時限そば
二石臼杵
あんたのそばじゃ食えたもんじゃない
これは俺が貧乏人だった頃の話なんですがね。
今でも貧乏なのは変わりねえんだが、まあどうかひとつ聞いてくんなせえ。
寒ーい冬の夜のことだった。おまけに博打で大負けしちまって、懐にも木枯らしが吹きつけてきやがったんでさあ。
俺は
すっかり日も暮れて自分がどこにいるのかもわかりゃしねえ。
体をがたがた震わせながら、ああ俺はここで死ぬのかな、とぼんやり思ったそのとき。なんと目の前にそば屋の屋台が見えてきたじゃねえか。
しめた、お釈迦様はまだ俺を見捨てちゃいなかったんだと俺はその屋台に飛び込んだね。
「おうッ、親父、かけそばひとつこしらえてくんねえ」
「へい、毎度」
そば屋の主人がぎこちない手つきで差し出す丼を俺ぁひったくるように受け取った。
器から立ち昇る湯気の心地いいことったりゃありゃしない。どんな風呂よりも癒されるってもんよ。
「ああ、あったけえや。生き返るなあ」
「寒いですからねぇ」
「おうよ、だが地獄の仏たぁあんたのことだ。ありがたくいただくぜ」
「あっしが仏に見えますかい?」
すると、ぱきっと割った割り箸の向こうでそば屋の主人がにやりと笑うじゃねえか。
「ひょっとすると鬼かもしれやせんよ」
「そりゃどういう意味だい?」
「お客さん、あっしもこんな
「勘定か。いくらだい?」
「しめて百両になりやす」
「ひゃっ、百両!?」
そのときは両の目ん玉が落っこちるかと思ったね。
「そりゃいくらなんでもぼったくりすぎじゃあねぇのかい」
「いやなら他のもんで払ってもらいましょうか」
「他のもんってえと?」
「その、お客さんが体ん中に大事そうにしまってる魂なんていかがでしょう。脂が乗ってて実に美味そうじゃないですか」
見るとそば屋の主人の口元からにょろりと牙が覗いていた。
こりゃあとんでもない店に駆け込んじまった。
道理でこんなところに屋台があるわけだ。
そばを食う腹積もりでいたら、逆にこっちが物の怪の類に一杯食わされたってことか。
こいつは面白くねえ。こんなところでおっちぬなんてまっぴらごめんだと俺ぁ必死に頭ん中の脳みそを雑巾みてぇに絞ることにした。
「さあさあお客さん、お代を頂きましょうか」
「待ってくんな、今一世一代の瀬戸際なんだ」
「こっちだって魂かけた大勝負でさあ」
なんだい、
そうだ、そもそも客がそばを平らげてないのに先にお勘定ってのも妙な話だ。
これは何か訳があるに違ぇねえと踏んだ俺はそこで、もしやと思いひとつの賭けに出た。
こちとら一度は大負けした身だが、この博打だけにゃあ負けらんねえ。
「おう、親父」
「なんでしょう」
「今、
そのとき、そば屋の顔がさっと曇ったのを見逃す俺じゃねえ。
ここぞとばかりに畳みかけさせてもらうぜ。
「さあさあどうした、商売やってるのに時間も言えねえのか? そんなわきゃあるめえ。じゃねえと開店も閉店もできねえもんなあ。そら言ってみろ。今は何時だい?」
「…………九ツで」
「そう! 九ツ、すなわち夜中の十二時だ。どんな魔法も解ける時間じゃあねえのか!?」
そば屋が悔しさに顔を歪めたとたん、あたりが煙に包まれて、それが晴れたときには屋台も主人も跡形もなく消えちまっていた。
あとに残ったのは俺の両手の中でほかほかとあったけえそばの丼だけだ。
まだまだ俺の勘も錆びついてないってことよ。
どんな妖術変化も十二時には消えると相場が決まってらあ。
これで心おきなくそばにありつけるってもんだ。
どれ、勝利の美酒ならぬ美そばでも味わわせてもらおうかい。
……おっと、こりゃいけねえ。
あんまり化かし合いに夢中になっちまったもんだから、すっかりそばが伸びてやがる。
時限そば 二石臼杵 @Zeck
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