有能なタクシードライバー

 彼は有能なタクシードライバーだった。

 いつも笑顔を絶やさず、客とコミュニケーションを取り、目的地に到着するまでの待ち時間を退屈にさせないようにしていた。

 そして何よりも、彼は裏道などの最短ルートを網羅して、脳内に刻みつけていたため、それを生かしたスピーディーな送迎が彼の持ち味だった。


 ある日のことだった。

 彼が予約者の送迎を終えて帰ろうとしたとき、目の前の1人の男性が手を上げてタクシーを呼んでいるのが目に入った。

 銀色のアタッシュケースを持った、厳格そうな風貌の持ち主だった。


 彼はすぐにその男性のところまで行き、道路わきにゆっくりと停車した。


「どちらまででしょうか?」


 男性がドアを開けて座ったのを確認すると、彼は明るい声で尋ねた。


「〇〇駅までお願いします。急いでいるので飛ばして下さい。」

「かしこまりました。」


 彼はそう言うと、すぐにタクシーを急発進させた。


「実は会議に遅れそうでして、次の急行に乗りたいのですが、間に合いますか?」


 見た目は時間厳守をきちんと守ってそうなのになと思いつつ、脳内の時刻表と時計を照らし合わせる。

 急行が〇〇駅に到着するまであと3分くらいしかなかった。

 が、3分もあれば彼には朝飯前だった。


「はい、大丈夫です。もう少し飛ばしますね。」


 そう言うと、混んでいる大通りを逸れ、細い裏道へと回った。


 ……


「着きました。料金は3,500円です。」


 今日は何故かいつもより道が混んでいたため、何度かルート変更を余儀なくされたが、彼の知っている裏道は数多くあったので、3分もかからず到着した。


「ありがとうございます。」


 男性は料金を支払うと、急ぎ足でホームへと向かった。

 彼は客を届け切った達成感と充実感に浸っていた。


 やはり、この仕事は良い。とても人の役に立っていると思うからだ。




 その日の夕方、彼に上司から電話がかかってきた。

『会社に来てくれ』そんな内容だった。用件を何も言わなかったのを不審に思ったが、上司の切羽詰まったような声色にせかされ、彼はわけも分からず会社へ向かった。


 会議室に行くと、そこには数名の警察官と刑事、上司、さらには本部長までもが居た。

 状況が更に分からなくなった。



「来たか。」


 上司は短くそう言うと、椅子を示して座れと合図した。

 彼は自分が何か大変なことをしてしまったのかと不安に駆られながらも席についた。


「状況が分からないでしょうから、この写真を見て下さい。」


 刑事はそう言って胸ポケットから一枚の写真を取り出した。


「こ、これは!?」


 その写真の人物に、彼は心当たりがあった。

 それもそのはずで、今日、彼が〇〇駅まで送り届けた人だったからだ。


「この男は、今日午前に銀行強盗を犯しました。数人グループの犯行でしたが、金を持ったこの男だけ取り逃がしてしまったのです。」


 彼は刑事が淡々と述べた言葉が未だ信じられず、青ざめた表情で聞いていた。


「刑事さんが交通包囲網を張ったんだが、それが完成する前に短時間でくぐり抜けて、犯人は急行電車によって逃走。今ではもう県外へと逃げてしまったと推測されているらしい。」


 彼の裏道の情報は警察の予測を超えていたため、車通り皆無の暗い細道まで目が回らなかったようだ。


 嘘だ、そんなはずがない。

 私はただ急いでいる客をきちんと送り届けただけで、犯人の逃走援助をしたつもりはなかった。


「犯人は君を騙していたんだ。だから、君は何も悪くない。」


 刑事はそう言ったが、彼は罪悪感と後悔に苛まれた。



 有能なタクシードライバーは絶望した。

 今までやってきた行いがなんだか否定された気がした。


 何故こんな事になったのだろう。善意で行ったことが悪になるなんて……


______________________________________


「正直者がバカを見る」 そんな事は多々あります。世の中には理不尽なことが、何故か存在してしまうのです。

 完壁な人間は正直嫌いですが、善人は嫌いにはなれません。完全なる善意の塊がいるわけがないのですが、誰かの為に何かをする気持ちは尊重したいです。


しかし、善悪は判断する人によって多様に変化します。

殺人が悪だと言うのならば、正当防衛やカルネアデスの板(緊急避難)による殺人は悪なのでしょうか?


 ただ問いかけてみた作品です。


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