
そんな考えが頭をよぎった時、突然身体が崖下とは反対方向に引っ張られた。
ドスン、と硬い地面の感触を背中で味わいながら、助けられたのだと実感する。
ギリギリまで崖に近づいていたため、あと一歩でも遅かったらそのまま自由落下していただろう。
「あんな危険なところで何をしていたんですか?」
顔を上げるとあまり年齢(とし)の変わらなそうな少女と目が合った。綺麗なセミロングの黒髪が風にそよいでいる。
「ありがとう、助かった。そこにいた理由は……飛び降り自殺するときの景色ってどんなものなのかちょっと気になって」
そう言うと、彼女は驚いたような顔をした。それから、一歩俺の方へ向かってきた。見上げてくる彼女の瞳に、思わず目を反らす。
「自殺、しようと思っているんですか?」
何故か彼女は怒りを滲ませてそう言った。
言葉に怒気(どき)がこもっている。表情も眉間にしわがよって、目が若干鋭くなっている。
想像していた反応とは全くの別物だ。
「いや、まぁ、うん。思っていないと言えば嘘になるな」
それも視野に入れている、と言うべきか。
自殺サイトというものにアクセスしたこともあるし、頭の中で色々と考えたこともある。
この現状に諦観しているのだ。家族はいるが未練なんてものもない。
「どうして?そこまで追い込まれるような環境にいるんですか?」
初対面なはずなのに、彼女はズカズカと踏み込んでくる。
しかし、それが不思議と嫌ではなかった。後から思うにきっとこの時の内心を誰かに聞いて欲しかったんじゃないだろうか。悩みは話した方が楽になるって言うしな。
だから俺は、見ず知らずの彼女の質問にも答えていた。
「生きる理由が分からない。人生がつまらないんだ」
何をやっても長続きしない。単調な日々に飽き飽きする人生だ。
日常に違いを見い出そうにも、何も見い出せない。
彼女は俺の言葉に相槌を打つと、問いかけるように聞いてきた。
「生まれた時からずっと、つまらないままで生きてきたんですか?」
「いや、昔は空の景色の写真を撮るのが好きだったんだ」
「なら……」
「飽きちゃったからね」
彼女の言葉を遮るように、俺はそう言った。
結局、空も日常も同じようなものだ。似たようなモノが日々流れ過ぎていくだけの日々にうんざりした。。
俺にとってそれは、形はあるが中身は感じられない。そんな空虚なモノでしかなかったのだ。
「それで、死を考えたと」
「まぁ、多少飛躍しているけど……」
「でしたら……」
そこで彼女は一回言葉を切った。
彼女は、何かためらうように視線を彷徨わせた後、俯いてしまった。やがて顔を上げた彼女と、再び目が合う。
「私ともう少しだけ、生きてみませんか?」
そう彼女は言った。真っ直ぐに俺を見つめて。
その言葉が、俺の人生を変え始めたんだ。
今ならそう思える。
…
「ところで、あなたの名前は?」
そう言えばまだお互いの名前を知らなかった。思えば、名前も知らない相手に自分のことをこんなにもさらけ出すなんてな。
やはり、内心では人に話を聞いてもらいたかったのかもな。
「睦沢 長生。睦沢市に長く生きるで睦沢長生だ。そっちは?」
「生(い)澄(すみ)。生きるに澄んだ空の澄むで生澄です。自殺未遂をしていたのに名前は長く生きるっておかしな話ですね」
「それは同感だ」
むしろ、両親はこうなることを予期して「末長く生きて」と名付けてたりしてな。
「ところで、睦沢市ってどこにあるのですか?」
「えっ?」
お前それでも千葉県民か?
田園風景で有名な睦沢市だぞ。人口は少ないけどのどかな田舎だ。
◇
あれから彼女とは頻繁に会うようになった。
場所は近くの公園だったり、コンビニの脇、ファミレス、カフェだったりしたが、連絡先を交換してからは、2人の都合さえ合えば集まった。ほとんど毎日集まった。
前までは、放課後と言えば部活と宿題くらいしかやることは浮かばなかったが、最近はそれに加えて生澄との用事もできるようになった。なんだか新鮮な気分だ。
彼女とは色々な話をした、昔のことや趣味、日々の過ごし方など。しかし、彼女は未来の話をしたがらなかった。
それに、俺はあまり彼女自身のことを知らない。彼女が話したがらないので踏み込んだ質問はしていない。
だから自然と、未来の事や彼女の事については話さなくなった。
俺たちの間で多く話題となるのは昔の写真についてだった。この日はあんなことがあったとか、あの日はこんな場所に行ってみたとか、そんな話を彼女は楽しそうに聞いてくれた。
そんなある日、彼女はこう言った。
2人でどこかに写真を撮りにいかないか?と。
今はそこまで写真を撮るのを楽しめなくなってしまったが、生澄となら楽しめるようになるかもしれない。
そんな期待を込めて軽く了承した。
「ところで、どっか行き先に目星はついているのか?」
俺はここら辺のフォトスポットなるものをあまり知らない。
スマホの写真フォルダにあるような写真たちはどこか遠出したときに撮ったものがほとんどだ。
「近くの運動公園にでも行ってみない?紅葉はまだだろうけど、広いから何かはあるはずだよ」
「何かって、適当だな」
「ふふっ、いいからいいから」
運動公園までは自転車でも行ける。
「いつがいい?」
俺に予定なんてものは無いので、彼女の予定に合わせる。
「う~ん、いつでもいいんだけど」
「じゃあ、今週の土曜日にでも行くか」
「うん、分かった」
こうして俺たちは、運動公園に行くことになった。
◇
朝10時、運動公園までの途中で落ち合ってから、現地へたどり着いた。
運動公園といってもそこはたいていが芝生でそこまで遊具も多くない。ただ、距離が測定できるランニングコースが整備されているので、そこを走るランナーの姿が多く窺えた。
「わぉ、結構人がいますね」
「まぁ、休日だしな。親子連れとかが多くいるんじゃないか」
空も晴れていて日差しが心地良い、天気は好調だ。
生澄が言った通り、まだ木々の葉は青かった。それでも彼岸花のような花は咲いていたので被写体には困らないだろう。それに、本人に言うのは恥ずかしいが、生澄が一番被写体に向いてそうだ。あの自然な笑みは絵になる。
「早く行きましょうー!」
入口で突っ立っていた俺を他所に先に進んでいた生澄が声をかけてくる。
彼女の要望に応えて、俺も公園内へと入っていった。
……
結論から言うと、疲れた。
途中からは、写真を撮るのを一旦やめて、遊具で遊び始めた生澄に付き合わされた。
正午過ぎにはコンビニで買った昼食をとり、その後は再度写真を撮った。
散々遊びまわった俺は日暮れごろには空腹と疲労困憊で動けなくなっていた。
今は公園にあるベンチで休憩中。
「疲れた」
「けっこう動きましたからね」
少し前から休憩していたとはいえ、生澄もたくさん遊んだので疲れているはずだが、彼女はそんな素振りを見せない笑顔で足を伸ばしてくつろいでいる。
だいぶ大変だったが、久しぶりに楽しかった。
今日撮った写真を見返してみると、ほとんどに生澄が写っている。
今までにはなかった変化だ。自殺しようかと思っていた奴には思えないほど、彼女に影響を受けたのだろう。
「今日は楽しかったよ」
「それならばよかったです。やっぱり長生さんは写真を撮るのが好きなのですね」
写真を撮るのが好きと言うよりかは、被写体が綺麗だったから撮る意欲があったと言うべきだが、そんな恥ずかしいこと言えるわけがない。
「そうかな?」
だから俺は適当な言葉ではぐらかしたのだった。
◇
その後もほとんど毎日、彼女と色々なところに出かけた。
3連休に海岸沿いまで行って潮風を浴びたり、近くにあった低い山に登ったりと、ほとんど連れまわされる形で濃密な時間を過ごした。その他にも、テーマパークやゲーセン、アミューズメント施設などの娯楽的施設も連れていかれた。少しでも楽しみを見い出して欲しいとの配慮なのだろう。
まるで、その時間内で生きる理由を探してみろと言わんばかりの彼女の行動だった。
そのおかげでか、前よりも思考がポジティブになってきた。母親にも最近は表情が明るいと言われたし、自分では気が付かないところで小さな、しかし確かな変化が起きているのだろう。
だが、そんな俺とは反対に、最近の生澄の表情が暗い気がする。前まではもっと笑う奴だったのに最近の笑みはぎこちない。しかも、日に日に表情が暗くなっている気がする。まるで何かに怯えるように。
写真フォルダを見返せば一目瞭然だ。だって彼女がほとんど映っているんだから。
しかし、何が原因か分からない。俺ではない、はずだ。もし俺が原因なら、こうして頻繁に会うなんてことはしないはずだから。
そんな彼女のことを俺は詳しく知らない。
思い返せば、苗字だって知らないくらいだ。いつも俺が放課後になってすぐに連絡すると、数分足らずで返信がくる。早帰りの日もそうだった。休日だって大抵暇な俺よりも予定がない。それでも、夜は決まった時間に帰っていた。
俺たちが出会ってから、3週間くらいが経った日だった。今までは踏み込んだ質問はしなかったが、彼女が放っておけなくて、俺はあんな話をしたんだろう。
「なぁ、なんか悩み事あるなら相談に乗るよ」
いつものようにファミレスで駄弁っているときにそう言った。
言われた側は、何を言われたのか瞬時には理解できず、目をしばたかせる。
「……どうしたんですか?」
「いや、最近生澄が元気ないようだったから気になって」
それに、君のこと全然知らないし、と頭の中で付け加える。
「別に……いつも通りですが?」
「それは嘘だろ」
最近の彼女を見れば、いつも通りなんて言葉は出ないだろう。
今だって無理に笑顔を作ろうとして頬が引きつっている。
彼女の自然な笑みはもっと綺麗だった。
「どうして?」
「俺の写真フォルダを見るか?生澄の表情の変化が明確に表れているけど」
「……っ!」
どうやら言い逃れはできないと悟ったらしい。
だからって全てを話してくれるわけでもないけど。そもそも、俺らが出会ってまだ3週間弱だ。
気軽に話せるくらいの仲だが、とても仲が良いと言えるほどでもないかもしれない。
ただ、波長が合うとでも言うのか、価値観とかは異なるのに何故か気が合った。
「別に話したくなければ、話さなくていいから。ただ、俺としては悩みがあるなら聞きたい」
相談に乗ってもらわなくても、そのことについて話をするだけで悩みは少し楽になるらしい。
実際俺がそうだった。
「だいぶ重い話ですけど本当に聞けますか?」
「まぁ、聞くだけなら誰だってできるだろ。的確なアドバイスを出せるかは、話してくれなきゃ分からないけど」
そもそもの原因から分からないからな。
さっき重い話と言っていたので、正直どんなのか想像つかないが、解決策が無いということもないはずだ。
しかし、その考えが甘かったことをすぐに知ることになる。
「もう一度言いますよ、だいぶ重い話です。これを聞いて良い思いはしません。それでも聞いてくれますか?」
「お望みとあればいくらでも」
聞いてくれますかと言うことは、本心では聞いて欲しいのだろう。だったら聞くより他にない。助けてとすら言えなかった俺を、彼女は助けてくれたんだから。
視線を彼女に合わせると、観念したかのように口を開いた。
暗い、昏い声だった。
「実は…………私の余命はあと1週間程度なのです」
「……は?」
理解できなかった。
単語の意味は理解しているのに、それを脳が拒否しているようだった。
冗談なんじゃないか?しかし、目の前の悲愴(ひそう)な瞳を見ればそんな淡い希望が砕かれる。
胸が締め付けられるようで、息が苦しい。
口の中で苦い味がする。
だいぶ重い話と言っていたけど、想像を絶する程だ。
俺の考えの甘さが今になって悔恨となる。こんな話じゃ、解決策なんて無いじゃないか。アドバイスなんてもっての外だ。安い同情だって、彼女は求めていないだろう。
「病気かなんかなのか?見た目健康そうだけど」
がんの末期や難病でもなければ、そう余命宣告されることは多くないはずだ。
しかし、もしそうだとするならばここまで自由に身体が動かせるのはおかしい。
つまりは、そういった類(たぐい)の病気ではないのだろう。
「正確な病名はありませんが、仮名は突発性多発性悪性腫瘍症。不治の病です。現代の医療では、どうしようもない……」
その後も彼女の説明を聞いて、大体の話は頭に入った。理解はできていない。したくもない。
彼女の話を要約すると、数か月に1度発作が起きる。病院に搬送されるほどのものらしい。そこでMRIとかなんとかで身体を見るとところどころに腫瘍ができていて、場所はその時によって様々で大きさもばらけていると言う。その腫瘍を手術で摘出すると、その後は問題なく日常生活できるらしいが、数か月経つとまた発作に襲われるらしい。期間は多少変化するが、大体3か月程度だそうだ。
ただ、回数を重ねるにつれて腫瘍の数が増えていくそうで、前回は脳に二つできてギリギリで一命を取り留めたそうだ。しかし、後遺症などの影響もあり、次回はもう助からない可能性が高いらしい。
「1週間……って言ったか?」
「はい。正確にはあと5日程度ですけど」
それ以降は発作のリスクが格段と上がるそうだ。それまでならそれほど不自由なく過ごせるらしい。
5日と言うと、俺と出会った頃はまだ余命1か月程度あったことになる。
いや、1か月しか無かったのだ。その時にはもう。
そう考えると、どうしても彼女にぶつけたい思いが込み上げてくる。
「どうして、どうしてそのことをもっと早くに言わなかったんだ?」
理由は大体予想がつくが、聞かずにはいられなかった。
だって、もっと早くに知っていれば色々と変わっただろう。無駄に駄弁ったりしてないで、他のことに時間が充てられたはずだ。
「余命のことを気にせずに普通に接して欲しかったんです。友達は余命のことを知るとみんな態度がよそよそしくなってしまったので」
「だからってっ!今までの時間をもっと有意義に使えたかもしれないんだぞ!」
自然と口調が荒くなる。俺が生澄に対して苛立っているようだ。
時間を大切にしなかった生澄に対して。そして、彼女のことを知ろうともしなかった、俺自身に対して。
そんな俺を、彼女の瞳が真っ直ぐに貫いた。その目に、その姿に、俺は言葉を紡げなかった。
「私にとっては有意義でしたよ。とても大切な時間でした。他愛もないような日々の会話が楽しかったのです」
「でも、もっと別のことだってできたはずだろ?」
「別のことではなくて、それを望んでいたんです」
彼女の言葉を聞いて、スーッと怒りが抜けていくのを感じた。
そうか、彼女は時間を無駄にしたと感じていなかったんだ。それどころか、その時間を過ごしたいがために、今まで余命のことを黙っていたのだろう。
俺が勝手に自分の価値観を押し付けていたが、余命あとわずかの人間と、余命がまだあるはずなのに自殺しようかと思っていた人間では価値観が違うのは当たり前だ。
彼女は彼女が思う大切な時間を過ごしたかったのだろう。
そして、過ごしたのだ。俺という事情を全く知らない人間と3週間程度。余命を忘れられるような時間を。
それが、彼女の望んだ時間だったのだ。
「そうか……いきなり怒鳴ってごめん」
「いえ、私のことを思って怒ってくれたんですよね?人の為に悲しんだり怒ったりするのは良いことなんですよ」
他人の為に怒れる。これも彼女の影響だろう。
彼女と会うまでは、他人に対して無関心でしかなかった。好きという感情を抱かなければ、嫌いになることもなかった。そもそも関心がなかったのだ。
「しかし、5日か……」
あまりにも短すぎる。
だからこそショックを受けて固まっている時間なんてない。
その短い期間にできることを精一杯やるしかないか。
「生澄はどこか行きたいところないのか?」
そう聞いてみた。最後の思い出作りとして、どこかへ出かけるのはどうだろうかと思い至ったからだ。
思いで作りなんてものは、彼女の友達も思いつくはずだ。しかしそれを彼女が拒否したから、こんな俺とつるんでいるのだろう。思い出を作ったところで別れが悲しくなるからとでも思っているのかもしれない。
けれども、思い出は作るべきだと思う。
死ぬ間際に走馬灯を見ると言われるくらいなので、死ぬ直前には何かしらの記憶を思い出しているはずだ。その記憶が少しでも楽しいものになってくれたら、と俺は思う。
俺が崖で死にかけたときは走馬灯(そうまとう)なんて見なかった。死ぬ寸前ではなかったからかもしれないが、それよりは思い出すほどの思い出が少ないのが原因ではないだろうか。
「行きたいところ……ですか?」
俺の意図を察したのか、はたまた友達のような態度を俺がすることを恐れたのか、訝しげに俺を見てくる。
「あぁ、前までは俺の為に色々なところに連れて行ってくれただろ?だから今度は生澄が行きたいところに俺も行きたいなって」
言っていることは建前で、本音は思い出作りだ。
けれどもそうでもしてこじつけないと、彼女は俺にも心を閉ざしてしまうだろう。
「特にないですけど……」
「そうか……じゃあ、俺の行きたいところについてきてくれるか?」
彼女の反応は想定内だ。
だから無理やりにでも、連れていくしかない。
「……いいですよ」
俺の思惑通り、彼女は未だ暗い表情ながらも返事をした。
よし、言質は取らせてもらった。
◇
1日目は海へ出かけた。
前行ったところは岩石海岸で、波打ち際まで行けなかったので、今回は砂浜のある海だ。
何度でもさざ波を打ち付ける海を見ていると、心が洗われるようだった。
水着は持ってきていないので、足を海水に漬からせるくらいしかできなかったが、彼女は楽しんでくれたようだった。晴れていたので、そこまで海水は冷たくなかった。
もちろん写真も撮った。海と空をバックに笑う彼女の写真がとても印象的だった。
あと――4
2日目は少し遠くにある超大型某テーマパークへ行った。
始発の電車に乗り、文字通り朝から晩まで遊んだ。
写真は沢山撮ったし、色々な料理を味わった。個人的にはとても満足のいくものだった。
人混みは苦手だったし、お金は高かったが、彼女の笑みが数回見られたので良かった。
夢の国の雰囲気に浸っている間は、少しだけ余命のことを忘れられたようだった。
――3
3日目は京都へ出かけた。
何故京都かと言うと、彼女が発作によって中学校の修学旅行へ行けなかったからだ。
これも始発の電車に乗っていった。平日だったので学校はサボった。
木々は完全に紅葉していなかったが、綺麗な景色を拝めた。やはり、京都は秋が良いらしい。
当時、彼女が中学生の時に立てていた行動計画をもとに観光した。
予定とは時間が大幅にずれたのは言うまでもない。
そして、撮った写真が多すぎて選別するのに困ったことも言うまでもない。
――2
4日目は夜景が綺麗と呼ばれる、県内で一番高い展望台へ行った。
いつもは夜になると病院へ帰ってしまう彼女も、今日は補導対象となる時間ギリギリまで残ってくれた。
夜景を眺めながら感傷的になった彼女がすすり泣いていたのは、周りが薄暗いことを理由に見て見ぬフリをした。
今日はそこまで写真を撮らなかった。それよりは眼に、脳に、記憶にしっかりと焼き付けていた。
――1
5日目。最後の日。
今日はどこへも出かけずに初めて二人が出会った丘にいた。最初からこの日はここでのんびりと時間を過ごそうと決めていた。
午前は生澄の検査があったので、午後からである。もちろん彼女の身体に腫瘍はあるそうだが、今日までは大丈夫らしい。学校は今日も今日とでサボった。
昨日までの4日間は、常に笑顔であるように努めていた。彼女を少しでも笑顔にさせるためにも、自分が暗い表情をしているわけにはいかないと思ったからだ。
それから俺たちは、たわいもない話をした。今までのこと、出会ってから過ごした日々のことを。まるで、現実から目を反らすように。
少し気を緩めただけで、涙が滲みそうになる。それは俺だけじゃなかったが。というか、生澄はもう泣いている。
「泣くなって、生澄」
「長生だって泣いているじゃないですか」
「……まだ涙なんてこぼしていない」
違う、言いたいのはこんな言葉じゃない。彼女は、泣きながらも、困ったように笑った。
それから、その瞳と目が合う。
「話は変わるけど、ありがとうございました」
「どうしたんだ、急に」
「今日までの5日間、私のために色々としてくれましたよね?」
「別に、俺が行きたいところに行っただけだし」
そもそもそういう理由で彼女を連れまわしたのだ。
本音は違うがそんなものはどうでもいい。似たような手口で彼女も俺を連れまわしたのだから。
そんな俺の反応を彼女は微笑で返すと、言葉を続けた。
「今までは、思い出なんて今更要らないって思っていたんです」
訥々(とつとつ)と彼女は語りだす。
俺はそれを静かに受け止める。
「私の寿命が限られていると知ったとき、友達は思い出を作ろうとしてきました。私はそれが嫌でした」
彼女の話は大体予想通りだった。
彼女の気持ちなんて分からないけど、考えることくらいならできる。
「思い出を作れば作るほど、別れがつらくなるだけだと考えていたんです」
「確かにな」
そりゃそうだろう。他人と関わるほど、楽しい記憶が残るほど、それとの別れが受け入れられなくなる。悲しいのが、つらいのが嫌ならば最初から関わらなければいい、そんな考えに至るのも分かる。
「でも、長生のおかげでそれが間違っていると分かりました」
「そうなのか?」
そこまで意図していなかったが、俺が理解してほしかった思い出の重要性が、それとなく伝わってくれたのでよかった。
「はい。確かにつらいのは変わりません。いずれ別れの時がくると思うと、胸が引き裂かれるようです。しかし、同時に思い出には暖かさがありました。心安らぐような、その時のことを思い出して楽しくなるのです」
彼女は悲しさやつらさの中に、楽しさを見い出したのだ。
別れを恐れることのないような。悲しくつらいだけの別れにはしないためにも。
「だから、ありがとうございます。今までの思い出を大切にします。長生がくれた大切な贈り物を」
まるで花が咲いたかのような明るい笑みだった。
「どういたしまして。こっちこそありがとうな。こんな奴を救ってくれて」
彼女の笑みに負けないよう、顔に大きく笑みを浮かべる。無理やりにではなく、自然とそうなっていた。
本当に感謝しかない。
「どういたしまして」
――ゼロ
◇
彼女は泣きながらも、笑って帰っていった。翌日、いつも来ていた彼女からの連絡は来なかった。
生澄が奇跡的に助かる姿を、今でも夢に見る。彼女が教えてくれた、彼女と過ごす日々は幸せだった。毎日が輝いて見えたし、何をしても楽しかった。
でも、彼女がいなくなった今、世界は再び過去に戻った。
生澄のいない世界。そこに、果たして俺だけが生きる意味なんてあるのだろうか。
気が付けば、俺はまた、あの丘に来ていた。
「こっから落ちたら死ねるな」
はるか下を走る自動車を見ながら、そう呟いた。崖の上、俺たちが初めて出会い、そして最後に笑いあった場所。
彼女のあとを追いかけようと、ここまで来た俺は、足元にある便箋に気づいた。
丁寧にビニール袋に包まれ、重石が乗せてあった。
拾い上げて見てみると、そこには小さく「長生へ」と書いてある。
「生澄の字だ……!」
逸る鼓動に追われるように、俺は急いで中から紙を取り出す。手紙のようだった。
ここに俺が来るのを見越して、置いていたのだろう。
長生へ
あなたがまた自殺しようとしないよう、手紙を書きました。
つらい事や悲しいことが多くあっても、楽しさは必ずある。そう教えてくれたのは長生自身です。
あなたと遊びに出かける度に、あなたとの思い出が増えていく度に、私はもっと生きられたらいいのに。と思っていました。別れを思うと胸が苦しくて、眠れずに泣いた夜もありました。
けれども、あなたは残された時間を悲観せずに、今ある時間を十分に楽しもうと前向きに捉えていました。そのおかげで、少ない余命の中で、沢山の思い出ができました。その日のことを思い返すと、心が温かくなりました。
全部、全部あなたのおかげです。
あなたと写真を撮って、写真とは思い出を形に残す最適な方法だと思いました。その時の表情・景色・状況をそのまま残せるのです。思い出の重要性を教えてもらった私にとって、写真はとても素晴らしいものだと知りました。
是非とも、これからも写真を撮り続けてください。あなたが感動した景色、楽しかった思い出などを私も一緒に見たいので形に残して下さい。
何かに行き詰まったら思い出を思い返してみて下さい。私との思い出があなたを少しでも楽にさせられるのなら幸いです。
最後にこの丘のこの場所は私たちの思い出の場所です。ここで自殺しようと考えず、私たちの思い出を振り返る場所にしてくれたらと思います。私はずっと長生さんのことを見ていますから、長生さんが生きることで、私が生きたかった世界を私にください。
今までありがとう
生澄より
俺は、胸ポケットに入った写真を見た。海に行った時、遊園地に行った時、展望台に上った時……そこに写るどの生澄の姿にも、笑顔があった。
俺は便箋を抱えて、崖を背にした。
その背は、思い出と共に生きていく意思を示しているように見えた。
5分読書 ショートショート集 統星のスバル @Pomumunn
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