不義な自分自身(2)
年は明け一月三日。
僕が訪れていたのは、人の混み合っている有名神社だ。それも、近所にあるもので勇ちゃんに誘われたため断れずに結局、お詣りをすることとなった。
終業式の日のことも謝りたいと思っていたから好都合と言えば好都合だった。ただ、僕には知らされていない人が二名ほど一緒にいたのには驚いた。
「来夢、おはよー」
「ん、んー?」
「君、遅いよ」
「は?」
呑気な笑みを浮かべたいつぞやの部長さん。そして、プンスカ怒っているミスコン辞退者、浜辺日和。
「おーす。んじゃみんな集まったし行くかー」
「おい、待てよ」
勇ちゃんに謝るということは一旦置いといて、何この状況。
僕の声に三人は「ん?」と全く同じ反応をしてきた。新手の嫌がらせなのではないかとネットで検索したが引っ掛かるわけもなく。深呼吸をした。
「なんで二人がいるの?」
僕が女子二人に視線を向けて尋ねると、二人は顔を見合わせて同時に答えた。
「初詣」
仲良しなのかこいつらは、なんて考えているよりも、勇ちゃんを問い詰めた方が早いと思った。視線を勇ちゃんに向けると目を背けられた。やはり、この男が何かをしでかそうとしているのだ。
それならば用は先に済ませておいた方が良いのかもしれない。どうせ、後先を気にするようなメンバーじゃないのならタイミングや雰囲気なんて関係もないだろう。
「勇ちゃん、部長さん」
僕より数歩先を歩く二人を呼び止め深く頭を下げた。そして、精一杯の言葉を添えた。
「この間は色々とごめん。以後気を付けるよ」
頭上からは、優しい声が聞こえてきた。
「私は全く気にしてなかったんだけど、北見気にしてたの?うわー、ねちっこい男とかガチ気持ちわりーって」
「馬鹿か。俺が、んなこと気にするほど繊細に見えるか?」
「見えるわけないじゃん。分かりきった質問してこないでよ、面倒臭い」
「なんだとー?」
何故だか、二人はまたしても喧嘩を始めてしまった。けれど、この状況に少しだけ心地好さを感じつつ、僕は顔をあげた。
すると、自分のことを指差している浜辺がいた。まさかとは思うが、僕が連絡していないことを誤れとでも言うのだろうか。そんな馬鹿な話があってたまるか。僕は彼女から顔を背けた。すると、喧嘩をしていた二人を押しのいて浜辺は僕に詰め寄ってきた。
「ちょっと、私にはなにもないわけ?」
「逆に何があるの?」
「頭、下げて。約束破ったら謝るの基本中の基本」
「残念ながら、僕は浜辺に下げる頭を持ち合わせてないみたいだ」
浜辺はニヤリと笑みを浮かべた。一瞬ドキっとしたがここで引くわけにもいかず強がって見せた。すると、浜辺は爽やかな笑顔で呟く。
「今年の一年間、君が不幸になるようにお詣りすることにするね」
これは挑発だ。とても安易で子供じみた馬鹿馬鹿しい挑発だ。けれど、このくらい低レベルな挑発ほど腹の立つものはない。
「なら、僕は自身の幸福を願うよ。これでプラマイゼロだ」
浜辺はあれ?と小首を傾げた。
「神様は悪い人の願いは聞き入れないみたいですけれど大丈夫?」
「それは自分に言ってんの?」
僕が何かを言い返すと浜辺はより笑顔で突っかかってくる。
「質問に質問で返さないでください、お話になりません」
「それはこっちのセリフだ」
いがみ合う僕と浜辺を勇ちゃんと部長さんが止めに入ってきた。どう考えても悪いのは、あの女なのに何故だか僕までもが悪いみたいに感じてしまう。
実際に、少し感情的になった僕も悪いのか。
僕は小さく息を漏らした。白濁した煙が消えるよりも早く声は出てくれた。
「ごめん。悪かったよ」
うんうん、と偉そうに頷く浜辺。そしてすぐに深々と頭を下げてきた。
「調子に乗りすぎました。つい楽しくなっちゃって」
照れ隠しのようにえへへと笑った浜辺を見てぶちょうさんが突飛な発言をした。
「二人ってお似合い…」
続けて勇ちゃんまでも「確かに」と頷き始めた。
人は多いのに静まり返った僕ら四人の間。それを元に戻すかのように勇ちゃんが参拝の列に並び始めた。
僕らも何もなかったかのように並んだ。
並んでいる最中は、冬休みに何をしていたのかという話題で盛り上がった。これは僕が常日頃から思っている、詰まらない友達ごっこの一つなのだが、なぜだろうか、楽しいと感じたのは。
まず、ここに来て分かったことは部長さんの名前が河原結奈ということだ。同じクラスなだけにそうなのではないか、という予想はしていた。勿論、名前も聞いたことがある。ただ、顔と名前が一致していなかった、僕はまだクラスメイトを名前で読んだことがないから。
特にクラスの中心にいるような人は怖いと思っていた。けれど、河原さんは勇ちゃんにこそ当たりがきついと思うが、その他は本当にいい人だ。気遣いが出来て、誰とでも仲良くやれそうな明るさを持った人。僕を昇降口で助けてくれたのも彼女の人間的良さ故にだろう。
河原さんと浜辺は同じクラスで、最近仲良くなったらしいのだが、本当にタイプが違うと感じさせられる。
確かに浜辺の方も噂で聞くような女狐ではなく、ただ単純に僕にだけ当たりが強い女の子。そういった意味では僕と勇ちゃんはある意味同じ立場にいるのだが。まあ、河原さんと浜辺では性格の悪さが段違いだ。
性格の悪い部分を見たとかそういう決定的な事ではない。ただ、目が合うと、にたりと笑みを浮かべなんとなく僕を負け犬にしてくる。勿論、そう思ってしまう時点で半分は僕の責任なのだが、それでもあの表情を向けられてると性格の悪さも見透かせる。というより、隠す気すらないのかもしれない。本当に厄介で出来ることなら今後とも関わりたくない人間の一人だな、と思った。
お賽銭を投げ込み二礼。パンパンと手を叩き合わせる。目を瞑り僕が願うこと。
詩子姉とこれからも仲良くいられますように。そして、欲を言うのであれば僕の記憶が二度と戻りませんように。
人と肩が当たり目を開けた。つい、肩の当たった方へ視線を向けてしまったが、相手が浜辺でかつ、まだお祈り中だったため何も口にしなかった。
付けてはいないだろうが長い睫毛。やや紅み帯びた唇にきめ細かな肌。ミスコンに選ばれるだけはある美人。今思えば僕がそんな人と一緒に初詣なんて考えがたい事なのだ。
そんな事を一人考えていると浜辺の瞼が開いた。その瞬間に僕と目が合い、浜辺は口元を微かに緩めた。
僕の方へ手のひらを差し出してきた。浜辺の嫌な笑顔からろくなことを口走らないのだと覚悟した上で「なに?」と問いかけた。
「五十円貸して」
「は?五十円?」
僕は間抜けな顔をしているだろう。周囲に自分を映す物はなにもないが分かる。それだけ予想外の言葉が飛んできたのだ。
「ないの?」
浜辺にそう言われ、何に使うのか考える間もなく財布から五十円玉を取り出し手渡した。すると、浜辺はあはっと微笑んだ。
「んふふ、私ねお賽銭するの忘れてたの」
馬鹿だと思った。アホだと思った。容姿に見合わない性格を見せつけられて宝の持ち腐れだと思った。いや、もしかしたらこのダメダメな性格の浜辺にだから最高の容姿を与えられたのかもしれない。
再び目を瞑り何かを願う浜辺を待っている義理なんてなかった。けれど、勇ちゃんと河原さんとはぐれてしまった以上一人行動は避けなくてはならない。
後方に並ぶカップルからは、早くしろよと言わんばかりの鋭い眼光を浴びせられた。だが、早くしろと言いたいのは僕も同じだ。浜辺はどれだけ沢山の願いをしているというのだろうか。一分近くも拝み続ける人なんてそうそう見たことがない。
やがて、瞼を開けた浜辺はまたしても僕を煽るかのように発言する。
「君、私の事見すぎじゃない?視線が怖いよ?」
怒りのあまり何も答えることはしなかった。きっと、一度口にすれば止めることなど出来ず、浜辺の参拝時間の五倍はその場から離れなくなってしまうだろう。
無言のままその場を離れようと促すと、浜辺はあっ!と声を漏らし先に歩きだしていた僕に近寄ってきた。
「さては!私の美形に惚れてしまったな」
「美形は認めるけど、中身がそれじゃ宝の持ち腐れじゃないか」
「どういう意味かな?」
ニヤニヤと奇妙な笑みを浮かべながら僕に詰め寄ってくる浜辺を退けながら人混みをぬけると偶然、クラスメイトと鉢合わせになった。
「あっ」
誰が口にしたかもわからない声…。いや、音だった。
僕らが鉢合わせてしまったのは、勇ちゃんや河原さんと同じテニス部の男子集団だった。浜辺と一緒にいるところを見られてしまった事から冷静ではいられなくなった。けれど、彼らは僕に問う。
「二人でお詣り?」
答える事なく佇んでいると、近くからなになにーと他の人も集まって来た。総勢六人。向けられる視線に目を背ける事しかできずにいた。けれど、不幸中の幸でここには浜辺がいる。周囲から視線を集めている根元の彼女はきっと上手い事話を逸らしてくれるだろう。もしくは、上手いこと彼らの疑念を取り払ってくれる。そう信じていたから、僕はなにも口にはしなかった、というよりも全てを押し付けにした。
「え?二人ってやっぱり仲良し?」
どっからどう見てもイケイケの男子が僕に詰め寄ってくる。一歩後退すると誰かに当たった。途端に袖をクイっと引っ張られた。酷く軟弱な力でそよ風が吹いたかのような、その程度の衝撃だった。
拳を軽く握りしめて僕は適当に口走った。
「た、偶々会って、お互いに迷子になってたんだよ…」
苦し紛れの僕の発言を聞いた彼らは、口元に笑みを浮かべある提案をしてきた。それは、浜辺を彼らが送り届けるというものだった。確かに常識的に考えれば数人のグループに囲まれていた方が目立つだろう。だが、今回に関してはダメだ。浜辺には帰る所などないのだから、いずれは僕の嘘がバレてしまう。そうなれば、僕は嘘つきという箔がついてしまいかねない。
だから、提案は断ろうと思った。あとはそう告げるだけだった。
「んじゃ、探しに行くかっ浜辺さん」
「ほら、駅はあっちだったと思うよ」
あー、うん。連れられる浜辺には悪いがこの状況を打破してしまえばそれこそ変になる。そもそも彼らも親切で提案してくれているのだから、初めから拒む必要すらなかったのかも知れない。
そうなれば、勇ちゃんに電話して浜辺を確保して貰えばいい。なんだ一件落着じゃないか。これなら、誰もリスクを負う事なく時間が流れるだけだ。これが最良なのだ。
「じゃあ、後は俺らに任せていいよ。中村君も気を付けてね」
僕のクラスメイトは爽やかな笑みを浮かべ、手を振ってきた。その時、偶然浜辺と目が合った、そして逸らした。犠牲にされた事を根に持ち、僕を睨みつけているのだという事は分かりきっている。けれど、これが最善なのだとしたら怒られても仕方ない。後で地に頭を着くくらいに謝れば、きっと先程のような言いあいになって丸く収まる。
せめて睨まれるくらいはしてやろうと思い、僕は遠退いて行く浜辺に再び視線を向けた。もう僕の方など見てはいないだろうに、本当に僕は卑怯者だ。
「は…?」
つい声に出てしまった。驚いたのだ。何に驚いたのかと、問われてしまえば口を紡ぐかも知れない。けれど、気が付いてしまった、浜辺の異変に。異変というよりも違和感という方がきっと正しい。明らかに身を小さくさせて、浮かべる笑顔は自信がなく引きつっているようだった。そして、初めて話したあの日の別れ際のように何度もこちらに視線を向けている様だった。
浜辺の元へは行くな。行ってしまえばきっと冬休み明けに面倒なことになる。自分の不利益な事はする必要が無いんだ。浜辺には悪いが、気がつかなかった、という一言で全て許されるんだ。
止まれ。動くな。追い駆けようとするな。行くな。は、走るな。
僕の気持ちに反して、身体は無意識に浜辺の手を取り彼らに視線を向ける。
「みんな、やっぱごめん。浜辺は俺が連れて行くよ」
何を口走っているんだ。違う、僕はこんな事言いやしない。何で、思った通りに動いてくれないんだ。
体が僕の意思を無視した事は何度もあった。小説を書いている時に思い浮かんだセリフとは異なるセリフをタイピングしていたり、初めてやらせてもらったテニスで思考よりも先に体が動いたり。けれど、今起きたのはそのどちらとも異なるものだったと思う。
まるで、僕そのものが違う人だった様な不思議な感覚。自身の事を俺と言ったことが何よりの根拠だ。
浜辺の小さく凍えた手を取り、路地裏に入った僕は彼女以上に怯えているだろう。その事を察したのか、浜辺は苦笑交じりに僕を罵ってきた。
「ったく。女の子を犠牲にするなんて、君の薄情ぶりは見上げたものだよ」
なにもないが言い返す言葉がない。
「あー。ごめん。もう少しで見離すところだった」
まただ。なぜ勝手に言葉にするんだ。見離せばよかったんだ。見ただろ、彼らの冷えきったような驚いている視線。さっきの行動に関しての意図を聞かれるのはもう免れやしない。そういうのが嫌だったんだ。詮索されたく無いんだ。僕は普通とは違って、底がもの凄く浅い。詮索なんてされれば直ぐに、全てを見透かされてしまう。そしてまた…。
『来夢、昨日あれやってたぞ』
あれって何?
『来夢、あの女優やっぱ最高だよな』
どの女優?
僕の見た目に変化が無かったから、昔の同級生達はうっかり今の僕の知らない話題を振ってくる。そして、口籠る僕を見ると決まって『あー、そっか。知らないんだよな』と薄ら笑いをする。勿論、その笑みが僕をバカにしているものでは無いとは気が付いていた。同時に、彼らに求められているのは僕なのでは無いとも気が付いていた。
僕は知っている。彼らは僕に気を遣いながらも、陰では僕の事を詰まらなくなったと口にしていた。そして、必ず同じ言葉のフォローが入るんだ。
今の来夢には何も無いから仕方ないよ。
その言葉は僕の胸に突き刺さった、何か太く鋭い刃物で刺された様な感覚。
記憶とはこれまでの自らの生き様。記憶とはこれまでの人生経験。記憶を失うとはこれまで培ってきたものを捨てたという事。同じ歩幅で進んできた団体の中、たった一人で振り出しに戻された。僕はサイコロを振り、みんなとは違った道を、違った目を出してしまった。その事がたまらなく悔しくて耐え難い。
僕に関わればきっと勘付いてしまうだろう。こいつだけ、なんか遅れてるな。って。
もう、どうすることもできない。きっと逃れる事すらも本来出来る事じゃ無かったんだと思う。
路地裏で下ろした腰が上がらなくなった。浜辺は河原さんに連絡を取り、僕らは一先ず集まる事が出来た。僕は何も悟られぬ様にと勇ちゃん、河原さんの前では平静を装った。何も知らない二人は、この後は何をしようかと話し始めたのだが、それを浜辺はシャットアウトした。
元々、参拝をした後の予定は決まっていなかった為、予定が入っているらしい。それも僕への気遣いなのだと見え見えだった。けれど、今だけはありがたく思えた。浜辺の解散という提案に僕も賛成したところで、僕らはそれぞれの帰路を歩み始めた。奇しくも帰り道までも先程のツーペアに別れた。
本来なら、心底嫌だったはずだけれど変に気を使わなくていい分、今だけは良かったと安堵の溜息が漏れた。
帰り道、浜辺は何も言ってこなかった。ただ、別れ際に小さな声で、またねと言われた。変に気を使われるのが気に障った僕は、少し声を張って、じゃあねと手を挙げた。これ以降、僕は詩子姉以外の人とは会わなくなった。勿論、そんな事が出来たのは冬休みが終わるまでの、数日だけだった。
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