第68話 助けられてばっかりですね。

「きっと、私自身が気づいてない自意識は、私の消えた記憶について把握してて」


 それを本当は忘れたかったから、記憶が消えたことをむしろ歓迎してたからこそ、記憶を無くしたことをポジティブに捉えることが出来たんだ。


 そんな私の予想を、私はサトルさんに言った。


「……なるほどね。納得したよ……」


 私の言葉を、否定せずに聞いてくれるサトルさん。

 この世界で、潜在意識の概念ってあるのかな?


 でもまあ、サトルさんはそんな知識に立脚して「納得した」って言ってるわけではない気がする。


 多分、私が言ったから「納得した」って思ってくれてるんだ。

 誰が言ったかで反応が変わるって、公正さの点では良くないよね。


 ……でも。


 それが、私はとても嬉しかった。


 私の事は、信じるのが前提だって。

 思ってくれてるんだって。


 そして。


 サトルさんは、私の殺人の理由を聞いてこなかった。

 そこにある意味は、オバカな私でも分かる。


 ……理由なんてどうでも良いって思ってるんだ。

 私を受け止めるのが先に結論として決まってるから。


 だから、理由を問い質そうとする理由が無いから、聞かない。

 そういうことなんだ。


 嬉しい。

 愛されてる。


 ……私は何て良い男の人と結婚できたんだろう。

 そう、思うよ。


 ……だけど。


「私の正直な気持ち、言います」


 どうしても、それに甘えられない。


 離婚したくない。

 離婚したくないけど。


 離婚してくれって言ってもらおうと思ってる。

 私。


「……過去の罪を知らないふりして、ヤマモト家の嫁に収まってる」


 自分で言うだけで、泣きたくなる。

 でも、私は続けた。


「そんなの、お義父さんや、おじいさんへの裏切り行為なんじゃないか?」


 どうしても、どうしてもそんな思いが拭えないんです。

 サトルさん。


 ずっと、私はあなたの奥さんで居たかったけど、無理みたいです……!


 ごめんなさい、ごめんなさい。


 記憶さえ失っていなければ、きっとこんなことにはなってないですよね。

 分かった上で、サトルさんの申し出を断っていたと思います。


 私さえ、記憶を失っていなければ……!


 申し訳なくて。


 言葉にすると、とうとう耐えられなくなった。


 ボロボロ、ボロボロと。

 泣いてしまう。


 気が付くと、手をついて謝っていた。

 ごめんなさい。


 罪人であることに気づかないで、お嫁入りしてごめんなさい……!


 すると。


「あのさ」


 サトルさんが、そんな私をじっと見つめながら。


「……俺の母さんが死んだときの話をしていい?」


 話し始めたんだ。


 お義母さんが亡くなったときのお話を……


 私は、顔を上げた。

 上げて、その話に耳を傾けた……



★★★



 俺の母さんは、冬の寒さが厳しかったある年に、風邪をひいてそれを拗らせて死んでしまった。

 母さんは、身体が弱かったからね。


 家事だって、任せておけないから、じいちゃんと親父がほとんど肩代わりしてたし。

 最初は「風邪か。大丈夫かな?」って、心配はしてたけど、まさか死ぬまでのことになるなんて考えてなかった。


 だから母さんが死んでしまったとき、俺は呆然となった。


 まさか風邪で死ぬなんて。

 そんなのないだろ、って。


 風邪なんて皆ひくのに。

 なんでちょっと身体が弱いくらいで、風邪で母さんは死んだんだ?


 どうしてだ?


 母さんは、何も悪い事なんてしてなかったのに。


 身体が弱いことが罪なのか?


 そんなはず無いよな、って。


 ……そんなとき、聖典の一節をふと思い出した。



 この世は、神様たちがその考えの対立で殺し合い、すでに1柱も居なくなっている世界だ。



 ってことを。


 だから俺は思ったね。


 ……ああ……そうか。

 これはこの世界が、神様の加護を失ってるってことの証拠なのか、って。


 神様は俺たちの事なんて見ちゃいない。自分たちが死んだから、全部投げ出したんだ、って。

 たまに気まぐれに、申し訳程度に神官と呼ばれる人に依怙贔屓のような加護を与えてはいるけど、原則俺たちのことは無視なんだ、って。


 ……真面目に、正しく生きても何も良い事なんて無いってことなのか。


 俺はそのとき、そう思って。


 母さんの葬式の時に、埋葬が終わった後。

 担当してくれたお坊さんにそのことを話したんだ。


 この世に神様って興味ないんでしょうね。


 って。


 そしたら


「そんなことは無い。死後、メシア様は死者の生前の行いを裁くのだから」


 って言われた。


 俺はお坊さんの言う事が分からなくて


「どうしてそれが神様がこの世に興味があることに繋がるんですか?」


 って聞き返した。


「興味が無いのであれば、裁きようが無いだろう。何故ならば、神々がこの世に興味が無いのであれば死者の生前の行いなど分かりようはずが無いからだ。ならば、死者を裁くこと自体が起こり得ないはずだ」


 って。

 俺は納得できなくて


「だったら何故母さんは死んだんですか? 何故母さんは風邪なんてもので死ぬ羽目になったんですか?」


 ……食って掛かるように言った覚えがあるよ。

 正直、かなりイラついていた。


 そしたら、こう言われた。


「人間の狭い尺度で、運命というものの是非を考えるな」


 ってさ。

 お前の悲しみは自分は理解できるけど、神の大きな尺度で考えるとするならば、ひょっとすると必要な出来事だったのかもしれない。

 そうではないと、何故言い切れる? って。


 ……聞いたときは「何を勝手な」って思ったよ。

 でも、しばらくして、思ったんだ。


 あぁ、俺がこのまま、母さんの死を理不尽だと思って、この世を捻くれた目で見るようになれば、きっと母さんは悲しむだろうなぁ、って。


 だったら、あのお坊さんの言った通り「母さんの死は何かしら必要な出来事で、無駄では無かったんだ」って思い、嘆くのをやめた方がいいんじゃないか?

 というかむしろ、神様の存在意義って、そこなんじゃないのか? って。


 ……こういう、理不尽な出来事に晒されたときに「それはきっと神様の考えた計画のひとつで、巻き込まれて不幸になったように人間の目で見えたとしても、それは人間の狭い尺度で見るからそう見えるだけだ」って思い直して、耐えるための。

 自分じゃどうしようもないことに直面したときにさ、そう考えないで乗り切るの、難しくないか?

 だから、神様を信仰するんじゃないのか? って。

 こういうときに、縋るために。



★★★



「だからさ」


 そしてサトルさんは、こう続けてきたんだ。


「……クミさんが記憶喪失になったのは、それはきっと「前の世界のことをすべて忘れて生きていけ」って神様の考えの結果なんじゃないのかな」


 言われた瞬間、私はこう思った。


 それは自分勝手な、都合の良い解釈じゃないの?


 って。


 でも、サトルさんはさらにこう続けたんだ。


「だってそうだろ? 記憶を消された状態で、この世界にクミさんがやって来たからこそ、この状況があるんだよ」


 もし記憶があったとしたら、今のクミさんの苦しみは無いわけじゃないか。

 記憶を無くしてしまった意味。そこを考えなきゃいけないんじゃないかな?


 ……もし、これで問題があるって言うんだったらさ、後で俺も文句言ってあげるよ。

 人は死ぬと、生前の罪をメシア様に裁かれるそうだし。


 もしメシア様が「お前は過去の罪を忘れて、人生を楽しんだ」事が問題だって言うなら「だったら記憶を消した状態でこっちの世界に送り込むな」って抗議してあげるから。


 ……


 ………


 ああ、そうか。

 サトルさんは、こう言いたいのか。


 全部神様のせいにして、忘れてくれないか?


 って。


 自分としては、それは責任転嫁だ、って気持ちが拭えない。


 拭えないけど……


 この責任感って、果たして正しいんだろうか?


 ふと、そう思った。


 責任を果たし、自分の穢れを少しでも落としたい。


 これって、結局は自分のためだよね?

 立派に聞こえるかもしれないけど。


 その責任を果たすことで、私の新しい家族が悲しむ。

 これ、本当に正しいの?


 正しい在り方なの?


 自分が綺麗になるためだったら、自分に愛を向けてくれる人を悲しませていいの?

 それってただの自己満足じゃないのかな?


 それが、本当に正しいの?


 ……それが本当に愛している人たちに対する態度なの?

 自分の穢れだけを気にして、その人たちの悲しみを無視するなんて……!


 私は、震えていた。

 自分が決断しようとしていることに。


 呼吸が、乱れる。


 顔も知らない人たちの、怨嗟が聞こえたような気がした。


 でも、言ったんだ。


「……そうかもしれませんね」


 って。


 悪魔に魂を売ったって言われるかもしれない。

 でも。


 サトルさんが差し伸べてくれた手を、振り払うなんて、私には出来なかった……


 私は、サトルさんに詫びていた姿勢から、彼を見上げてそう言ったんだ。


 サトルさんは、私を驚いたような顔で見下ろしていた。

 後で聞いたら、そのときの私はすごい顔をしてたそうだ。


 覚悟を決めた女の顔で、酷く綺麗だったよ、って。


 サトルさん……。


 私は、身を起こして。


 ずい、とサトルさんに身を寄せた。


「サトルさん」


 もうね、顔も鼻がつくくらいに近づけた。


 サトルさんは、もう何度も確かめ合った仲なのに。

 なんだか、また最初の頃に戻ったみたいに、初々しい仕草で。


「な、何?」


 って聞き返してきた。


 私の胸に、彼への愛情が沸き上がって来た。

 大好きだ、って。


 もう、たまらなかった。


 だから。


 そんな気持ちを抱えて、私は言ったんだ。


「……私の祖国では、古代から神様に意思を確かめる方法で『誓約うけい』という占いがあるんです」


「うけい……?」


「誓うに約束の約で、誓約うけいって読むんですが、まぁ、読めませんよね。特殊ですし」


 まぁ、そんな豆知識、どうでもいいよね。

 本題はそこじゃないから


「どんな占いかって言いますと『未来に起きることの内容で、神様の意思を伺う』というものです」。


 代表的なものは、盟神探湯くがたち

 煮えたぎったお湯に手を突っ込んでも、手を火傷しなければ無罪。

 そういう無茶な正邪の判別方法。


 古事記だと、木花咲弥姫このはなさくやひめがお腹の子の父親を疑われ、その疑いを晴らすときに産屋に火を放ったっていう話があるけど、それ。


 神様にお伺いを立てて、そこで、ある事例において、起きる確率の低い方が起きたら、それは神の意志。

 そう見做す占いなんだ。


「例えば、歌姫が歌の大会に出る前に、大会に出るべきかどうか神様の意思を確かめるために「雨、止めー!」って雨空に向かって叫ぶような」


「……それで本当に雨が止んだら、大会に出るべきって事?」


「そういうことです」


 もう、ホントに互いの息がかかってしまう距離。

 間近にある、サトルさんの顔。


 私はそのまま、サトルさんに抱き着いて。

 むちゅ、とサトルさんにキッスをした。

 結構深い方。


 私に圧倒されてたのか、最初はサトルさん、はじめてでもないのにビクッとしてて。

 けど、すぐにスイッチが入ったのか、私を受け入れてくれた。

 腕が背中に回って来た。


 キッスを終えた後、ふたりともちょっと酸欠になってたけど。

 ふたりともスイッチ全開になっちゃってた。


 私、だいぶ興奮してたけど、言った。

 向かい合って座ったまんま。


 まぁ、本当に言う必要ある言葉なのか、ちょっと疑問ではあったんだけどね。


「サトルさん、私と誓約うけいしましょう」


「……ど、どんな誓約うけい?」


 ドキドキしてるサトルさん。

 対して、私は何故だかすごく落ち着いていた。


 落ち着いたまま、こう、続けた。


「私のお腹に、サトルさんの赤ちゃんが出来たら、私とサトルさんの結婚は間違いでは無かったっていう神様の意思だ、っていう誓約うけいです」


「なるほど……」


 それどんな誓約うけいだ。

 男女が愛し合ったら、子供出来るの当然じゃ無いかとか。


 そんな要らないツッコミはサトルさんからは無し。


 サトルさんもスイッチ入って、私の事を欲しいと思ってくれてる。


 嬉しい。


 ……まぁ、実のところ妊娠の確率ってそんなに高くないらしいから、ギリ誓約うけいが成立するんじゃ無いのかなと思わないでもない。

 こじつけだと言われるかもしれないけどね。


 まぁ、どうでもいいよね。

 私、このとき心底サトルさんが好きになってしまって。

 どうしても、欲しくなってしまったんだ。


 彼との子供。


 もし、神様がこれで私に彼の子供を授けてくれるなら、それは「神様が許してくれた」ということにしよう。

 そう思おう。


 そう、考えた。

 ……本当のところは許されないかもしれないけど、それはもう、死んだときに確かめるしかない。


 神様に、丸投げ。


 もし、誰かに知られたら。

 無責任だ、って罵られるかもしれないけど。

 サトルさんが味方になってくれるなら、きっと耐えられる。


 むちゅ、と。


 今度はサトルさんの方からキッスされた。


 私はそれを受け入れて。


 彼が私の肩を掴んで、そっとお布団の上に押し倒してきたので、そのまま身を任せた。




 ……その晩。


 私は顔が分からない人たちに罵られる夢を見た。


 

 人殺し! 人殺し! 人殺し!



 死ね! 幸せになるな! 自殺しろ!



 私はそれに何も言い返すことが出来なくて、蹲る。


 だけど。


 そこに、スッとサトルさんがやってきてくれて。

 私を正面から抱きしめて、庇ってくれたんだ。


 俺がついてる。


 そう、言葉にしなくても、態度で分かった。


 あぁ……




 そこで目が覚めた。


 隣で、彼が寝ていた。


 彼の体温を感じる。

 温かい……


 よく、寝てる。

 よっぽど疲れたんだね。


 眠ってしまうまでの事を思い出して、笑ってしまう私。


 そして私は、想いが高まって来たので、そっと彼に寄り添った。

 まぁ、彼は寝てるから気づいて無いんだけど。


「……助けられてばっかり、だよ」


 ポツリ、と独り言。


 サトルさんには助けられてばっかり。

 結婚を決断する前は「この人は土壇場で足を引っ張る人じゃ無いか?」なんて、思い上がったこと考えてたけどさ。

 そういう私はなんなのか。


 ホント、足を引っ張ってるのは私の方で、サトルさんには助けられてばっかり。


 サトルさんは私に「俺の奥さんになってくれてありがとう」って言ってくれるけど。

 それを言うのはこっちの方だよね。


 私を奥さんに選んでくれて、ありがとうございます。サトルさん。


 私はそう心で呟いて、目を閉じて再び眠った。


~7章(了)~

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