25 消炭
遥か昔。
『水桜邦』と『雪綾目国』は戦争に明け暮れていた。
互いが互いの領土を守る為に。侵略されない為に。
いつから始まったかなど誰もわからない長い戦争。
もう止めてくれ、辞めたいと思う者は居なかった。
ただただ必死で、その思考が生まれる余地などなかったのだ。
或る二人の王が停戦を呼びかけるまでは。
当初国民は反対だと叫んだ。
相手の国を殲滅するまでは安らかに眠れないと。
戦わせてくれと。
しかし、国王の呼びかけにより、戦争が止められるものだと理解した国民たちが徐々に増え始めて、反対意見の者を徐々に上回り、停戦が叶うことになった。
長い時間をかけて。
しかしそれでも、国民だけでなく、停戦を呼びかけたそれぞれの国王ですら互いを信用できなかった。
なので、約定を交わした。
戦争は停止するべし。
不干渉不可侵とすべし。
輸出入はあやめ石など自国で代替物が見つからず、かつ緊急的に必須の物に限るべし。
相手国の領土に足を踏み入れるべからず。
相手国の領土に足を踏み入れる場合は、王族も国民も双方の国の許可証を得るべし。
公の約定はこの五つ。
秘かに交わされた王族同士の約定は一つ。
もしも、国王の相手国への不信感が増した場合、両者だけではなく、一方だけであっても国王は互いに自身の子どもを人質として送るべし。
戦争する意思はないと示す為というよりは、戦争を再開させまいと自戒する為に。
引き金を引くのは未だあまりにも容易かった。
侵入されるのではとの不信感が未だ潰えないのだから。
やられるまえにやってしまえと。
「おいくそ莫迦王」
「乾」
銀兎城、国王の執務室にて。
乾が部屋の前に居た警備兵に軽く挨拶をして扉を潜ると、国王は部屋の中央に置かれた、やたら重厚感ある机にくっつけていた片頬を離しては顎をくっつけて乾に視線を向けた。
「そんなに怖い顔をしてどうしたんだ?」
きょとんと幼顔を向ける国王に苛立ちつつ、乾は机に手を置いて、もう一方の手を国王の眼前に差し出した。
「金」
「翠の捜索はおまえが勝手にし始めたのであって、払う義務はない」
「協力金」
「知っているだろう。翠には秘かに護衛がついていたことを。よって協力金も払う義務はない」
にべもない国王の返答に乾はやおら頭を振ってから、ほくそ笑んだ。
「翠王子はお優しい方でな。研究費が足りないと言ったら、自分に金を用立てることはできないができることは何でもしたいと仰ってくれたんだが」
国王は手を動かして催促する乾を恨みがましい眼差しで見つめた。
「………卑怯者」
「可愛い可愛い翠王子の殊勝なお気持ちを無下にするのかこれまで同様に」
「別に。無下にするつもりはなかった。ただ心配で心配で。外に出したくなかっただけだ」
「莫迦親め。子は旅をさせろと言うだろうが。どんな危険が待ち受けていようがな」
「ふん。おまえはいいだろう。魔法使いと精霊の加護がある。だがわしには人間の力しかない」
「っは。国王として未熟な証だろうが。これからも身を粉にして己を磨いていけ」
苛立ちを霧散させない乾の態度に、国王は悲し気に瞳を揺らした。
「………以前も言ったが。玖麦と杏は無関係だ。わしは、わしの子を人質として『雪綾目国』に差し出した。そして、『雪綾目国』の人質である翠を受け入れた」
「ああ、聞いたな」
「信用できないか?」
「できないな」
「乾」
「人質を送った時点でおまえを信用できなくなっただけだ」
「わしは弱いのだ」
「知っているさ。知っている。おまえだけじゃない。私も、他の者も。弱い。人質交換を私も受け入れた。責を科さないと戦争が起こりそうで。いや。起こしそうで怖かった。だが」
身体を前に乗り出し、催促していた手で国王の肩を強く掴んだ乾。見上げてくる国王の瞳を真っ直ぐに捉えた。
「もう破棄すべき刻が来たんじゃないか?」
「………」
「今回。杏姫が約定を破って故郷へ帰って来たのも、あやめ石の件を秘密裏に収めたかっただけじゃないように思えた。自分たちを道具のように扱って、怒り狂って復讐に走るでもないだろう。恐らく。もう自分たちのような者が出て来ないようにすべく、走り出した。きっと宣戦布告のつもりだったんじゃないか。『水桜国』『雪綾目国』両国に」
直接会ったんだろう。
そう言われて、国王の脳裏に杏の姿が過った。
決意で満ちる強い眼差しを向けながらも、ただ謝罪しか告げなかった我が娘。
それ以外の言葉は一切発しなかった。
恨みも怒りも悲しみも何も。言葉でも、態度でもぶつけることすらせず。
(信用されていないのは当然だ。わしはわしが信用できないのだから)
戦争の準備をしているとの情報が入ってくる度に、引き金を引いてしまいそうな自分が確かに居て。
怖いのだ。
怖くて、怖くて、怖くて堪らない。
(嫌になるな、本当に)
微細な振動を掌に感じた乾。上瞼を少しだけ下ろした。
恐らく、翠も信用できないのだろう。
戦争を引き起こすのかもしれないと。
可愛いの言葉に嘘はない。だが、気持ちが一色に染まることはないのだ。
翠に恐怖を感じるのも、しょうがないのだ。
あの無垢な姿を長らく見続けていたとしても尚。
疑心暗鬼に陥る。
(本当に嫌になる)
おまえを信用できない自分が。
細かな波を打った唇を引き延ばしては力を抜き、国王の肩から手を退けた乾。元の位置に戻すと、とりあえず金を寄こせと言った。あっけらかんとした声音に目を点にした国王は、やおら口をへの字にした。
「………えーじゃあー。わしがこつこつ貯めて翠に渡すはずだったお金の一部を渡す」
「全部寄こせ」
「誰が渡すか。翠がどんなに可愛く、もしくは凛々しくお願いしたって渡すもんか!」
「っち。莫迦親め」
「ふん。同じ言葉をそっくり返してやる」
「莫迦が。私にとっては褒め言葉だ。おまえとは同じ言葉でも意味が全然違う」
「受け取り手の解釈の問題だな。わかった。わしも褒め言葉として受け入れる」
「違うな。おまえへの言葉はおまえを莫迦にしているものだ」
「違わない」
「違う」
「違わない」
「違う」
「違わない」
誰か早く来ないかな。
国王の執務室の前で礼儀正しく佇む警備兵は、永遠に続きそうな会話をはっきりと聞きながらそう思ったのでした。
(2022.3.28)
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