7 鳥の子






『旅を続けていい』


 師匠にそう言われて、正直、気落ちした部分もある。

 早く逮捕してもらったほうが、翠さんの為になるのではないかと考えたから。

 早く逮捕してもらわなければ、自分も逃亡幇助で罪が重くなるのではないかと考えたから。


『ただし、一か月間』


 次にそう言われて、安堵した。

 きっと師匠がどうにかして納得させた警察長から猶予だと与えられる期間。が一か月間だと考えられる。

 ならばこの期間で、翠さんの花嫁を探せばいい。翠さんは兄上も探し出したいと言っていたけど、この期間でできる可能性は低い。二兎追う者は一兎をも得ず。花嫁探しだけを考える。






 翠は席を外しているので、休憩所に常設している何十もある客室の一つであるここには、玖麦と乾だけ。

 寝台の上で正座になっている玖麦は、寝台の傍に置いてあった丸椅子に座っている乾に向かって頭を下げた。


 久方ぶりに何の遣えもなく眠ることができた感謝でもあり、毒を見つけられなかったことと、四年もの間、不通だったことを謝罪する気持ちを示すものであった。

 意識を失う前と、目覚めてからも示したが、今一度改めて。

 そして、今回はこれだけで終わりにはしなかった。



「兄上を。遼雅さんを追うのは、今回で終わりにします」



 玖麦は言い切った。後悔はなかった。清々しくもなかった。悲しくもなかった。


 何もなかった。



「…縁の意地悪にとうとう折れたか?」



 乾から粋な笑いを向けられた玖麦。そんなわけないじゃないですかと、勢いよく反論した。心中では、認めたくないけど、ほんの少しだけ、折られたかもしれないと弱音を吐いた。心中でだけ。



「何故終わりにしようと考えた?」

「遼雅さんもそろそろ結婚を考えるお年です。そんな大切な時期に私みたいなものが傍に居ては、結婚相手に厄介だとの印象を与えて、決まるものも決まらなくなります」

「遼雅を想って、か」

「……遼雅さんが私を煙たいと考えていたのは、知っていましたけど、目を逸らし続けていました。往生際が悪かったです。離れたくないって、駄々をこねて、迷惑をかけました」

「それだけか?」

「いえ。旅をしたいからです。遼雅さんを追うだけの旅をしている中で、思いました。ゆいしゃとして、旅を続けたい。旅を続けて。師匠にも、遼雅さんにも、認めてほしい。里のみんなの手助けがしたい」



 乾は返事をせず口を閉じ、玖麦を検分するように眼光を鋭くさせた。



(旅立ちの日、か)






 旅をしたい。が、本音か建前かは、一度棚上げしておくとしても、だ。

 いつの間にか。いつの間にだろう。こんなにも強い眼差しを向けるようになったのか。安定していると思わせるようになったのか。



 とてつもなく感慨深い、とてつもなく寂しい。

 自分だけではない。遼雅もきっと同じ気持ちになる。断言できる。

 玖麦は誤解しているが、遼雅は玖麦を溺愛している。態度と行動からは煙たそうに見えても致し方ないのだが、自分に勝るとも劣らず玖麦を溺愛している。だからこそ、



(もう追いかけないと知ったら、嬉しくて、その気持ち以上に、落ち込むだろう)



 想像したら、ちょっと、面倒くさい。ヤケ酒に付き合わされそう。まあ、いくらでも付き合ってやる。


 内心苦笑してから、乾の心に黒い影が落ちた。



(しかしやはり里に戻る気はないのか)



 本当ならば、連れて帰りたい。根無し草のような暮らしをさせたくない。

 里の為。

 玖麦のこの気持ちは本当だ。

 ただし、里を帰る場所と認識しているかは、甚だ疑問だった。

 確かに旅立つまで里に居たが、玖麦の帰る場所は、いつだって、遼雅だったのだから。



(恋仲だったのなら、家族愛だったのなら、話は簡単だったのかもしれん)



 兄上と呼ぶのも、妹のように接しているのも、そうしたほうが早いから。

 里の者に向けて、世間に向けての主張に過ぎない。

 本心は別で、きっと、本人たちも掴み切れていないくらいに厄介極まりない状況に違いない。

 恋仲でなくても家族愛でなくても、こうだと断言できる名称であったなら。



 どちらともに、もしくは一方だけでも、そうであったのならきっと、早くして収まるところに収まっていたのだろうに。



(新しい土になりそうなやつが、よりにもよって、王子だしな)



 花嫁を探していたと言っていたが、旅を続ける中で心変わりをして玖麦を選ぶかもしれない。

 論外。断固として反対。万が一、玖麦が懇願したとしても、鬼となって死守しよう。

 翠がただの王子だったのなら、まあ、考えないでもなかったが、そうではないからだ。

 そもそも翠の父親である国王が絶対に許さない。

 玖麦もだが、翠が花嫁にしたいと言っていた相手とも、結ばれる可能性は皆無。

 翠もそんなことはわかっているだろうに、



(よっぽど鬱屈とした生活を送っていたのか。もしくは思い込みが激しいのか)




「…おまえが望んでいるのなら、私は応援しよう」



 乾は長考の振りを解いて、目を細めた。

 ありがとうございます。

 勢いよく飛び出すはずだった言葉は、ただし、との、乾の牽制によって、今は閉じ込められた。



「今度は一か月に一回は連絡を寄こせ。最低だ。ああ。ただ、里の為に、との気持ちを示したいと、頻度を多くしたいのならば、それもよかろう」



 ひくり。唐突なしゃっくりが一回。ぞくり。背筋が凍りつくような感覚あり。



(もしかして、里を出るときの条件ってこれだったのかな)



 条件を忘れていた事実については、何の発言もしていなかった玖麦。賢明な行動であったと自画自賛。このまま素知らぬ顔を続けようと決意した。もしかしたら、とっくにばれているのかもしれなくても。



「一か月に数度は確実に連絡をします」

「ああ。楽しみにしている」



 思わず見惚れてしまう微笑を目の当たりにした玖麦は、何やら落ち着かなくなってきた。

 どうしてか、唐突に寂しくなってしまったのだ。しかし、口には出せない。素直になれない。



「……師匠は、もう旅立つのですか?」

「ああ、そうだな。翠殿が帰ってきたら、そうしよう」

「わかりました。翠さんの件、ありがとうございました。よろしくお願いします」



(よっぽど王子が気に入ったんだな)



 言いたい。言ってみたい。だが言わない。

 離れたいと言わなかった玖麦。その時点でお気に入り確定なのだ。

 度合いはどうであれ。



(もし離れたいと言っていたのなら、あらゆる権力手腕を使って実行に移したがな)



「…一か月間は遼雅探しは中断だな」

「はい」

「縁か、蒼は見つけているのか?」

「縁は見つけました。あとはまだです」

「そうか。しかし、蒼は難しいが、正義は期間中に姿を見せそうだな」

「厄介な事件を持ち込まないといいんですけど」

「名の通り、正義のミカタだからな。厄介事に首を突っ込む。無理だろう」

「怪我を負わないのが、せめてもの救いなんですけどね」



 玖麦は顔を綻ばせた。

 緊張が解けたらしいと読んだ乾。悲しいかな、重圧をかけているのは知っている。どうしても、緊張させてしまうらしい。

 玖麦が敬慕の念を抱いているのは知っているから、全然平気だけども。悲哀皆無だし。


 

 こほん。乾は内心で小さく咳をしてから、端厳とした姿勢を作って口を開いた。



「玖麦。一か月後、私が迎えに行く時が、翠殿との旅の終わりだ」

「…はい」



 思わず口を開いたが、薄い位置で留め、柔らかく閉じた乾。

 訊いてしまいそうだったからだ。

 そんなに気に入ったのかと。

 実行しなかったのは、無自覚ならそれでいいと思ったから。

 決して妬いたからではない。












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