17 蒼




 月流道、飛鏡都、『彩環さいかん』。


 『支暖』から北西へ向かうと辿り着くそこの棚泉は、泉が大きく、また、透明な水色だった『支暖』とは違い、泉の面積が半分ほど小さい上に、ほのかに紅色に染まっており、また、紅色の土や石があちらこちらに点在していた。


 この紅色の土は陶芸品の材料に、紅色の石は布の染料として使用されており、特定の時期に限定して、陶芸家が点在している桂林都や、布生産が盛んで、月流道に隣接する衣流道の染織家たちが採集しに来ていた。


 今がちょうどその時期に当たり、深緑色の布を腰に巻いている陶芸家や、虹の七色に染めている布を頭に巻いている染織家たちが紅色の石を吟味している。その下。

 蟻の巣のように入り組んだ地下では、あやめ石など希少貴重で、一般的に売買が禁止されている植物と鉱物だけが秘かに取引されていた。




『違法は違法でも、それなりの規則はあったんだけどなー。ちょっと前から、無法地帯みたいになってしまったって噂で聞いたから、くれぐれも用心して、こいつの言う事を聴いてくれよ』




 ここに入る前に告げられた藤の忠告を胸にしっかり刻んだ玖麦は、不満を力いっぱい抑え込んで、しずしずと後方に控えていた。

 取引が行われる大広間に繋がる五つの扉の前では、客を迎える守護人の一人が玖麦の前方に立つ少年に腕を広げながら、にこやかに話しかけた。



「これはこれは縁様ようこそお越しくださいました。本日も怜条様のお使いですか?」

「ああ。まあな」

「そちらの方は?」



 縁は頭を桔梗色の布で隠している玖麦を一瞥してから、お頭のお気に入りだと答えた。



「こいつの気に入ったやつを買ってやってほしいんだとよ」

「ははあ。それはそれは。お嬢様。どうぞお気に召すものがきっとございますのでごゆるりとお過ごしください」



 抑揚をつけて頷きながら玖麦にも笑みを向けた守護人は、玖麦が小さく頷いたのを確認してのち、次には縁に視線を送った。縁が小さく頷いた。ではどうぞと、守護人が重厚な扉を厳かに開けて身体を横に向ける中、縁と、続いて玖麦は広間へと足を踏み入れた。



 途端。玖麦の身に、かしましい熱気と音が襲いかかった。

 この広間に人が埋め尽くされているわけでもないのに、あたかもそうであるかのような錯覚に包まれて息苦しくなってしまった玖麦は、流れるように中央に向かう縁を導にしてついていった。



 非常に遺憾ながら。



 しかし不思議ながら、常と変わらない縁のその小さな背中を見つめていたら、徐々に呼吸がしやすくなった玖麦。不思議だけど不思議じゃないかと眉を潜めながら、部屋の様子を見回した。それができるくらいには平常心も取り戻したようだ。



(地盤大丈夫なのかな)



 よくこれだけ掘り進められたものだ。感心と不安を抱くくらいに広いこの部屋の中央には、これみよがしに鎮座している円形の台が、最奥には長方形の台があり、さらにこの二つの台を通路のように細長い台が繋いでおり、どの台も玖麦の目線より少し高かった。


 最奥の長方形の台には、大小さまざまな大きさで、布で覆われているナニカが五つ置いてあった。

 一部は終了しており、今は休憩時間で、もう暫くすれば、二部が始まるらしい。




(翠さんは大丈夫かな)


 縁の後方で同じく立ち止まった玖麦はきょろきょろと辺りを見回すも、別の入り口から入っている翠と藤を見つけられなかった。



(師匠に何を言われたのか知らないけど、妙に気負っているみたいだったから心配だな)



 『支暖』の石造り邸内で、玖麦が戦々恐々しながら乾を出迎えた際も、視線を向けられるのみ、また、いつの間にか邸から出て行っていた為、言葉を一切交わすことはなかった。

 旅を止めろと言われずに安堵はしたが一時的なもの。何も言葉をかけられないのは、それはそれで怒ってはいるのかもしれないと思うと、気は休まらない。




『わしが玖麦を守る』


 『支暖』からここ『彩環』までの道中。二手に分かれるとの藤の言に、それはもう翠は反対した。離れない、守るの二言を繰り返し、藤に撤回を迫るも、藤は頑として受け付けなかった。



 二手に分かれるのはそれぞれ役割があってのこと。

 玖麦と助っ人は取引に参加して、あやめ石購入に専念する。

 翠と藤は情報収集に専念する。情報収集は危険がつきものだ。玖麦を危険な目に遭わせたいのか。



『組織が変容する要因の一つは、誰かが外から入ってきた可能性が高く、その誰かがヤバいやつが多い』



 飄々とした態度を封じ込めた、厳しい物言いに、翠は口をへの字にして、渋々了承しながら、それならば玖麦は邸で待っていた方がいいのではと今更なことを言い出したのだが、玖麦は行くと断言した。


 あやめ石を取り返すだけではなく、その大元を潰す気でいるのだろう今の状態。

 正直に言えば、どんどん大事になっていく事態から手を引きたいのは、山々であるが、決めたのだ。



 一か月。翠と行動を共にする。ゆいしゃとして行動する。あわよくば、成果を出す。

 そして、探し出した花嫁さんに言ってやるのだ。遼雅に言ってやるのだ。



(……何を言うのかは、決めてないけど。胸を張って、きっと、言う)



 そして、



(翠さんとも、兄上とも。さよならだ)






「おい。俺に何度話しかけられれば満足するんだ?」


 どうやら内に籠りすぎたみたいだ。

 今ようやく縁に声をかけられていたことに気づいた玖麦は、縁の不機嫌な顔を見ながら思った。


 初めて会った時から、今の今までずっと、不機嫌な顔か、不愉快にさせる顔しか見ていないなと。


「……ごめん。気がつかなかった」


(…どいつもこいつも気負いやがって。しかも。謝りやがった)




 謝罪しないと言ったくせに、




 縁は目元をさらに険しくさせた。


 兄に似たのか何なのか。いつもいつもいつも。ふわふわと動く雲のように肩の力が抜けた状態のやつが今はどうだ。

 本人は気づいていないのか。顔を険しくさせて、肩は常の位置より上に固定して、緊張していますよと言わんばかりに全身に力を入れて。



『兄上ももうじき結婚するから、今回で追いかけるのは最後にする。これからあんたたちを追いかけるのは兄上のお嫁さんだから……言っても無駄だろうけど、兄上の大切な人を困らせないでよね』



『玖麦ももういいお年頃だし。こんなむさくるしい男がくっついていたら、やっぱ邪魔だよな』




(ばかが)



 これでもかと互いを意識しているくせに。互いが隣に居ることを望んでいるくせに。離れがたいくせに。離れたくないくせに。


 どうして邪魔だと決めつけて、勝手に離れるのか。

 えにしに名をつけねば、名を固定させねば、傍に居てはいけない禁制でもあるのか。


(あー。くっそ。こいつは本当に俺を苛立たせるのがうまい)




「ねえ」

「〝あ?」



 話しかけられてゐの一番に反応してしまった己に舌打ちをしつつ、あれを見てと言う玖麦の視線の先、取引されるブツが置かれる円形の台に縁も同じく向ければ。



「…ねえ。あれ。正義そっくりの人形でしょ?」

「いや。本人だ」



 ここのどこかにいる事だけは察知していた縁は、あんなとこで何をしてんだと呆れつつ、平然と玖麦の言を却下した。



(え。いや。だって、)



 居るかもしれないと一抹の不安を抱いていた玖麦であったが、いるにしても暴れているだけで、まさかあんなところに居るとは思いもしなかったので、縁の言を素直に受け入れられるはずもなかった。



「…拓本?」

「正義本人だっつってんだろ一度で理解しろ莫迦が」



 いつもなら反駁するが、流石に今は玖麦にそんな余裕はなかった。



「……え。だって。ここ。植物と鉱物だけだって」

「無法地帯みたいになったと藤が言ってただろ。取引の対象も変わっててもおかしくないんだよ」

「……人身売買」



 玖麦の声が震えていると気づいていたが、縁は慰めの言葉をかけようとはさらさら思わず捨て置き、それよりもと、別の疑問を抱いた。


 何故あんなやかましく足が速いだけの老人を捕まえて売ろうと思ったのか。

 まさか。正体に気づいたわけでもあるまいし。



(……気づかれていると。したら。同類も手を貸している事になるが)



 注意深く周囲を探ってみても、気配はない。

 己の能力に多大なる自信を持っていた縁は早々に、同類は無関係で、よほどの変物好きが関わっているのだと結論付けた。



(ったく。何を嗅がされているんだか)



 円柱形の籠に閉じ込められている正義。おとなしく目を瞑ったまま椅子に姿勢正しく座っている様子からは、諦めてこの状況を受け入れているようにしか見えないが、その実、何か薬を嗅がされて眠っているに過ぎない。



(まあ、目が覚めたら、なんやかんやで抜け出すだろう) 



 やれやれあんなの買うやつなんていないだろうに。

 縁はしょうもないと言わんばかりに、頭を二、三度軽く振ってから、さっさと回収しろよと主催者に毒づきながら、再開した取引を眺めていたら。



「一千万」

「一千万。一千万。いませんね。では落札。落札しました。おめでとうーございます!」



 へえ物好きだなあんなじじい買うなんて。

 などと、面白がっていられる状況でもなかった。



「おい」


 縁はその物好きである玖麦を睨みつけた。


「おまえ。あいつならどーにかこーにかできるってわかってるだろ」


 あやめ石を買う金は別に持ってきてはいるが、万が一に備えて玖麦の金も当てにしていたのだ。そんなしょーもないもんで使ってどうするんだと、どすを効かせるも。


「だって。このままじゃ、誰かに連れて行かれちゃうでしょ。あんなに魅力的なんだから。けど。一千万円って安すぎでしょ。もうちょっと足した方がいいよね。そうだよね」



(あ。やべえ。テンパってるわこいつ)



 全然足りないけど二千万払うと言う玖麦に、支払いを求めに来た守護人は面の皮が厚いらしく、それはそれはと掌を擦り合わせながら受け取ろうとするのを、縁はまだ買いたいもんがあるからだめだと制した。



「おまえ。あやめ石も欲しいって言ってただろ」

「…あ。そうでした」



 間の抜けた物言い、かつ、敬語は素なのか、演技なのか不明ながらも、忘れてただろうと疑いつつ、玖麦がお金を払う為に背から腹に移動させたリュックをひったくっては、守護人にさっさと一千万を手渡して、眠っている正義を椅子ごと受け取った。

 幸いにもまだ眠っている正義を縁と玖麦の間に置いて、縁はあやめ石が出てくるのを待った。



 玖麦はかがんでは正義の顔に両の手を添えて、呼吸を確認してから、慎重に全身も触診して、異常はないと判断した。が。こんなに騒がしい状況で目を覚まさない正義に、不安が襲う。



「ねえ。正義大丈夫?」

「眠っているだけだ」



 本当なのか。訊き返そうとしたが、咄嗟に口を閉じて、その言を封じた。

 今は、嘘偽りは言わないのだと、思い出したのだ。

 だから、大丈夫。

 なのに、



(………なん、だろう)



 常ならば、信用信頼なにそれ存在するのと、縁をまったく信じていないが、ここにいる間はそうではないと、ここに入る前に胸に刻み付けていた。



 だから。この胸騒ぎは縁が原因ではない。

 ただ。

 疑問が過る。




 縁が見逃してしまうほどの状態だったら、

 



 玖麦は今一度、右目を眇めて正義を注視した。

 頭、首、肩、腕、手、胸、腹、脚、足まで見て。今度は念の為にと、背中に回り、また、同じように視線を下らせていく。も。やはり、異常は見当たらない。



(私の実力じゃ見つけられないだけ。じゃなくて、考えすぎ…だよね)

(っち。眠っているだけだと言ってるだろうが)



 そんなに信じられないのかと。今までの言動も顧みずに苛立ちを増していると。ふと、見つけてしまった。



「おい」

「え。何?やっぱり何かあるの?」



 縁に話しかけられて、顔を真っ青にさせた玖麦ではあったが、違うあれを見ろと言われて、縁が向ける方向に身体を動かすと。



あお



 綺麗なご婦人に抱えられている捜し人ならぬ、探し兎が居たのであった。



「え。え。ちょ」



 目的のあやめ石の取引が開始してしまった今の状況。ご婦人は人の合間を縫って広間から出ていく様子。

 蒼もまたこれまでなんやかんや見つけ出せれたので、この機を逃しても大丈夫だと思いながらも慌てる玖麦に、縁は行けと冷静に告げた。



「金は置いてさっさと連れ戻してこい」



 玖麦は目を見開いた。絶対放っておけと言うと思っていたからだ。



「いいの」

「いい。早くしろ」

「ごめん。すぐ戻る」



 駆けだした玖麦を視界の端に入れながら、縁は思ったのだ。



 さっさと遼雅に会わせよう。と。

 その為に蒼は必要だったのだ。

 自分たち同様に。



(さっさと会わせて、また思う存分引っかき回してやる)












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