傍に居たいから

ほにょむ

第1話



 一人の男が処刑された。


 敵対種族の長として。ヒトを害するケモノとして。

 名をイオと言うらしいが、そんな事にはもう意味は無い。

 その死体はゴミの様に捨てられた。

 ただ捨てられるよりも尚悪い。その死体さえも呪いで縛りつけて。

 

 魂の全てを無に還せ。と。




 拾われない様に切り刻まれ、他のケモノの死体と一緒に瘴気が溜る奈落に捨てられた。


 見せしめでも無く、ただ日々の業務と同じように処理された。書類を右から左に送る程度の手間で。


 一つの種族が滅んだとしても、ヒトの生活には何らの変化も訪れない。


 その程度の脅威。その程度の敵対。滅する事の意味などありはしない。




 ──ヒト達よ、楽しかったか?

 と女は誰にでもなく、虚空に問うた。




 見た目はヒトと大して変わらない。歯に牙が二本、小さく生えているくらい。削ればバレない程度。


 ヒトが唾棄する因習が少しだけあったけれど、迫害されて、森の奥に追い込まれ、一纏めにされて、それも出来なくなった。しなくなった。


 それでも『もうしません』ではヒトは納得してくれない。


 その時にはもう、意味も理由もどうでも良くて、ただヒトの獲物として狩られていた。




 §  §  § 




「ねぇ、イオ。私もそっちに行きたいよ。貴方の傍に居たいって言ったじゃない」


 滅んだ集落に一人の女が虚ろな眼で立ち尽くしている。名はキノ。長の娘。


 ──もう、泣いてもいいのかしら。


 誰に咎められるでもない。他にはもう誰も居ないのだから。



 女はただ殺されるだけでは済まないから。と、イオに言われて隠れていた。そうしていないと、イオが悲しみで泣きそうだったから。


 自分がされて来たことを思い出して、キノが同じ目にあう事を嫌がった。いつも言っていた。キノだけは護って見せる。絶対にけがさせない。と。


 ──誓いは護る人だものね。自分がどれだけよごれても。


「ねぇ、イオ。次の世界では、貴方もけがされずに生きて欲しいよ」

 死体を縛られたことを知らないキノは叶わぬ祈りを口にした。



 ヒトの身で、おそらくは口減らしの為の捨て子だったイオは、ケモノに拾われ隷属化され生かされた。

 


 怒りのやり場。 

 ヒトへの憎しみの全てをイオは背負わされた。



 夫をヒトに殺された女に焼いた鉄を何度も押し付けられたことがあった。


 意味もなく戯れに殴られることも、身に覚えのない罪の罰だと鈍く欠けた刃で刻まれることも。

 

 ちょっと来いよと飽きるまで凌辱されたこともあった。


 

 不幸にもイオは美しい姿をしてしまっていたから。付けられた傷は癒され、何度も使われた。何度も。


 美しいヒトを痛めつけ、悲鳴をあげさせるのは、さぞ楽しい憂さ晴らしになったことだろう。


 男も女もイオを苦しめ喜んだ。



 それでもイオはずっと優しかった。どこかもう壊れていたのだろう。


 それともキノが居たから、イオは救われていたのかもしれない。


 今思えば両方か。



 優しいイオがキノは大好きだった。キノに向ける笑顔が可愛くて、愛してしまうのに時間はかからなかった。

 イオも優しくしてくれる唯一のキノを好ましく思い、強く美しいキノを愛してしまった。


 キノの想いに『俺なんかにはキノはもったいないよ』と。俯きながら、申し訳なさそうにキノに告げるイオの姿が愛しくて、キノは有無を言わせず抱きしめた。それが始まり。


 キノは思い出しながら、泣いた。




 イオの最後の姿は見ることが出来なかった。


 美しい人だったから、また慰み者にされたのだろうか。


 気晴らしに打ち据えられたのだろうか。


 それらを含む総てだろうか。



 ──ヒト達よ、楽しかったか?

 最愛を奪われ、哀哭する。夜。



「今すぐに逝くからね」



 ──ねぇ、また貴方の傍に居られるよね? 嫌よ、離れてしまうのは。




 もしもの時は。と、父親からもらった苦しまなくていいという薬。

 イオがくれなかったのは生きろという事かしら、と考えて首を横に振る。


 ──無理。イオが居ないのに、どうして生きていられると?


 イオだってキノと立場が逆なら、今のキノと同じことをしようとするだろう。



 ──薬は無理でも刃物の一つでも貴方から渡してほしかったよ。そうすれば絶対にそっちを使ったのに。苦しいかどうかとか、そんな事はどうでも良い。イオ、イオ、イオ、イオ、イオ……私にはイオ、貴方だけだったのに。 


 キノには優しい父親だった。けれど一族の長の、自らの身代わりとして、イオを利用したのは彼だった。

 全ての謂れのない罪悪を、娘の想い人に、奴隷以下の扱いの男に擦り付けて。隷属を解き眷族にしてまで。



 そうやって生き永らえようとした事を、キノは絶対に許すことは出来ない。

 

 絶対に。



 結局、無駄なあがきだったのだけれど。


 ──連れて行かれたか。その辺に転がっていれば良いのに。


 今では父親の死体を蹴り飛ばすこともしてやれない。





「本当に、もうどこにもいないのね」


 最後にもう一度だけ、と。キノの術で、イオの命も魂もこの世界には存在しないことを確認した。

 

 また泣いてしまう。

 この世界は、イオが存在することさえ許さなかったのだ。

 そこまでの害意とはいったい何だったのか。

 今のキノにとっては何の意味も無い問いかけだが、問わずにはいられない。


 ──存在しないという事だけがこの世界の答えなのよね……


「同じ世界に行けるのかしら……」

 誰にも答えられない呟きに、自嘲してしまう。


 ──ここには居ないのだもの。この世界にはもう用はないよ。それだけの事じゃない。


 イオの傍に行けるようにと、自分の魂に印を付けた。イオに付けた印と同じ色、同じ模様。

 おまじない程度の術だけれど。信じて。


 縛られたイオの魂に、どこまで届くかなんてわからない。

 それを知らないキノだけれど、知っていたとしても、縋れるものになら、何にでも。



 せめてイオの死体の傍で死にたかった。


 ──あーもー、何一つ望み通りにならない。


 頭をガシガシと掻き毟る。イオには絶対に見せられない。だからすぐに手を止める。


「イオ、見なかった事にして。嫌わないでよ? そういう時もあるのよ」



 イオを蹂躙し、死なせるためにヒトに差し出した一族の集落で、自らの生を終わらせたくはないと、キノはふらふらと歩き始めた。


 ──どこがいいかしら。


「ねぇ、イオ。何処が良いと思う? 貴方も知っているところが良いな。貴方はどこに行っても、いい思い出なんて無いかもしれないけれどね」


 ふふっと妖しい笑みを浮かべた。もう、キノもおかしくなり始めているのだろう。


 ──ああ、そうだ。どうして思いつかなかったのかしら。イオの唇を奪った場所が良い。貴方は恐れ多いなんて言っていたけれど。まったく、私をなんだと思っているのよ。ただ、貴方を愛しただけの女じゃない。


 時々、夜中にこっそりと、集落の離れにある湖でイオの体を洗ってあげていた。そんな事をさせてもらえる身分ではないから。こっそり。二人きりで。


 いつも酷い怪我を負っていて、最低限の治癒術だけで生かしてもらえていたイオの体はどんなに優しく触れても、体のどこに触れても痛そうに身を縮めた。 


 唯一、痛がらなかったのは唇。だからキノはそこを唇で塞いだ。事も無げに。大した事では無いよ、という様子で。

 ただ、『愛しているよ』と、一言添えて。


 最初は、酷く驚いて怯えていたけれど。いつしか、イオからキノへ口付けて貰えた。キノの短い人生で最高の時間を得た瞬間だった。


 ──だって、イオがちゃんと『愛しています』って言って、口付けてくれたんだから。



 自分は汚れ切っているから、キノに申し訳ない。キノを汚したくないから、触れるのも怖い。そう口癖のように言っていた。


 いつも言い返してた。『イオは奇麗だよ。体は痣だらけで、無理やり色んな事されたかもしれないけれど。貴方ほど真っ白な人を私は他に知らない。貴方が美しいのはその容姿だけではないよ』


 ──純粋で、憎しみも知らず、狂おしいほどの善性で、どこまでも優しい。私の大好きなイオ。イオ……もうどこにもいないイオ。真っ白なイオ。


 イオから初めて抱きしめてもらった時の事を思い出す。


 ──本当は大好きでした。ってイオったら可愛い事を言ってくれて。迷惑でないのなら、好きで居させてください。って……抱きしめながら言ってくれて……


 キノは涙を流していた。

 泣いている訳では無い。ただ涙が流れた。


「イオ、貴方には辛い人生だったよね。それでも私は貴方に会えて良かった。自分勝手でごめんね。愛してるって言えて良かった。貴方はどうだった? 私は貴方の幸せになれたかな? イオ、愛しているよ。イオ、愛しているよ。イオ、愛しているよ。イオ、愛して……」


 口ずさみながら、キノは湖まで歩いた。

  




 自分が死んだ後に、死体を犯されるかも知れない。

 それもイオは悲しむだろう。


 キノの自意識過剰ではなく、キノも美しい人だから。


 ヒトは何をするか分からない。実際に、そういう事が有った。


 出来るだけ見つかりにくそうな所を探して、思い出の場所を歩いた。




 ──ここ、まさにここで。イオの初めてを奪ったのよ。


 言い方が大げさだが、キノの密かな自慢だ。


 それは、それまでに好き放題にされてきたイオだろうけれど。

 イオの初めてなんて、何ひとつ残っていないのだろうけれど。



 愛しているよと口付けたのはキノが初めてだ。


 ──ふん、私も初めてだったんだから。ちゃんと自慢に思ってよね。


 普通の恋人同士では無かった二人には、そんな事を言い合える時間も場所も無かった。



 自分の指で唇をなぞった。かつてそこにイオの唇が触れたのだ。今でもイオを感じる。ここに居るかのように。


 ──今、私は貴方と口付けをしているよ。


 指でなぞりながら、キノは想った。妄想でも、幻でも構わない。

 ──もう一度、イオに口付けされたい。愛していますってイオの声が聴きたい。


 妄想でも、幻でも、そんな奇跡は起きなかった。



 また涙が流れた。

 ──コレ、いつになったら枯れるのかしら。


 まだ泣き足りないらしい。


「イオ、愛してるよ。大好きだよ。イオ、愛してるよ。大好きだよ。イオ、愛し……」

 と、再び口遊みながらその場所を離れた。


 黙っていたら、いつまでも離れられそうに無かったから。




 §  §  § 




 このあたりで良いか、と岩陰と樹々の隙間に落ち葉がたまっている場所があった。そこからも湖が見える。最後に一瞥し、イオの居ない世界にはもう、何も感じない事を確認して、少し嬉しくなった。

 自分はどこまで行ってもイオの事でいっぱいだったのだと、思えたから。




 イオはきっと裸で殺されたのだろう。キノはどうしようかと迷った。


 ──イオと同じ姿で死にたいけれど、イオははしたないって言うかしら。あら、良いかも。あの世で会えたら、見せつけてやるのよ。慌てるイオは可愛いだろな。


 それも良いかなと思ったけれど。奇麗なままでいて欲しそうに言っていたイオだから、破廉恥な事はやめておこう。


 ──あぁ、そうか。もっと奇麗な服にしても良かったのね。

 と今更な事を思い出した。


 ──いいわ別に。イオとの花嫁衣装があったなら別だけど。


 イオと並んで立つ婚礼の儀式を夢想してキノは微笑む。

 叶わないのは悲しいけれど。

 

 どうせイオが生きていたって、叶わない。



 キノの人生最後に見る夢としては最高だ。



 キノはまた、虚空を見つめる。瞳には愛しさが溢れている。


「ねぇ、貴方が望んだのよ。奇麗なまま。清いままよ。喜んでよね」


 ──誰にも触れさせなかったよ。


 そして、次こそはイオに抱いて欲しい、奪って欲しい。キノは頬を密かに染めた。



 そのまま落ち葉に潜って、最後に願った。


 ──この世界にまだ、イオの体が残っていて、良くないものが刻まれていたら、どうか解放してあげて……。


 キノの残る力をすべて願いに変えて。意味があるのか、効果があるのかなんてキノにも分からない。ただ、自分の最後の一瞬さえもイオのために使ってあげたかった。



 無力なキノの最後の殉情。力を願いに、祈りに込めて。



 ──イオ、イオ、護ってあげられなくて、ごめんね。次は必ず護って見せるから。イオ、貴方の隣は私のために空けておくのよ。約束よ。イオ、愛しているよ。永遠によ。イオ……イオ……








 キノの中にあった力が総て失われた時、

  











 キノは奥歯で薬を噛んだ。






 


 





 §  §  § 




 ぱちりと眼を醒ました。少女は自分があきだという事を思い出すのに少し時間がかかった。


 ──……久しぶりね、キノさん。


 そして、昔から見る寝覚めの悪い、けれど何となく悪い気はしないこの夢を現実との境目で思い返す。



 ──キノさん……相変わらずですね。


 それはそうか、変わっている方がおかしいよね。なんて事を思って笑ってしまう。


 ──貴女のおかげで、恋は愛ってなってるんですけど……。


 一途な想いの果てに死んだキノを秋乃は愛しく思えて仕方がない。

 キノとイオを秋乃は羨ましくさえ思っていて、二人の愛の深さに憧れている。


 悲しい末路ではあったが、キノ本人が、今はそれなりに満たされている事も分かってしまうので、どこか映像的に、客観的に見てしまう。でなければ十五歳の少女には重すぎる記憶だろう。



 ──でも、私と伊央いお君の事までは、どうかそっとしておいてください。


 キノの大好きなイオとは違う。秋乃の大好きな伊央。


 秋乃は何となく、キノが傍にいる様な気がして、相談するように独り言ちた。


「いやぁ、キノさんの言いたいことも、なんか分かるんだけどさぁ……このタイミングで、見せてくるって事は、そういう事なんでしょ? でもね、仕方ないじゃない。先に幼馴染みになっちゃったんだからさぁ。好きも大好きも、届きにくいんだってば」


 愚痴は聞いてくれるけれど、返事はしてくれない。聞いてくれるだけでも十分ありがたいのだけれど、やっぱり物足りない。


 ──一体、誰の何に期待してるのよ。


 一人秋乃はクスリと笑う。


「ねぇ、キノさん。こっちではイオさんは、てか、伊央君はさぁ。そういう事では可哀そうになってないよ? それだけではダメなの? 私だって伊央君の傍に居たいから、頑張ってるのよ。急かされても困るよ」


 けれど、伊央の傍に居られるのは、キノのおかげだろうという事も秋乃にはわかる。


 ──色々としてくれたものね。感謝しかないよ。


 最後までイオのために力を尽くしたキノ。


「伊央君だけを抱きしめて生きていくからね」

 貴女のイオには手は出さないからね、と秋乃は告げる。


 もちろん伊央が秋乃を受け入れてくれたらの話だけれど。

 もしも嫌だと言われても、そう簡単には引けないところにまでは、秋乃の愛もキノに負けていない。


 ──そうね、キノさんのあの想いが愛だというなら、私のそれも間違い無く愛だわ。



 窓のカーテンを開け、向かいの家に住む少年の事を思い出しながら秋乃は思う。


 ──伊央君。早く会いたいよ。


 

 キノが挑発するようにニヤリと笑った。気がした。


 ──そう、そこまでするのね。いいよ、乗ってあげる。




 今日は入学式。

 想いを告げる決意を一つ。




 前世の愛が秋乃の背中を押した




 ──これでダメなら、キノさん、私の涙に付き合いなさいよ? 死ぬまで泣くからね。




 大丈夫だよ。と、キノとイオが並んで微笑む。




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