24 青竹
『ご結婚おめでとうございます。遼雅さん』
翠の願いを叶えに仕事部屋で待っている玖麦の下へと満面の笑みを浮かべて向かった遼雅を出迎えたのは、畏まった態度で結婚のお祝いを告げる玖麦であった。
瞬間、遼雅の全身は氷漬けにされたみたいに冷えに冷え切り、軽く触れただけで、脆くも崩れ落ちそうであった。
妹として可愛がっていた玖麦から、他人行儀な態度を向けられたこと。
兄上ではなく、名前で、しかも敬称付きで呼ばれたこと。
おめでとう、ありがとうと。きゃっきゃうふふと笑い合う未来図しか予想できなかった。
こんな冷え冷えの空気になるはずではなかった。
膝から崩れ落ちそうになるのを何とか思い留まった遼雅。すでに涙目になっていた。
(挫けるな、自分。玖麦はきっとまだ混乱しているんだ)
そうそう、気をしっかり持て自分。
いきなり兄が結婚を発表し、なおかつ、その相手があの王子なのだ。
そう容易く混乱が収まるわけがない。
そう。それだけ。
断じて。だんじて。
(嫌われた、わけじゃ)
微動する筋肉を叱咤しながら、立ち上がった玖麦に座るように告げて、自身も椅子に座った遼雅。ありがとうなと、努めて朗らかに笑い、これからのことを説明しつつ、翠に話の機会を与えてくれないかをお願いしようと言葉を紡ごうとしたのだが、玖麦が名前を呼んだことで口を閉じざるを得なかった。
「私はもう遼雅さんを捜しません。これからは翠王子にお願いしたいと思いますが、お忙しい方なのですから、なるべく放浪癖を治すように努めてください。と、注意を促したいところですが、翠王子はきっと嬉々として遼雅さんを捜すでしょうから。要らぬお節介ですね」
ドッドッドっと、遼雅は拍動がやけに強く大きく感じた。
男子三日会わざれば刮目してみよ。
などという言葉があるが。
(ちょっと変化しすぎじゃないでしょうか)
衝撃を受けている遼雅を前に、玖麦は粛然とした態度のまま言葉を紡ぐ。
「私はゆいしゃとしてまだまだ未熟ですが、これからも一人で旅を続けていく中で成長していきたいと思います。いつか必ず、遼雅さんが驚くくらいに。ですからそれまではどうかお元気で」
玖麦は立ち上がり、椅子を横に動かしてから正座になり、真っ直ぐに遼雅を見つめて、今までありがとうございましたと言ってから、床につけた手の上に額を乗せた体勢のまま、およそ一分間。おもむろに頭を上げて、立ち上がり、小さく会釈をしてから部屋を去って行った。
「おーい。おにーさん。お兄さん。だいじょーぶですかー?」
玖麦が遼雅の仕事部屋を後にしてからほどなくして。
部屋の扉を軽く叩いてから入った藤が目にしたのは、滂沱の涙を静かに。それはもう静かに流し続ける遼雅の姿であった。
藤はやれやれと思いつつ、遼雅の肩に手を添えて、いつかは来る運命だったんだよと言った。
「いつかは嫌われる運命だったのか」
(………そうとう堪えたみたいだな)
静かすぎる声音は恐怖さえ抱かせるナニカがあった。
藤は口元を引き攣らせつつ、妹離れと兄離れだと訂正した。
「イモウトバナレ。アニバナレ」
「おい、遼雅。しっかりしろ。全然違う言語を話しているみたいだぞ」
「マダマダマダマダハヤクネ。クムギガケッコンスルトキデヨクネ。オレノケッコンハマダハヤイ。ハヤイ。ハヤスギルウウウウウウウ」
「おまえ本当に怖いぞ」
「イヤダアアアアアア」
「そもそも一緒に旅をしたいって伝えたのか?」
「ツタエルトキガナカッタ」
「結婚するからって疎遠になりたいわけじゃないって伝えたのか?」
「ツタエルトキガナカッタ」
「生きている限りずっと兄妹で居たいって伝えたのか?」
「ツタエテコナカッタアアアアアア」
横に居た藤は真正面に身体を移動させて、両手で肩を掴み、遼雅の身体を揺さぶりながら、問いかけ続ければ、遼雅は最後の問いで身体を曲げて、顔を両手で覆った。
遼雅が動いた拍子に肩から両手が離れた藤。膝を曲げてから、遼雅の顔の位置に合わせて、問い続けた。
「翠王子との結婚。一目惚れの他に理由があるんじゃないか?」
今までのようにすぐに答えなかった遼雅。顔を覆っていた両手をやわく丸めてから、痛くなるまで広げてのち、上半身を起こして、藤を見据えて断言した。
自分に何か遭った時に玖麦の支えになってほしかったからだと。
「うん」
藤は小さく頷いてから、しゃきっとしろ兄貴と、先程とは違い縮こまってない頼もしい肩を小さく叩いた。
「けどありゃあ、説得はかなり難しいなあ」
「協力してくれええ、ひーさー」
「無理無理。俺、不信がられているしー」
「玖麦に何をした!?」
「何もしてねえし。顔を近づけるな。うぜええええ」
(2021.10.9)
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