15 鉄紺




「おい」

「はい」

「おい」

「はい」

「おい」

「はい」



 『支暖』内、石造り邸内の地下一室にて。

 ここには、腕を組み仁王立ちになって睨みつける乾と、確りと彼女の怒気に向かい合う翠しか居なかった。



「おい。私が言ったことを覚えているか?あ?言ったよな。一か月後に迎えに行くって。おい?もう一か月経ったか?」

「いえ。一週間も経ってしまいました」

「おいおい。優秀だな。一週間で花嫁を見つけられたか。ん?花嫁さんはどこだ?この男は止めておけと重々言い渡さないとな」

「花嫁はまだ見つけられていません」

「あ?見つけてない?ああ。つまり。玖麦との旅も花嫁さん探しも止めて帰りたいと。ああ、ああ。わかった。私が責任をもっておまえを連れ帰ろう、な」

「乾殿。わしが悪かった」

「悪い?ああ。そうだろうな。花嫁さん探しそっちのけで、盗人探し?なんだ?盗人に心変わりか?しかも。棚泉の中に落ちた?遊んでんじゃねえ。よりにもよって。それをゆいしゃに見られていただと?そりゃあおまえに興味を持つわ調べたいと思うわ」

「そうなのか?」

「そうなんだよ。挙句おめおめとこんなところまで連れて来られるとは。玖麦が頼むから、私も一か月の期間を設けた。玖麦が頼むからだ。おまえだけだったら問答無用で連れ帰っている」

「はい」

「私の温情を無駄にするようなことをしやがって」

「申し訳ない」



 乾は力いっぱい溜息を吐き出した。



「玖麦に金を稼げとは言っていない。おまえの気遣いは不要だったんだ」

「そうなのか……だが、不要だとは思わない。ゆいしゃが資金不足なのは事実なのだ」

「おまえは。目移りをし過ぎだ。直接触れて浮かれるのはわかるが、自重しろ」



 翠は下唇を痛くなるまで上に押し上げた。

 その通りだった。花嫁を探したかった。玖麦と旅をしたかった。玖麦の為に何かをしたかった。自分にできることをしたかった。

 あちらこちらと触れては浮ついて。迷惑の上乗せをしまくってしまった。



「すまない。乾殿」


 翠は土下座をした。乾は舌打ちしたが、顔を上げろとは言わなかった。


「浮ついていると気づいていたのに、釘を重々刺さなかった私にも落ち度はある」

「すまない」

「……玖麦が止めたはずだが」



 花嫁探しに猛進する勢いだった。翠が言ったところで、盗人探しを了承するとは思えない。

 知っている玖麦ならば、



「わしが押し切ったのだ。わしが悪いのだ」

「否定はしない」



(が……玖麦自身にも変化が訪れている、のか)



 翠と一緒に居ること。遼雅を追うことを止めると決意したこと。翠を知らないこと。それらの相乗効果が出てしまったのだ。



(しかし、教えられんし。教えられたとしても、即刻旅は終了だ。玖麦ならそう決断するはず)



 乾は片眉の端の部分だけをなぞり始めた。



(あやめ石の盗みか。大方、金持ち連中だろう。藤が盗まれたのは意外だったが。よほどの手練れを雇ったんだったのだろう。締め付けが足りなかったか。あとで王にさっさとやれと言っておくとして。雪綾目国の者が関わっていたら……まあ、よほどのことをしでかしていない限り、あっちの国は放置だろうな。こっちで何とかして……翠が泉膜に入れたなら、仮定は合っている可能性が高いか。丹治が調べるとなれば。わかるだろうな。それは避けたいが)



 むずむずと。研究者の血が騒ぐ乾。調べたい。あちらこちらしらみつぶしに水桜国の物質の大部分は調べ尽くした今、手を付けていない数少ない内の一つである泉膜はあやめ石の代替物になるのではと目を付けていたのだ。泉膜を通れる翠を調べれば、採取できる糸口を掴めるかもしれない。



(いや。今は時間がない。期限が過ぎたら、思う存分調べさせてもらえばいい、として。今はこの状況の打開策…は、翠が玖麦を連れて逃げればいいだけだが。丹治が諦めるかと言えば、それはないだろうな。顔を知られた今、何年かけても、嗅ぎつけるだろう。から、私の獲物だと、説得と脅迫をして、どうにか、こうにか、して……正義が盗人を追っているんだったか。玖麦と名を呼んで……見間違い、か。しかし、正義なら、玖麦を引き寄せる可能性が大、か。今まではあらかた片付いた状態だったが、今回もそうとは限らないし。こいつが常に玖麦の傍に居るのか怪しくなってきたしな)



 土下座を続ける翠を見て、また舌打ちをした。一生そうしていろと罵ってやりたい。



(目を離すなと口を酸っぱくして言っていたのに、棚泉に落ちただと。そのまま地獄にでも落ちていればよかったんだ)



 乾はおもむろに眉から退けた手を腰に添えた。



「……玖麦が一人で旅をしているより、お前と居たほうがよっぽど不安が尽きん。本来ならば、ここで即連れ戻すところだがな。一か月と言った手前、覆す気はない」

「…だがわしは」



 ようよう口を開いた翠だったが、言葉は続かなかった。

 玖麦に迷惑をかけない為にも、もう旅をしない方がいいのではないか。花嫁もどうせ見つけたところで結婚などできはしないのだからこのまま、



(…わしは、なんと自分勝手な)



「…おまえと玖麦の二人旅は了承しない。藤と一緒にしてもらう。あいつは顔が広い。花嫁さん探しと盗人探しを続けろ………藤は私が特に信頼の置ける弟子の一人で、城にも出入りしている。事情を話しておく。いいな」

「いい…のか?」



 失態を続けている以上、事情を知る者が居るのは心強い反面、態度が変わりはしないか不安だったし、そもそも勝手に知る者を増やしていいのか、疑問だった。



「言っただろう。特に信頼の置ける弟子の一人だと。おまえが何者だろうが何も変わらん。それに藤は、城の中枢に行く人間だ。遅かれ早かれ教えられる。が。玖麦が知れば、そうではないと今一度きつく肝に銘じておけ。知れば即旅は終了だ。玖麦がそうしたいと願い出る。確実にだ。いいな?」

「…すまぬ。ありがとうございます」

「……話が済むまでその姿勢を解くなよ」

「はい」



 乾は衣を翻し、扉まで迷いなく歩いたが、ふと、立ち止まった。


 言えば、調子に乗るかもしれないが、



「……遼雅にしか目を向けなかった玖麦が外にも目を向けるようになった。おまえの影響を受けたんだろう。今は危うさしか見受けられんが。それでも私は、玖麦が変わろうとするのは、歓迎している……だから、守ってくれよ」



 翠は目を見開き、顔を歪めた。

 ようやく、と言うべきだろう。翠はこの刻になって初めて、責任を感じた。責任を感じていなかった自分を猛烈に恥じた。



(わしは、情けない)



 はい。厳かに返した言葉を乾が聞き届けたかは、わからなかった。










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