3章 混沌神官に遭遇してしまった。

第13話 ホンモノはあんなもんじゃないらしい。

 その日、私は自分が漢字かな交じり文で清書した聖典の一節を、食堂のテーブルをこっそりお借りして整理していた。

 部屋でやっても良かったんだけど、並べた紙を踏んじゃいそうなので、食堂のテーブルをお借りしたのだ。


 オータムさんの家の食堂のテーブル、大きいんだよね。

 お客さんを呼ぶことを想定してるのかな? 

 3メートル×9メートルくらいで。


 丈夫そうなしっかりした木製テーブル。

 見るからに高そうな、立派なテーブル。


 この部屋で、この屋敷に来た時に異能のレクチャーを受けたなぁ、って思い出す。


 こんだけ大きなテーブルだと、清書したページを順番通りに並べて、本に加工する手順が楽にできちゃう。

 やっぱさ、一通り清書したら本にしたいじゃない? 

 それにさ、本当に親しくなった人が、漢字に興味を持ってくれたら、教科書的な意味合いでそういう本があると良いんじゃないかなぁ? 

 そう思うとさ、ますます本を作りたくなって。

 やってしまった。


 私の住まわせてもらってる和室、書き物をする机はあるんだけど、こういう大きなテーブルは無いんだよね。

 まあ、8畳くらいの部屋なんだから当たり前だけど。

 だから、こっそり食堂で作業中。

 だって、最適なんだもん。


 あぁ、大きいっていいなぁ……


 私のテーブルじゃ無いけどね、と心で付け加えながら、作業を進めていたら。


 ガチャッ、と扉が開いて。


 セイレスさんが、掃除道具を乗せたワゴンを押しながら食堂に入って来た。


 あわわわっ!? 


 食客ってことで、家賃も食費も無しで居候させてもらってる身なのに! 

 こ、これはまずい!! 

 心臓を掴まれたように焦りまくる。


 脳内で「あぁ? クミ様、いやクミ!? タダメシ喰らいのごくつぶしの分際で、私とオータム様のお屋敷で調子コキすぎではございませんかね!?」と怒鳴られ、シバかれる自分を想像する。

 セイレスさん怒ると絶対怖いはずだし!! 


 私は震え上がった。


「す、すみません! すぐに片付けます!」


 土下座せんばかりの勢いで、謝り倒してテーブルに広げていた清書したページをわたわたと回収しようとした。


 すると


「ああクミ様。お気になさらず。どのみち、本日はオータム様がお帰りになりますので」


 後でテーブルの掃除を徹底的に行いますので、作業を続けていただいて大丈夫ですよ。

 まだテーブルの掃除には取り掛かりませんし。


 ……と言われた。

 胸を撫でおろしつつも、ちょっと気になることが。


「……私の作業って、そんなに汚いですか?」


 どうせ徹底的に掃除をするからすぐ片付けなくていい。

 そう言われたように聞こえたから。


 ……私のこの作業、そんなにバッチイ? 


 そこのところが、何気にショックだった。


 すると。


「……ああ、そういう意味では無いんです。申し訳ございません」


 セイレスさん、自分の言葉の裏の意味にとられることに気づいたのか、訂正してくれた。


「単にですね、今日の晩に帰宅されるオータム様が、相当不機嫌なのは想像に難くありませんので」


 そのために、いつもより丁寧にテーブルを掃除するんですよ。必ずお酒を召し上がるはずなので。

 だから、テーブルを傷つけるような作業なら別ですけど、そうでないなら大概の作業はOKですよと。

 そういう意味です。


 そう、説明を受け。

 ホッと、胸を撫でおろし。


 また、ふと疑問を覚えてしまった。


(オータムさん、今日不機嫌な状態で帰ってくるの確定事項なの? 何で?)


 ここ数日、オータムさんは家を空けていた。

 理由は仕事。そこまでは知ってるんだけど。


 今日、帰宅するオータムさんは、絶対に不機嫌。

 そこは確定事項らしい。


 何で? 




 夜、だいぶ遅くにオータムさんが帰宅。

 玄関の観音開きのドアを開けて、このお屋敷の主人が数日ぶりに帰還した。


「ただいまセイレス」


「おかえりなさいませ。オータム様」


 脇に控えていたセイレスさんが深々と一礼する。私はその後ろに居たのだけど、慌ててそれに倣った。


 帰って来た主人から黒いとんがり帽子を受け取り、黒いコートを受け取り。

 黒いシャツとズボンの姿にさせて。


 セイレスさんはその後についていく。


 その後ろを私は追った。


「お風呂の準備は?」


「出来ております」


「じゃあ先にお風呂に入るから、その間に赤ワインの準備をお願い」


「かしこまりました」


 廊下を歩きながら、セイレスさんに淀みなく指示するオータムさん。

 ランタンを乗せたワゴンを押しつつ、主人を浴室にまで送るセイレスさん。


 二人とも、長年連れ添った間柄。

 そんな雰囲気がありありと感じられた。


 そういえば、オータムさんが飲酒するのを見るのは初めてかもしれない。


 神官の資格取得はしてるオータムさんだけど、別に僧侶ってわけじゃないらしい。

 どうも神官=僧侶、っていう意味じゃないみたい。この世界。

 神官ってのは、あくまで公式に「この人神様に愛される生き方してる人ですよ。その証拠に神の奇跡を起こせます」という認証持ちの人。それだけの意味。

 でもま、その意味合いが重いんだけどね。


 だから、宗教上の理由で飲酒しないんじゃなく、多分健康上の理由とか、そういう理由で飲まないんだと思う。オータムさん。


 だけど。


 そんなオータムさんが、赤ワインを準備せよってセイレスさんに。

 初めてみる光景だった。


 今日、帰宅するオータムさんは不機嫌。

 帰宅したときの顔は普通だったんだけど、その振る舞いでセイレスさんの言ってることが正しいことが分かってしまう。

 ああ、確かに何かあったのかもしれない。




 食堂で待っていると、オータムさんがやってきた。

 お風呂上がりで、いい匂いがしている。

 真っ黒いバスローブで身を包んでいて、スタイルのいいオータムさんなので、ものすごく色っぽかった。


「ワインは?」


「こちらに」


 セイレスさんが運んできたワゴンに乗せたフルボトルの赤ワイン。

 コルクはすでに抜いてある。

 その横に、ワイングラスと、おつまみなのか、それなりの量のチーズ。

 一口大にカットしてあるのを、綺麗に詰んで皿に盛ってあった。


 ストン、とオータムさんがテーブルの席について。

 スッ、とセイレスさんの手がグラスと皿をテーブルに並べる。


 トクトクトク……


 グラスの1/3くらいの位置まで、赤い液体が注がれ。

 オータムさんは、くるり、くるりと中の液体を回して、香りを楽しんだ後、チーズを一口齧り、一口飲んだ。


 表情が、ほぉ、となる。


「美味しい……」


「恐れ入ります」


 オータムさんの表情が、少し和んだ気がした。




 翌日。


 甘味処の仕事に行く前、お屋敷内を歩いていたら休憩中のセイレスさんに鉢合わせた。

 食堂で椅子を持ってきて、一息ついている。


 なので、ちょっと聞いてみたんだ。

 なんで昨日のオータムさんが不機嫌だったのか。


 それを予想してたセイレスさんは、その理由を知ってるはずだし。


「セイレスさん」


「おや、クミ様。何の御用ですか?」


「ご休憩中のところ、申し訳ないんですけど……」


 昨日の事、教えてください。


 そう、伝えた。


 昨日の事と言われて、少し考えたみたいだけど。

 セイレスさん、思い当たったのか。


「オータム様のことですね?」


 気づいてくれて。

 私はそれに頷いた。


 それを見て、ふぅ、とため息のような息を吐くセイレスさん。


「……少々不愉快な話になりますが、よろしいですか?」


 そう、念を押してきた。


 ……不愉快な話? 

 何だろう? 


 ちょっと怖かったけど、私は頷く。

 知らないでいる方が嫌だったし。




「オータム様の先日までのご不在は、混沌神官に支配されていた村の解放を領主様に依頼されたからです」


 なので、高確率で帰宅時に不機嫌になっていらっしゃるのが予想できましたので、そうお伝えしたのです。クミ様に。


 ……混沌神官? 

 一応、聞いてはいた。


 この世界には、正しい神様とされているメシア、オロチ、オモイカネに対抗する悪い神様として


 サイファー、マーラ、タイラー


 という三柱の邪神が居るって話を。

 その三柱の信者で、神官の資格を得たものを「混沌神官」と呼ぶと。

 そこまでは教えてもらってる。

 そして、混沌神官であると認定されると、もう人間扱いしてもらえないとも。

 即刻処刑されてしまうとも。


 一応、何故そうなのかについて、理由として「彼らの唱える教義」についても教えてもらってた。


 オータムさんは言ってた


「彼らは、自分たちの神を「自由の神」「愛の神」「平等の神」と呼んで崇めているわ」


「しかし、彼らの唱える自由はただの自分勝手を言い換えたもので」


「愛は動物的欲望をそう言い換えただけ」


「平等はただの嫉妬心の正当化ね」


「放置していたら社会に重大な害を与えるから、だから問答無用で処刑なのよ」


 私が聞いてたのはそこまでなんだけど……


 混沌神官の実態についての話は知らなかった。


 この間、死闘をするはめになったノライヌシャーマンが、一応マーラの混沌神官みたいなものだったから。

 あの程度のものとしか認識してなかったんだけど……


 あんなのじゃないの? 

 本当の混沌神官は? 


「例えば、とある村でマーラの混沌神官が出現した事例などでは」


 セイレスさんは語ってくれた。

 全く表情を変えないで。




 性格の醜さゆえに誰にも相手にされず、恋人も作れなかった男がマーラへの信仰に目覚め、村ごと支配した事例があります。

 その男は人一倍性欲が強く、傲慢で、自分本位。

 気に入った女が居れば全て手を出し手籠めにし、その女に恋人や夫が居れば、目の前で殺害して「こいつらにお前らを愛する資格は無い。俺が本当の愛を教えてやる」と言い放ったそうです。

 手を出した女には全て呪いを掛け、自分に絶対服従するように仕向けました。

 そして逆らうものは自身のマーラの奇跡と、マーラの奇跡で魔界から呼び出した魔神、そしてそのおこぼれに与ろうとする村に居た他の屑のような男たちを手下に使い排除し服従させ、村の暴君として君臨したとか。

 その混沌神官の男は、その土地の領主に事実が発覚し、討伐されるまで、半年以上その村を地獄に変えたそうです。



 自分の容貌を劣等感として抱えていた女が、タイラーの信仰に目覚めた事例があります。

 都市部で生活していた女なのですが、自分の容貌が所謂「美人」でないことに耐えられず、「生まれつき容貌に差があるのは不平等」と考えるに至り、タイラーへの信仰に目覚め、街で「自分より美しい」と感じた女たちに、タイラーの奇跡を使い呪いを掛け、容貌を崩れさせたのです。

 役所に捕縛されるまでに、20人を超える女たちが呪われ、およそ人間と呼べないような容貌に変えられたとか。



 貴族の少年が、サイファーの信仰に目覚めた事例などは特に悲惨です。

 その少年はとある地方領主の長男だったのですが、領民への共感性の無さを咎められ、跡取りから外されたことを不満に思い、サイファー信仰に目覚めました。

 彼は呪いの奇跡を用いて近しい人々を全て操り人形にし、彼の実家の領地を地獄に変えました。

 気まぐれで領民の一家をなぶり殺しにしてみたり、人間に点数をつけて矢で射る遊びに興じてみたり。

 最終的に王に発覚し、軍が出動して鎮圧するに至ったのですが、そこに至るまでに犠牲になった人々の数は計り知れません。



 ……何それ。

 全く笑えない。


 それが、私がその話を聞いたときの第一印象だった。


 混沌神官って、本当はそんななの? 

 そんなことをやってしまえる連中なの……? 

 異常過ぎる……! 


 そして、同時に納得してしまった。

 だから、この世界は混沌神官が出現することを恐れ、出現を確信した場合、対象者を弁明の機会も与えることなく処刑するのかと。


 ようは、私が元居た世界で例えたら。


 サイコパスがいきなり強力な超能力を持つようなもん。


 これが一番近いのかな? 

 そりゃ、取りこぼしを何より恐れて、そういう乱暴な対処法をせざるを得ないかもしれないよね……。


「だから、オータム様は何も仰らないですけど」


 今回の仕事先でも、何か相当不愉快な、邪悪な、醜悪なものを見たんだと思います。

 オータム様は魔法を複数種使えるうえ、異能まで使用可能なベテラン冒険者。

 混沌神官が、軍隊を動かして倒すには問題が多いような勢力の場合、所謂斬首作戦のキーマンとして仕事の依頼が来る場合が多いのですよ。

 そしてそういう仕事の後は、いつも必ずお酒を召し上がるので、そのために昨日は色々やったのです。


 私がセイレスさんの話にショックを受けて、何も言えないでいると、最後にそう付け加えてくれた。

 そっか……そうなのか……


 でも、オータムさん、そんなものを目にしても、あの程度に自分を抑えられちゃうんだな……すごいよね……。

 私は、オータムさんへの憧れと尊敬の念を深くした。ああいう、自立した揺るがないものがある女性になりたいなぁ……


 でも、だからといって。


 私の目の前に、混沌神官が現れるような事態。

 これだけはありませんように。


 オータムさんみたいになりたいって言っても、オータムさんがやってることはやりたくないです。

 特に、混沌神官と戦うなんてことは。


 戦うだけでも辛いのに。

 そんな、人間の邪悪さを煮詰めたようなの、関わりたくない……! 

 恐ろしすぎる……! 


 それが、そのときの私の偽らぬ本心だった。

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