二つの出会い(1)

 下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響く。十月の半ばにまでなると、日が傾く頃には肌が良く冷える。けれど、着込んでしまえば暑苦しく、薄着でいれば身体を擦ることになる。季節と季節の合間は服の着こなし難易度が跳ね上がるのだ。


 そんな時期に大半の人間が冬服の制服だけを着飾り白濁した煙を漏らす。そんな彼らを窓越しに見て、外へ出ることが堪らなく嫌になる。外が寒そうだからというのもあるが、一番は僕に相応しくはない場所だと感じてしまうからだ。別に、誰かからそう言われた訳ではないのだが、僕自身でそう感じてしまうのが堪らなく痛い。




 チャイムがなり始めてから五分ほど経過した。校内に残っている生徒は数少なくなり、廊下は静けさが満ちていた。オレンジ色の夕焼けの木漏れ日に照らされて、浮き出す濁った埃達。一歩踏み出すごとに足音は何処までも響く。僕はこの一時が好きで、この時間を待つためだけに放課後の図書室を利用している。 


 他の理由があるとするのならば、単純に本を読むこと以外にする事がない。学校にも家にも僕の居場所はあれど、小説の世界程僕を受け入れてくれるものはないだろう。


 小説は本当に良い。


 不幸が起こるときは現実では想像のつかない程に悍ましくて、幸福にときには思わず口元が緩んでしまうほどに愉快。それから、どの作品にも共通して言えるのは、僕ら読者の想像を超えてくれる様などんでん返しが待っている。ごく稀にどんでん返しのない作品もあるのだが、逆に裏をかかれたみたいで悔しくなる。そういう時は、決まって胸が一杯になる程、面白かったと感じて、いつまでも物語の余韻から抜け出す事が出来ない。




 何より、全て嘘なのが一番いい。




 先程読んでいた物語の余韻が抜けぬまま、文庫本を力強く握りしめ、高鳴る胸を押さえながら昇降口へと向かった。




 僕の通う高校では、図書室が一回に設けられているため昇降口までは一本道だった。距離事態も遠く離れている訳ではない。


 静まった廊下の奥の方から誰かの話し声が聞こえてきた。話し声と言うよりは笑い声と言うべきだった。貧相のかけらもないかん高い音。その音が男子から発せられたものならば良かったのだが…。けれど、僕が下駄箱付近に着く頃には音も無く静けさを取り戻していた。


 だから、油断した。




 図書室側から見て下駄箱は十列に並んでいるのだが、僕の利用している下駄箱はその二列目の右側。何も躊躇う事なく曲がった先には、数人の女子が息を潜めてスマホの画面を眺めていた。


「あっ」


 手前から出口に向かって四人の女子。全員と目が合ってしまい緊張した僕は、通して、とたったそれだけを言いたいのに口籠る。自らの口から溢れる言葉を聞き取る事は出来ない、まさしく音だった。


「は?」


 俯き顔を背けると、ガチキモいんですけどーと笑われた。そして追撃の様にそれな!、という言葉が飛び交った。顔が熱くなっていくのを感じながらも、僕は彼女らの笑いが終わるまで待つ事しか出来なかった。


「こらこら、私のクラスメイト君を早く通してやりなさいな」


 下駄箱よりも少し遠くからハキハキとした女子の声がした。その声に聞き覚えがあり、顔を上げると他の女子も声の方に視線を向けていた。そして、僕から見て手前にいた女子が白濁した息を漏らす。




「部長、帰ったんじゃなかったの?」


「そうだよ、その途中で忘れ物に気がついたんだよ。もう最悪、門閉められるから全速力で走ったわ」


 身振り手振りで説明する彼女は、周囲を明るくさせていた。この場が再び笑いの場に変わる。けれど、先程とは異なる居心地の良い空間。すっと避けてもらった下駄箱の前に立ち、中履きと外履きを履き替えた僕は、部長さんに会釈をしてその場を小走りで立ち去った。


 すれ違いの間際に何か懐かしい香りを見た。ほんのり甘くてシャンプーとかではないであろう自然な匂い。僕はきっとこの香りを知っている、校内で何度かすれ違っていたのだろう。もしまた、すれ違う機会があるのなら今度は言葉も添えて頭を下げようか。




 校門を出てから、いつもの足取りで歩き始めた。


 どこまでも澄んでいる、冬の香りがした。吐き出す息は白くて吸う空気は体にしみていく様で癖になりそうだ。星空も冬が一番輝きを感じられ、僕はこの季節を一年間も待ち侘びていた。

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