・いつかあの雲はお菓子になるのだろうか
「しょうねーん~見たまえ~。あの雲、まるでふわふわの雪菓子のようだよ~」
「……甘いものでも食べたいんですか?もうその話何度も聞きましたよ」
少女の間延びした声に、少年の呆れ声が続く。それはここ数時間のうち、何度も繰り返された光景だった。
「失礼な、雪菓子雲は初めての発見だよ。さっきのはさらっと舌の上で溶ける削り氷雲、その前はふんわり甘い飴綿雲じゃないか!」
「どれもこれも同じ雲ですし同じ甘いお菓子じゃないですか……」
頬を膨らませながら力説する少女。その言い訳じみた言葉に、少年は更に深いため息をついた。
彼らが今歩いているのは、見渡す限り特徴的なものが何一つ無い広大な平原だ。見通しの良い視界に映るのは、平原に点在する細い木々、背の低い雑草に、そこからうっすら見えるトビウサギの影、大空を悠々と飛んでいるブラストクロウ、そして少女が先程から様々な菓子に見立てているいくつもの白い雲、以上である。
「ああもう、仕方が無いじゃ無いか!街に寄ったのは二週間も前なんだぞ!こんな何もない平原で、甘味どころか固い保存食ばかりの食生活なんだ。飽きてしまって甘いものがほしくなってもしょうがないだろう!」
「いや無茶言わないでくださいよ。僕らは荷物を極力持たないようにしてるんですからお菓子みたいな嗜好品を持ち歩くのは不可能ですって。仕舞うところ無いですし」
少女の文句に、少年は駄々をこねる小さい子どもを相手にするように答える。端から見れば完全に親子の会話である。
その後も度々少年に文句を垂れ流していた少女だったが、次第に同じ正論返ししかしない少年に飽きたのか、むくれながら雲を見ることに集中しだした。そんな少女によって餅雲に泡飴雲、発泡菓子雲など新種の雲がいくつも生み出されることになるのだった。
「ああ……雲はあんなにふんわりしておいしそうだというのに何故食べることができないんだ……」
「……重傷ですね」
雲を菓子に見立てだしてはや半日。少女の「甘いお菓子を食べたい」という欲求は限界を迎えようとしていた。ブツブツとうわごとのように雲を食べたいと言い出したのが数十分前。今や少女には、空に浮かぶ白い雲がふわふわのお菓子にしか見えなくなっていた。
「そうだ少年、私たちの行く先を『雲をお菓子に変える魔法探し』に決めないかい?きっとそうすれば今の私のようにお菓子が食べたくて堪らない子ども達を笑顔にすることが出来ると思うんだ……」
「いやいやいや、何言ってるんですか」
少年は少女の瞳を見て焦るように言った。その瞳は真剣そのものだったのだ。このまま行けば少女はその『雲をお菓子に変える魔法』とやらを本気で探しに行きかねない。いくら行く当ての無い放浪の旅だとしても、そんな一時の感情だけでこの旅の行く末を決めてしまうのはさすがに勘弁願いたかった。
「何とかしなきゃ……ん?」
未だ空想と現実の狭間をさまよっている少女に、少年は必死に策を巡らそうとして、ふと前方に動く影を見た。トビウサギやサナウルフなどとは明らかに違う大きさの生物だ。そしてその生物の後ろに見えるのは、同じ速度で動く大きな四角い箱。箱の大きさを支えるこれまた大きな車輪が、辺りの砂を巻き上げてもうもうと土埃を上げている。
そう、その正体は大型の馬車だ。おそらくは街から街を渡り歩いて商品を売り歩く商人のものだろう。少年はすぐさま、少女を現実に引き戻すために行動に出た。
「あれを見てください、きっと商会の馬車ですよ!もしかしたら何かお菓子を扱ってるかもしれませんし、行ってみましょう!」
「んん~?確かに雲(お菓子)はそこに見えるけど、あれは取れないよ少年~」
少年の(ある意味)必死の訴えは、少女の幻想世界を壊すには少し効果が薄かった。お菓子というワードに反応はしたものの、雲がお菓子に見えていて現実の馬車が見えていないのは相変わらずだった。
「いやそっちじゃ無いですって!ああもう、ちょっと我慢してくださいね!」
「へ?……ってしょ、少年!?何する気……!」
少女の様子から現実に戻ってくる可能性が限りなく低いと確信した少年は、背負っているリュックを前に回した。そして思考どころか足取りまで少しフラフラしている少女を一気に背負うと、突然のことに慌てる少女を無視して両足に力を込めた。少年の足に貼られた偽装皮膚が溶けるように消え、漆黒の金属肌が露出する。
「少しの間しゃべらないでくださいね!舌を噛んで痛い目見ますから!」
その言葉に少年が何をする気か察した少女は、慌てて口をつぐんだ。少し頬を赤らめながら、振り落とされないように少年にしっかりしがみつく。
それを感じ取った瞬間、少年の足が一気に大地を蹴った。
耳元を勢いよく流れていく風に思わずつむった目を、少女は再び開いた。その透き通る瞳に映ったのは、広大な草原の景色があっという間に後ろに流れていく光景だった。
両足のリミッターを解除した少年が地面を蹴る度、目に映るものが冗談のように変わって行く。少女にはそれがやけに不思議に思えた。少女の脳裏に、以前少年から教わっていた力のことが思い出される。
少女はそっと少年の顔をのぞき見た。万が一にも障害物に接触しないよう目を光らせる少年の真剣な表情に、少女は思わずドキリとする。いつも疲れたような、振り回されてばかりの少年が見せた真剣な瞳が、少女の脳裏にくっきりと焼き付いた。
商会の馬車はもう目と鼻の先だった。一段と速度を上げる少年に、そっと少女は回した腕に加える力を強める。風圧にまき散らされた砂埃が、二人の行く末をぼんやりと眺めていた。
「いやぁ、後ろから何かが全力疾走で追いかけてくるもんだからびっくりしちまったぜ」
草原の真ん中で、馬車から降りた商人が豪快な笑い声を上げた。少年は商人のその言葉に少し申し訳なさそうな顔で答える。
「すみません、普通に走っただけじゃ追いつけないと思ったもので……」
少年の謝罪に、商人は再び大きく笑った。
「かまわねぇさ、あんな遠くから追いつこうと思ったら当然そうなる。むしろ全力疾走程度でよく追いついたな。ありゃ魔法か何かか?」
「ええ、彼女の魔法です。ああ見えて魔法使いなんですよ」
少年は少しの罪悪感を覚えながら噓をついた。少女が魔法を使えるというのは本当だが、走る少年に魔法をかけていたわけではない。幸い商人はそれで納得したようで、腰に手を当てながら軽快に笑った。
「なるほどねぇ、そりゃ俺の愛馬もあっさり追いつかれちまうわけだ」
その言葉に呼応するように、傍らで雑草を食んでいたファストホースが勢いよく吠える。
「良い馬ですね」
艶やかな毛並みや肌からも、そのファストホースがよく手入れされていることがうかがえる。商人が嬉しそうにファストホースの背を叩いた。
「ああ。商売を始める前からの、俺の相棒さ」
商人とファストホースの間には、何事にも代えがたい絆のようなものが感じられ、少年は少し羨ましく思った。
そのまましばしの間、少年と商人は言葉を交わした。そしてそろそろ出発しようかという流れになった頃、少年の背後から声がかけられた。
「ふぅ、ごちそうさま!なかなか美味しかったぞ、商人!」
商人から買ったお菓子を平らげた少女だった。そこそこな量のお菓子を買ったはずなのだが、少女の手元には跡形も無かった。
「おう、そりゃ良かった!だがそんなに食って飯は食えるのか?」
商人の言葉に、少女は控えめな胸を張って答える。
「もちろんだとも。よく言うでは無いか『甘いものは別腹』、と!」
「……ほんと、その体のどこに消えてるんでぐふっ!」
呟いた少年の腹に鈍い痛みが走った。一切の溜めなしで放たれた少女の一撃が、少年の腹にクリティカルヒットしたのだ。乙女に体形その他諸々の話は禁句である。
音も無く崩れ落ちる少年に、商人が「おおこえぇ」と肩をすくめた。
「ところで商人よ、このお菓子はこの近くのものなのか?」
地面で呻く少年には目もくれず、少女は淡々と話を続ける。商人は少し顔を引きつらせた。
「あ、ああ。これから行く街のもんだ。ここから馬車で数時間てところだな」
商人の回答に、少女はうんうんと頷いた。
「ものは相談なのだが、良ければ私たちをその街まで乗せて貰えないだろうか。もちろんその分の運賃は払う」
「別に構わねぇが、お前さんらはどこか違うとこへ行く予定だったんじゃねぇのか?」
少女はそっと首を横に振った。
「いや、私たちに特定の行き先なんて無いんだよ。思い向くまま自由に進むのさ」
「そうか、それならそんぐらいお安いご用さ」
商人はそう言うと、馬車の方へ戻っていった。
「さて、いい加減起きたまえ少年」
「容赦なく殴り飛ばしておいてよくその台詞が吐けますね……」
呆れるような声を上げながら、少年がフラフラと立ち上がる。
「喜べ少年!次の行き先が決まったぞ!」
少年の言葉は、少女によって華麗にスルーされた。呆れを通り越して何も感じなくなった少年は、それ以上の追求を諦めた。
「さぁ、甘味を求めて旅を続けようじゃ無いか少年!早く馬車に乗りたまえ!」
「いやいつの間に旅の目的決定してるんですか……」
少年の呟きは、草原の風に掻き消されて消えていった。うきうきと馬車に乗り込む少女を見ながら、少年はすっかり癖になってしまったため息をつく。少女の思いつきに振り回されるのは、どうやら逃れられない確定事項のようだ。
少年少女を乗せた馬車は、広大な草原を駆けて行く。まだ見ぬ次の目的地へ向けて、名前の無い旅路は続いていくのだった。
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