・風に身を任せれば空を飛べるのだろうか

「っとと」

 部屋中を荒らさんとばかりに吹き込む強風に、少年は慌てて机上の本を押さえた。窓の外では木々が葉を震わせながら懸命に風の猛攻を耐え抜いている。哀れな紙切れが連れ去られ、何処か遠くへと旅立っていった。

「今日は一段と風が強いですね。嵐の中心からはかなりの距離があるはずなんですが」

 雨が降ってないだけましですね、と少年は苦笑いしながら本から手を離した。

 今この地域は連日暑い日が続いている。そんななか、もしこの風が雨を伴っていたとしたら、この窓も閉めなくてはならなかっただろう。そうなればこの部屋は密林のような蒸し暑さに見舞われ、少年はともかく少女がそれに耐えられるとは思えない。

「……って、さっきから何してるんですか?」

 見れば少女は、窓辺に置いた椅子に座り、ぼうっと外を眺めている。普段の活発な姿とは似ても似つかぬ大人しい少女に、何かあったのかと少年は少し不安になった。

「大丈夫ですか? 何処か具合の悪いところでもあるんじゃ……」

 心配そうに少女を見やる少年。そんな少年の様子を知ってか知らずか、少女の口がそっと開き……

「よし、出掛けよう」

 そう言って少女はすっと立ち上がり、部屋の入り口に立て掛けてあった傘を手に取りドアノブを握った。

「……いやいやいや、こんな日にどこ行くんですか!しかも傘なんか持って!」

 一瞬呆けたもののすぐさま正気に戻った少年。

「なに、今日のような風の強い日になら、傘で空を飛べるのではないかと思っただけだよ」

「いや危険すぎますって!傘が壊れて終わりでしょう!」

 しかし慌てる少年を前にしても、少女は何処吹く風だ。

「昔見た小説にあってね。一度傘で空を飛んでみたいと思っていたんだ。今日はかなり風が強いし、雨も降っていない。絶好のチャンスだろう?」

 子どものようにキラキラとした瞳で語る少女に、少年は心配して損したと心からそう思った。

「チャンスじゃないですよ!っていうか飛行魔術使えるんですからそれで満足してくださいよ……」

 少女は短時間だけなら飛行魔術を使うことが出来る。どう考えてもそれで十分だろうと思う少年だったが、少女は納得してくれないらしい。

「やれやれ、夢がないな少年は」

 わざとらしくため息をついて、やれやれとジェスチャーする少女。少年の顔がぴきりと引きつった。

「だいたい、こんな珍しい天気の日に部屋にこもって時間を潰すなど勿体ない。そんなんだから、少年は頭がカチコチに固いと馬鹿にされるんだよ?」

「馬鹿にしてるのはあなたでしょうが……」

 まるで無邪気な子どものように語る少女に、少年は引きつりを抑えることが出来なかった。少女はそんなことをまったく気にしている様子はなかったが。

「それじゃ、私は行ってくるよ。留守番よろしくね、少年!」

「あ、ちょっと待ってください!」

 少年の制止はバタンと閉められた扉に阻まれて、少女の足を止めることは出来なかった。

「……まったくあの人はぁ……!」

 少年の心配などつゆ知らず、好奇心の赴くまま行動する子どものような少女に、少年は何度目かわからないため息をついた。

 相変わらず外は風が吹き荒れている。むしろさっきまでよりも強くなっているかもしれない。

 とうとう耐えきれなくなった木の枝がポッキリ折れ、風に攫われ吹き飛んでいく。どこかのゴミ箱が倒されたのか、眼下の道を紙くずの行列が横切っていった。

 少年は窓を半分ほど閉め、少女が座っていた椅子に腰を下ろす。机の上に置かれた本を手に取り、挟んでいた栞を頼りにページを開いた。

「……」

 しかしなかなか内容が頭に入ってこない。文字をたどって物語の世界へ入り込んでいるはずなのに、気がつけば意識は窓の外、風に翻弄される木々を眺めている。吹き抜ける風が少年の頬を撫で、扉にぶつかって散っていく。

「…………はぁ」

 少年はそっと栞を挟んだ。窓を完全に閉め、机の上に本を戻す。手早く宿の鍵と貴重品を身に着け、扉を開いて外へ出た。

 相変わらず風はごうごうと唸りを上げて吹き荒れ、何もかもを連れ去らんとその手を引く。

 少年はその手を振り払いながら、少女のいる街外れの小山に向かって足を進めるのだった。


 その後、楽しそうに駆ける少女に翻弄され傘を手に飛んだ少年が数瞬の浮遊感の代償に泥まみれになり、少女にしこたま笑われることになるのだが、それもまた彼らの旅路に刻まれる一つの物語だ。

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名前のない旅路より 霧隠タツヤ @kirigakure001

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