第67話 最初で最後の夫婦喧嘩?

★★★(クミ)



「……理由は?」


 私の「離婚して欲しいです」という言葉を聞いたサトルさんは、一拍置いて、ポツリ、とそう言った。


「言えません」


 私は彼の問いに、そう答える。


 だって、言えないもの。

 信じてもらえるわけがないし。


 私は、元々外国人で、経緯は不明だが記憶を失った状態でこの国に放置されてて今がある。

 そこまではサトルさんにも話してるけど。


 私の故郷である日本は、こことは違う世界にある国である。


 こんなこと、当然言ってない。

 信じてもらえるわけがないし。


 馬鹿にしてるのか、って思われるのが関の山。


 でも……


 それを説明せずに「私が前の世界で30人以上殺害した人間」っていう事実を伝えることが出来るだろうか?

 難しい気がしたんだ。


 どこでそれを知ったのか?

 知ったとして、その話の信憑性は?

 どうして30人も殺して、無事に外国に逃げおおせたの? 自分で努力したわけでも無いのに?


 ……「転生」って事実が言えれば、これが全部説明できるけど、それがまず信じてもらえるわけがない。


 そうすると、嘘に嘘を重ねることになり、どんどん説得力が無くなる。

 そうしたら、嘘と思われて私の言う事が彼に伝わらない。


 伝わらなければ「吐くならもう少しマシな嘘を吐け!」って思われて、より深く彼を傷つける。

 ただでさえ、突然離婚を切り出されるなんて、彼の人生にきっと大きな影を落とすのに……。



 私が離婚を決意した理由を正確に理解してもらいたい。

 それは私も同じ気持ちだけど、どう考えても、無理な気がする。


 だから、言えなかった。


 ……私は30人以上、無差別に人を殺した人間。

 そんな人間が、ヤマモト家の一員として何食わぬ顔で居ていいの?


 ……そんなの、家族への裏切り行為じゃないの?


 過去の罪を頬かむりして、何食わぬ顔でサトルさんの奥さんとして、ヤマモト家の嫁として、生活する……

 何て醜いんだろう。そんなの、家族じゃない。


 どうしても、そう思えた。


 だから、言い出したんだ。


 離婚してください、って。


 ……私から切り出さなきゃ。

 彼に決断を委ねたら、きっと彼は「離婚してくれ」って言わないよ。仮に、私の言う事を全面的に信じてくれたとしても。

 内心「そんな殺人鬼が妻なんて嫌」って思っていたとしても。


 そんなの、脅迫じゃん。

 夫を脅迫する女。


 私はそんな女で居たくない。




「……あのさ」


 彼の声には、苛立ちがある。

 そりゃそうだよね。

 こんな重大な事を突然切り出されて、その理由を聞いたら「言えない」と来たら。

 イラつかない方が変だよ。


「別に離婚したいなら受けるよ。引き止めない」


 だけど。


 返ってきたのは、私を詰る言葉じゃ無くて。


「……俺から気持ちが離れた、他の男の妻になりたくなった、って理由ならね」


 もしそうなら、夫婦で居る意味、無いもんな。

 彼はそう続けて。


「でも、クミさんがそういう状態になるわけ無いし。そんな事を言い出す女が、交際無しでいきなり結婚とか言うわけ無い」


 クミさんは賢いから、そんな自分の発言に責任を持たないような、子供じみて馬鹿すぎることは言うはず無い。

 それに……


「……他の男が好きになったとか、嫌になったとかで、俺を捨てる決断をした女の子の顔じゃないと思うけど?」


 それで相手が納得すると思ってるのか。

 サトルさんの顔は、そう、言いたげだった。



★★★(サトル)



 突然、俺の奥さんが離婚して欲しいと言い出した。

 当然、メチャクチャ驚いたし、悲しかったし、後悔した。

 何か、彼女に耐えられないような酷い我慢をさせていたのかと考えて。


 浮気については全く考えてなかった。


 クミさん、自分の発言については責任を持つ子だ。

 それに普段から「サトルさんを裏切らないように努力してる」なんて言うくらいなんだ。


 つまりだ、自分の心が放置すると動いてしまう可能性についてキチンと考慮してる。

 自分だけは大丈夫。自分は絶対に浮気しない。


 そんなことをハナから考えてない。


 だから、そんなことありえない。

 対策してるクミさんが、自分が想定してる非常事態を避けられないなんて。


 俺が奥さんになって貰った子は、そういう賢い女の子だ。


 俺が何か悪いことをしたのか? 何が悪かった? 今からでも直せば許してもらえるのか!?


 色々考えたけど、今更遅いかもしれないと思った。

 だって、脅しの意味で離婚を持ち出すような子では無いとも思ってるし。


 それが脅しで使っていい言葉じゃ無いことくらい、俺だってわかるのに、俺より賢いクミさんが分からないハズ無い。

 だから、相当考えて、決断して言ってるに決まってる。


 どうして……


 そう思って、再度彼女の顔を見た。


 そのとき、分かってしまった。


 ああ、クミさん、泣く泣く言ってるな、って。

 だって、前面に溢れ出してるもの。


 こんなこと言いたくない、って。


 理由は全く分からないけど、離婚したくないけど「離婚するしかない」って考えるに至って、こう言ってるんだ。


 だったらさ……


 俺としては、こう言うしか無いよな。


「……理由は?」


 理由を教えてもらわない事には始まらない。

 まずはそこからだ。


 だけど……


 なかなか、そうは上手く行かなかったんだ……



★★★(クミ)



「捨てるなんてそんな! 私がこの家に居る資格が無いと思ったから、そう言ってるだけですよ!」


「だからそう言ってるじゃん。捨てる決断したように見えないって」


 彼の言葉尻を捉えて、私は脊髄反射的にそう応えてしまう。

 それを穏やかに指摘してくれるサトルさん。


 目で「落ち着いて」って言ってる気がした。


「だから理由を教えて欲しいんだけど?」


「言えません」


「何で?」


「絶対に信じて貰えないからです」


 そう、言い切ると。

 サトルさん、こめかみに手を当てた。


「……つまりだ」


 ……ああ、多分だけど、サトルさん怒ってる……。


 今まで、冒険者になりたいって言ったときくらいだった。

 サトルさんが私に対して怒ったように見えたのは。


 今まで「旦那の言う事に逆らわないのが妻の在り方だ」とか「俺に逆らうのか」とか。

 そんなこと、言わなかったし、しなかった。


 そんなサトルさんが、怒ってる……


 私は苦しくなった。


 でも、そんな「苦しい」と思ってる自分が嫌になる。

 何を被害者ぶってるの? と。

 冷静な私が、私をそう評価する。


「俺には相談する機会すら与えず、全部自分で決めて結論を出しちゃうと?」


 ……ゾッとした。

 彼に、本気で私の行動を詰られていると感じたから。


 冒険者になりたい、って言ったときも詰られたけど。

 あれは私の身を案じたからこその言葉だった。


 でも。


 今回は、完全に糾弾されてる。


 お前は酷い女だ、と言われてる……


 背筋が冷えた。ショックだった。

 甘えたことに、私はどうも、彼に憎悪されるかもしれないって考えたら、怖くなってしまうような。

 そんな、夢見る夢子ちゃんだったみたい……。


 私って、どこまでオバカなんだろう……。


「……私、この世界の人間じゃ無いんですよね……」


 そして気が付くと、ポツリ、と言っていた。


 頭の中がぐるぐるとしてて。

 なんだか、もうどうにでもなれ、みたいな。

 そんな心境になって。


 言ってしまったんだ。 


「え?」


 サトルさんは、私の言葉が理解できなかったらしい。


 だから、もう少しハッキリ言ってあげた。


「この世界の他にも別の世界ってのが存在して、私はそこの世界で1回絶命して、こっちの世界に飛ばされて、再生したんです」


 ……我ながら意地が悪い。

 堂々と、配慮に欠けた言い方になってると、言ってから気が付いてしまう。


 いつもは基礎的なところからはじめるのに。

 事の経緯の結果から先に言うなんて。


 私も腹が立っていたのかな。

 自分勝手すぎ。怒られて当然のことをしてるのに。


 ほれ、信用できるものならしてみせてよ!?

 そういう私の自分勝手な怒りの気持ちの表れだ。


 ……今、私は最初で最後の夫婦喧嘩をしてる。

 そう、言いながら感じていた。


「別の世界?」


 すると私の言葉を、サトルさんは聞き返してきた。

 だから、サトルさんにも分かるように、漢字の知識を交えた話し方をした。


 だからどうだってわけじゃないけどね。

 どうせ信じて貰えないもの。


「異世界です。異なる世界って書きます」


 これでニュアンスは伝わるかな。

 意味無いけど。


 すると。


「……それは、死後の世界みたいなものなのかな?」


「死んでこっちに来たわけですから、どっちかといえばこっちが死後の世界でしょうか?」


 ホラ、信じてない。

 だから言わなかったんですよ。


 ……って。


「……あの……サトルさん?」


「何?」


 サトルさんは厳しい顔は崩して無いけど、私に対する怒りの感情はだいぶ収まってて。


「……どうして「意味わかんない事を言うな」って言わないんですか?」


「だって、そうなんだろ?」


「は?」


 ……えっと。


「……ひょっとして、信じてくれてるんですか?」


 恐る恐る、聞いてみた。


 全く予想してなかったから……

 そしたら


「……この局面で、作り話をするような人間、人間として最低だろ。クミさんはそんな女の子じゃない」


 ドキンっ。


 ……真顔のサトルさんの言葉。

 私は、心臓の鼓動が早くなるのを感じた……。


 サトルさん、本気で言ってくれてる……


 さっき、頭がぐるぐるするくらい、ショックだったの。

 私、サトルさんの事が本当に大好きになってたんだなぁ……


 そんな人に憎まれるかもしれない。

 それを本当に理解してしまったから、頭がぐるぐるしちゃったのか……


 それを、これ以上ないくらいに、思い知らされた……!


 それを、こんなときに思い知ってしまうなんて……!


 私は、離婚しないと、いけないのに……!


「で」


 そんな私をじっと見つめて。

 そこから先の話をしてくれたんだ。


「それがどう、離婚しなきゃいけない理由に繋がるんだ?」


 ……来た。

 もう、逃げられない。


 ……言わなきゃならない。

 トミから聞いた、私の前世の真実を。


 言いたくない。言いたくないよ……


 でも……

 ここで逃げるのは……裏切りだ。


 私は、言った。

 驚くほど、落ち着いた声音で。


「私は、前の世界で人を30人以上殺してしまい、そのせいで殺されたらしいです」


「……!」


 サトルさんが息を飲むのが伝わってくる。

 そりゃ、驚くよね……


 そして、私に対して期待したり、信じてくれるのもこれまで。


 そうなるかもしれないな。

 辛い……辛いよ……!


 私は、怖くてサトルさんの顔が見れなかった。

 怯えた顔をしているのだろうか?

 それとも、汚いものでも見るような目で見ているのだろうか?


 そしたら……


「らしい、ってことは、その事は覚えてないってことなのか?」


 ……サトルさんは冷静だった。


 え……?

 怖がったり、嫌悪したりしてないの……?


 嬉しい……


 そう思ったけど、それを私は呑み込んだ。


 今は、そういうときじゃないから。


「もう1人の私からの、受け売りです」


 聞かれたことに、答えなきゃ。


「もう1人……?」


 するとサトルさん、私の言葉に首を捻る。

 忘れちゃったのかな?


 私が冒険者になることを選んだ原因なのに。


「私そっくりの」


「……ああ。そうか」


 ……もう!

 思い出してくれたので、私は安堵した。


 って。


 それどころじゃないハズでしょ。


「それ、何をもって信頼したの?」


 ……当然の疑問。


 だって敵のハズだもんね。トミは。

 それなのに、信じた、って。

 頭大丈夫か? って言われるかもしれないくらい、変。

 なのに信じた。


 ……どうして?


 ……この「どうして?」は、サトルさんが私の話を信じてくれてる証拠。

 まともに私の話を捉えてくれてないと出てこないよ。この疑問は。

 さっきの「らしい?」もだけどさ。


 嬉しかった。


 嬉しかったけど。


 ……今は喜ぶときじゃない。


「……私が記憶喪失を全く恐れてなかった、不安じゃ無かった。そのことで」


 ひらたくいうと、直感です。


 そう、伝えた。


 オバカ扱いされるかな?

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