ケース・クローズド〜難事件推理班の挑戦〜

間野

FILE1:ラヴミーチョコレート

 二月某日。世間の女性たちが浮足立ち、男性たちがソワソワしながら過ごす今日この頃。が、我々のチームが借りている――占領していると言ったほうが正確かもしれないこのミーティングルームには、いつもどおり、いや、いつもよりもゆったりとした時間が流れていた。

 それもそのはず。とにかくマイペースなゴーイングマイウェイ上司、言語オタクな同期、重度のドルオタ。このように私を含めてたった四人しかいない割にはなかなかキャラの濃いこのチームの同僚たちは、そもそもこういう行事に興味がないのだ。そしてこういった行事には人並みにソワソワとしてしまう私もそんな彼らの雰囲気に飲まれ――というより誰からも何も貰えなかったので、すっかり今日がバレンタインデーだということを忘れていた。

 ゴーイングマイウェイ上司である有馬ありまさんはまだ来ておらず、後輩であるドルオタ刑事――はらには推理依頼をされた事件に関する資料を取りに行かせているので、今この部屋には私と言語オタクの同期しかいない。自分の前のデスクに座る同期がカタカタとキーボードを叩く音が静かな部屋に響く。

 英語や中国語などのメジャーなものから聞いたことのないようなものまで様々な言語を愛する同期は、集中した様子で舐めるようにパソコンの画面と睨み合っていた。朝、「この量を急に渡すなよ……」とぼやくように言ってからパソコンを起動させたっきりずっとこの調子でキーボードを叩き続けているので、きっと今朝 急に翻訳を依頼されたのだろう。キーボードを叩く音がいつにも増して荒々しい。

 資料が届くまで特にやることがない。だからといってかなり機嫌が悪そうな現在進行形でお仕事中の同期に話しかけたところで無視されるであろうことは明らかなので、掃除でもしようかなとキャスター付きの椅子から立ち上がる。と同時に机の上に置いてある固定電話が鳴った。

 電話からの距離は同期のほうが近いが、彼は電話をちらと一瞥したかと思うと私に向けてさも「お前が取れ」と言わんばかりの目を向けてから、またパソコンに視線を戻す。その態度に釈然としないが、このまま鳴り続ける電話を放置するわけにもいかないので渋々電話に出た。

「はい。難事件推理班、北添きたぞえです」

「もしもし、捜査一課の佐野さのです」

「ああ、佐野さん――何かあったんですか?」

 顔見知りである捜査一課の刑事、佐野からの電話に眉をひそめる。

 難事件推理班――一応刑事部の端くれではあるのだが、どうやら影では県警のミス研というあだ名で呼ばれているらしい我がチームは、その名の通り“推理”という形で事件解決に挑むチームだ。なので捜査一課から我々へ電話がかかってきたということは、事件捜査が難航しているということを表すことになる。今回もやはりそのようだった。

「いやあ、少々事件が難航してましてね……。死因は毒による中毒死。これは確実なんですけど、その毒の混入場所がどうにもおかしくて」

「おかしい?」

「はい、そうなんですよ。なんせまだ誰も手を付けてないガトーショコラから出てきたんですから」

「……それは確かにおかしいですね」

 私がそう言ったのを聞くやいなや、彼は硬い声でこう告げた。

「なので、捜査協力をお願いしたいとのことです」

「分かりました」

 二つ返事で了承し、事件現場の住所を聞いてから電話を切ろうとすると「あっ、ちょっと待ってください!」と慌てたように電話口で佐野が叫ぶ。

「いやぁ、あのですね。現場の容疑者の中に推理班の人に言いたいことがあると言ってる方がいてですね――あの、ちょっと電話変わってもらってもいいですか? 変わってもらいたいとさっきからずっと申されてて……」

「大丈夫ですよ。変わってください」

 そういうと電話の向こうからガサガサとした音が聞こえ、しばらくするとどこかで絶妙に聞いたとこがあるような――言ってしまえば取り立てて特徴のない声の女性がおっとりとした口調で話し始めた。

「もしもし、すみません、無理に変わってもらってしまって。溝口みぞぐちと申します。ええっとあの、コトリアソビさん? という方はいらっしゃいますか?」

「コトリアソビ? ――もしかしてタカナシのことでしょうか」

「タカナシ?」

「小鳥が遊ぶと書いてタカナシと読むんです」

 私の同期であり言語オタク、大学からの友人でもあるタカナシは、小鳥が遊ぶと書いてタカナシと読む。小鳥が遊びまわれる=天敵となる鷹がいない。なので小鳥遊と書いてタカナシと読むらしい。まるでトンチのような読み方だ。

 フルネームだと小鳥遊たかなしみやび。珍しい名字に中性的な名前も相まって、まるでアニメや漫画に出てくるヒロインのような名前だ――彼自身は二十代も暮れに差し掛かるれっきとした成人男性だが。

 溝口は「はあ、そうなんですか。なんだか不思議な読み方をする名字ですねえ」と独り言ちてから、本題に切り出していく。

「ええと、それでその小鳥遊さんはこの部署にいらっしゃいますか?」

「はい。――何かご用件が?」

「ええ、実は今朝……いや、やっぱり変わってもらってもよろしいですか? 部外者があまりベラベラと本人の預かり知らぬところで語るのも悪いですし……」

 なんだか歯切れの悪い返事だ。そう思いつつも、溝口の言い分に了承した。確かに昨今はプライバシーだのなんだのと色々厳しいし、それに今朝何があったのかは後で小鳥遊に直接訊ねればいい話だ。

「それもそうですね。今電話を代わりますので少々お待ちください」

 そう言ってから固定電話の保留ボタンを押し、自分の前のデスクに座っている小鳥遊に声をかけると、パソコンを睨みつけていた視線が上がった。

「お前宛てだぞ」

「代わる」

 めんどくさがらずに最初からお前が取っておけばよかったのに。とんだ二度手間だ。そんな私の心の内を知ってか知らでか、涼しい顔をした彼は横目でパソコンの画面を見ながらマウスを操作しつつ、私から渡された受話器を左手で受け取り耳に当て、マウスをカチカチと数度クリックしてから電話の保留を解除する。どうやら今までのデータの保存をしていたらしい。

「お電話代わりました、小鳥遊です。お待たせしてすみません」

 さっきまでの不機嫌具合はどこへやら。現場に向かうため荷物の準備をし始めた私へ、朗々と話す小鳥遊のよく通る声が届く。

「……ああ、今朝の! 全然大丈夫ですよ。……いえ、お気になさらず――えっ?」

 そう言ってから慌てて自分のカバンを漁り始めた小鳥遊を横目で盗み見る。先程はプライバシーだのなんだのと言ったが、やはり人間の野次馬根性とは強いものでどうにも二人の会話が気になって仕方がないのだ。

 彼がカバンから顔を上げたその拍子にうっかり目が合い、呆れ顔をされ追い払うように手を振られた。見るな、ということらしい。慌てて目を逸らしそのまま椅子に座る。

「……分かりました。今から向かいます。はい、それまでは警察の指示を聞いてもらって――すみません、やっぱりそれ自分が向かうまで持っててもらってもよろしいですか? ……ありがとうございます。はい……それでは失礼します」

 電話を切った彼がこちらを向いた。

「人の会話を盗み聞きとは趣味が悪い」

「気になったんだよ。何かあったのか?」

「――今朝ちょっとね」

 そう言いながら小鳥遊は億劫そうに杖を突いて立ち上がった。数年前に起きた事件のせいで足が悪いのだ。よっこいしょ、と声を出しながら立ち上がる彼へおっさんみたいだぞと言うとジロリと睨まれる。その目がお前も同い年だからなと雄弁に語っていた。

 そのままホワイトボードにある行動予定表の前まで移動して『小鳥遊、北添:現場検証』と達筆なのか下手なのか分からない字で書いた小鳥遊をボーっと見ていると、呆れた顔をした彼が振り返る。

「さっきから手が止まってるみたいだけど、もう準備は終わったんだろうね?」

「……もうちょい待ってほしい」

 完全に頭から抜け落ちていた。杖で急かすように床をノックする小鳥遊を横目に椅子から立ち上がり、机の上に散らばったファイルをカバンに入れて背負い込んだ。ついでに資料を取りに行かせている原への書き置きも残しておく。有馬さんへの書き置きは――まあ大丈夫だろう。そもそもあの人自体、今日どこにいるのか分からないしここに来るのかも分からない。

 俺がカバンを背負ったことを確認するやいなや颯爽と歩き出した小鳥遊の後を慌てて追いかける。

「現場どこ?」

山手やまてだって」

「山手か」ぼやくように小鳥遊は言う。「気が引けるなあ」

「なんでだよ、お前横浜出身だろ。地元みたいなもんじゃないのか?」

「同じ横浜でも格差があるんだよ。ほら、山手って言ったら高級住宅街だろう?」

 山手――神奈川県横浜市中区に位置した横浜を代表する高級住宅街であり、歴史ある町並みで昔ながらの洋館や教会なども多く並ぶ。小鳥遊は言葉を続けた。

「中区とか西区――みなとみらいとかは横浜の中でもトップオブ横浜だから、あそこら辺に住んでる人間はみんなこう言う。『中区と西区以外は横浜を名乗る何かじゃん?』って」

「トップオブ……?」

「横浜ヒエラルキーってやつだね。まあ実際、俺の地元はギリギリ横浜だけど森、森、家、森、森って感じで横浜感ゼロだから事実ではあるけど」

「ふーん……」

 トップオブ横浜、横浜ヒエラルキーとパワーワードが連発しているが、彼は特にそれを気に留めるでもなく淡々と話し続ける。だんだん話についていけなくなってきた私の雑な相槌にも気づいていないようだ。

「それに――」

「分かった分かった、続きは後で聞こう。エレベーターが来た」

 このままだと長くなる。

 そう確信した私が食い気味で話を遮ると、ちょうどいいタイミングでエレベーターがフロアに到着した。そのまま乗り込みボタンを押すと、音もなくドアが閉まり軽い浮遊感が私を襲う。小鳥遊はまだ何か言いたげだったが、エレベーターに乗るとおとなしく目を閉じ杖に両手を載せた。絶叫マシンが苦手な彼はこの浮遊感も苦手らしい。

 チン、と軽い音がしてドアが開き、二人して無言でエレベーターから降りてそのまま連絡通路から駐車場へと向かう。駐車場へと続く扉に取り付けられた、氷のように冷たいドアノブを回すと、二月の痛いぐらいに冷たい風が身体に吹き付けてきて、室内の暖房ですっかり緩んでいた全身の筋肉が強ばるのを感じた。朝見た天気予報によると今年一番の冷え込みだそうだ。

 さあ、難事件推理班の真骨頂を見せてやろう。

 そう意気込みながら息を吐く。凍りついた白い水蒸気が目の前に広がった。

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