愛という名の夜を知らない

久浩香

第1話

 私も高橋君を好きな事を、柚希は知らない。


 柚希と私は、校区はギリギリ違うんだけど、家そのものは近く、他の高校に進学した友人を介して知り合い友達になった。

 私がいたって平凡でクラスでも埋没する存在であるのに比べ、柚希は美人だ。

 なんて言えばいいのかな。

 えっと、ほら、少女漫画の主人公の彼氏とか、宝塚の男役的な感じ。

 制服のスカートを履いていなければ、まんま美少年で、そういった世界に憧れる乙女が、疑似彼氏にしたい相手。とでもいえばいいのかな。

 本人も、自分がそう思われているのを知ってか知らずか、自分の横に座る女子の為に椅子を引いてあげたりとか、歩道を歩いていても車道側を歩くとかを、至極自然に行っている。

 かといって、セーラー服に包まれた彼女のラインは、理想的な円やかなカーブを描き、彼女にエスコートっぽい事をされる女子なんかより、よほど綺麗だ。そんな裸体を隠し持つ柚希だから、それを嗅ぎ取った男子から告白された事も、私が知ってるだけでも、一度や二度どころではない。


「あからさまなのよね。う~っ、気持ち悪っ」

 それが誰の事なのかは言わないが、自分の二の腕を抱いて、身震いをする柚希から、ボディタッチなんかもされたんじゃないだろうか、と推測しつつ、柚希はまだ男子に興味がなくて、そういう話題も好きじゃないんだろう、とも思っていて、私が高橋君の事を好きだ、という事も言わなかった。


 それなのに、

「ね、聞いて、聞いて。私、高橋に告白しちゃった♡」

 は、反則だと思う。


 なんでも、吉木さん経由で高橋君を呼び出したらしい。

 吉木さんとは、高橋君の友達の田辺君の彼女だ。私と吉木さんとはあまり接点は無いんだけど、私がバイトしている間、柚希は彼女達とよく遊んでいたらしい。


 ★


 喫茶『珈琲専科』は、柚希のお父さんがマスターをしている。ちなみに言うと、住居は駐車場の向こう側で、そっちにも柚希の部屋はちゃんとあるのだが、普通にただ話したりするだけならば、喫茶店の個室の方が、おじさんが、お店で出す用の珈琲やデザートを出してくれるので、二重の意味で美味しい。


『最近、ご無沙汰だから、ちょっと会わない』

 というメールが届いてたのは20時頃。私がバイト中だって事は知ってる筈なんだけどな。


(えっと、これは珈琲専科に来いって事でいいかな)


 私は、小さくため息を吐いた。

 柚希は、他の女子達を甘やかしているけど、柚希が甘えてくる女子は、多分、私一人なんだと思う。そして私も、こんな時間に呼び出してくるなんて我儘を、つい聞いてしまう。


『珈琲専科』に到着したのは、店の閉店時間の15分前だった。

 ドアベルの音に、カウンターの中で座っていた小父さんが、立ち上がってこちらを向く。


「いらっしゃい…って、あれ? 美穂ちゃんじゃないか。久しぶりだねぇ」

「こんばんは。御無沙汰してます」


 私が挨拶をすると、おじさんは驚いたような顔から、どこか嬉しそうな笑みを浮かべてカウンターの中から店内に出てくると、カウンターの前に並ぶ4つのカウンターチェアのうちの一つを引いて、「どうぞ」と言い、私にそこへ座るように促した。

 私が横の椅子に鞄をおいて、その脚の長い椅子に座るタイミングを合わせて、椅子を前に押してくれる。柚希が、女子をエスコートするのは、間違いなく、このおじさんを見て育ったからだと思う。


 おじさんは、カウンターの中に戻りながら、

「いやー。美穂ちゃんを見るとほっとするなぁ」

 と、言ってくれた。

 おじさんにとって私は、理想的な柚希の友達なんだと思う。


「いや、ね。もう、高校生だし、娘の交友関係にケチつける気はないけど……ど~も、最近は、騒がしい子とばかりつるんでるようだったから、心配してたんだ。ほんとに…受験生だって自覚があるのかねぇ」


 手を洗ったおじさんは、横の棚からフロートグラスを取り出し、私からは見えないワークスペースで何かを作り始めた。


「………それに………なんか…彼氏なんかもできたみたいだし…って、いや、この子はね、真面目そうな子だし、早まった事もしないだろうから、別に反対してるわけじゃないんだよ……それでも、まぁ、なんといっても、男、だからねぇ。親としては、気が気じゃないよ。まったく……」


そう、高橋君は真面目だ。

先生からの信任も厚く、先生から『友達は選んだ方がいい』なんて事も言われてたけど、

『誰とつきあうかは、僕が決めます』

と堂々と言い返していて、他人に流されない強さもあった。


おじさんは、娘が彼氏を作った事は不満だが、高橋君自身に悪い感情は持ってないみたい。


「はい。どーぞ」


 そう言って出してくれたのは、サイコロに切ったコーヒーゼリーの上からコーヒーをかけ、バニラアイスと生クリームの乗った珈琲パフェだった。


「ちょっと珈琲が煮詰まっちゃって苦いかもしれないけど、ごめんね」


「そんな、こちらこそ、いつも御馳走になって…有難うございます」


「あ、美穂。やっと来たぁ」


 店内の奥から柚希が出てきた。

 ギャルソン風エプロンは、憎らしいほど柚希によく似合っていて恰好いい。

…というか、ベリーショートだった髪がいつの間にか伸びて、顔立ちも柔らかくなったのかな? なんとも倒錯的でエロティックだ。


「『やっと』って。私だって、バイトしてるんだから、急に呼び出されても、すぐには来れないよ」


「うん、うん。ごめん、ごめん。でも、良かった」


 柚希は悪びれた風も無く、カウンターの中に入っていって、高そうなコーヒーカップ等をしまった棚の手前まで、おじさんの腕を引っ張っていって何事かを話していた。


 私が、パフェのアイスクリームにスプーンを滑りこませていると、どこの国の何て音楽かは知らないけど、ムーディーに異国が漂っていた店内に、『蛍の光』が流れ出して、それまでの店の雰囲気を溶かしていった。


 お客様のプライバシーの為、個室を遮り、テーブルから上の空間を隠すカーテンを開く音がして、レジへ向かう二つの影が私の背後を通り過ぎた。

 柚希とおじさんが最後のお客さんを見送り、柚希は外に出してあったウェルカムボード類を店内にしまい込み、おじさんは電飾のスイッチを落としていく。


「じゃあ、柚希。後の片づけは頼むぞ。それから、戸締りも、な」

「うん。わかってるって」


 おじさんは鍵の束を柚希に渡すと、何度も念押ししてから裏口から出ていった。扉が閉まると同時に、父親に向かって手を振っていた柚希が、何故か小さなガッツポーズをした。


「美穂ぉ。ごめんだけど、さっきのお客さんのカップ、お願~い」


柚希はすごい勢いで洗い物を片付けていき、当然のように、私にも指示を出していった。最後のお客さんの使ってた個室の、紙ナプキンの補充をしていたら、柚希が、私の食べ掛けの珈琲パフェと、なんとも簡素なカップに入った自分の珈琲を運んできた。


「カウンターじゃあ、落ち着いて話せないからね」


そう言って遮光ブラインドも降ろして対面に座る。


「それで…「ごめん」」


私が口を開くと同時に、柚希は両手を合わせて頭を下げ、謝ってきた。

突然、謝られたけど、一体、何の謝罪なのか、全く見当がつかず、首がこてっと傾いた。


「ごめんね。…美穂ってその方面の話って嫌いじゃない。でも私、どうしても高橋と交際つきあいたかったんだよね。OK貰って舞い上がってたの。ごめんね」


どうやら、柚希は柚希で、私がそういう話が嫌いなんだと思っていたらしい。

まあ、そっか。

確かに、私は私で、そういう話はしないようにしていたし、高橋君と柚希が仲良くする姿を見たくなくて、なんとなく距離をとっていた事は否めない。


「あ、いや。そんな事は、謝るような事じゃないし…えっと、私もごめんね。なんか、そんな風に、気を遣わせちゃってたなんて…知らなくって」


そうして、和解(?)のようなものをした私達は、隈なくアイスでコーティングされたゼリーを一つのスプーンで交互に食べ、私が急かされながら底に溜まった細かく千切れたゼリーを平らげると、


「あ、食べた。じゃぁ、それ、洗ってくるね」


と、言うが早いか、グラスを持っていった。あまりに素早くて、何か違和感を感じた。そういえば、やけに携帯を気にしてる気もする。気にしてるのは、時間なのか、それとも…。


「コーヒーなら、おかわり、あるよ」


柚希は私の前に、自分のカップを付き出し、中に珈琲を注ぎ足すと、シルバーのコーヒーサーバーをテーブルに置いた。


「ねぇ。柚希」


「ん~?」


私の呼びかけにも、柚希はどこか心ここにあらずで、それと解らぬように携帯画面を見ている。


「何か…隠してない?」


私がそう言うと、柚希の瞳が携帯画面に向けられたまま固まった。気がした。実際は、私の目の方が、柚希の携帯画面を凝視していたみたい。


「ばれた?」

あっけらかんとした声だった。


「あ~、そっか。やっぱ、ばれちゃうかぁ。うん、そうなんだよね。…実はねぇ、…高橋、誘っちゃったんだー」


なんとも幸せそうな、キャッキャと浮かれた声だった。


その瞬間、全てが解ってしまった。

つまり、私は、おじさんを円滑に自宅に帰す為の言い訳に利用されたって事だ。

まあ、そうだね。

どうやら、おじさんは、柚希の今の友達を良く思ってないようだし、ましてや、高橋君と二人っきりになんて、店でも家でも、絶対、させないだろうしね。


「ぃやー。ごめんね。だって、さぁ。高橋って、ほんっっと真面目でさ。……ま、ね。その…キスはね…しちゃったんだ。でも……その先をね、誘って来ないんだよね。だから、まぁ、ここは、私が勇気出しちゃおうっかなーなんて。……あ、でも、まだ、解んないよ。ほら、誘ったのは、美穂からの返信が届いた後だし、高橋からは…きてないし」


そう言いながら、もう、高橋君が来ないわけがない、という表情をしている。

まぁ、そうだよね。

彼女から、そういうお誘いがあったら、普通、来るよね。

というか、私をダシに使った事こそ、両手を合わせて、謝るべきだよね。


柚希が言うには、何故だか今日は、個室ブースを使うカップルのお客さんが、目についたんだそうな。そして、なんとなく、中でキスしてるのが解っちゃったんだそうな。そんな事に気づいちゃうと、身体が熱くなって、悶々しちゃったんだそうな。

ああ、そういえば、最後のお客さんも、カップルみたいだったね。


「ああ見えて、高橋、キス、上手いんだよね。好きだからかもしれないけど、なんか、すごく気持ちいいの」


惚気が佳境に入ったところで、柚希の携帯が動いた。

柚希の顔が、みるみるうちに切なげな、泣きそうな顔に変貌した。

暗い表情のまま返信を返した後、携帯画面を伏せて置く。

項垂れる柚希の背中に、“ずーん”とか“どよーん”とかの効果音が見えるようだった。


……沈黙。

なんというか、かける言葉が無い。

いや、私、慰めなきゃ、ダメなのかなぁ?


…あ。ヤバい。私、喜んじゃってる。

高橋君が、なんて言ってきたのかは解らないし、きっと、二人はそうなる。

でも、それが、今日じゃないってだけで、すごく嬉しがってる。


「ねぇ。……私って、女としての魅力が無いのかな?」

 柚希は遮光ブラインドの方へ深刻な顔を向け、ボソリと呟いた。

 心の中を見透かされたような気がして、ドキッとした。


「ちょっ。何言ってんの? 私が言うのも何だけど、柚希は美人よ。スタイルだっていいし…」


私がそう言うと、柚希はぐるんと私を視た。目が潤んで揺れている。無理矢理、笑みのようなものを象りながら、前髪をかきあげる。


「んーー。でも、さ。ほら、よく言うじゃない。男と女じゃ、綺麗の基準が違うって。私、女子にはモテるけど、男子からしてみれば、実は、そうでもないのかも」


高橋君は、一体、何て送ってきたんだろう?

こんな気弱な柚希を初めて見た気がする。


「あの…さ。そうでもない人が、年に何回も、告白なんかされないからね」


「あ、やめて。あいつらは、マジ鳥肌だから」


柚希はテーブルの上に突っ伏した。

私は、静かに鼻にぬける溜息を吐く。

そうだよね。私は誰にも高橋君への思いを口にしてはいないし、勇気を出して高橋君に告白したのは柚希なんだもんね。


(喜んじゃって、ごめんね)


コーヒーサーバーとカップを廊下側にずらして、柚希の頭を撫でてあげる。

私の指先がくすぐったかったのか、柚希がピクッと身体を震わせた。しばらくそうしてあげてると、柚希が私を上目遣いで見つめてきていた。


「ねぇ…美穂」


「ん?」


「美穂ってさぁ、キス…した事ある?」


「へっ?」


唐突に変な事を聞かれたので、つい手を引っ込めた。柚希はゆっくりと顔を上げて、私の顔を凝視していた。

あれ? …なんか、目がイっちゃってないかな?


柚希はテーブルに手をついてガタッと立ち上がると、私の横に座った。

なんとなく、柚希と距離を取ったほうがいい気がして、お尻を壁側にズラしていったけど、私がズラした分だけ、柚希も距離を縮めて来る。

ついに限界まで詰められて、私の背中は、壁と椅子の背もたれが合わさる角にしか居場所がなくなり、顔は柚希の横顔に向けるしか術が無い。


なんだ、これ?

え? 一体、今、どういう状況?

えっ? ちょっと待って? どうして、こんな事に? 


「ね、キス、しよ」


そう言った柚希は、舌なめずりをしながら顔を私に向け、挑発的な瞳で私を視つめている。


何? この距離。


こんな時に、こんな事を考えてる私も変だけど、やっぱり、柚希の顔って綺麗。

そうか、柚希の顔って、アンドロギュノス両性具有なんだ。


混乱している間にも、柚希の右手が私に伸びる。

彼女の指先が、私の左耳の輪郭をなぞる。


(ひゃうっ)


ぐるぐると円を描きながら、ゆっくりと、外から内へ、内から外へ、私の耳を蹂躙してゆく。

ぞくぞくっと背筋を通って冷たいものが落ちていく。

柚希の指が、私の知らない蕩ける場所に触れるたびに息を吸い、もう、肺は膨らみきっている筈なのに吐く事ができない。

柚希の指は、私の耳から溢れて、首筋へも愛撫の手を広げていく。

手を払いのけるなんて簡単な事が、マリオネットになってしまったような私を操る柚希が許してくれない。


「これ、気持ちいいでしょ。私もね、高橋にされた時、濡れちゃった」


柚希が、私の右耳に囁く。

「はっ…ん」

熱い息が私の肉体の中に注がれて、声を漏らしてしまった。

私の耳朶を柚希の唇が引っ張る。


「美穂…高橋を覚えて…私にして」


息があがる。

今以上の快感を欲している。

私の唇は、もうだらしなく半開きになっていて、何かを待ってる。


「ひあっ…はふ……ん……」

一体、どこから出てるの?

こんなの、私の声じゃない。


柚希の左手の指が、私の口の中に入ってきた。

指先は、私の舌を弄びながら、たっぷりと唾液を吸い上げて、それを唇になすりつけてきた。それを何度も繰り返すうちに、私の乾いた唇はしっとりと湿り、柚希の指は難なく、私の唇の輪郭を描く。

柚希の柔らかな唇が私の唇を這う、なぞる、啄む、舐る。

やがて差し込まれた舌は、うねったり、尖ったりして、私の歯を、舌を、舐め、つつき、絡みついて、嬲られるがままに私は、彼女の舌に哀願する。


現金な私は、さっきまで柚希の顔が綺麗だなんて思っていたのに、高橋君の名前が出た途端、この愛撫は高橋君のもので、柚希のキスは高橋君のキスなんだ、と、思っていて、瞼の内側にいる高橋君と溶けたバニラの接吻を食べた。





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言い訳


え? 

だって、超絶エロいキスなんて男女間でしたら、この先までいっちゃうじゃない。

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