14 甕覗き
「俺のあやめ石を盗んだのはおまえか?」
「違います」
「だよなあ」
「失礼な人ですね」
「悪い悪い。とうとう線を越えちまったかと思ったんだ」
「いつかすると思ってたんですね」
「暴走しそうにないやつほど実は。みたいな話はよくあるだろ」
「仮に私が暴走しそうになったら仲間が止めるのでご心配なく」
「だよなあ」
悪かった。真剣な顔で謝る藤を、遠い目をして見つめる玖麦。天井まで並べられたあやめ石に囲まれていた。
『支暖』。石造りのなかなかに立派な邸内の一室にて。
藤の話を聴いた上でここに案内された時、玖麦はすわ、潜入捜査でもやらされるのかと、八割は使命感で、二割はげんなり感で心身を占めていたのだが、そんな玖麦の心情を知らないとばかりに、藤は行くかと告げたかと思えば、堂々と玄関から邸内に入り、あちらこちらに居る人の内、傍に来た者に
(…研究所、と、考えれば、本物だと思うけど……)
財政難故に、犯罪ギリギリの仕事に就いているゆいしゃも居ると乾から聞いたことがある。
仮にここがまっとうな研究所でないとしたら、もしかしたら、これは全部贋物で、金持ちに売る為の物ではないだろうか。
(関係ないか。深く関わる気は毛頭ないわけだし。ただ、)
玖麦は傍に居る翠をちらと盗み見た。清廉潔白そうな翠が知ったら、どう思うのだろうか。金持ち相手に詐欺を働くなんて、いくら金を持っていようが関係ない。止めろと憤慨するか、懇々と説教をするか、泣きに入るか。
おまえは金稼ぎはしなくていい。ゆいしゃの腕を磨け。
乾にそう言われてきたが、もし、やれと言われていたら、それが犯罪になる金稼ぎだったとしても恐らく、躊躇なく行っていただろう。
(もし、していたら。多分。翠さんとは絶対旅をしていなかっただろうな)
ふと、翠の話し声に気づいた玖麦。どうやら藤と丹治の話は一区切りついたらしく、自己紹介に場は入ったようだ。丹治がこちらを向いたので、玖麦は小さく会釈をした。
「初めまして。丹治と申します」
「初めまして。玖麦と言います」
「説明を受けていると思いますが、ここは或る方たち専用に販売する、純度一%のあやめ石を生成する研究所です」
いえ聞いていませんが。一%でもゆいしゃ以外にあやめ石を売るのか。金を稼ぐ手段とはいえ。思うが追求せず、ご苦労様ですと当たり障りのない言葉を返した。お気遣いありがとうございますと返す丹治。目つきとは裏腹な柔和な態度のままに、ところでと言葉を紡いだ。
「あなたはあやめ石が必要だと思いますか?」
何を当たり前なことを問うのか。怪訝に思うがやはり口にせず、素直にはいと返す。
「私は必要ではないと考えています。まあ、なので、藤さんは私が盗んだのではと安直に考えここに来たらしいのですが」
「念の為だ、念の為。仕方ないだろ」
藤と丹治の会話が再開しそうな兆しを受けて、ここで区切らせることはできた。けれど、玖麦は口を開いた。
「必要でない理由を訊いてもいいでしょうか?」
「…玖麦さんは、年に何件あやめ石が必要になる事態があるか知っていますか?」
「少ないとは聞いていますが、数までは知りません」
「年に十件あるかないか。ここ十年はそれだけです。ゆいしゃの質と数が充実しているおかげだと考えています。まあ、環境も関係あるのかもしれませんが」
「ゆいしゃが事態を抑えているから、あやめ石が必要ないんですか?」
「自国のものだったら言いません。他国のものだから必要ないと考えています」
「お金がかかるからですか?」
「ええ。どうせ雪綾目国はここぞとばかりに多く上乗せしているのでしょうから、そのお金をあやめ石の代替物を生成する研究費に充てたほうがいいと考えています」
否定するつもりはなかった。乾がよく言っていたからだ。だが、全部を、とは言っていない。兆しも得ていない現状、あやめ石は必要だと言っていた。
「……新しく購入する必要はなく、国が今保有しているあやめ石で十分対応できると思っていますか?」
「最近の頻度を考えれば百年は対応できると考えています。なので貿易は止めていい。あやめ石があるから研究は必要ない。国もですが、ゆいしゃの中にもそう言う者が居ますが。費用の問題とは別に、いつまでも雪綾目国と取引できるとは限らないですし、自国の問題は自国で解決した方がいいと考えています」
「…それは、そう、ですね」
天上の話のように感じてしまった玖麦。ふわふわして現実のものとして受け止められない。自分が考えたところでどうしようもないと割り切ればいいのだが、どうにも、もやもやしてしまった。
「ですが、資金集めにあやめ石を使っているのですから、本末転倒もいいところですが」
「偽って売るとかしないもんな、おまえ」
「必要とされているのはあやめ石ですし。顧客に嘘偽りを告げればその時点でもう商売は終わりですよ」
「それは、雪綾目国と水桜国の国交がいいものと考えられていないから、なのだな」
今までやり取りを黙って聴いていた翠。おもむろに口を開いた。常になく緊張感を伴って。
「ええ。そうですね」
「…そう、か。そうだな」
「……翠さんは泉膜を通ったと聞きました。泉賊、もしくは雪綾目国の者ではないのですか?」
「いや。わしは水桜国の者だ」
僅かに顔が強張ってしまった翠。何をやっていると自身を叱咤した。
「丹治。俺が言っただろう。違うと」
「ああ、そうでしたね。うっかりしてしまいました。翠さん。訂正する手間をかけてしまい申し訳ありませんでした」
丹治は深く頭を下げた。翠は慌てて両手を振った。
「いや、気にしないでほしい」
「ですが、気になりますね。調べていいのなら、存分に調べさせてもらいたいものです」
鋭い目つきがより鋭く。さながら猛禽類が獲物を定めた時のような威風があった。
翠のこめかみに冷や汗が生じた。
「ああ、いや、うむ」
「兄さん。俺からもお願いできないか?兄さんを調べれば泉膜を通れる手段がわかるかもしれない。泉膜を通れれば、何か色々わかるかもしれないんだ」
「うう、む」
翠は困った。とてつもなく困った。協力したいが、調べられてもし素性が把握されでもしたら。
(恐らく、もう、一生、外には出られない、だろう、な)
そもそも勝手に外に出ている現状からして、期限が過ぎれば、外に出してもらえない可能性が高いのだが、素性がばれでもしたら、部屋に閉じ込められたままになるかもしれないのだ。
(犯人を捕まえる時にわしの運動神経が役に立つと考えたが。ううむ)
「翠さん」「兄さん」「うううむむ」
詰め寄る丹治と藤。困り果てる翠。黙視していた玖麦は、あの、と声をかけた。
協力できないと言って出て行くことも考えた。翠の身体能力を以てすれば逃げ切れるだろう。
けれど、そうしないのは、多分、見栄もあったと思う。
(ああ、怒られるだろうなあ。花嫁さん探しに費やすんじゃなかったのかって)
想像するだけ恐ろしい。が。現状を打破するには、頼るほかなかった。
「師匠。ゆえの乾さんに協力を申し出るのが一番だと思います。翠さんの事情にも詳しいので」
「乾師匠に、ですか?」
「はい。城に暫く居ると言っていたので、繋がると思います。あの、私の、名前も、出してもらえれば、協力、してくれると、思います」
歯切れが悪いのは致し方ないのだ。だって、会うのは三週間後のはずだったのだ本当なら。
気分がどよめく玖麦とは対照的に、藤は目を輝かせた。
「それはいい。なあ、丹治。乾師匠にお願いしようぜ」
「そう、ですね。被害は報告されていませんが、一%あやめ石も盗まれないとは限りませんし」
早速連絡を取りに行きます。言うや、丹治は部屋を出た。藤も説明するのに付き合ってくると丹治の後を追った。
「翠さん。すみません。勝手に師匠にお願いしようと言って」
「いや。乾殿に来てもらえれば、助かる………玖麦。すまぬ。いろいろと」
がっくし。翠は項垂れた。玖麦の事は任せろと啖呵を切っておきながら、助けられる有様。しかも乾にまで迷惑をかける事態になってしまった。
(手伝うなどと言わなければよかった。余計迷惑をかける羽目になっている)
(旅を止めろって言われるかもしれない)
もし言われたら、どうしようか。
玖麦はとてつもなく落ち込んでいる翠を見て、口をへの字にしたのであった。
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