禍乱 Do.

陰角八尋

サンタと半裸と高校生

超能力者が外道と呼ばれるようになった世界の高等学校にて、血の雨が降り注いだ。窓は割れ、巻き起こる風に乗った鉄や硝子の欠片が少年少女を切り裂いていく。9月の半ばに、錆と汗の臭いが教室に充満した。


「きぃよし、こぉのよぉる」


季節外れなきよしこの夜を、外れた音で歌う少年だけが無傷で踊っていた。教室の中心でくるくると回る姿は、クリスマスプレゼントを見つけ喜ぶ子供によく似ている。回り、勢いをつけた両腕から放たれる不可視の刃は、できたばかりの肉塊をさらに刻んでいった。

動き続けたせいで、血に汗が混じっている。肌に貼り付く制服の感触は不快だが、それ以上に多幸感が少年を包みこんでいた。


「僕は良い子だったんだ!」


はしゃぎ、笑う。そうして血溜まりで足を滑らせて転ぶまで、少年は回り続けていた。



「あぁなるほど。そりゃ休日でも呼ばれるわな」


対外道組織――通称「対道たいどう」に属するカランは、久しぶりの休日が潰れたことをうれいていた。休日出勤は彼が大嫌いな言葉である。

しかし、指定された現場へ来てみれば納得せざるを得なかった。既に警察や対道関係者が、周囲に配置されている。事件現場である平日の校舎は、異様な静寂をもってカランを迎えた。

校舎の奥に見える教室の一つからは、叫び声が聞こえてくる。誰かいるのがうっすらと見えるが、教室全体が赤く染まっているせいで中の様子はよく分からない。代わりに、鉄のような臭いが校門まで漂ってきていた。


(取り残された被害者、じゃなくて野良の外道か? というより、何があったんだ本当に)


仕事柄、外道を相手にするカランにとって血は見慣れたものだ。しかし、ここまで凄惨なものは久方ぶりである。


「あーくそ、今日のセット考えてる暇もなかったわ」


急いできたせいで、カランの髪はボサボサだ。あちこちに伸びた毛先は、風に吹かれて揺れている。早く帰りたいという想いだけが、カランの中にあった。だが、上司の命令である以上はやらねばならない。


準備運動がてら、体の調子を確かめる。どこにも不調はなく、いつでも戦える状態だ。横を見れば、自分を呼び出した上司のカジがいる。目の下にできたクマを見るに、また碌に寝ていないらしい。しかし、まっすぐに伸びた姿勢と静かな声色からは、全く疲労を感じさせない。


「カジさん、ワックスとかあります? 髪セットしてなかったんでボッサボサで」


「持ってますけど貸しません。そもそも、あなたにワックスとかいります?」


「いやいりますが? というか、休みの日に呼んだんですからそれぐらい良いじゃないですか」


「嫌です。私からすれば、あなたにワックスを渡すなんて無駄極まりないので。まぁ、せっかくの休みに申し訳ないですが、ちゃんと働いてもらいますよ」


カジと呼ばれた男は、カランの直属の上司だ。カランに「外道による事件発生」を伝え、現場に呼び出したのも彼である。


今はカランから視線を外し、手に持つタブレットを操作している。短く整えられた黒髪にスーツ姿は、できる公務員に見えなくもない。実際、できる男なのだが。


「分かってますよ。相変わらず冷静ですよねカジさんは」


「これぐらいで驚いていては、あなたの上司なんて務まりませんよ。年寄り臭いこと言いたくないですけど、昔はもっと酷い事件が頻発していたんですから」


対道がまっとうな組織として機能している現代で、これほどの事件は珍しい。警察はおろか、対道たちのあいだにも緊張が走るなか、カジの落ち着きは異常である。

これまでに積み重ねてきた経験と、冷徹に事を進めるための信念を持つ彼だからこそ、臆せずにいられるのだ。


「カランさんはまだ対道に入って数年でしょう? あと十年でもこの仕事を続ければ、嫌でも慣れますよ」


「うーん、慣れる前に壊れなければ良いですけどね」


傍若無人な外道たちを相手にする対道の仕事は、目を覆いたくなるような場面に出くわすことなんて数え切れないほどある。どれだけ優れた外法を持っていようと、心が折れてしまえばそこでお終いだ。そんな同僚や先輩たちを、カランやカジは何度も見てきている。


「まぁ、あそこまで酷いのは私も久しぶりです。気を付けてくださいね」


校舎奥に見える教室棟の一角。遠目だと良く見えないが、カランが校門前に来たときから教室内で暴れていたのは野良の外道で確定らしい。


「目立ちたがりか、対道と敵対する組織ですかね?」


校門前から惨状を眺め、カランは嘆息する。経験上、前者より後者のほうが面倒なことになりやすい。今回もその類かと身構えていたが、カジの様子を見るに外れのようだった。


「前者ならまだしも、後者ならもっと過激なことを起こすでしょうね。陽動が目的なら、これぐらいで済ませませんよ。それに、今回の犯人については特定されています」


カジは再びカランへと視線を向ける。先程から触っていたタブレットには、気弱そうな少年の顔写真が映っていた。


「え、もう特定されているんですか?」


「えぇ、この子です。外道の名前は筒井つつい組彦くみひこ。この高校に通っている17歳と情報ではあります。件の教室も、彼のクラスだそうです」


「じゃ、野良の外道ですか。イジメられていたとかいう感じの動機ですかね?」


「まぁ、復讐の線が高いでしょうね。校内で筒井が殴られているところを見た人もいたそうですし」


復讐。外道が現れ始めてから、急激に増えた犯罪の動機の一つだ。外道は、虐げられている者がなりやすいという一説もある。

それでも、多くの外道は目立つような行動をしない。目立てば目立つほど、対道に拘束もしくは処刑される可能性が高まるからだ。それでも派手な行動を起こすのは、何があっても自分の悲願を叶えたいタイプだと相場は決まっている。


「外道が出てくるようになってから減ったと思ってましたけど、イジメなんてする奴がまだいたんですね」


「あまり勉強熱心ではなかったのでしょう。歴史だけでもちゃんと学んでいれば、外道の事件ぐらいは分かるはずですが」


被害に差はあれど、外道となった者の多くが自分を虐げた相手への復讐を行う。それこそ、外道が現れ始めたころは多くの血が流れた。今回の事件も、殺したくなるほどの被害を筒井は受けていたのだろう。

だが、ここまでの事を起こした以上、保護ではなく確保もしくは処刑となる。


「今回、戦闘は避けられないでしょう。加えてここらのエリア担当で、比較的まともでちゃんと戦えるのがカランさん、あなたしかいなかったんです」


「いやいやいや。いましたよね他にも? いくらなんでもここまでの事件で適当にやるやつなんて……」


「適当ならまだしも、やり過ぎる者ばかりですから任せられるわけないでしょう。校舎を丸ごと建て替える羽目になりますからね」


近くで話をこっそり聞いていた若い警察官は、カジの言葉に目を剥いた。あの教室にいる野良の外道よりも恐ろしい奴が、対道にいるのかと。

一方で、同じく近くにいた中年の警官は鼻を鳴らした。カランとカジの二人を軽く睨みつける。


「え、どうかしました?」


「……なんでもねぇよ」


視線に気づいたカランが問いかければ、中年警官は吐き捨てるように返答してすぐさまそっぽを向いた。


「カランさん」


「あーはい、すいません」


敵意のある視線に、カランはわざと反応した。対道と野良の外道を同一視する者は、少なからず存在している。

対道が発足されて早数十年。外道と人の間にできた溝は、未だに深い。


20代を超えたばかりのカランにとって、対道の仕事を嫌がる理由の一つがそれだ。

望まずに外道となり、命を失う危険を冒して戦っているにも関わらず白い目を向けられる。それが苦痛で仕方ない。

もちろん、外道に対して好意的な者はいる。対道関係者には一般人もいるが、彼らも外道という理由だけで蔑ろにすることはない。そんな人達がいるからこそ、嫌々ながらにカランは仕事を続けられているのだ。


「俺に対して好意的な人がいるから、なんとかやってますけど。やっぱり、ああいった目で見られるとムカつくんですよ」


「対して事情を知らない外野にどう見られようと、私達は仕事をこなすだけです」


「それも慣れですか?」


「そうですね。経験上、ああいった手合いは相手にするだけ無駄ですから」


「そーですか。というかカジさん、ここにいていいんですか? 警察の人もそうですけど、遠距離系の外法持ちだったら危ないでしょ」


「今回、カランさんのバディを務めるのがコバコさんなので……」


「あぁ、なるほど。もう外法で閉じ込めてたんですねアレ」


腕にまっすぐに上げて背筋を伸ばしながら、カランは周囲を見渡す。

何かあった時のために、外道はほぼ必ず数人一組で行動しなければならない。後方支援であるカジ以外に、最低でもあと一人、戦闘を補助する外道が来ていた。それがコバコだ。


「便利な外法だよなぁ」


髪の毛をいじりながら、カランは出られない教室で狼狽えている筒井を見つめる。


「コバコさんの外法ですから、あの程度の外道では障壁を破ることはできないでしょう。前にご本人から聞きましたが、浮気した元カレにキレたときに外法を得たそうですよ」


「うわ、初耳ですよそれ。でもあの性格なら、こんな外法になるのも納得だな……あれ? 肝心のコバコは?」


「後ろに停めてる車の中です。『やることはやったから、さっさと終わらせろ変態』と言っていましたよ」


外法を使い過ぎれば、大抵の外道は肉体や精神の負荷に耐えられず気絶する。最悪、後遺症が残ってしまう事例も少なくはない。

強力な分、コバコの外法は負荷が大きいため、短時間で決着をつけるのがベストだ。カランもそれが分かっている以上、早く教室へ向かおうと準備を進める。


「早く行かないとなんて言われるか……じゃあ脱ぎますね」


カジの返事を待たず、着ていたジャケットを脱いだ。続いてインナーも脱ぎ、持っていたカバンへと詰め込んでいく。周りにいた警察は驚くが、カジや一部の対道は気にせずに見守っている。


「あ~あ、俺みたいなやつの裸見て何が楽しいんだか」


「いきなり外で脱ぎだす人がいたら見てしまうでしょう? それにそんな体じゃ、見られて当然ですよ」


服で隠れていたカランの肌には、無数の傷痕があった。切り傷やヤケド痕に混じって、獣に噛まれたような痕まである。


「やっぱり治さないんですね」


「ま、っていうハッタリにもなりますし」


ズボンや靴下までも脱ぎ、ついにボクサーパンツ一枚になったカランは脱いだものをカバンへとしまい、それをカジへと渡した。


「服、また預かってもらっておいて良いですか?」


「いいですよ。預かっておくんで、さっさと倒して早く戻ってきてください」


「はーい」


「あぁそれと、上からの指示が来てます。確保ではなく、『処刑』でお願いしますとのことです」


「はいはい、分かりましたっと」


血濡れの校舎へと進むパンツ一枚の男を、咎める者はいない。散歩にでも行くかのような足取りで、カランは校舎の中へと消えていった。


「やっと行った? あの変態」


カジの後ろにある車から降りてきたコバコは、梶の隣に来るなり悪態をついた。おぼつかない足取りで、出てきた彼女の顔は青白い。


「まだ車の中で休んでいたらどうですか? さっきから外法を使いっぱなしなんですから」


「そういう訳にもいかないでしょ。まだあの野良を閉じ込めとかなきゃいけないし。それに、あの変態が死ぬかもしれないでしょ? そこ見逃すわけにはいかないじゃん」


「そうですか」


カジは興味がないと言わんばかりに、無機質な言葉を返す。こういう時のコバコに少しでも意見しようものなら、より面倒な事態になることは知っているからだ。

わがままで口うるさく、傲慢。カジの同期いわく、美人で外法が有能じゃなきゃとっくに背中から刺されているタイプ。それがコバコだ。


そんな女外道とカランは、以前にもバディを組んだ経歴を持っている。その時、不慮の事故で己の恥部をコバコの眼前に晒してしまったのだ。結果として、公衆の面前でカランは全裸のままコバコの外法で閉じ込められ、色んな意味で恥をさらしてしまっている。


以来、コバコはカランが惨たらしく死ぬことを望んでいた。その瞬間を目撃し、嘲笑する時を今も心待ちにしている。


「絶対に許さない……今でも時々夢にみるのに! なんであんな奴の――!」


(カランさん、早く戻ってきてください。私にコバコさんのお守りは荷が重い)


いつものように始まったコバコの愚痴を、カジは話半分で聞き流す。願わくば、すぐにでも彼が戻ってくるように。そう思いながら、タブレットに映る処刑の文字を見つめていた。



「できれば相当の馬鹿であってほしいけどなぁ」


そう呟きながら、カランは閑静とした廊下を進んでいた。例の教室に近づくにつれて、漂い始める血生臭さに顔をしかめる。

階段をのぼってみれば、教室内に収まりきらなかった血があふれ出てきていた。同時に、コバコの外法で密室となった教室の中から悲痛な叫びが聞こえてくる。


「あぁぁぁぁ、何で、なんで出られないんだよ!?」


血だまりへ踏み出す寸前。聞こえてきた声は、年相応に幼い。


(馬鹿だな)


教室の前に立てば、呻き机を殴りつける青年――筒井組彦と目が合った。幼い顔立ちに、背も17歳という割にはあまり高くない。160cmもないだろう。体は細く、コバコの外法で閉じ込められ狼狽える姿はあまりにも弱々しい。


「逃げないのか?」


「え?」


殺し、閉じ込められたところに現れたのは下着一枚の男。

筒井の思考が一瞬停止したのは、仕方のないことかもしれない。だが、すぐに結論へと辿り着く。


「対道っ!?」


すぐさま後ろに下がる筒井だったが、血だまりで足を滑らせ転んでしまった。


「だっ」


強く体を打ち付けた筒井が悶絶している間、カランは教室へと入る。血だまりの中にある、硝子や木の破片を踏み抜かないようすり足で移動していく。服と合わせて靴や靴下まで脱いだ今、彼は裸足だ。


(最悪だ。やっぱ靴は履いてくれば良かったか? でもあれ高かったんだよなぁ。汚したくなかったし)


「クソッ!」


ゆっくりと近づく対道てきを前に怯える筒井だったが、立ち上がってすぐに右腕を振るう。瞬間、クラスメイトをバラバラにしたであろう不可視の刃がカランへと襲い掛かった。

左肩から右わき腹にかけ、後ろの壁ごと切断するであろう一撃。しかし


「おっと」


「……え?」


――強烈な風圧に体勢を崩したものの、カランが傷を負うことはない。

代わりに血だまりが跳ね、飛び散る赤の隙間から見えた床に深い切れ込みが入っているのが見えた。


焦りはしていたものの、さほど距離も離れていない相手に向けたはずの攻撃が外れるわけがない。そうして目の前の不可解に気を取られてしまった筒井は、カランの接近を許してしまった。


近づいてすぐ、カランは右の拳を引いた。わざとらしく、今から殴ることを教えるように。筒井は咄嗟に、腕を交差して顔を守る。反射で取ったその行動は、胴体をガラ空きにしてしまった。


「あ゛ッ」


明らかな悪手。顔を守ってしまったのは、大嫌いなクラスメイトに一番殴られた箇所だからだ。


鳩尾みぞおちを強く殴られたことで、肺から息が押し出され呼吸が止まる。

猛攻は止まらず、腕の上からも拳を叩きつけられ、肉や骨が悲鳴をあげていった。


それでも筒井が折れずにいられたのは、外道になったことによる肉体の強化のおかげだろう。

外道になる前であれば、最初の一撃で負けていた。


「どけよぉ!」


鎌鼬の先にあるのは、二人の横で積み重なっていた机や死体の残骸。切断され、風により吹き飛んだ鉄の脚や肉片が外道へと襲い掛かる。


「おっと」


カランは、防御ではなく回避をとった。飛び退いた直後、先ほどまでカランがいた場所を鋭利な凶器が通り過ぎていく。


距離を離せたことに安堵しつつ、筒井は血で赤く染まった体を起こした。


「何でだよ」


「え?」


「何で、何で僕ばっかりこんな目に遭うんだってっ、言ってんだよ!」


癇癪を起こし、机をカランへ向けて投げつける。転がる肉を踏みつけ、血だまりで裾を濡らす。そんなことをしても、カランには傷一つ付けられない。


昔から、自分が傷つけられる側だった。

生みの親ですら、愛情というものをほとんど注いではくれない。小学生の頃、クラスで一人だけサンタが来なかったことがきっかけでイジメられた。

悪い子のところには、サンタが来ない。

家庭の事情なんてものをまだ知らないクラスメイトの発想は、いともたやすく筒井を傷つけた。


傷ついたことでふさぎ込むことが増え、より卑屈な性格へと変わった。顔立ちは暗く、猫背でお喋りも苦手。そんな筒井を、両親はますます遠ざけた。顔に青あざを作ろうと、泥だらけの制服で帰ってこようと何も言ってこない。


しかし、昨日は違った。


「あぁそうそう、高校を卒業したら出てってもらうからね」


冷えた食卓に冷めたい一言。口に運んでいたものの味が急になくなり、声も出せずに顔だけをあげた。疲れた顔の母は、子と目も合わそうともせず続ける。


「バイトでお金ぐらいたまってるでしょ……いい加減独り立ちしてくれないとこっちも困るから」


頭が真っ白になった。自分が稼いだ金のほとんどを養育費として取られ、小物だの服だのに使われているのは知っている。そのせいで自分は趣味に使うお金すらほとんどない。持っている私服も、ずっと前に買ったものばかりだ。

育ててもらった恩はある。出て行ってほしいという言葉も、何気ない一言だったのかもしれない。そう思おうとするより先に、組彦は手に持った茶碗を投げていた。


「ふざ」


けるな。そう続けようとした言葉は、すぐに喉奥へと引っ込んだ。

投げた茶碗は宙で真っ二つに割れ、強い風がテーブルの皿を薙ぎ払う。飛び散る味噌汁の熱を服越しに感じながら、組彦は目の前で床に落ちる母の上半身を見つめていた。

何が起きたのか分からないという顔で、血にまみれてテーブルの下に消えていく。椅子に座る半身からは血があふれ続けていた。


「やっと僕のところにもサンタが来たんだ。欲しかったものが手に入ったんだ」


服は赤く染めながら、母の亡骸を浴槽に隠した。その後、夜になり仕事から帰ってきた父も殺した。少し念じて腕を振るえば、簡単に人を殺せる。

愛情は得られなかったが、くれなかった奴らに報いを与える力を得た。


「やっと始まるんだ。サンタが来て、僕は悪い子じゃないって証明されたんだ。だから――邪魔をするなぁぁぁ!」


振り回された両腕から放つ鎌鼬は、辺りの物を砂嵐のように巻き上げた。蛍光灯を割り、コバコの作った障壁に血を塗りたくる。またもや凶器と化した死体と什器の群はカランにも襲い掛かった。


「あっぶねぇっ!」


申し訳ないと思いつつも、まだ原型を留めていた生徒の上半身を盾にする。運動部に所属していたのであろうか、鍛えられた男子生徒の亡骸はかろうじて凶器の猛襲からカランを守ってくれた。


その様子を、筒井は静かに見ていた。

最初に受けた攻撃に加えて、連続で外法を使ったことにより心身ともに消耗が激しい。満身創痍となる中、心に宿すのは絶望ではなく希望を含んだ確信だった。


(やっぱり、相手は無敵じゃない)


試しにもう一度、鎌鼬を振るう。カランの斜め後ろにあった机と死体の山が弾けるようにして飛び散り、同時に切断され先が尖った鉄や骨が四方八方へと放たれた。またもやカランは回避を選び、今度は近くの椅子を盾にまで使い防御する。それでもすべてを防ぐことはできず、カランの体にいくつもの傷がついた。


(一定以上の攻撃は効く! 力でゴリ押すか、あるいは……)


カランの外法、そのカラクリに気付いた筒井の顔に生気が戻る。それを見たカランは、己の手の内が暴かれたことを悟った。


(やべ、最初に大ケガ覚悟で攻め続けとけば良かったな)


直接触れている物へ、自分が受けるダメージを押し付ける。それがカランの外法だ。

どこかに触れてさえいれば、傷を負うことはない。しかし、触れている物がなかったり一度の攻撃で大きなダメージを受けたりすると、ダメージをそのまま受けてしまう。


だからこそ、カランは摺り足で筒井に近づいたのだ。どこかに触れていなければ、最初の鎌鼬で真っ二つになっていただろう。


「気づいたんだろ、俺の外法に」


額に手を当て、視界の邪魔になっていた髪をかき上げる。血をワックス代わりに使い、オールバックの形に整えた。頭皮に入りこむ赤色の感触は、思っていたよりも不快ではない。自分もカジのような人間に近づいていることに少し苦笑しながら、カランは言葉を続けた。


「どうする? さっきみたいに机だの死体だのバラバラにして、俺に飛ばすだけならまだ防げるぞ」


筒井は答えない。しかし、先ほどとは違い余裕があるように見える。

外法を暴きはしたが、まだ勝ったわけではない。それでも、筒井が落ち着いていられる理由。それは勝てる方法を見つけたからに他ならないだろう。


「殺す方法でも思いついたか?」


「言わない」


対道てき相手に、馬鹿正直に言う必要はない。後は行動に移すのみ。


筒井が振るうは両腕。今日一番の大振りだ。

弧を描くように飛ばされた鎌鼬は、天井に大きなバツ印を刻みこむ。直後、切断され自らの重さを支えきれなくなった鉄骨やパネルなどの建材が、音を立てて降り注ぎはじめた。


「あぁクソっ、それはマズい!」


筒井の意図に気づいたカランは、そこらの什器をかき集めて即席のバリケードを張り、身を潜めた。一方、筒井はどこにも隠れない。落ちてきた瓦礫の山に向けて、腕をめちゃくちゃに振るっていく。より細かく切断され、より鋭くなった凶器の雨たちは、鎌鼬の風圧により加速した。


傘をさす時間など、与えられるはずもなく。

人災により発生した雨は、教室の壁や床を強く叩いた。


「――あぁああぁああああああっ!」


無意識に、筒井は叫び声をあげていた。しかし、運が悪ければ自分が死ぬこの方法を選んだのは、他でもない筒井自身。傍から見れば滑稽かもしれないが、命がかかっている以上は必死で腕を振り続けるしかない。

がむしゃらに振るう鎌鼬は、襲い掛かる雨を吹き飛ばしていた。全ては防げず、体のあちこちに傷が増えていく。何より最悪なのは、左足の甲に鉄骨が突き刺さったことだろう。


だが、耐えられる。脳内麻薬が出ているのか、痛みもそこまで感じてはいなかった。加えて本物の雨と違い、気まぐれに長雨となることはない。


時間にして約十数秒の通り雨は、教室内の全てを荒らしつくした末に上がった。それからすぐに、崩れたバリケードを押しのけ、カランが姿を現す。


先ほどまでの余裕は感じられない。体のあちこちに鉄骨やコンクリートの破片が刺さり、流血している。それでも倒れないのは、対道としてこれまでに培ってきた努力の賜物だ。


「化け物だ……」


「いや、お前もだろ?」


カランに刺さった鉄骨は骨まで食い込んでいるが、幸いにも臓器や大動脈に当たったものは一つもなかった。もし刺さっていたら、多量出血でショック症状を起こしていたかもしれない。


ダメージはカランのほうが重く、血も流れ続けている。一方で先ほどよりも余裕を取り戻した筒井は立ち上がり、目の前の敵を睨みつけていた。形勢は逆転したものの、外法を短時間で使いすぎたせいか顔色が悪い。


長期戦に持ち込めるほどの体力は、互いに残っていなかった。


「あと一回、あと一回だ」


荒々しい息を繰り返し、筒井は告げる。


「あと一回でケリをつけてやる」


「やってみろクソガキ」


カランは、筒井の言葉に挑発で返す。深く息を吸い込み、呼吸を整えて構えた。


「今度こそ、今度こそ殺す」


筒井が、腕を振り上げる。それを見たカランはすぐさま走り出し、鎌鼬を起こされるよりも速く筒井へと肉薄した。


(速い!? でも、攻撃されるよりも早く殺せば……!)


筒井は腕を振り、上に残っていた建材を切り落とした。

しかし、先ほどの雨あられで鉄骨やコンクリートはほとんど下に落ちてしまっている。筒井がカランを殺すためには、がむしゃらに瓦礫を飛ばすのではなく、カランを狙って飛ばさなければならない。


「当たれッ!」


続けて起こした鎌鼬により、落ちてきていた瓦礫たちは一斉にカランの足元へと突き刺さった。


「うおっ!?」


避けるため、カランは跳びあがる。それこそが、筒井の狙いだ。


(最初に鎌鼬を当てたとき、体は切れずに地面が裂けていたから……対道の外法は『触れている場所にダメージを押し付ける』ものだ! だから、空中に浮かせる!)


筒井の考えは当たっていた。確かに、空中に浮いてしまえばカランはダメージを床へと押し付けられない。

いま、空中にいるカランは無防備の状態だ。


(でも、あいつはパンツをはいてる。最低でも鎌鼬を二回、まずパンツを破ってから胴体を切断する!)


腕を振るう。もうとっくに肉体は限界を超えていた。それでもなお飛ばした鎌鼬は、黒のボクサーパンツを引き裂き吹き飛ばす。


「おいマジか!?」


生まれたときの姿になったカランだが、焦ることなく筒井を見据える。何より、上司から「戻ってきてください」と言われた身だ。ここで死ぬわけにはいかない。

しかし、既に目の前の筒井げどうは腕を横に大きく振るっていた。



あと数舜で足が床に着くという寸前で。

カランへ向け、最後の鎌鼬が放たれた。



「……は?」



力を使い果たし、膝をついた筒井が見たのは切断されたカランの死体――ではない。

確かに引き裂かれている。ただ、それはカランの胴体ではなく、頭皮であった。血は流れず、切れた髪がゆっくりと落ちていく。



直接触れているものにダメージを押し付ける外法。それは床や下着に止まらず、カツラですらも押し付ける対象として機能する。

だからこそ、カランは髪を剃りカツラを張り付けていた。いざという時のために。


先ほど下着を切られて焦っていたのも、筒井に「ダメージを押し付けるものがもうない」と錯覚させるためのハッタリである。


「じゃあな」


着地してすぐの一撃。突き出された指は、筒井の喉を的確に潰した。深く突き刺さった指はそのまま頚椎を貫き、命を奪い取る。

筒井の顔は、驚愕の表情で固まったままだった。指を引き抜くと、空気が漏れる音を血と共に吐き出しながら倒れていく。苦しまずに死ねたのは、筒井にとって幸福だったかもしれない。


「復讐にしても、もっと上手くやれば良かったのにな」


そうしてカランは、遠くからこちらを見守るカジへ「任務完了」の合図を送った。



「で、何で死んでないわけ?」


「そこまで言うか?」


カランのお見舞いに来たコバコの言葉は、何時にも増して辛辣だった。一方的に嫌われているものの、カランは強く出られない。初めてコンビを組んだ際、不注意とはいえコバコに局部を見せてしまったのが原因だ。


結果として、血まみれになるほどの大けがを負っても労いの言葉をもらえず、遠回しに「死ね」と言われる始末。そんなカランを、コバコと違い真っ当なお見舞いとして来ていたカジは憐みの目で見ていた。


「思っていたよりも酷いケガでしたが、無事に治るようでホッとしましたよ。一応医師に確認しましたが、後遺症も残らずにすむそうです」


「すいませんカジさん、また迷惑かけてしまって。あぁそれとコバコもありがとな。おかげで外道を倒せたわ」


「何言ってんの? 私は閉じ込めただけで、倒したのはあんたじゃん。そうやってご機嫌取りのために、自分の功績を渡そうとするの止めてくれない?」


「あ、はい」


「本当に感謝しているんだったら、早く記憶を消せる外法持ち見つけてくれる?」


「俺、怪我人なんだけど」


今度の休日は、記憶操作の外道探しで潰れるのだろう。


「まぁ、完治するまでは安静にしておくべきでしょう。コバコさんも、あまりカランさんを責めるのは控えてください」


「はいはい分かりました、いま出ていきますよ」


そう言って、病室からコバコは出ていく。

扉が乱暴に閉められてから少し間をあけて、カジは改めてカランに向きなおった。


「筒井組彦の死体については、施設が預かるそうです。ほぼ確実に、実験に使われるでしょうね」


確かに筒井は処刑すべき野良だった。あれだけの騒ぎを起こした以上、それしか方法がなかったと言える。もし処刑以外の選択を取っていたら、世間からのバッシングは避けられなかっただろう。

それほどまでに、人と外道の溝はいまだに深いのだ。


だが、そうだとしても。


「もっといい方法があったはずなんだけどな」


「そうですね。最初に殺された両親の遺体や自宅の状況を調べるに、もしかすると事故だったかもしれないとのことです。ですが、もしもなんて話しても仕方がありません。次の仕事に向けて、英気を養うのが最善でしょう」


「やっぱり、カジさんは慣れているんですね」


「嫌でも慣れますよ。カランさんもあと十年続ければ」


「その前に壊れなければ良いですけどね」


できれば、休日出勤はもうゴメンだ。そう思いながら、カランは窓の外へと視線を向ける。

雲一つない空の中、9月の太陽があの時と同じように街中を照らしていた。

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