23 牡丹
『月流道』銀兎。銀兎城。
(国王様に何も言えなかった)
国王との謁見から数日後。翠はぼんやりしながら、城の外廊下歩いていた。
勝手に城を抜け出したことへの謝罪も。
遼雅に一目惚れして求婚したことも。
玖麦と出会って楽しい旅を続けたことも。
王子として国の役に立ちたいと空回りした挙句、玖麦を危険な目に遭わせようとしたことも。
玖麦の兄と慕う人物が遼雅で本当に嬉しかったことも。
(そうだ。花嫁候補への説得が目的だがそれでも、五道に行ける)
旅を続けられるのだ。遼雅と。それと。
「玖麦」
「ご無礼を致しまして大変申し訳ございませんでした!」
角の内廊下の向こうから姿を現した玖麦に向かって、ルンルン気分で近寄ろうとした矢先、間髪入れず頭を下げて大声を上げたかと思えば、脱兎の如く逃げ去る玖麦を見ることしかできなかった自分の全身を、冷たい風がビュンビュン吹き荒れたのは、きっと勘違いではないと翠は思った。
「うう、玖麦」
翠は石畳の廊下に崩れ落ちるように両膝と両手をつけた。
一瞬だったが鮮やかに見えた。さあっと。血の気が引いていく玖麦の顔を。
恐れていた事態になったのだと。痛感した。
(わしは王子なのだから)
「悪いな。玖麦の過剰反応は師匠の所為だから、気長に待ってやってくれ」
「遼雅」
玖麦と一緒に居た遼雅は、駆け走って行く玖麦を追いかけては押し留めて、城内で自分の仕事用にあてがわれた部屋で落ち着くように言ってから、翠の元へと引き返してきたのだ。
遼雅は翠に手を差し伸べた。翠は少し躊躇しながら、遼雅の掌の上に第一関節の指を乗せたら、遼雅が翠の手を丸ごと包んで、立ち上がれるかと訊いた。
大きくて、固くて、ほんのり温かくて、少しざらついた遼雅の手にドキマギしながら、小さく頷いて、遼雅の力と自分の力を半分ずつ使って立ち上がった。
「あんたの手はすべすべで、柔らかくて、ちょっと冷たくて、気持ちいいな」
「遼雅の手は大樹のようだ。少し荒れている肌で優しく包み込まれてとても安心する。互いの手を心地いいと感じるのなら、相性バッチシ。だが。遼雅。本当にいいのか?」
「ん?」
「わしは男だ」
「ああ」
「わしは王子だ」
「ああ」
「複雑な王子だ」
「ああ」
「これからだって花嫁候補説得の旅に連れて行くのだぞ」
「ああ」
「状況次第では、とてつもない面倒事に巻き込まれて『水桜国』に居られなくなる王子だ」
「師匠に聴いた。承知の上だ」
眼球に水膜が厚く覆われた翠。瞬きをすると、一度だけ、大粒の涙が目の縁に盛り上がっては重力に耐えきれず、頬に落ちた。
「あんたこそいいのか?俺のこと。師匠から聴いたんだろ?」
「うむ。まったく問題ない。いつだって探し出すぞ」
「心強い。ありがとな」
「うむ」
「そんで。言うまでもないだろうが。俺の妹の玖麦とも仲良くしてやってほしい」
「うむ。本当に言う必要はないな。わしは玖麦を心の友と思っている。心友だ」
満面の笑みを浮かべて、方々に小さな花を飛ばす翠を見た遼雅。やおら目を細めた。
「本当に玖麦が大好きなんだな」
「うむ。大好きだ。遼雅も大好きだ」
「ああ。俺も。玖麦も翠も大好きだ」
頬を紅潮させた翠は前後左右己の一帯に大輪の花を咲かせた。
「わしたち三人は両おも………うう。わしだけ片想いだ」
先程の血の気の引いた玖麦の顔を思い出した翠は、がっくしと肩を落とした。大輪の花も一気に枯れて、跡形もなくなってしまった。
「焦らない。焦らない」
「うむ。そう、だな。徐々に。だが。旅立ちの日までそう時間はない。玖麦も一緒に連れて行きたい。三人で色々なものを見聞きしたい。楽しみたい。不謹慎だろうが」
「いや。俺も。楽しみだ。不謹慎だが」
ぶるぶるぶる。感極まった翠の足元から頭のてっぺんまでさざ波が駆け上がった。
気持ちを通い合わせられるなんて。欣快に堪えない。
一緒に居たい。
今のように体温を感じられるほど近くで話せられる距離に居たい。
翠は丸めていた手を広げて、遼雅の手をやわく包み込み。真剣な眼差しを向けた。
「………遼雅。頼みがある」
(2021.8.6)
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