ザッハブルクへ I

 セヴォンが異神の捜索を快諾すると、少女は大いに喜んだ。素朴な馬車に、数日分の食糧、あの人見付けたら、きちんと「私からのものだ」と言って渡してほしいという花々──セヴォンが欲していたものは汽車に代わる移動手段だけだったが、断ってもあれよあれよと貢物は積まれた。馬というのは意外と力強いもので、そこは通れないだろうという荒道も難なく押し通った。移動の最中、一々景色の感想を述べるルイに対してセヴォンは一冊の紙束を眺めていた。ドゥグナを出る折に、多分大事なものなんだろうけど、読めないからあげると手渡されたペラペラの冊子。その薄さは、数枚の紙を糸で縫い付けて纏めたものと言った方が無難な程だった。ザッハブルクへ着いてからも、セヴォンはこの紙束を棄てなかった。その紙束が、ジュヴァンで言うところの『女神奇譚』──異神を主とした、彼らなりの教典だと分かったからだ。


 三日ほど揺られていただろうか。

 馬車がもう間もなくという位置へ差し掛かると、セヴォンは馬車に魔法をかけようとした。セヴォンやルイ達がどう感じようが、ドゥグナは忌み嫌われただ。その為に、この「私はドゥグナの回し者です!」と言っているような馬車の見た目は変える必要がある。


 掌を空へと向け、中指の腹で空気をなぞる。

 その舞台の緞帳が上がるような動きに合わせ、馬車は素敵に生まれ変わる筈だった。それをあと一歩というところで妨害し、半端な仕上がりにした犯人ホシがいる。いつの間にかセヴォンの周囲に湧いて出ていた子鹿たちだ。このセヴォン・ベッツェという男は、幼い頃から何故か動物に好かれる性質たちだった。しかし、彼は動物──特に、子犬や仔猫などの「」と付くような幼年のものが嫌いだった。何かと手間がかかるし、何より、すぐ物を駄目にするからだ。現に、何匹かの子鹿は堂々と荷台の花を食い荒らしていた。まあ、今日は天気も良いし見逃してやるか等と構えていたセヴォンだったが、そんな態度をさっそく後悔する事件が起こった。


「待て!バカ鹿!」


 子鹿の一匹が食糧袋を奪った。

 こう書いてしまうと「何だ、そんな事か」と思われるだろうが、セヴォンにとってはこの上ない死活問題だった。いくら着実にザッハブルクへ近付いてるとは言え、まだ到着した訳ではない。兼ねてから魔法を連発しているセヴォンは体力の上限が確実に減ってきており、今や一食でも抜けば動けなくなりそうな状態なのだ。まさに、死活問題。つまり、こうして走っている今もかなりしんどいのだが──流石は思春期を逃亡生活で浪費した男と言ったところか、森の中を少ない動きで疾走する技術には秀でていた。パルクールの要領でと木の根を躱し、鹿を追いかける。


 もういい、殺そう。

 あまり弾丸を無駄にしたくなかったが、これ以上追うのは厳しそうだ。セヴォンはしっかりと鹿の脳天を見据えて拳銃を取り出した。


だ……!)セヴォンがそうやってトリガーを引く直前。図ったかのようなタイミングで、小鹿はした。(何──)


 鹿がけた先を見たセヴォンはすんでのところで手首を捻り、どこか遠くの木の幹を撃った。弾丸が白煙を立て、ゆっくりと失速する。鹿が捌けてみせた先の空間には、ガクッと項垂れている人間がいた。男は随分深い眠りについているようで、至近距離で銃声がしたと言うのに目を覚まさなかった。セヴォンは銃をしまって近付くと、恐る恐る声をかけた。


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