放課後のデス・ロード

春日康徳

放課後のデス・ロード

 通学がラクだから。


 ……などという安易な理由から、僕は最寄りの高校に進学した。


 自転車で十分。

 朝八時に起きれば余裕で間に合う。


 最高だぜ、と学校が始まるまでは思っていた。


 そう、始まるまでは、だ――。


 教室にはいると、すでにクラス内にはグループらしきものが形成されているらしかった。


「――え?」


 ってか、学校は今日からじゃないの?


 その後、新学期お約束の自己紹介があるのかと思いきや……。


「自己紹介は各自で済ませておくように。それより、私の紹介をさせてもらおう」


 ……と、頼んでもいないのに先生が経歴を語りだした。


(僕、石川久夏いしかわ・ひしかっていいまーす! 趣味はゲームで、今は『バッド・バンディング』っていうのにハマってます。中学は卓球部でした。よろしくお願いします!)


 心のなかで準備していた自己紹介は無駄になった。


 僕は甘く見ていた。


 電車通学は友達や先輩、運命の恋人と顔を合わせるイベントで。


 通学路には――青春が詰まっていたんだ。



      ※


 その後もクラスメイトの話の輪に参加する……ことを画策はしたものの、ハードルはかなり高かった。


 ってか、ゲームの話ししろよ、お前ら。

 会話に入れねーだろうが。


「君さ、『バッド・バンディング』好きなの?」


「……?」


 一瞬、幻聴かと疑ったが、誰かが話しかけてきたらしかった。

 僕は顔を上げた。


 明るく茶色に染めた短髪。シュッとした顔立ち。長い手足。好青年を絵に描いたような男子がそこにいた。

 イケメンというのは、自分とはまったく違う生き物だと思えるほどだ。


 そんなイケメンが、笑顔を振りまいて、僕に話しかけてきてくれている。


「そのスマホケース、『バドバン』のやつでしょ?」


「あ……ああ……まあ……」


「やっぱそうだ! 俺も『バドバン』好きでさ! ってか、LINE交換しねー? 俺、双葉真司。お前は?」


「ぼっ、僕は――石川久夏いしかわ・ひしか

 

 なんだよ。

 青春って、捨てたもんじゃねーな。




 授業終わりに駐輪場にやってくると、愛機の自転車はチェーンを外され、サドルが盗まれていた。


「ってか、初日から……ですか……」


 チェーンは手が油まみれになるだけで直せそうだが――サドルがないのは痛い。

 

「お、久夏ひしか? どーした?」


 自転車を押して通りかかった双葉が声をかけてきた。

 僕は不本意な実情を手短に彼に話した。


「ひっでーことすんな……おい、だったら、俺の自転車乗せてやるよ」


「えっ、それって……二人乗り……」


「んだよ、道交法違反とか心配しちゃってんの?」


「えっと……」


 神様――。


 贅沢ぜいたくをひとつ言ってもよろしいでしょうか?


 なぜ、彼は美少女ではなくイケメンなのでしょうか?



     ※



 そのまま双葉は僕の家に立ち寄った。


 友達が遊びに来たのは、小学校以来のことだ。


 ゲーム機を立ち上げ、ホーム画面から『バドバン』のソフトを立ち上げる。

 そこにはオンラインでつながった世界ランキングが表示されていた。


久夏ひしか、すげーじゃん! 『バドバン』のミシックプレイヤーがこんなに身近にいたなんて思わなかったぜ!」


〈Death Varnish〉が僕のゲーム上でのプレイヤー名だ。


 中二病臭いのは自分でもわかっている。


『バドバン』こと『バッド・バンディング』は、いわゆるガン・シューティングゲームの一種で、FPSと呼ばれるものだ。僕は一応、世界ランキング1000位のミシックランクのプレイヤーだった。


『バドバン』には賞金システムがあって、1000位以内のプレイヤーのトーナメントで3ヶ月上位者にはプロトーナメント出場の資格が与えられ、プロゲーマーとして世界の強豪と戦っていく。


「全然すごくないよ……一日中、これしかやってないんだ。逆に、この1000位って実績以外、僕には何もない」


 ゲームがうまいからといって、別に得することはなにもない。


 すべて、自己満足の世界。


「それでもさ。久夏はすげーよ! 俺なんか、ランキング圏外だぜ? コツとかあんのかよ。教えてくんねー?」


 僕はミシックランクのプレイヤーたちが、どんな挙動でゲームをしているのかを双葉に教えた。


 何度もゲームの中で死にながら、双葉もようやく勝率を上げることができた。


 思えば、今日知り合ったばかりとは思えないほど、僕たちにはなにか達成感のようなものが芽生えていた。


「じゃ、また明日な。遅くまで居座っちまって悪かったな?」


 双葉が立ち上がった。


「おう……あのさ」


「ん?」


 高校生活初日。


 鬱々うつうつとした展開になるのではないかと不安だった。


 でも、双葉のおかげでこんなにも楽しいひとときが過ごせたのだ。

 こっ恥ずかしい気持ちもあったが、きちんとお礼を言っておきたかった。


「――ありがとう」


「え?」


 目を見開いて、双葉は聞き返した。


「いやさ、話しかけてきてくれたり、放課後も助けてくれたりさ……双葉には感謝してもしきれないよ。こうしてお互い好きなゲームで知り合えて、良かったって思う」


 双葉はニッと人好きのする笑顔を振り向け、


「気にすんなって! オレたち、〝友達〟だろ?」


 と僕の背中を叩いた。


 ――ズキュン。


 おいおい、イケメンってずるいぜ。



      ※


 翌日。

 朝のHR後、職員室に呼び出された。


 最近の学校というところは、いじめの兆候があるとセンシティブで、すぐさまカウンセリングだとか、事情聴取まがいの呼び出しがかかる。


「昨日、二人乗りして下校したな?」


 最初、道交法違反云々を詰められるのかと思いきや……教師が問うたのは、「自転車がいたずらされて、下校できなかったんだな?」という内容だった。


「犯人に心当たりは?」


「いや……ないですね。自己紹介もできていないし、クラスにどんなやつがいるのかもまだきちんと把握してませんし。それに初日からいじめの原因とかないと思うんです」


「根暗そうだったからか?」


「あの、ないと思う、と言っているんですが」


「まあ、自分では気づけないものだな」


「ちょっと! あなた先生ですよね!?」


「また何かあったら、すぐに先生に相談しろ。いいな?」


「……わかりました」


 と言う以外にない。

 僕は渋々、クラスに戻った。




 その日、双葉はお休みだった。


「ってか、二日目いきなし休みって……」


 教室を見回し、双葉の席を確認したが、やはり空席になっている。

 ふう、と息を吐いて向き直ると、隣の席の女子生徒と目がかち合った。


 彼女はじっと僕の顔を見つめている。


「……あの、何か?」


 ロングの黒髪。形の良い耳がぴょんと姿をのぞかせる。整った顔立ちは、まるで現実感のない美しさだった。


 しかし――眉根を寄せた不機嫌そうな表情からは、刺々しさが発せられていた。


 たしか、出席のときに「藤堂」と呼ばれていた女子だ。


「あなた昨日、双葉くんと話していたわよね……? 随分と親しげだったように記憶しているのだけれど?」


 藤堂の用件はどうやら別にあるらしかった。隣の席だから、昨日の双葉とのやり取りが耳に入っていたらしい。


「え? まあ……」


「学校二日目で欠席というのは、よほどのことがないと起こり得ないわ。つまり、あなたに何らかの要因があったと考えるのが妥当ではないかしら?」


「藤堂さん……だっけ?」


「自己紹介もしてないのに、どうしてわたしの名前を把握しているの?」


「隣の席だし、名前ぐらい自然と頭に入ってくるだろう」


 覚えられるのも汚らわしい、というように藤堂は首を振った。


「で、どうなの?」


「僕は何もしてないよ。双葉とゲームの話ししただけだし……あ、LINE交換したんで、聞いてみようかな?」


 何かあったのか、と双葉にメッセージを送ったが、既読はつかなかった。


「双葉くんは、中学時代、アーチェリー部だったのよ」


「アーチェリー?」


「いわゆる洋弓というやつね。彼とは同じ部活だったの」


「なんだ、知り合いだったんだ。あいつは……優しいよな」


 藤堂はふたたび眉根を寄せて僕を見返した。


「……本気で言っているの?」


「え?」


「彼が〝優しい〟と?」


「それってどういう意味だよ……」


 チャイムが鳴って、授業が始まった。



      ※


 ズバシュッ!


 休み時間にスマホで『アーチェリー』と検索すると、ゴツい洋弓と、的に向かって鉄矢が突き刺さる動画が見つかった。


 優しくない――藤堂の言ったことは、僕の抱く双葉の印象からかけ離れたものだった。


 アーチェリー部の彼が優しくなかった?

 そこにはいったいどんな事情があったのだろうか?


 そして、藤堂はどうしてわざわざ僕にそんなことをほのめかしたのか?


 ズバシュッ!


 洋弓の弦がうなる音は、さまざまな疑念をある方向に、否応なく導いていく。


 双葉は、何をやったと言うんだ? 


 僕はたまらず、隣の席の藤堂さんに声をかけた。


「藤堂さん」


「……?」


 彼女は迷惑そうに片眉を持ち上げている。


「双葉のこと……聞きたいんだ」


「彼が〝優しい〟かどうかっていうことに関して?」


「ああ、そのとおりだ」


「彼は友達も多いし、先輩も後輩からも好かれていた。でも、アーチェリー部は一度として大会に出場したことはないの」


「え?」


「なぜか大会前になると、部員が怪我をするのよ。ちなみに、アーチェリー部で唯一、怪我をしなかったのは――」


「――双葉」


 僕は答え合わせをするように、藤堂の言葉を引き取った。


「まさか、双葉がチームメイトに怪我をさせたと?」


「誰一人、そのことを口に出したことはないわ。だって彼、人気者ですもの。でも、みんな心のなかで思ってたはずよ。なぜか、チームメイトが怪我をする日は、彼、学校を休むの」


「なんで休むんだよ?」


「さあ? 遠くから、狙うためじゃない?」


「狙うって……そんな、アーチェリーで怪我させたっていうのか? そんなのすぐにバレるに決まってる」


「あなたも単純ね。アーチェリーで直接、人間を狙わなくとも、間接的に怪我をさせることはできるでしょう?」


「うっ……噂だろ? 何の証拠もない!」


 藤堂は制服のブラウスの腕をまくってみせた。


「……!」


 彼女の腕には、縫ったような跡があった。


「わたしも――怪我をした一人なのよ」


「じゃあ……何で双葉は捕まらないんだよ」


「彼の父親、警察官僚らしいわよ?」


「そんな……」


「だから――気をつけて」


「は?」


「は?」


「いや、どういう意味だよ」


「だから――あなた、『バドバン』のミシックランクプレイヤーなのでしょう?」


「なんで知って――」


 白々しい、というように、藤堂は鼻で笑った。


「スマートフォンのカバーに自慢気に貼ってあるじゃない。『ミシックランク』って。そういうの、言うんじゃないのかしら?」


 ――あ。


 楽しい。

 それはミシックランクプレイヤーの自分目線の感想だ。


 ゲームが弱い立場の人間からしてみたら――どうだろうか?

 僕はそのことを、今の今まで考えてこなかった。


「よくトッププレイヤーが、弱小プレイヤーを〝養分〟なんて言うじゃない? 参加費を搾取される側の弱小プレイヤーを揶揄やゆして……」


「僕はそんなこと言ったことはない」


「そうね。――だものね」


 僕は昨日の双葉とのやりとりを反芻はんすうした。


 昨日、僕は彼に真剣に〝教えて〟しまったのだ。


 ゲームの厳しさを。

 ランキングプレイヤーのエグさを。


 勝負というのは勝者がいれば、かならず敗者がいる。


 圧倒的な勝利でドヤる――。


 慣れた作業にすぎないことも、弱いプレイヤーからしてみたら、ムカつく挙動に見えても仕方なかったとしたら――。


 双葉が、最初から僕を〝ムカつく〟ミシックランクのプレイヤーと認識して声をかけてきたとしたら?


 背筋に薄ら寒いものが走り、僕は職員室に駆け込んだ。




 僕は一連のことを先生に話した。

 ゲームのランキングに嫉妬して、自転車をいたずらされた――。


 教師は僕の話を鼻で笑った。


「何かあったらすぐに相談しろって言ったのは先生じゃないですか!」


 やれやれ、と先生はため息をついた。


「あのな? 双葉がそんなことするはずないだろう」


「どうしてそう言い切れるんですか」


「あいつは今朝――」


 しまった、というように先生が口をつぐんだ。


「今朝……何なんですか?」


 僕が慎重に問うた。

 ここまで言ったらしかたがない、というように、先生は口を開いた。


「電車に飛び込んで自殺したからだ」


「……!」


「さっき連絡があったんだ。ご家族から」


 僕は言葉を失い、喉がからからになっているのを知覚した。


「自殺するほど思いつめていた人間が、根暗なクラスメイトいじめるか? 自転車いたずらしておいて、わざわざ送り届けるか? 家に遊びに行って、ゲームするか?」


「……」


「おまえは心が汚れてるんだよ。最低だぞ? 友達を疑うなんて? それに、あいつと最後に話したのはおまえだ。逆におまえ、あいつになにかしたんじゃないのか? 例えば……そのゲームに関して?」



      ※


 何がなんだかわからない一日だった。


 学校は双葉の自殺の話題でもちきりだった。現実感が湧かなすぎて、何だか遠くで起きた事件のように感じられる。


 双葉の自殺には、少なからず僕が関わっているのだろうか?


 ――たかがゲーム。

 あんなにイケメンで、まぶしい笑顔の彼が。


 ゲームに勝てないだけで?

 もう家に帰って眠りたかった。


 僕は足取り重く一階に降り、下駄箱を開けた。


 バンッ!


 足元に転がり落ちた〝それ〟を、最初、僕は認識できなかった。


 凸型のそれは――探していた自転車のサドル。


「うあああああああああ!」


 僕は思わず叫んで尻もちをついた。


 サドルには――アーチェリーの鉄矢が突き刺さっていたのだ。




 一応、親に電話して車で迎えに来てくれと頼んだが、「いいから早く帰ってきなさい」と取り合ってくれなかった。


 夕暮れの帰り道を、一人歩いていく。


 自転車にいたずらをしたのが、双葉だとしたら?


 彼は


 僕の


 でも――。


 双葉は自殺した。


 そのはず。


 なのに――なぜ、下駄箱に鉄矢が刺さったサドルが放り込まれていたのか?


 ズバシュッ!


 遠くどこか風にのって、小気味のいい弦のしなりが聞こえた。

 刹那せつな、僕の足元に、どこかマンションの庭の鉢が落下してきて、豪快に割れた。


「…………ッ!!」


 僕は走り出していた。

 全力で走った。


 相手の照準を惑わすために、ジグザグに走り、物陰に隠れながら、全力で走った。

 FPSのゲームのように。


 僕は気でもおかしくなったのか?


 いいや!

 たしかに風にのって聞こえるのだ。


 ズバシュッ!


 家にたどり着いても、僕の耳にはあの、アーチェリーの矢飛びの音がトラウマのようにこびりついていた。


 ズバシュッ!

 ズバシュッ!

 ズバシュッ!



※終わり

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