不可思議な自分自身

 突如、発せられた言葉に箸が止まった。いつもと変わらない詩子姉の明るい声音。それだけに今の言葉は胸が痛かった。


 僕は、詩子姉に小説なんて、もう書いてないよね?と問われたのだ。


「書いてないよ。自分で書くよりプロが書いたの読む方が面白いしね」




 詩子姉はうんうんと何度も頷きご機嫌良く海老フライにかぶり付いた。サクッと音がなると、頬を赤らめて「んーまーーーい」と叫び始めた。


 詩子姉は僕の頭をわしゃわしゃと撫でてきた。何故そうなるかって?詩子姉は料理ができなくて、僕がこの海老フライを作ったからだ。




「ほんっと来夢と一緒に暮らすようにして正解。お陰様でこの前の健康診断も結果良かったもんね」


「それは何よりだけど結婚を控えた身としては少しは食べるの抑えた方が…というより教えてあげるから料理も覚えた方が…」




 詩子姉は、そのうちねーと心にもない言葉を漏らして今度はアジフライにかぶり付いた。幸せそうに白米も頬張る詩子姉を見ていると時々将来が心配になる。




 もしも、僕が先にこの家をでることになったとしたら詩子姉はろくな生き方をできないと思う。まあ、それなりに食べてそれなりに生きては行けるのだろうけれど、それは充実した生活とは呼べないのだろう。




 そんなことを思っていると、また唐突な質問がきた。


「来夢は小説とか書きたい?」


「なに?今日はなんでそんなに小説の話なの?詩子姉、美術の担当でしょ?」


 うっ、という声を漏らした詩子姉は、実は…と訳を話し始めた。




 詩子姉の話によればどうやら教え子の進路相談を受けた時の事らしい。将来について男子生徒に尋ねると、自信満々に小説家になりますと答えた。その気持ちの大きさや夢を持っていること事態は素晴らしいと感心したみたいだ。僕もそう思う。


 だが、問題はここからだ。詩子姉は先生として小説家になることの確率の低さを徹底的に言ってしまったという。


 それを聞いて、僕は男子生徒が気の毒だと思った。


 理由こそ聞いたことがないが、小説の好きな詩子姉は小説家が嫌いだった。正確には、自分の近しい人間が小説を書くということを嫌っていた。


 恐らく、男子生徒は小説の好きな詩子姉なら小説家になる夢も応援してくれると思ったのだろう。僕も一年ほど前に同じことを考え、同じことを口にして同じように反対された。


 僕の時は、万が一小説家になったあとの話までリアルに話をされて恐らく詩子姉の教え子よりも心に酷いダメージを負っていた。


 とはいえ、詩子姉の反対する理由に愛を強く感じてしまう。だから僕はなにも言い返すことも出来ずに易々と小説家という夢を断念した。




 あの頃の自分と重ねながらも話を聞き終えた僕は一つだけ詩子姉に言っておきたいことがあった。


「忠告はしていいと思うよ。詩子姉が言い過ぎたのはまあ、事実だけどね」


 そう述べるとあからさまに落ち込んでいた。ちゃっかり晩御飯はきれいに食べ終わってるのが少し気になった。僕は話を続ける。




「もし、小説家っていう夢を諦めたとしてそれを詩子姉のせいにするなら元からなり得やしないと思う。それに、夢まで語ってくれたんだ、きっと詩子先生が好きなんだよ。大丈夫」


 詩子姉は大きく目を見開いたまま数秒固まっていた。数秒して動き始めた詩子姉は目を細めて昔を懐かしむかのように呟く。


「詩子先生かぁ~」


 んふふと笑い始めたものだからさすがに気味が悪くなり食器の片付けに勤しむ事にした。その間、詩子姉はその、生徒が持ってきた拙い小説を読んでいた。


 終始笑みを溢していることからかなりの逸材なのかと思い、「面白いの?」と尋ねてみた。すると、詩子姉は全然面白くないときっぱり言い切ってまた笑っていた。




 一瞬だが小説家を目指したことのある僕からしてみればこの女は、小説家殺しの悪魔にしか見えなかった。


 生徒が持ってきた小説は短編だったみたいで僕が食器を洗い終えた頃に丁度読み終わったようだ。僕も読んでみたくなり机の上に置かれた原稿用紙に手を伸ばした。


 すると、詩子姉は「読むの?」と言って微笑んだ。


「読ませてよ」


「うん。分かるな~。読みたくなるよね、人の文ってさ」


「なら、少しは応援してあげれば?」


「小説よりも広い意味で応援してるからこそ、書くべきじゃないんだよ」


 人差し指をたてて、そう口にする詩子姉の目は微かに潤っていて、何かに歓喜しているように感じた。




 原稿用紙に目を通してまず、僕が思ったことは台詞が多すぎることだ。どういった状況でどういった場所なのか。はたまた、ここには誰がいて誰がいないのか。それらの情報が丸で見えてこない。




「私寝るから読み終わったらそこおいといて。一応明日返すことになってるからさ」


 明日からは冬休みなのだがどうやら部活で顔を会わせるらしい。ということはこの小説の作者は美術部だということになる。どうりで、絵に関する小説なわけだ。




 詩子姉は顔を会わせることが少し気まずいと言っていたが、生徒の方はそのレベルではない。だとしたら何かご褒美にも似たものが必要だろう。二人の仲を上手く繋ぐためにも。




 そう思った僕は赤ペンを手にした。




 小説は十分かからずに読み終えた。そして、部屋へと戻り僕もまた作業に勤しむ事にした。




 詩子姉には黙っているが、僕は小説家になる夢を諦める代わりにウェブの投稿サイトにて小説を連載している。そのサイトではアカウントを登録するだけで誰でも小説を投稿できるという便利なものだ。面白い作品は稀に出版社から声がかかり小説家になったりもする。




 それを狙って書く者もいればただの趣味としている者もいる。僕は両者に当てはまらない。


 僕は、記憶を失くしても詩子姉や勇ちゃんに支えられてここまで何とか生きてこられている。そういった感謝の気持ちを忘れないように、また感謝することの大切さを僕の小説から受け取ってもらいたい、その一心で投稿している。だから、収益のでる小説家になる必要なんてない。


 顔も名前も知らぬ誰かが読んで、受け止めてくれるのならそれだけで構わないのだ。




 サイトを開くとトップページにはライムという安易な名前が表示された。


 それから、メッセージの通知ボタンを押す。今日は午後に時間が出来たため一週間ぶりの投稿をした。何件かのコメントが来ていて、その中にヒヨというユーザーがコメントしていた。




 次の投稿はいつ頃ですか?楽しみで楽しみで、ご都合よろしければ是非、明日にでも読みたいです。




 つい、頬が緩んでしまった。


 このヒヨというユーザーは僕が今よりも拙い文でアンチコメントばかりを受けていた頃から応援コメントをしてくれている、言わば大切な読者だ。だから、僕はヒヨのコメントを誰よりも先に返すのだ。




 ありがとうございます。次話は明後日にさせていただきます。ご了承ください。




 わっ、早く読める。楽しみにしてます。




 コメントするとすぐに返ってくる。それが嬉しい。かつての僕がアンチコメントに負けなかったのはヒヨが応援し続けてくれたからなのだと心から思う。いつか、お礼を言える日がくればいいな、何て思いながら、僕は明後日に投稿すると約束した原稿を進めることにした。




 集中して文字を綴っていると朝になっていることがある。気がつくと疲れが一気にくるのだから結構辛いとも思う。けれど、自分の描く物語の中にいたみたいで結局のところ気分だけは良くなるものだ。




 詩子姉が起きてくる前に朝食の準備をして、詩子姉が起きてきたら食べてもらい食器を片付ける。夜になればまた詩子姉に晩御飯を食べてもらい、食器を片付ける。そんなルーティーンを繰り返すだけの冬休みにきっとなる。そう確信していたのだが。

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