2 桔梗

 玖麦と翠が目隠しもされずに連れて来られた先。ひんやりと冷気が漂う洞窟の中、一層華やかに蝋燭で灯され、四方に奥へと続くであろう穴が点在する場所で、傍らに黒づくめの十人の配下を従えているのは一人の男性。



「あたしの名前は怜条れんじょう。この区域の森賊の首領をしている」



 三日月の形をしている独特な前髪に、髪から衣まで紫色の細身で気だるげな表情をしている男性、怜条は玖麦と翠を見ては口の端を小さく上げて、隣に座る濃藍色の短髪の幼い少年に視線を送る。



えにし。探し人はこの娘かい?」



 問われた少年、縁は不遜に口の端を上げた。



「いいや。違うね」

「ふ~ん。なら、薬だけ頂戴しようかね」



 怜条はやおら翠を通り過ぎ、玖麦に視線を留めた。



「薬を横流ししたい。そう言ったらしいけど、理由はなんだい?無事に帰りたいのか、それとも金が欲しさに仲間になりたいのかね」

「無事に帰りたいからですよ」

「怯えていないのは、隣にいるお兄さんのおかげかね?」



 命は奪わず、怪我もなるべくさせない。如何に華麗に盗み出すかを信条にしているとは言え、盗賊であることには変わりない。犯罪者に囲まれたこの状況下で、平然としていられるのはなぜか。共に居る男が腕の立つ用心棒だからか。このような状況に慣れているからか。単なる世間知らずか。


 ゆいしゃの持つ薬は確かに、高価な値が付くが、薬だけを頂いても話にならない。ゆいしゃ以外が取り扱えば、ただの毒。薬として使用できない。


 つまり、金を受け取るには、ゆいしゃの薬と共にゆいしゃも欲する者の元へと届けなければならないのだ。


 捕えられたからか、金欲しさの志願者か。どちらにしてもゆいしゃの薬を欲する犯罪者の元には大抵ゆいしゃが居る。自分のところも例に漏れず、一人だけ居る。


 元々ゆいしゃの数自体が少ないのだ。手元に何人居ても足りない。と。おおよその犯罪集団は思うだろうが、自分は違う。一人で十分だった。故に薬だけ頂戴して解放しても構わない。



(外見だけは好みなんだけどね)



 残念なことに外見だけ。雰囲気からして察するに中身は好みではない。一点たりとも。ならば。予定通りに進めるか。


 引っかかりさえなければ、即座にそうしていただろう。


 怜条は視線だけを動かして縁を見る。上から見下げるように笑みを湛えているのは別段特別ではなく常のこと。その変わらない表情の中で何を考えているのか。まだまだ短い付き合いではあるものの、感情の機微には聡い方なので、なんとなくはわかる。



(さぁて。この子は嫌がるだろうけどね)



 心中でひっそりと微笑んだ後、怜条はお嬢ちゃんと呼びかけては玖麦に話しかける。



「薬は要らない。だけど、解放するには一つ条件がある。あたしの大事にしている桔梗が元気がなくてさ。ちょいと見ておくれよ」

「怜条」

「お忘れでないよ、縁。ここの頭はあたしだよ。あんたは部下。違うかい?」



 怜条は非難する縁に優艶な笑みを返す。縁は不服そうに眉根を寄せるも反論はしなかった。怜条は小さく頷き、どうすると玖麦に尋ねた。



「わかりました」

「なら、縁に桔梗のある部屋を案内させるよ。お兄さんはここで待っていておくれ。ああ、駄々をこねないでおくれよ。お嬢ちゃん。それでいいね。不安だってんなら、まあ、お兄さんも一緒で構わないけどねぇ」

「玖麦」



 連れて行け。翠は目でしかと訴える。玖麦は視線の意味を理解していても、ここで待っていてくださいと告げた。



「大丈夫ですよ」



 柔らかく笑う玖麦を見ては、二の句が告げない翠。迷いが見当たらない。きっと、意味のある行動なのだ。察して、意識して静かに深呼吸をして後、明確な牽制を示すべく、怜条と縁を無言で睨み付けた。怜条は肌を刺すような視線にも、微塵も怯まずに安心しなと返した。



「心身共に無傷で返す。約束するよ」

「じゃあ、行ってきます」



 怜条が言い終えると同時に縁は無言で洞窟の奥へと向かって歩き出す。玖麦は翠に小さく頭を下げてから縁の後を追った。



「あたしの言葉は信用ないかねぇ」



 一心に玖麦の直視する翠の様子に、怜条はくつりと喉を鳴らして笑う。翠は玖麦の姿が完全に洞窟の奥へと消えたのを確認しながらも、視線はその先に留めたままに、信用はしていると怜条に返した。怜条は目を細めた。



「あんたみたいな大物に信用してもらえるなんて。あたしも鼻が高いよ」



 瞬間、鋭い殺気が襲うも、怜条は嬉し気に笑みを深めるだけ。次にはやおら頭を振る。



「もったいないねえ。武器を有効に使わないなんて」

「……知らせる気か?」

「ふふ。否定しないんだね」

「しても無駄であろう」



 交わらない視線。けれど不快には感じない。



「知らせないよ。あたしの美学に反するからね」

「……あの子に知らせないでくれて感謝をする」

「…あたしが言おうが言わまいが、いずれはばれるさね」

「ああ。わかっている。それでも、まだわしは、」

「あれあれ。とんだ甘ちゃんだね」

「否定はできぬ」

「…まあ、あたしにはどーでもいい話さね。好みじゃないあんたがどうしようが。その結果、ーが倒れようが」

「………」



 翠はもう話すことはないと口を閉ざした。怜条は肩を上下させてから、翠から視線を外した。もう用済みと言わんばかりに。







「おい。俺に何か言うことはないのか?」


 無言のまま目的の部屋まで辿り着いてしまった縁。何かしら言葉をかけると思われた玖麦は、部屋の中央の丸い卓の上に置いてある桔梗に意識を集中していて、面白くない気持ちがさらに倍増してしまった。



「おい」

「集中したいので静かにしていてもらえませんか?」



 硬質な声音が、こちらを見向きもしない態度が、ますます気に喰わない。

 力を入れていた眉根を、しかし、次にはふっと意識して解く。

 縁は腕を組んでは出入り口付近の壁に寄りかかり、不遜な笑みで以て玖麦に話しかける。



「俺にそんな態度を取っていいのか?」

「………」

「知りたいんだろう?じじいの居場所を。だから逃げもしないでここに来た。俺が、じじいが居るかもしれないと踏んだからだ」

「………」

「じじいが居ないとあいつの居場所もわかんねえしな。俺らが集まらねえとおまえの大好きなあいつには会えないしな」

「………」

「っハ。最初は血相を変えて連れて帰ったくせに。隠すのがうまくなったこって」

「………」



 玖麦は小さく、けれど塁の耳にも届くくらい明確に溜息を出して後、やおら振り返って、縁に対面した。


 無表情。望んではいない顔に、縁は舌打ちをして睨み付けた。玖麦は真っ向から受け止めた。怯みも逃げも、縋りもしなかった。



 疲れていない。わけではない。正直に言えば、もう疲れた。大きく揺れる振り子に。己の感情に。追いかけなくても解決する事実に。

 頼まれたわけでは決してない。好きで始めた。ならば終わりも勝手にしても構わないだろう。




『いいや。違うね』




(そうだ。私は必要じゃない。認めろってこと。知ってたけど)



 最初から知っていた。ただ、自分が勝手に心配して……違う。離れたくなかっただけ。追いかけられる理由が欲しかっただけ。



「今まで申し訳ございませんでした」



 何の感情も乗せないままの謝罪。のちに、深く沈む頭。怒髪天を衝くというのは、今この刻を言うのではないだろうか。


 揺れ幅が本当に激しい。いつか頭に急激に血が上ってそのままお陀仏になりそうで怖い。

 どうして自分が謝らなければいけないのか。疑問と悲哀で胸が苦しい。



 玖麦は振り返ってはリュックから竹筒を取り出して、桔梗に向かい合い他愛もない毒を吸出。竹筒に入れてからリュックに戻して、桔梗の色が変わったのを再度確認して、扉へと向かう。扉は開けっ放しである。勢いを殺すことなくこの部屋から出られる。

 縁を素通りして部屋から出た玖麦であったが、その先の道を進めはしなかった。

 口を強く結んで、小さく口を開く。



「なに。もう。ほんと……どうせ、滑稽だったんでしょ。あんたには。私が必死に探しているのが。兄上に置いて行かれているくせに、懲りずに追いかける私がおかしくて仕方なかったんでしょう。私だって、兄上が本当に否定したなら、」



 咄嗟に噤む。続く言葉を音に出したくなかった。



(兄上の所為にしてどうする。私が諦めたらいいだけの話なのに、)



 掴んでいる手を何度も何度も振り解こうとしても、少しも動かない。



「もうほんと」



 揺れ幅が激しいのは自覚しているが、きっと、ここまで滅茶苦茶にさせるのは、この相手しかいないだろう。


 玖麦は顔を動かして、縁を鋭く睨み付けた。すれば瞳に映るのは、常と変わらない小憎たらしい顔。ひくり。意味不明のしゃっくりが一度だけ出る。



「いい加減にしてよね、縁」



 地獄の底から這い出て来たような声音にも、漸く調子が戻って来たのかと笑いしか込み上げて来ない。



「謝罪は撤回する。あんたにだけは絶対。金輪際謝らない」

「んな腹に膨れねえもんなんかいらねえと思ってたけどよ。愉快痛快な気持ちになったからそうでもなかったかもな」

「…あんたと話すのは本当に嫌」

「俺は楽しいから構わねえよ」



 どうしても相いれない存在がいる。眼前の縁がそうだ。出会った当初から嫌いだった。人の神経を逆なでしまくるからだ。そんな感情を抱くはずはないのだ。相対する度に冷静になろうとするのだが、無理だった。どうしても。


 しかし今回、玖麦は努めて平常心を心掛けて堪えた。言うべきことは言っておきたい。時間切れなのは事実だった。



「兄上ももうじき結婚するから、今回で追いかけるのは最後にする。これからあんたたちを追いかけるのは兄上のお嫁さんだから……言っても無駄だろうけど、兄上の大切な人を困らせないでよね」



 縁は鼻で笑った。



「兄上兄上兄上。ブラコンもここまで来ると痛々しいな。血縁関係もない。戸籍上の関係もない。そうなる予定もない。どこに収まりたいかわからねえやつほど厄介な相手はいないよな。きっぱり追っ払えねえしよ。あーあ。嫌だね」

「……もう言いたいことは言ったでしょ。お互いに。早く離してよ」

「なあ」



 玖麦の言を無視した縁は、彼女の腕を掴んでいる手を己の方に強く引き寄せては、ぐいっと顔を近づけた。微かな吐息さえ届くほどまでに距離を縮めたのだ。自然、玖麦の顔は険しさを増す。



「おまえの連れ。あいつがどんなやつか知らねえだろ。早く離れたほうがいいぜ」

「…あんたには関係ないでしょ」

「いーや。それがそうでもないんだよな…知りたいか?」

「直接聞くからいい」



 早く離して。続ける言葉は自由になった腕により、その必要がなくなった。



「じゃあ、さようなら」

「じじいはここには居ないぜ」



 縁は早足に離れていく玖麦の背に言を飛ばす。予想通り、止まらずにそのまま小さくなっていく背を見送りながら、素直に吹き出す。背中を丸めて、ひとしきり小さく笑い、次いで、瞼を僅かに下ろし、冷え冷えとした視線を送った。




「兄上兄上。うるせえんだよ。ちっとは俺たちのことも見ろよな」




 まあ無理だろうけどよ。

 音に出したかどうか、縁にはわからなかった。









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